94話 結局まずいことになった
前回のあらすじ
・恩田「シスさんのことが好きになった」
・おっさん店主「強盗犯め!」
・ミストリアス「何か言い分はあるか?」
理解しがたい彼らを目の前に、俺の眉間にしわが寄っていくのを感じた。訳が分からない。彼女がアンデット祓いをしなければ、門の前はアンデットで埋まって、隊商の人たちがここに来ることはできなくなる。そんなことも理解できていないのか?
周囲の罵倒の声に、俺は小さく息を飲む。彼等の瞳に罪悪感の色はかけらもない。命がけで街を守るシスへの……いや、祓魔師たちへの感謝はかけらもないのだ。
守られている自覚が、まるでない。そして、やり返されるかもしれないという思考が、まるでない。
諦めたように目を伏せるシス。アンデットを日々祓うシスのレベルは、一般人のそれよりははるかに高いはずである。それでも、この理不尽を諦め受け入れた彼女に、抵抗するという思想はない。現状がおかしいと訴える気力も発想も無いのだ。
俺は少しの不安に苛まれながらも、もしかしたら、本当にもしかしたら、観衆の彼らが知らないだけなのかもしれないと、そうあってほしいと願って口を開く。
「聞いてくれ! 彼女はそんなことをするような人じゃない! イリシュテアのアンデットを祓うために働く聖職者だ!」
「穢れ人が聖職者を名乗るな!!」
「彼女がいなければ、門の前はアンデットであふれかえるのだぞ?!」
「消えろ、気味が悪いんだよ!」
擁護する俺の声は、観衆の怒鳴り声にかき消され、罵倒の声はどんどん大きくなっていく。もはや冷静ではなくなったのか、顔を真っ赤にして野次馬たちはひたすらに声を上げる。理性も節制もないその様は、いつぞやのヒルドライン街で見たゴブリンたちとそう変わりはしない。
「何で……」
罵声に揉み消されながらも、俺の口から声が漏れる。なんでだ。言語は通じるはずなのに。やっと、やっと声が出せるようになったのに。やっと動けるようになったのに。何で、俺の言葉は届かないんだ。何で、俺は無力なままなんだ。
蔑む視線が、投げかけられる心無い罵倒が、ただただシスを否定し、シスを擁護する俺をも否定する。正直、俺はどうだっていい。ただ、シスを否定するのは違うだろ?! お前ら、守られている立場じゃないのかよ?!
喉が引きつる。腕から力が抜けていく。怒りよりも先に、脱力感が来てしまった。
何もできなくなった役立たずの俺は、震える声でシスに問いかける。
「し、シスさん……?」
「……ユージさん。大丈夫です」
あまりにも頼りなさすぎる俺の声に、シスはそっと笑顔を浮かべる。しかし、その笑顔はあまりにも作り物だった。がんばって、張り付けたようないびつな笑顔だった。
はかない笑顔を浮かべたシスは、そっと口を開く。
「ユージさん。私のことは、忘れてください。私と貴方は出会わなかったのです」
「何で……!」
声が引きつる。
やめろ、やめてくれ!
そう思う心の内とは裏腹に、シスは言葉を続ける。
「たとえ、私のような穢れ人でも、一緒に居た人が死んだら、きっと優しい貴方は悲しむでしょう。ですから、忘れてください。……ごめんなさい。生きている人ともっと居たいと思ってしまった愚かな祓魔師を許してください」
シスの台詞に、俺は絶句した。
死ぬ? 何で?
