疑惑の男爵令嬢②
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放課後、私は何故か王子殿下の婚約者であるセレーネ様の公爵家の屋敷に招かれていた。室内には王子殿下の側近候補を務める令息方の婚約者たちも集まっている。皆、自分の婚約者が男爵令嬢に篭絡されている令嬢ばかりだ。
幸いにも、私が手紙をお出しした令嬢方は皆集まっており、その他に声を掛けていない男爵令嬢に侍っている令息の婚約者の令嬢たちもちらほらと来ていた。
「セレーネ様、場所を提供していただき、ありがとうございます。本来はわたくしは皆様にお声掛け出来るような立場では無いですが、事態が事態だけに皆様からお話を聞かせていただきたく、お声掛けをさせていただきました」
実は私が指定したのは、学院のカフェテリアの個室だったのだが、話の内容が内容だけにセキュリティのしっかりしている場所で話したいとセレーネ様側から要望があり、自ら公爵家のタウンハウスを提供してくださったのだ。急な話にも関わらず、室内は完璧にセッティングされていた上に人払いまでなされており、公爵家の使用人のレベルの高さを感じてしまった。
「そのように堅くならないで宜しいのよ。わたくし達は皆学友でしょう?それで、聞きたいこととはどんなことですの」
「ありがとうございます。わたくしが伺いたいのは、皆様の婚約者様の言動の不自然な点について、です」
一息でい言うと、集まった令嬢たちが皆ひゅっと息を呑むのが分かった。それもその筈、男爵令嬢と彼女に侍る令息たちの話題は、今や禁句に近い。
緊張で背中を汗が滑り落ちていく。
「それは……」
「分かっております。わたくしがお声掛けさせて頂いたご令嬢方の婚約者様は皆、一人の男爵令嬢に……その、言い方は悪いですが侍っている状態です。わたくしが直接お声掛けしていない、けれど此処にいらっしゃるご令嬢方も同じ状況だと存じています」
だから集まって下さったのだ。
ゆっくりと回りを見回すと、令嬢たちは皆、憂いを帯びた表情で視線を落としていた。
「わたくしは、一人の女子生徒に多数の令息が侍っている今の異常な状態について、とある疑念を抱いています。確証を得るまで詳細を話すことは控えさせていただきますが、彼らはかのご令嬢に操られているような状態ではないかと考えています」
「……あれは彼らの意志ではないと?」
「はい。だって、おかしいと思いませんか。ひとまず婚約者のことは置いておいて、此処にいる私たち皆、食べ物やドレスの好みが違うように、それぞれ男性の好みだって違う筈ですよね」
「ええ、そうね」
頷いたのは王子殿下の婚約者のセレーネ様。
「セレーネは本当はマッチョな男性がタイプだものね」
空気を軽くしようといたずらに笑うのはセレーネ嬢の親友で、宰相子息のケント様と婚約しているミリア様だ。
「まぁ!そうなのですか。わたくしは本当は知的なタイプが好みですの」
おっとり微笑んだのは近衛騎士団長の子息、オーウェン様の婚約者のシイナ様。
「あら、あの脳筋が聞いたら泣くのではなくて?」
にやりと不敵な笑みを浮かべるのは最年少の魔導師ルイス様の婚約者エリーゼ様。
彼女たちの雑談のお陰で室内の重苦しい空気が少し和らぎ、ほっと息を吐き出す。自分で思っている以上に緊張していたらしい。
「そうです。一人ひとり、好みが違うのは当然のことです。だからこそ、おかしいと思いませんか。あんなに沢山の令息たちが、皆こぞって一人の令嬢にあれほどの好意を抱いているなんて。あれだけの数の令息たちが皆、揃って同じ女性を好きになるなんて不自然ですし、失礼ですが彼女がそれ程の男性から好かれるような女性には思えません。だから私は、あれは本当は――男爵令嬢に向けられた感情ではないのではないか、と思ったのです」
「彼女に向けられた感情ではない……?」
「はい。だからこうして、皆様のお話を伺いたくてお声掛けしました。辛いかも知れませんが、男爵令嬢に篭絡されてからのご自分の婚約者様の言動を振り返ってみて欲しいのです。何か違和感のあることや、事実と違うことを口にされていたりはしませんでしたか」
私の言葉に、令嬢たちは皆考え込む。
沈黙を破ったのは、シイナ様だった。大したことではないのだけれど、と前置きしてから話し出す。
「オーウェンと彼女の距離が近くなっていくのが見ていられずに、苦言を呈した時に言われたことがあるの」
幼い時に婚約して以降、ずっと仲の良い婚約者としてやってきたオーウェンとシイナ。
同じ年齢で家格も同じ二人の婚約は互いに三歳で結ばれたが、政略結婚ではなくオーウェンの一方的な一目惚れからなった婚約だった。
シイナとしては、本来父と同じような細身の文官タイプの男性の方が好みであったが、交流を続ける内、次第にオーウェンに絆されて行き、学院に入る前までは他人から羨まれる程二人の仲は良好だった。
それが突然、学院に入って間もなくピンクブロンドの髪をした男爵令嬢に出会うと、オーウェンはあっと言う間に彼女の虜になり、シイナを邪険に扱うようになってしまった。傷付いたが、それ以上にまるきり人が変わってしまったようなオーウェンのことが心配だった。
