88話 (それでもこいつは時々イリシュテアの食卓に並ぶ)
前回のあらすじ
・ジルディアス「年上? 冗談だろう?」
・恩田「あれ? もしかして俺、今二十歳?」
・ゲイティスによってアンデットを量産する刻印が発見される
昨日ぶりにイリシュテアの港に行けば、出店はさほど変わりなく、港には複数の漁船が往来していた。
「シーサーペントはあるかな?」
「剣の状態でしゃべるな、ウィルド」
昨日聞いていたシーサーペントが気になるらしいウィルドは、楽しそうにジルディアスに問いかける。
昨日の情報で、シーサーペントが結構おいしいという話を聞いていたため、ウィルドはぜひともシーサーペントの料理を食べたいのだろう。実は俺もちょっとだけ気になっている。
さざなみの音とウミネコの高い声が聞こえてくる。……空を飛んでいたのが妙に青色の鳥だったが、まあ、色さえ気にしなければウミネコに見えなくもない。
「あの鳥はマズそう」
「……軽率に野鳥を食えるかどうかで判断しようとするな。あと、ウミドリは食えないことはないが肉が臭く食えたものではないぞ」
「あ、やっぱりマズいのか。まあ、羽根とか真っ青だし、食えそうには見えねえよな」
青色のウミネコ……ウミドリと言う名前らしい……は、地球のウミネコ同様魚を主に食べる肉食中心の雑食の鳥らしく、卵も肉も魚臭くて食べられたものではないらしい。
人間には食われないとはいえ、ひとたび海上に出てしまえば味も理解しないような海の魔物に襲われるため、数はそう多くはない。時々小さい子供が肝試し代わりに船に留まるウミドリに近づいては、高い鳴き声にきゃらきゃらと笑い声をあげてかけまわる。
フードを深くかぶったジルディアス。なんだかんだ言って彼は子供には若干優しいところがある。そのため、遊びまわる幼子たちに一瞬だけ目を向けたものの、すぐに小さく肩をすくめるにとどまった。
しかし、ウィルドは子供たちが遊びまわるのを初めて見たためか、剣の姿のままジルディアスに問いかける。
「彼らは大丈夫なのかい? 見たところ、人族の幼体のように見えるけれども、側に親個体はいないよ?」
「だから、剣の姿でしゃべるなと言っている。……比較的年長の子供が見守っているから、心配する意味はないな」
生物的な懸念を問うウィルドに、ジルディアスは短く返答した。改めて遊ぶ子供たちの方を見てみれば、比較的港の近くに一人、後ろの建物の木陰にまだ乳飲み子を抱えた子供が一人と、きちんと遊んでいる子供たちを見守る年長の子供の存在が見て取れた。なるほど、彼らなりに安全には配慮しているらしい。
そんな子供たちの遊びの社会を垣間見たウィルドは、少しだけ感心したようにため息を漏らす。
「なるほど、比較的安全な住居付近だから、非武装かつ保護者なしで遊んでいるのだね。とはいえ、海のそばは危ないと思うけど」
「まあ、ここいらに住む連中は水泳くらいできるだろう。港近くに魔物が来ていたら話は別だがな__ウィルド、銛に変形しろ」
「わかったよ」
ジルディアスはウィルドにそう短く命令する。ウィルドは少しだけ弾んだ声で長さ2.5mほどの妙に長い槍のような姿に変わった。
「魔剣、縄をよこせ」
「そんなの持ってるわけないだろ」
「……使えない魔剣だな」
突然の要求に、俺は首を横に振る。流石に理不尽過ぎないか?
