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29 トゥルーエンドに向かって

 昔から運動は得意な方じゃなかった。


 小学校の時は確かクラスで下から4番目ぐらいだったと思う。それは今も変わっていない。


 八雲神社へと続く坂はそんな運動音痴の僕には酷なほどに急だった。道中、まるでこれが天まで続いているんじゃないかと錯覚するほどの辛さ。


 だけど足を止める理由にはならない。


 その先に、世界で一番僕が綺麗だと信じている女の子が待っているからだ。


「……来てくださってありがとうございます」


 聞き馴染みのある優し気な声が聞こえてきたのは、荒れた呼吸をどうにか整えようと境内に続く道を歩いていた時だった。


 参道を少しそれるとすぐに八雲神社の駐車スペースに出ることが出来る。


 普段は神社の関係者や周辺施設に関わる業者さんの駐車スペースとして使用されている場所なのだが、今日はお祭りという事も相まって駐車禁止の張り紙がされたロープが貼られている。


 確かにこの場所を知っている人間からすればお祭り会場に近いこの場所は車を停めるには最適な穴場スポットだろう。


 神社の人もそれを知ってか事前に対策を打っていたらしい。


 だからこそ、そこに居る二人を遮る障害物は何もなかった。


「いや、琴子に呼び出されちゃ断れねぇよ。それに……」


 優しげな声に応えるように、もう一人の影が小さく肩を竦めて見せた。 仁科奏佑(にしなそうすけ)。僕が一年生の時のクラスメイトであり、優しくて気が利くとてもいい男だ。


