二話 知らない設定ばかり
会長である父に会いに行き、差し出されたのは数枚の紙だった。緑さんと二人で、その紙を覗き込む。どうやら私は、数日前倒れた時に、一通りの検査を受けていたらしい。これはその検査結果のようだった。
「お前に、心臓の疾患があるかもしれない」
「……え。心臓の疾患?」
言われて慌てて心電図という項目に目を遣る。そこには、要再検査と記されていた。その文字を見て体が震え出す。なぜなら、母が亡くなったのも心臓の病気だったから。
「現段階ではあくまで可能性だがな。紹介状をもらってあるから、今から行きなさい」
「そっ、そう、いうことは、もっと早く……」
「今朝結果が出たんだ。いいから、早く行け」
「……はい。かしこまりました」
あぁ。娘が病気になっているかもしれなくても、この人はこんなにも冷静であれるんだ。つくづく酷い父親だ。
暗い気持ちのまま、緑さんと二人で会社から出る。運転席に座った緑さんが、紹介状に書かれている病院をナビに入力していった。
「……心臓……」
つい呟いた言葉に、彼の指が止まる。しかし、返す言葉も浮かばなかったのか、すぐに入力を再開した。
母も、心臓が弱って亡くなった。それなら、私も近いうち……? 悪役令嬢に転生したわけじゃないのに、死ぬ運命ってこと?
「はは……大丈夫ですよね、きっと……」
不安な気持ちを誤魔化すようにそう零せば、緑さんが小さな声で返してくれた。
「……えぇ、きっと」
改めてした検査の結果は、一週間後に出るらしい。社長室に入り、緑さんには仕事に戻るように指示した。一人になると、不安が倍増していく。震える体を一人抱えた。
これから七日間もこの漠然とした不安を抱えたまま生活するのかと思うと気が滅入りそうだが、今すぐ死ぬわけでは、ないはず。だって、まだジャスティナはMaTsurikaに移籍の話をしていないから。マツショクの物語が始まる前に死ぬようなことは、さすがにないだろう。
でも、もしも私が移籍を言い渡したら……? 物語が始まり、私は用無しになって死んでしまうんだろうか。
ゲームの中盤から、ジャスティナ本人は全く登場しなかったことを考えると、もしかするとゲームの中でも彼女は死んでいたのかもしれない。
「……! まさか、死ぬかもしれないと思って、移籍を……?」
自分がMaTsurikaを育てられなくなると思って、死を悟られないように彼らを遠ざけた可能性がある。でも、彼女がエンド後に手紙をくれるルートもあったはずだ。あれは――
「ジャスティナ!」
「……蒼」
「久しぶり、体調は大丈夫なのか?」
「はい。というか、ノックくらいしなさい」
――あのルートは、今私に駆け寄ってくれた、彼のルートだったはずだ。
一ノ瀬蒼、マツショクの攻略対象の一人にして、我らがMaTsurikaのリーダー。黒髪に碧眼、片耳だけピアスを着けた彼は、パッと見近づきがたい空気を放っている。しかし、その印象とは裏腹に、彼はとても心配そうにこちらを見つめていた。前世を思い出して衝撃を受けたことの一つに、ジャスティナと蒼が幼なじみだということがある。
Id∞lがまだ設立されたばかりの頃、研修生として入所した小学生の頃の蒼と、次期社長として現場を見ていた私。ゲームでは一切描かれていなかったが、蒼とジャスティナはかなり仲が良かったようだ。クールで中々心を開いて貰えない蒼ルートだが、それは、親しかったジャスティナに裏切られ傷ついた故だったのだろう。
「ジャスティナ? やっぱりまだ調子が良くないのか? 病院にもう一回行った方が……」
「病院ならさっき行ってきました」
「……本当に大丈夫か?」
こんなに心配そうにしてくれる蒼に、心臓の話なんてとてもできない。私は笑顔を貼り付けた。
「ただの過労だと」
「過労だとしても、“ただの”で扱っちゃダメだろ」
むくれたように怒ってくれる蒼に、マツショクで見た冷たい印象はない。昔から知ってる私の幼馴染そのままの姿だ。
「あはは、それもそうですね。とりあえず、今日は休むことにしたので、もう――」
「出ていかないぞ」