面倒くさそうに舌打ちをし、ジルディアスは指輪の倉庫から鎖を引きずり出し、銛に変形したウィルドの柄に固定した。そして、子供たちに向かって怒鳴る。
「港から離れろ!!」
突然銛を片手に怒鳴るジルディアスに、子供たちも異変に気が付いたのか、悲鳴を上げ、慌てて逃げ出した。年長の子供たちは幼い子供たちを守るように立ち位置を変え、こちらを睨みだす。
あまりにも唐突な凶行に、俺は思わずジルディアスに問いかける。
「おいバカ、何やって……」
「死ね」
圧倒的説明不足から繰り出される、殺意ある言葉。
そして、ジルディアスは長い鎖を付けた銛を海に向かって投擲する。港近くの若干緑に濁った水面に向かってすっ飛んでいった銛。海面に突き刺さった銛は、あまりの鋭さに海水を跳ね上げることなく、そのままスッと水中へそのままの速度を保って潜り込んでいく。
一拍遅れて、濁った水面に、赤色が滲みだす。
「うわ、何?」
「ガキどもは下がれ! 漁師は船に戻るか、今すぐ港から逃げろ!!」
困惑する俺をよそに、ウィルドにつないでいた鎖を握り締めるジルディアス。
次の瞬間、港の海面が、大きく揺れ立った。
そして、ざばり、と大きな音が音が響く。突然立ち上がった水柱から、海藻混じりの海水が、港にバシャバシャと零れ落ちた。
俺はもはや口をポカンと開けることしかできない。
対するジルディアスは、首のあたりに突き刺さった銛の鎖をつかみ、油断なく視線を上にあげる。
港そばの海。そこには、くすんだ緑色の鱗を持つ、蛇のようなものがいた。蛇と言っても、普通にみられるような細いものではなく、それこそ太さは大人三人から四人が両手を広げてようやく一回りできるか、と言ったほどの太さであり、怒りの声を上げる口元には食らいついた獲物をずたずたに噛み切るためのノコギリのような鋭い歯がびっしりと生えていた。
馬鹿でかい怪物を目の前にして、ジルディアスはクツクツと喉奥で笑い声をあげた。
「大物のシーサーペントだな。売られているものを探す手間が省けた」
「うっそぉ、漁師、こんなの狩ってんの?! 異世界やべえなおい?!」
思わず叫ぶ俺を華麗に無視し、ジルディアスは鎖を手元で強く引き、銛に変形したウィルドを回収する。
「アレが美味しいお魚かい?」
「お魚……魚類に判別していいか若干迷うところはあるが、まあ、アレがシーサーペントだ」
ウィルドの質問に、ジルディアスは手短に答える。確かに、あれだけ固そうな鱗が付いていたり、エラっぽいものが見えないあたり、爬虫類っぽくもある。
「ヘルプ見る限り種族はドラゴンってなってるけど……」
「ほう、ドラゴンだったのか。まあ、ワイバーンも区分的にはドラゴンに分類されるからな。そう言われればそうなのかもしれんな」
血の付いた銛を軽く振るい、ジルディアスは凶悪に笑む。どうやらこのままシーサーペントを狩るつもりらしい。
俺は少しだけ迷った後、港のそばで走り出そうとして転んでしまった子供を見かけ、慌ててその子の方へと駆け出した。ぶっちゃけ戦闘だとやること皆無だし、戦線離脱してていいよね?
俺が避難誘導を始めたところで、ジルディアス不敵な笑みをそのままに銛に変形したウィルドをしっかりとつかむ。
「水魔法第一位【アイス】」
ウィルドを発動体に、ジルディアスは呪文を詠唱する。発動体の質が良いためか、単純にジルディアスの力量があるためか、その両方か。地下水脈の時のように、シーサーペントの周りの海水が一気に凍る。
キュルァァア?!
高速回転する金属に同じ金属を押し当てたような、奇妙に甲高い鳴き声を上げ、下手人であるジルディアスを睨むシーサーペント。すさまじい気迫のシーサーペントだが、ジルディアスはまるで気にせず、銛をかまえ、一気に接敵していく。
俺は転んだ少年を抱え、必死に子供たちが逃げる方向へ向かう。まって、君ら足早くない? 若干の老いを感じつつ、俺は避難誘導を続ける。
「うわーん、足痛い!!」
「はいはいはいはい、足擦りむいたんだな? 【ヒール】っと」
ボロボロ泣き出す子供たちに回復魔法をかけてから、俺は改めて港を確認する。
シーサーペントは己の動きを阻害する氷をどうにかしようと、その巨体で滅茶苦茶に動き回ろうとする。しかし、随分氷が分厚いためか、むしろその動きのせいで海面そばの鋭い氷でゴリゴリと鱗がはがれ削れ、地獄のような痛みに襲われているようだった。
金属をすり合わせるような甲高い声を上げ、シーサーペントは大きく口を開く。そして、ジルディアスに向けて水のブレスを放った。
水は空気と比べて限りなく圧縮されにくい。そんな水がシーサーペントの巨体と魔術によって圧縮され、線を描いて放たれる。そんなブレスは、範囲は炎のそれよりも狭くとも、威力は鉄板をも容易に貫く。