『オーウェン!貴方どうしちゃったのよ!?何故いつもあの男爵令嬢と一緒にいるの。殿下にべったり張り付いているのをどうにかするのが護衛の役目ではないの!?』
『何故?そんなの好きだからに決まってるだろ。殿下だって彼女を気に入っている』
『好き、って……オーウェン、貴方の婚約者はわたくしよ?』
『は?だからなんだ?俺が好きなのは昔からずっと彼女だけだ!』
そう言い捨てると、オーウェンはシイナを残して走り去ってしまった。
「――でもね、おかしいのよ。オーウェンがあの男爵令嬢と出会ったのは学院に入学してからよ?彼女が編入してきてからの、せいぜいこの一年でしょ。オーウェンのことは三歳の頃から知っているけれど、あの剣術馬鹿にあの男爵令嬢と知り合う機会なんて無かったわ」
やはり……シイナ様の話を聞き、私は確信を深めた。
「言われてみれば、私も似たようなことがありましたわ。何時だったか、婚約者が彼女と二人きりでランチを摂っていたのを注意したことがありましたの。その時、『僕は昔から彼女と食事している時間が一番好きなんだ』って。でも、彼女と出会ったのは学院ですし、これまではその台詞は私に言っていましたのに……」
「そういえば、わたくしも、あれ?と思ったことがあって……。彼がわたくしに言いましたの。『彼女のことはよく知っている。誰よりも信頼出来る人だよ』って。その時はまだ彼女が編入して三カ月も経っていませんでしたわ。見るからに信頼してはいけない人ですのに」
次から次へと、同じような証言がいくつも出てくる。些細な矛盾や違和感は、自分ひとりだけなら腑に落ちないながらも流してしまっていたのだろうが、似た境遇に追い込まれている令嬢たちの多くが同じ経験をしていたとなれば、流石に何か良くない力が働いていると思える。
「これは一体何を意味しているのですか?」
「それは……まだ、確証が無いことなので、混乱を避けるためにもわたくしからははっきりと言えません。ですが、幸いわたくしの伯父が魔術師団で次席を勤めておりますので、そちらに相談させていただきます」
「そういえば、ロレッタ様のお父上はシェスタ侯爵様の弟君でしたね」
「はい。伯父は多忙ですので、すぐに対応していただけるかは分かりませんが、緊急を要すると分かれば、少なくとも数日中には話を聞いていただけると思います」
「うちの父からもシェスタ侯爵にお願いするよう頼んでみるわ」
「ありがとうございます」
セレーネ様の父君の公爵からも一言言ってもらえれば、伯父も直ぐ対応してくれることだろう。
これが正しい権力の使い方なんだな、と御礼を言いながらしみじみしてしまう。
近頃、王子殿下やその側近候補の横暴な振る舞いばかり目にしていたため、心が洗われる思いだ。
その後は公爵家が気分転換に、と用意して下さった流行りのお菓子や素晴らしく香りのいい紅茶を楽しんでお開きとなった。
集まっていた令嬢の中には、婚約者との婚約の破棄や解消を考えている令嬢もいたようだが、今日の話を聞いて、ひとまず結論が出るまでは様子見をすることに決めたようだ。
令嬢たちには、何らかの調査が入った場合には今日と同じ様に証言して欲しいことと、婚約者と接する場合は、会話に矛盾や違和感が無いか注意してもらうようお願いしておいた。
「ロレッタ様」
去り際、セレーネ様に引き留められた。
「ありがとう。マーカス様は被害に遭っていないのに、真剣に考えてくれて」
「いえ……違うんです」
セレーネ様の言葉に頷けたらどんなに良かっただろう。
私は帰って行く他の令嬢たちに聞こえないよう、声を落として言った。
「恐らく、分かりにくいだけでマーカスも被害には遭っています」
「えっ?」
「セレーネ様にはお伝えしておきますが、原因は恐らくあの男爵令嬢の着けているネックレスです」
「ネックレス……。そういえば、彼女いつも青い宝石のついた小振りなネックレスを着けているわね。あれが?」
言いながら、例の男爵令嬢の姿を思い出したらしく、セレーネ様は綺麗な顔を僅かに歪ませた。
「アレは、魔法具だと思います。青い石は多分、宝石ではなく魔石です」
私の言葉にセレーネ様が息を呑んで目を見開く。
「それが本当なら……大変なことよ?」
「ええ、色付き魔石を持っているだけで犯罪ですからね。彼女の周囲に侍っている令息たちの様子から見て、多分……あれは特定の誰かに対象を絞るタイプの魔法具ではなく、全方位を対象として何らかの条件を加えて効果を発揮する魔法具だと思うんです。だから、常日頃殿下たちと行動を共にしているマーカスも同じだと思います」
此処まで伝えれば、聡明なセレーネ様ならいずれ遠からず私と同じ仮説に辿り着くことだろう。
何か言いた気な表情のセレーネ様に一礼し、今度こそ公爵家を後にした。
あとは、伯父――というよりかは、魔術師団次第だ。予想通りであって欲しいような、欲しくないような、胸の内では二律背反の気持ちが渦巻いている。
その日の内に手紙を認め、翌朝早くに伯父は我が家を直接訪ねてきた。そうして学園全体に調査が入り、男爵令嬢による今回の事件が発覚した。