疑惑の男爵令嬢①
読んでいただきありがとうございます。
本日二話目です。ご注意下さい。
私がそれに気付いたのは、全くの偶然だった。
その日、帰り際運悪く王国史の担当教師に捕まった私は、資料室へ教材に使った地図や年表を返却させられていた。窓の無い資料室は薄暗く埃っぽい匂いがして早く立ち去りたかったが、ひとつひとつ正しい置き場に戻さなければ後で使うときに場所がな違うと怒られてしまう。
嫌々資料の返却をしていると、扉が開く音がした。棚で遮られていて、私の位置からは誰が入ってきたのか分からない。
確認しようと足を踏み出した時、小声で話す声が聞こえてきた。話の内容はよく聞こえないが、若い男女の声で時折くすくすと楽しそうな笑い声が聞こえることから、恋人達の会話のようだった。
以前、窓がなく昼間でも薄暗い資料室を時々逢い引きの場に使う不届き者がいる、と教師のひとりが憤っていたのを偶然耳にした記憶を思い出し、冷や汗が出る。
(どうか勘違いでありますように………。)
細やかな祈りを込めてそっと棚の影から訪問者の様子を窺う。
視線の先にはいちゃいちゃと抱きしめあう男女の陰。男性の方は後ろ姿で誰か分からない。女性の方は……あの特徴的なストロベリーブロンドの髪を持つ令嬢はひとりしか思い浮かばない。最近何かと話題の男爵令嬢だ。
(おいおい、マジですか。マジなのか!?)
男女の顔が近付いていく中、心臓がドコドコ音を立て留のに合わせ、頭の中では盛大にドラムロールが鳴っていた。
(やーめーてー。そういうのは連れ込み宿でやって!)
内心で抗議しながら、此処から出るに出れなくなった私は途方に暮れていた。
(この二人が帰るまでいないといけないのか!?流石に最後まではしないだろうけど……え、しないよね!?ねぇ、しないよね!?)
半泣きで熱い口付けを交わす男女の姿を見つめながら、早よ帰れと念を送っていた時、ふと気が付いた。男爵令嬢の胸元でぼんやりと光る、青い石に。
普段、明るい場所でしか彼女の姿を見たことは無かったし、そもそも常に令息達に囲まれている彼女を積極的に視界に入れる気にはならなかったので、気付かなかったのだ。
妖しい光を発する石から視線が外せない。
お相手の男子生徒は彼女との口付けに夢中で、薄暗い空間でぼんやり光るネックレスの石には気付いていないようだ。
結局そのまま十分程いちゃいちゃした二人は満足したのか場所を移すのか、来た時と同じように楽しそうに小声で会話しながら帰って行ったが、私はぼんやりと光を放つ青い石のことで頭が一杯で動けなかった。
(あれは、魔石だわ………。)
まさかという思いに、血の気が引いていく。
魔獣の体内や特定の地層から採れる、魔力の籠もった石を魔石といい、現在私達の暮らしに欠かせない便利な魔法具の多くはこの魔石を動力源にしている。
そういった動力源になる魔石は無色透明なのだが、魔石の中には時折特定の属性魔力が籠もったものがあり、そういう魔石は赤だったり緑だったり、色がついている。
色付き魔石はそのまま燃料として使うと魔法具の誤作動や故障、事故の要因と為りかねないため、国家資格を持った技術者(資格名は長すぎて忘れてしまった)により特殊な処理を施され、市場に出回る際には通常の無色透明の魔石になっている……らしい。
らしい、と曖昧な表現になってしまうのは、魔石関係の詳細な知識や技術は遥か昔、悪用され複数の死傷者が出る事件が起きてから、技術者の中でも試験に合格にした一部の有資格者のみに公開されることが法律で決まっているからだ。
王国の現行法では、特別な許可無く色付き魔石を使用するどころか、所持することも禁止されている。その色付き魔石をまさか堂々と加工し、装飾品として身に付ける人間がいるなど、考えてもみなかった。道理で、宝石にしては不思議な色合いをしている筈だ。
私はこれでも、宝石を見る目は肥えている方だ。
マーカスと婚約を結んでからおよそ十年――嫁入りした後のために、私は物心つく頃からデングラー家が経営する商会でマーカスと共に時々お手伝いをしてきた。
デングラー商会は手広く商品を扱っているが、お抱えデザイナーと熟練の職人による繊細で上品な意匠を施された宝飾品はデングラー商会の主力商品のひとつだ。
いずれマーカスの妻となれば、それらの宝飾品を身に付けあちこち赴き、広告塔として宣伝するのは私の役目になる。私の平凡な容姿では明らかな力不足ではあるが、そこは宝飾品の輝きに頼るしかない。
そんな訳で、宝石の買い付けや工房にお邪魔したことは何度となくあるし、年数を重ねる内に自然とある程度の宝石の目利きは出来るようになっていた。マーカスは他の主力商品に関わる仕事を手伝っていることの方が多かったので、宝石については恐らくマーカスよりも私の方が詳しい。
何かと話題の男爵令嬢の胸で煌めく、青い宝石。サファイアともタンザナイトともアパタイトともアイオライトとも違う、不思議な色合いに、あれは何という宝石なのかしら、と何時だったか疑問に思ったことがあった。太陽の光を反射して角度によって違う色に煌めくそれは、私の知識には無い輝き方で、いつか彼女と話すような機会があれば訊いてみよう、と頭の片隅に引っかかっていた。
今なら分かる。知らなくて当然だ。――だってあれは、宝石ではなく魔石なのだから。
その事実に気付くまで私は、件の男爵令嬢のことをそこまで注視していなかった。淑女のしの字も無い無礼な振る舞いを繰り返す彼女に嫌悪はしたが、どちらかと言うと、あのような娼婦じみた令嬢に簡単に引っかかり熱を上げる令息達の方に問題があると思っていたからだ。
あの程度の令嬢に良いようにされるようでは、遅かれ早かれハニートラップに引っかかり国や家に不利益を与えるだろう。
彼女に侍っている令息達の未来は暗いが、むしろ早い内に淘汰された方が彼ら自身のためになるのではないだろうか――。
そんな傲慢な考えは一瞬で吹き飛んでしまった。
魔石の色は、属性によって色が違う。
赤は炎、緑は風、琥珀色は土、では青色は――?