俺は訳が分からなくなりそうな脳を叱咤して、俺の精神に引っ張られて涙をこぼしそうになる瞳の機能を停止する。剣のこの体だと、涙を流しても光がこぼれるだけで、周囲に不審がられるだけだ。
「シスさんが死ぬ必要はないはずだ。落ち着いてくれ。君は本当に犯罪行為をしたのか?!」
「いいえ、神に誓ってしていません。が、もうこうなってしまったら私は犯罪者と同義なのです。祓魔師は疑われたらもうおしまいですから」
「おしまいって……そんなのおかしいだろ?! 何でなんもしていないのにシスさんが裁かれなきゃいけねえんだよ?!」
噛みつく俺の必死な表情をあざ笑うミストリアスの顔を睨み、俺は怒鳴っていた。やかましい野次馬どもと、己を正義と疑わずこちらをにやにやとしながら見る神官たち。そんな彼らに、吐き気を覚えるような殺意を抱いた。
俺は歯ぎしりをしながら、顔を上げ、シスの右手をとる。できればもっとロマンチックな状況で彼女の手を握りたかったが、そんなことを言っている暇などない。
「シスさん、行こう。君はこんな馬鹿馬鹿しいのに付き合わなくてもいい」
「ほう? そこの君はわたしたち神官の仕事の邪魔をするのかね? 随分不敬な旅人だな。そこの穢れ人と同様の罪に問われたいのかね?」
「……! ダメです、ユージさん!」
ミストリアスの言葉に、シスが顔を真っ青にして言う。だが、俺は気にしなくてもいい。ミストレアスの言葉を鼻で笑って言う。
「そーかよ、何やるか知らねえけど、俺を死刑にできるならしてみろよ。俺は自分でもちょっと笑えて来るくらいには生き汚ねえぞ?」
「それはどういう脅迫の仕方なのだ……?」
流石のミストレアスも俺の言葉に少しだけ動揺し、眉を下げる。
売り言葉に買い言葉。このまま俺もシスと同様連行されて行こうとしていた、その時だった。
「__いい加減にしろ、駄剣が!」
「がふっ……?!」
人垣から何者かが俺の背骨をへし折らんばかりの勢いで飛び蹴りをして来た。完全に死角のその位置からの蹴りに対応することなど当然できず、俺は顔面から地面に倒れ込む。痛え!!
飛び蹴りをかましてきたのは、見覚えのあるローブを纏った男。いや、言動行動のどこを切り取っても、ジルディアスだな。
突然の蛮行に、野次馬たちの声が途切れ、神官たちのにやにや顔が引きつる。凍り付いた周囲の空気の中、ジルディアスは俺の首根っこをつかみ上げると、目を丸くしているシスを置いて、宿屋へ戻ろうとする。
俺は慌てて抵抗し、ジルディアスの首根っこにつかみかかろうとするが、力が入らないことに気が付いた。なにこれ?!
「言っておくが、貴様の背骨はへし折った。復活スキルを使うのは勝手だが、そうするならばMPが尽きるまで貴様をへし折り続けるだけだ」
「うわ、最低! つーか、放せジル……クソ勇者! 状況分かってんのか?!」
「わかっているからだ。いいか駄剣、神殿連中の決定に逆らうな。面倒だからな」
「面倒とかそう言う話じゃねえだろ! シスさんが……!」
俺がそこまで言ったところで、ジルディアスは俺の顔面を激しくレンガの地面に叩きつけた。ぐしゃり、とも、ぐちゅり、とも聞こえるような音とともに、俺の意識がフェードアウトしかける。
その時だった。
「やめてください」
シスが、凛とした声を上げる。その右手には、魔導銃が握られていた。
銃口を向けられたジルディアスは面倒くさそうに眉を下げると、口を開く。
「……武器を向けるな、女祓魔師。死にたくはないだろう?」
「なら、ユージさんから手を放してください」
「ユージ……? ああ、ユウジロウのことか」
「あれ? お前、俺の名前覚えてたのか?」
「よし、黙っていろ駄剣」
「タイムタイムタイム、ジル……勇者ァ! 首、首締まってるぅ!!」
くだらない口を挟んだ俺に、ジルディアスはつかむ場所を首根っこから襟後ろに変えるという普通に首絞め案件の報復を行う。馬鹿野郎、俺じゃなかったら死ぬだろうが!
シスはきゅっと口をつぐむと、左手でガーターベルトに括り付けていた鎖を外し、ジルディアスに躍りかかる。だめだ、シス!!