「えっ?」
「CMの撮影が終わって、今日はオフなんだ。だからジャスティナを見守る」
呆れて「過保護……」と呟けば、彼はなぜか嬉しそうに笑うのだった。体の震えも、いつの間にか収まっていた。社長室には、仮眠にも使えるようソファではなくカウチが置いてある。どうせ色々考えてしまって今日は仕事ができないし、一度寝てしまおう。
一応蒼に断りを入れて、カウチへと移動する。寝転がり、軽くブランケットを被った。
「こんなところで休んでも、休まらないだろ。家まで車で送ろうか?」
「いや、緊急事態が発生したら困りますし、せめて定時まではここにいますよ」
「……てかさっきから思ってたけど、二人なんだしタメ口でもいいだろ」
「……? 一応、会社ですので」
私と蒼は幼なじみだし、年齢も同じだ。だから普段は敬語なんて使わないけど……公私混同しないよう、勤務中や仕事の話をする時は敬語を使うようにしている。もちろん、他のメンバーや社員にも同様だけど。蒼も、それは知っているはずだし、何なら彼も普段の勤務中は私と敬語で話すはずなのに、今日はずっとタメ口だ。私が倒れたことで動揺してるのかとも思ったが、ここまで続くなら意図した口調なのだろう。別に、彼に敬語を強要するつもりはないが……彼自身がいつも敬語を使うから、意識が高いなぁと密かに感心していたのに。
「蒼、何かありました?」
「別に……。ただ、お前の敬語は好きじゃないって最近気づいたんだよ」
「えぇ? ……うーん、分かった。とりあえず今日だけね」
不本意だけど、蒼のおかげで震えが止まった恩がある。今日は多少のわがままを聞いてあげることにした。マツショクで見たクール系というキャラは一体どこへやら、可愛い可愛いアオくんの笑顔が向けられる。
ふと、胸が苦しくなってきた。
蒼にときめいたとか、そういう苦しさじゃない。これは明らかに、心臓に走る痛みだ。左胸を抑えたくなるのを堪え、慌てて蒼に背を向けて寝転がる。ブランケットをかけていたし、顔を歪める前に姿勢を変えたからバレていないだろう。
「ジャスティナ……? どうした!」
全然余裕でバレていたみたいだ。それはそうか、背を向けたって明らかに様子が変わってしまったのだから。このままでは、蒼に心臓のことがバレてしまう。ゲームのジャスティナも、こうして蒼にバレそうになったことがあったのだろうか。でも、どのルートでもジャスティナの病気について触れられたことはない。きっと、上手いこと誤魔化したのだろう。ならば、私にだってできるはず。だって私も、転生したとはいえ、加藤ジャスティナなんだから。
「……悪い、けど、出てってもらえる?」
「いやでも、そんなに辛そうなのに……救急車呼ぶから」
「女の子の! 日、なだけだから……!」
「何言って……! あ、あぁ……なるほど……」
私は知っている。蒼がアイドル一直線だったせいで彼女もおらず、生理の症状など知る由もないことを。普通に考えれば、生理痛が心臓まで届くことなどないが、蒼はそれで納得してくれたらしい。
「……その、悪かった。でも、それにしても症状が重すぎないか? 明日でいいからもう一回病院には行っとけ」
ゲームのジャスティナも、こんな方法で対処したのだろうか。その点は不明だが、こうしているうちに、心臓の痛みも引いてきた。
これは黒かな……七日後の結果を想像して、ため息をつく。ぐるりと姿勢を回転し、再び蒼が映るようにしてみた。彼は、私に駆け寄ってくれていたのだろう。カウチのすぐそばで膝をついて座っていた。至近距離で視線がぶつかる。
「! わ、悪かったって。そう睨むなよ……心配だったんだから……」
「……ふふ、違うよ。ありがとう蒼」
今ここに、蒼がいてくれて助かった。
「蒼の顔、やっぱり落ち着く」
茉莉だった前世も、ジャスティナとして生きる今世も、蒼はやっぱりMaTsurikaの土台だ。先程までの心臓の痛みも忘れて、安心感に包まれた私はそのまま眠りに落ちたのだった。
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