その後は、逸る気持ちを抑えて最速で家に帰った。離れの魔法具部屋には私がこれまで集めた、魔法具関係の本や資料が置いてある。
月に二度、王都の中央広場で開かれる骨董市で、古くなって使われなくなった魔法具や魔法具関連の古書を買い集めるのが私の楽しみで、小遣いは全て骨董市につぎ込んでいると言っても過言ではない。
昔たまたまその市で手に入れた魔法具の図鑑に、魔石について記載してあるページがあった筈だ。色付き魔石が規制される以前の本なので、現在出版されている本には魔石についての記述は殆ど無い。
屋敷に帰るなり、急いで着替え離れへ向かう。例の古書を捲ると、目的のページに辿り着いた。
「えっと……あった、これだ。『色付き魔石の色は主に魔獣から産出され、その石が持つ属性は殆どの場合、持ち主の魔獣の操る魔法の属性に一致する。石の色は属性ごとに左右され……』」
該当箇所を指で謎っていく。読み進めながら動悸が止まらず、じっとりとした嫌な汗が滲む。
《……青色~紫色の魔石は、他の色付き魔石とは異なるため、取り扱いに注意が必要。主に魅了や幻覚を操る魔獣から採れ、精神に感応する魔力が籠められていると言われている。精神に作用する魔法を操る魔獣自体が少ないため、滅多に採れない珍しい魔石でもある。……》
精神に感応する魔力――それが本当なら、あの男爵令嬢が付けているネックレス型の魔法具は、周囲の人間の精神に作用している可能性がある。だとすれば、突然豹変した令息たちの言動にも納得がいくのだ。
「魅了の効果?でもあれほど強く精神を操る魔法も魔法具も、学院では使うことが出来ない筈だけれど……」
貴族の令息令嬢たちに加え、王族も通う学院は敷地内に厳重な結界が敷かれている。魔法具全てを排除すると生活出来ないため、魔法具の持ち込み自体は禁止されていないが、精神を操るようなものは当然排除されている。
但し、市場に広く出回っている魔法具とも呼べないような、緊張しやすい人や不眠がちの人のために売られている気持ちを落ち着ける効果のあるアミュレット程度の物であれば持ち込んでも弾かれることは無い。
王子殿下を中心とした男爵令嬢に侍る令息たちの変わり様を見ると、彼女の付けている魔法具はかなり強い効果があるように思う。
もしも魅了が付与されている魔法具ならばとっくに弾かれていなければおかしい。
「それに……あれが魅了のような効果のある魔法具なら、あれだけ一緒にいるマーカスにだけ効かないのも変よね」
少し考えて、私は再び、図鑑のページを捲り出した。魔石についての説明はあくまでおまけのようなもので、この本自体はあくまで過去に実際に作られた魔法具をイラスト付きで詳しく説明するものだ。
色付き魔石が規制される以前は、今より幅広い魔法具が出回っていたらしく、現在の基準からしたら禁術に分類されるような効果を持つ物もある。
もしかしたら、この本の中に答えがあるかも知れない。
例の魔法具について、解明のヒントを私が見つけたのはそれから二時間程後のことだった。
眠れない夜を過ごした翌日、私は学院に着くと昨夜の内に認めて置いた手紙を、男爵令嬢に篭絡されている令息たちの婚約者に渡していった。放課後時間を作って集まって貰うお願いをする内容だ。
王子殿下や側近候補の令息たちの婚約者は皆、私よりもずっと高位の方々ばかりなので実を言うとかなり緊張していた。
表向き学院では身分の上下は無い、というルールになってはいるが、それはあくまで卒業後社交界に出てから一発アウトにならないため、失敗は学院内でしておけよ、というための措置であり、本来であれば子爵令嬢の私が高位貴族家の令嬢方を呼び出すなど無礼にあたる。
だからこそせめて失礼を少しでも減らすため手紙という手段を取ったのだが、応じて貰えるだろうか……。
その日は一日、男爵令嬢に侍る令息たちの言動に注意する一方、緊張で胃がおかしくなりそうだった。