十話 一年後
『今年度のIDGPの優勝者は〜……』
『NEXTプロダクション所属【MaTsurika】だぁぁぁぁぁぁぁ!!!』
***
――あれから。茹だるような暑さの夏が過ぎた。
秋特有の枯れていく葉を切なく感じていれば、いつの間にか季節は冬に移り変わった。
寒く寂しい積雪も乗り越えて迎えた春には、家政婦さんと別荘傍の桜の木でささやかなお花見を楽しんだ。
そして、今年。私は再びセミのうるさい季節を迎えることができて――
「……帰ってきた」
心臓の病気が発覚してからは約一年半。わたし加藤ジャスティナは、ついに東京都心へと帰ってきたのである。一年ぶりの雑踏に、心が踊った。
まるで犯罪者のように別荘へと引っ越してから、約一年間。私は、病気と家政婦さんと共に暮らしていた。そして二ヶ月前、ついに運命のIDGPの日を迎えたのである。緊張しながら見守ったIDGPは、マツショクで見た流れそのままではあったが、とてもハラハラとさせられるものであった。MaTsurikaが優勝だと発表された時には、思わず家政婦さんとハグをしてしまったほどに。
療養生活は、精神との戦いの日々で、何度も弱気になり庭に出ては家政婦さんに隠れて涙を流したが……それもすべて、MaTsurikaの優勝によって報われたと言えるだろう。
そしてIDGPの特番を視聴後、私は医師との約束通り心臓の手術を受けている。結果は無事成功。手術前、蒼に手術の願掛けの意も込めて、手紙を郵送したのが良かったのかもしれない。もちろん、原作の蒼ルートと同じような内容で。住所はあの日影武者として海外に送り込み、そのままそちらで生活している従姉妹の住所をつかわせてもらった。(思い切り国内便を使ったけど)
手術後は改めて都内の別荘へ移り、一ヶ月半ほどリハビリに励んだ。そして今日、私はようやく都心を出歩けるほどに回復したのである。
この一年間の療養、もとい初めての自由を体験する中で、私は病気だけでなく、父親の呪縛から本当の意味で逃れることができた。
父は、心臓が治ったならば子会社の社長に就任しろと手続きをしていたようだが、本人の意思を無視した契約は無効である。完全に無視してやった。心臓の手術をして、少し性格も変わったのかもしれない。以前のように、父に従わなくてはならないという感覚も薄くなっていた。出勤を断った際、親子の縁を切るぞ! と脅しのように言われたが、社長時代の有り余るほどの貯蓄もある。一年間森の中で生活し、地味な生活にも慣れた。ようやく私も親元を離れ、自立するターンがやってきたのである。父親としては、治療のために自由を与えて“あげた”恩を返してほしいのだろうが、そんなことは知ったことではない。
元々この自由は私のものである。
そんな簡単なことに気付くのに、二十四年と、前世の感覚まで要したのが少し情けない。
ひとまず、今日は何よりも優先すべき事項があった。
人の流れに従って、ひとつの建物に向かって歩いていく。周囲の人を見れば、皆が着飾り、少し大きめのトートバッグを持っている。中からうちわの柄が飛び出している人も何人か見かけた。
そう、今日はMaTsurikaのコンサートなのである。
MaTsurikaを斡旋した私に恩があるNEXTプロダクションの社長へ秘密裏に連絡をすれば、指定した日のチケットを準備してくれた。紛うことなきコネチケであるが、一度くらいは許してほしい。MaTsurikaのためにこちらは社長人生を棒に振ったのだから。
ちなみにマツショクのFDにも、ジャスティナの出番はない。しかし、私自身は無事生きたままFD軸に来ることができた。原作のジャスティナの手術結果がどうなっていたのかは依然として不明であるが、どちらにせよMaTsurikaはジャスティナの失踪により幸せを掴み、FD軸でもジャスティナの不在の元に幸せは成り立つ。今更出しゃばって、マツショクの世界を崩すつもりはなかった。部外者の私は当然誰がヒロインの桃菜とくっ付いたのかは分からないが、最高カップルの邪魔をする気もない。
だから今日だけ、今日だけMaTsurikaの活躍をこの目に焼き付けて……これからは、一人楽しく旅でもして、フラフラと生きようと思っている。
齢二十四歳。初めてただのファンとして訪れるライブ会場の空気は、一年暮らしていた森の中よりも新鮮に感じたのだった。
***
――最高、最高最高最高!