「それに……?」


 そんな彼の言葉に、もう一人の少女が疑問の声を上げる。


 志津川琴子(しづかわことこ)。我が桑倉学園のアイドルで僕の依頼主。そして、仁科君のことが大好きな一人の女の子だ。


「いや、忘れてくれ。何でもない」

「ふふっ、なんですかそれ」


 僕は二人に見つからないように咄嗟に近くの木の陰に身を伏せた。


 二人が今いる場所は、僕と志津川さんが下見に訪れた時に志津川さんが腰を下ろしていたベンチだ。その先からは下に流れる千歳川と、そしてその先の滝田市内が一望できる。


 僕の位置からはしっかりと視界には映らないが、闇に飲まれだした滝田市は街並みを彩る光と相まってとても幻想的に見えるだろう。


 神社全体を包み込む優し気な静寂と眼下に広がる光が生み出す喧騒が相まって、その狭間で言葉を交わす二人はとてもロマンチックに見えた。


 決して音をたてないように僕はその場に腰を下ろすと近くの大木に背中を預ける。


 遠くの方で名前も知らない虫が鳴いているのが分かった。僅かに揺らめく木々の擦れすらやたらと大きく思えてしまう。


 きっと彼らの一挙手一投足を見逃すまいと僕の神経が過敏になっているせいだろう。


 そりゃそうだ。


 僕はこの瞬間をずっと探してきたんじゃないか。


「あのですね」


 浴衣姿の志津川さんは、ひとつ大きく何かを決意するように声を上げた。


 僕を除いたたった二人の空間に、その声は静かに沁み込んでいく。


「私たちが初めて出会った日のことを覚えていますか?」


 いつの間にか僕の手が小さく震えているのが分かった。言葉に出来ない「頑張れ」が僕の心の中で五月蠅いぐらいに叫んでいた。


「覚えてるよ」


 そう答えた仁科君の声は優し気だった。


「確か、親父に連れられてやって来たパーティーでのことだったっけ」

「……はい。覚えてくれたんですね、嬉しいです」


 恋に落ちたその日のことを確かに仁科君が覚えていた。その事実がきっと志津川さんのその嬉し気な声を生み出したのだろう。


「最初はすっかり忘れてたけどな。でも琴子と出会ってから思い出したよ。俺があの日屋敷から連れ出した女の子がこんなに可愛くなって目の前に現れたのかと驚いた」


 よくもまぁこの雰囲気の中でそんなキザな言葉が吐けるものだ。


 間違いなく仁科君にしか許されない特権だろう。


「久しぶりにこの街に戻ってきて驚きました。私もまさか転校先にあの日私を連れ出してくれた男の子が居るなんて」

「とんだ偶然だよな」


 そう言って二人は小さく笑い声をあげた。


「本当です。でも、おかげで私は私の気持ちに決着をつけることが出来る」


 そう、これは志津川さんの恋心を成就させる物語じゃない。


 初めから筋書きが決まっていた、終わりに向かう物語。


 志津川琴子(しづかわことこ)という等身大の女の子が、自らの初恋に決着をつける物語だった。


 だからこそ志津川さんは前へ進むのだ。終わりへ続くこの道を、だけど確かな決意と共に歩いていく。


「仁科君、聞いて欲しいことがあるんです」

「……あぁ、しっかり聞くよ。琴子の言葉と、琴子の心を」


 5年間積み重ねてきた想いがあった。


 それは確かに彼女の口から音となって、仁科君へと流れ込んでいく。


「……大好きです」


 そのたった一言を言うために彼女はどれだけ心を痛めてきたのだろう。だけど、志津川さんは確かな覚悟と共にそこにいた。


「貴方と再び出会ったあの日から。いや……あの日、貴方が私をお屋敷から連れ出してくれたあの日から。仁科君、私はあなたのことが大好きです」


 飾らない素直な言葉。それこそが志津川さんの気持ちに一番ふさわしいと思った。


「……ごめん」


 だけどそんな言葉に仁科君は小さく答えた。


「琴子の気持ちには答えられない」


 仁科君は僕のお願いを確かに聞き届けてくれた。志津川さんの心からの言葉に、確かに真摯に向き合ってくれた。


「そうですか……残念ですっ」


 そう言って志津川さんは小さく口元を緩めた。


 街並みから差し込む明かりが、確かに彼女の頬を伝う小さな雫を煌めかせていた。


「理由とか、聞かないのか?」


 全く、あれだけしっかりと決めたのに仁科君は野暮なことを聞くもんだ。


 理由なんて志津川さんは最初っからわかっていた。仁科君には他に好きな人がいて、彼の気持ちが自分に向かないことなんてとっくに知っていることだった。


「言わなくてもいいですよ。だって仁科君は、柚子(ゆず)ちゃんのことが好きなんですよね?」


 あの日のやり取りを僕は志津川さんには一言も話していない。


 仁科君の本当の胸中を僕はずっと隠し続けている。でも聡明な志津川さんには全部お見通しだったらしい。


 鳴海さんとのやり取りがあって、そして仲睦まじい仁科君と粟瀬(あわせ)さんを見て、彼女も仁科君の本当の気持ちがどこにあるのかすぐに気付いたのだろう。


「……そう、だな。俺は……柚子が好きだから」

「だったらやることがあるんじゃないんですか?」

「えっ……?」


 瞬間、どこからともなくスマホの震える小さな音が聞こえた。


 すぐに仁科君はポケットに手を突っ込むと慌てるようにそれを耳に当てた。


「あ、あぁ柚子か……? いやごめん、ちょっと大事な用でさ」


 ちらと彼の視線が志津川さんへと動いた。


「行ってください、仁科君」


 先ほどの緊張した声は何処へ行ったのやら。志津川さんの言葉はどこか吹っ切れたかのように明るかった。


「待たせている人がいるんでしょう?」

「……あ、あぁ!」


 幼馴染だった二人がようやくその心を通じ合えたのだ。大切な関係になって初めて迎える花火大会を、別々の場所で過ごすというのは味気ない。


 きっと粟瀬さんは待っているだろう。自分の隣に、大好きな人が来てくれることを。


「柚子ちゃんと、幸せになってください」

「……もちろんだ。琴子の応援を裏切ったりはしない」


 仁科君は良い奴だ。カッコよくて頭も良くて、運動も出来て誰にだって優しい。


 そんな彼だったら、絶対に志津川さんを裏切ったりはしないだろう。そしてそんな彼を好きになったからこそ、志津川さんは仁科君の背中を押せるのだ。


 『負けヒロイン』にハッピーエンドは訪れない。


 だけど自らの想いに真摯に向き合い、心挫き、涙を零し、それでも前を向く。その先に辿り着いた場所こそがその子にとって一番大切な場所なのだ。


「お幸せに、仁科君」

 

 去り行く仁科君の背中に、彼女は小さくそう告げた。


 今にも消えそうな言葉を浮かべる志津川さんの頬には滝田の街に照らされた小さな雫がきらめいていた。


 志津川さんのこれまでの想いを詰め込んだ結晶。


 その涙が向かう先を、きっと僕らはトゥルーエンドと呼ぶのだろう。


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