が、しかし。
「フハハハハ、そんな攻撃で俺が殺せるとでも?!」
不敵に笑うジルディアス。速度を緩めることなくシーサーペントの方へ突っ込んでいった勇者は、左手で指輪から金属製の盾を取り出し、胴体めがけて放たれたブレスをまるで傘をさすかのようにして防ぐ。
当然、金属も貫通する水のブレスを前に、あっという間に盾は破壊されるが、使い捨てでもブレスから逃れてしまえば、もうすでに勇者は海竜の足元までたどり着いていた。
港の砕けた石レンガの混ざった粗悪なコンクリートの最後の角を蹴り飛ばし、ジルディアスは銛を投擲する。
銛と言う武器は、槍とは異なり、海での狩りに特化している。具体的には、穂先の刃には突き刺さった獲物……今の場合は大抵は魚になる……が逃げられないように、大きな返しが付いているのだ。
すさまじい勢いで投げられた銛は、あやまたず海竜の左目をえぐった。そして、相当しっかりと突き刺さったのか、シーサーペントがいくら暴れても、銛が外れることはなかった。
その様子を見たジルディアスは、ニッと不敵に笑む。
左の手で銛の鎖をつかんだまま、ジルディアスは指輪の倉庫から片手剣を引き抜く。そして、鋭く研がれた刃を片手に、強く鎖を引いた。
深く突き刺さった銛は、返しが肉に食い込み、そう簡単には外れない。そして、距離をとれば金属製の盾すら貫通する水のブレスが飛んでくる。だからこそ、ジルディアスは距離をとことん詰めて戦うことを選んだ。
鎖を引き、海竜の鱗を強く踏みつける。ぬめる鱗のせいで足元は酷く不安定だが、それでも鎖さえつかんでおけば転倒することはない。
めちゃくちゃに暴れまわるシーサーペントにつながれた鎖をしっかりと握り、ジルディアスはその背に片手剣を突き立てた。
鮮血があたりに飛び散る。
同時に、シーサーペントは天を仰いですさまじい絶叫を上げた。
「チッ、首を斬らんと殺せないか」
痛みでのたうち回るシーサーペント。あまりの力強さに海面の氷にひびが入り始めている。流石のジルディアスとて海上ならまだしも、海中でシーサーペントと戦いたいとは思わない。
ジルディアスは小さく舌打ちをしてから、指輪の倉庫からもう一本剣を取り出す。そして、背中に突き立てた剣を足場に跳躍すると、シーサーペントの首めがけて剣を振りかぶる。
「剣術三の技 【両断】」
短いスキルの詠唱。今回の戦いで武器破壊を行っていなかったため、念のための行為なのだろう。スキル詠唱によって威力の上がったその一撃は、見事にシーサーペントの首を討ち取った。
絶命の声すら上げることができず、シーサーペントの首は凍り付いた海面に堕ちる。体は、頭を失ったことに気が付けず、しばらくの間のたうち回り、最後には力尽きて氷に倒れ込んだ。
港に戻ったジルディアスは、シーサーペントの首からウィルドを引き抜き、茫然とジルディアスの戦いを見ていた漁師たちに言う。
「ただでくれてやるが、肉はいくらかよこせ。あとは、少しばかり料理したものが食いたい」
「あ、ああ……」
血の付いたウィルドや片手剣を布で拭いながら、勇者は小さく肩をすくめて漁師たちに告げた。
「後は、神殿に結界が弱体化していると連絡しておけ。ここまでシーサーペントが来られるわけがないだろう?」
「! そ、そうだな! おっかさん、上奏服出してくれ!」
「あいよ! アンタはさっさと風呂入ってきな!」
見事な返答に、あたりに少しだけ笑い声が聞こえてくる。ジルディアスはそっとフードを深くかぶり直し、言い訳かのように小声でつぶやいた。
「……別に俺は、シーサーペントを食いたかったから仕留めただけだ」
「? 君ほどの力量だったら、わざわざ水面を凍らせるなんてしなくても良かったのじゃあないかい? シーサーペントが暴れて街を破壊しないように、大規模な魔法もあまり使っていなかったようだし……」
「だから、ウィルド。お前は武器の姿のままでしゃべるな」
聞こえてくる称賛の声に、ジルディアスは少しだけ居心地悪そうに頭をかいた。俺はそんなジルディアスに肩をすくめることしかできなかった。
【シーサーペント】
全長20mにもなる馬鹿でかいウミヘビ。種族的には水龍の亜種であり、知能はない。
危険な部位は順にブレス、長い尻尾による暴れまわり、そして最後に牙となる。牙が最後になる理由は、単純に牙に触れるほど近くにいれば、ブレスで木っ端みじんにされているか尻尾で押しつぶされるかしているからである。
身は爬虫類と白身魚の中間のような味わいで、フライ、焼き、一部地域では刺身のような状態でも楽しまれている。美味しいが普通に人間も襲うため、結構危険な生物。船を簡単にひっくり返すほど大きくなるため、漁師は基本的にシーサーペントの幼体を間引いている。