語彙力がなくなる経験を、今世において初めてした。それほどにMaTsurikaのコンサートは素晴らしいものであった。この感動を共有できる存在が誰もいないことは寂しいが、心臓の手術を終えた私が「もうここで死んでもいい」と不謹慎なことを思いながらも「生きていてよかった」と矛盾した感想を持つ、素敵なパフォーマンスだった。見にきたことにミクロの後悔もない。
アンコールも終え、騒がしいファンの声とともに会場をあとにする。一応所持していた蒼のうちわと、公式ペンライトを掲げて、会場を背景に写真を撮ることにした。思い出、思い出……とスマホを取り出していると、ポンっと肩を叩かれる。落し物でもしたかなと振り返れば、そこには高身長の男性が立っていた。
「……あ!」
一瞬フリーズしたものの、すぐに理解する。マスクと帽子をしているが、この美しい金髪と空色の瞳は間違いなく篠宮宙くんだ。一年半ぶりの再会ということもあり、気付くのが遅れてしまった。
「お久しぶりです、社長」
「はは……お久しぶりです、あと、もう社長ではないです……」
なぜ彼がここに。と疑問に思うが、そういえばFDの冒頭、MaTsurikaと初めて共演した宙くんが「この前のコンサート観たよ」と話しかけていたシーンがあったことを思い出す。その“この前”が今日だったのか。
どうしたって気まずい空気が流れる。一年半ぶりの再会ということもあるが、実は宙くんは未だにアイドルの仕事をセーブしたままであった。無印の軸は終わったはずなのだが、中々FDで見たアイドルの姿に戻る様子がなかったのである。どこかで仕事に戻るだろう、と楽観視しつつも、密かに焦ったものだ。MaTsurikaのを見にきたということは、きっとこれからアイドルとして本格再始動するのだろうが……宙くんに休むきっかけを与えてしまった者として、何となく彼の運命の日に立ち会ってしまったいたたまれなさがある。
「社長は――」
「あの、社長呼び、やめましょう?」
「では、なんと……」
「ジャスティナで大丈夫です……」
「じゃあ、ジャスティナさんも、敬語やめましょう? 僕年下ですし、もう仕事関係じゃないでしょう」
「えぇ……」
辞任前から少し思っていたが、彼は案外グイグイ来る。
「ふふ、まぁいいです。それは追追ということで」
「た、助かります……宙くんも、MaTsurikaのコンサートを観に?」
念の為問えば、彼は笑顔で頷いてくれた。どうやらマネージャーの中野さんが、たまには後輩のライブでも観て刺激を受けたらどうだ、とチケットをくれたらしい。中野さんはアイドル・篠宮宙が大好きだから、なんとかしてアイドルに戻って欲しくてきっかけを与えたのだろう。
「あ。ジャスティナさん、うちわと一緒に写真撮ってあげましょうか?」
「え! いやいや……私が写り込むのは余計ですから……うちわとペンライトだけで……」
「もったいないですよ。せっかく可愛い格好してるのに」
「……あ!」
言われて、自分の服装を思い出してしまった。社長の時はオフィスカジュアルかつクールに見える服を常に着用していたから、完全なる私服で宙くんに会うのはこれが初めてである。しかも、一応私は顔出ししたこともある元社長のため、ファンに身バレせず会場に溶け込めるよう、普段よりもフェミニンな格好とメイクをしていた。別に、特別奇抜な服装でもないが、妙に恥ずかしい。
「というか、よく私だって気づきましたね。だてメガネだってしてるのに」
照れを誤魔化すようにメガネの縁をいじりながらそう返す。宙くんは何だか嬉しそうに目をスっと細めた。
「分かりますよ、それくらい」
「も、もしかしてバレバレ……?」
「いえ、知り合いだからギリギリ気づけるラインだと思います」
ならば良かった。熱狂的なファンの一部(特にId∞l所属時代からの古参)は、MaTsurikaを見捨てた加藤ジャスティナに敵意を持っている。とりあえず、高身長のキラキラで目立つ宙くんと、存在がバレてしまうと厄介な私は、その場を離れることにしたのだった。
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