流石に対人と言うこともあり、魔導銃をそのまま使うという行為を選ばなかったシスは、魔導銃どうしをつなぎとめるために使う鎖を右拳に巻き、ジルディアスに殴り掛かる。当のジルディアスは不愉快そうに眉を顰めると、腰の固定具から聖剣に変形したウィルドを鞘ごと外し、シスの一撃に対応した。
シスの重たい正拳突きと、聖剣の鞘が打ちかう高い音が、響く。
存外重たい一撃に、ジルディアスは盛大に舌打ちをすると、そのまま回し蹴りの体勢に入ろうとする。そこでようやく背骨を復活させ切った俺が、ギリギリのところでシスの盾になれた。畜生、また復活使わないとじゃないか。
二人の間に割り込んだ俺を、ジルディアスは不愉快そうに一瞥すると、すぐにその視線をシスにうつす。
「何の用だ、女祓魔師」
「ユージさんをそんな風に扱わないでください。それでも貴方は勇者ですか?」
「はっ、聖剣を所有しているのだ。勇者には違わないだろうな」
シスの言葉を鼻で笑い、ジルディアスは言う。そうなんだ。こいつはこうも外道だが勇者は勇者である。勇者システムバグってないか?
というか、シスの俺への気遣いがうれしくて舞い上がりそう。現状じゃなければ間違いなく舞い上がっていた。
復活スキルを行使しながら、俺はジルディアスに言う。
「で、お前は何の用? 俺、忙しいのだけれども」
「貴様の帰りが遅いと思ったら、こんな往来で騒動を起こしていたからな。迎えに来てやっただけだ」
「あー、これは全面的に俺が悪いやつかな?」
ぐうの音も出ないジルディアスの言葉に、俺は小さく肩をすくめる。元凶はいきなりシスを逮捕しようとしてきた連中だが、彼等は話がまるで通じないため無いものと判断していいだろう。
すっかり静まり返ってしまった観衆をよそに、俺はジルディアスに質問した。
「なあ、その、質問なんだが、彼女、このままだと何もしていないのに有罪になりそうなのだけれども、どうすれば良んだ?」
「馬鹿か貴様。裁判をすればいいだけの話だろう。正式な裁判で偽証をすることは神の意志に反することだからな」
「あ、マジ? 解決策あるの?」
復活してもまだじんわりと痛む右わき腹をさすりながら、俺は思わず言う。しかし、シスは首を横に振った。
「裁判費用出せないのですよ。私の収入、ゼロが基本なので……」
諦めたように言う彼女の言葉。しかし、俺はジルディアスに問いかけた。
「なあジル……勇者。立て替えてもらうことってできるか? 一応彼女も俺もアンデット退治で魔石回収できるから、返す当てはあるぞ?」
「返せるなら別に構わん。勝訴すれば裁判費用は返却されるからな。利子も付けて返せ」
「わかった。なら、これで問題ないか?」
なんだかんだ言ってジルディアスは金持ちだ。裁判費用の建て替えくらいできるはずだろう。俺はそんなことを考えながら、ちらりとミストリアスの方を見る。
ミストリアスは面倒くさそうな仏頂面を浮かべている。それよりもむしろ、隣にいる無精ひげの店主の方が真っ青な顔をしていた。やっぱり、これはシスが無罪であるらしい。
「費用はいくら支払えばいい? 俺の記憶では確か裁判費用は金貨1枚と銀貨20枚だったはずだが」
「ずいぶん前の費用を言うな。改定されて裁判費用は金貨2枚となっている。穢れ人の裁判は金貨10枚からだな」
少しだけ不可思議そうに首をかしげるミストレアス。そこまで彼が言ったところで、ジルディアスはぴしりと表情を固めた。そして軽く額に手を当て、しばらく何かを考え込んでから、盛大に舌打ちをした。
「……フロライトの金貨は、使えるか?」
「……フロライトだと? そんな遠くの地の金貨が使えるわけがないだろうが」
「あっ」
俺の口からアホっぽい声が漏れる。そうだ、こいつ、金持ちだけど貨幣はフロライトのものしか持っていない。
俺とジルディアスは互いに目を見合わせ、頭をかかえた。
まずいことになったぞ……