86話 アンデット
前回のあらすじ
・シス「? 何を言っているの? エクソシストに給与が発生するわけないじゃない」
・恩田「……ん? え? 何で?」
宿屋に戻ると、ジルディアスは自室でトレーニングをしていた。今は扉の小さなでっぱりに指をかけ、懸垂をしているようだった。いや、すげえな。
浮き上がる筋肉に、滲む汗。シャツ1枚でトレーニングに励むジルディアスは、流石は元近衛騎士と言うべきか、まあ裏ボスだからと言うべきか、同性である俺からしてもうらやましいと思えるような鍛え上げられた均衡のある肉体であった。
そんな彼の脇で、文字通り羽根を伸ばしてベッドに転がったウィルドは、素足でパタパタと布団を蹴りながら本を読んでいた。若干羽根を伸ばしすぎて腕が節足動物のソレに戻ってしまっているが、まあ別に誰が来るというわけでもないし、大丈夫だろう。
「帰った。なあジルディアス、魔石と金交換してもらえるか?」
「換金所に行け」
「換金所がぼったくりだったからヤダ。4割引きはねえよ流石に」
「……ならば俺は知らん。魔石などあったところで荷が増えるだけだ」
ジルディアスはあっさりとそう言い切る。まあ、そうだよな。よっぽどの……それこそ敵対する相手が原初の聖剣であるウィルドでもない限り、ジルディアスが魔力不足に瀕するほどの状態にはならない。ヒルドラインでもらった魔力回復の短剣があれば、正直魔石などあっても邪魔なだけである。
そのウィルドは楽しそうにベッドに寝っ転がって娯楽小説を読んでいる。ジルディアスが世界の害になるようなことをして見せたり、よっぽどな隙を見せない限り、まだ完全に力を取り戻していないウィルドがジルディアスに挑むことはないだろう。
閑話休題。
ともかく、俺は現金が欲しい。無いと不安だし、あって損はない。ついでに、魔王討伐が終わって、着の身着のまま無一文から始めるというのはちょっと不安がある。先のことを考えても、できるなら貯蓄を作っておきたい。
「じゃあ、せめて一緒にアレンのところに行かせてくれよ。一流の錬金術師らしいし、そこそこ質のいい魔石だから買ってもらえると思う。ついでに錬金術のレシピも知りたい」
「俺はあまり外には出たくない」
「変装していけばいいだろ」
「……3割だ」
「ぼったくり過ぎる。2割で勘弁してくれよ。俺は無一文なんだぞ?」
「チッ、分かった、それで勘弁してやる」
売値の3割を要求するジルディアスに、俺は言い返す。それでディアスも折れたのだろう。扉の枠から手を放し、綿の布で筋トレでかいた大量の汗をぬぐう。交渉成立だ。
着替えだすジルディアスに興味を持ったらしいウィルドは、娯楽小説を閉じると節足動物の腕を人間のそれに戻し、ベッドから起き上がった。
「外出るの?」
「ああ。お前は剣になっておけ」
「わかった」
ウィルドはジルディアスの指示に従い、剣に姿を変える。ん? そういや、別にウィルドは剣じゃなくてもよくね?
そう思った俺は、ウィルドを空っぽの鞘にしまおうとしたジルディアスに言う。
「なあ、ウィルドは小動物とか、とにかくその辺に居てもおかしくない生物に変形じゃダメなのか?」
「む……だが、こいつをそんな格好で放置したら、ろくなことにならんだろう」
「すごく失礼なこと言うね、ジル。大丈夫だよ……多分」
「よし、ダメだ。剣のままでいろ」
ぼそりと小声で付け加えるウィルド。多分嘘が付けない性格なのだろう。ジルディアスはばっさりとそう言ってさっさとウィルドを鞘にしまい込む。まあ、仕方ないな。うん。
不満そうにぶーぶーと声を上げるウィルド。しかし、ジルディアスはまるで聞く耳を持たない。ジルディアスは盛大に舌打ちをすると、ウィルドに言う。
「悪いがお前に人類活動はまだ早い。せめて常識を学んでからにしろ」
「失礼だな、僕だって思考、記憶と言う機能はあるんだよ?」
「その機能をうまく使いこなしていないからダメだと言っている。魔剣は……まあ、一般常識はないが、それを隠そうとする素振りはしているからな」
「何か俺に飛び火したな。酷くね?」
思わずそう言った俺を無視し、ジルディアスは肩をすくめる。あと今の俺は人間の姿なのだから、いい加減名前で呼べよ。
一応一般常識が欲しくて女神(?)にヘルプ機能を要求したのだが、何分こいつのせいで俺は今、聖剣になっているのである。神様(?)も本来は人間の脳容量じゃ足りないと言っていたし、あまり余計なことに使いすぎるのはよくないと思っている。まあ、便利だし使うけど。
ともかく、常識云々なら、ジルディアスにだって決定的に良識が欠如している。お前には言われたくないというやつだ。
何だかんだ言って全員五十歩百歩な三人は、互いに軽口をたたき合いながらも外出の準備を整えた。
昨日と同じように、ジルディアスはフードを深くかぶって街を歩く。やはり、相当警戒しているようだ。不機嫌そうなオーラを醸すジルディアスに、俺は思わず質問していた。
「何か昨日はヤベえ奴いたけど、ここはいつもそんな感じなのか?」
「そんな訳がないだろう……と言いたいところだが、実際否定しきれん。正直教会連中はあんなものだろう」
「お前の偏見が酷いのか、それとも実際そうなのかわかんねえのが怖いな……」
肩をすくめるジルディアス。昨日の強盗なのかただの変態なのかわからないアイツは本当にいろいろと酷かった。マジでジルディアスが言うようにこの国の神殿の人たちもアレみたいなやつばかりなら、なるほど、『いい思い出がない』と言ったジルディアスの言葉もあながち間違っていないのかもしれない。
実際のところ、宗教の街であるイリシュテアでは、神殿によって邪教認定された人物によるテロリズムが発生したり、死刑が確定した宗教犯による周囲を巻き込んだ自決が起きたりと治安がいいとはとても言えないのが現状だった。
さらに言えば、魔王城に近いという都合上、必然的に魔物のレベルも高く、イリシュテアにたどり着けるというだけでそもそもレベルが高い可能性が高いために、自決騒動にしろテロリズムにしろ、被害が甚大になりがちだった。
街を歩いているだけで気分が悪い、とでも言いたげな表情のジルディアス。よくはわからないが、本当に早くこの街を出たいところだ。このまま日数が経ったら俺に八つ当たりされそうだし。
「そう言えば、魔剣。お前、魔石を換金すると言っていたが、錬金術には使わないつもりなのか?」
「それなんだが、教えてもらえるなら教えてもらおうと思って。魔王倒したら俺は一人で生きていくわけだし、キャリアはあるに越したことはないだろ」
「きゃりあ……?」
「あー、できる仕事、みたいな意味かな?」
俺の言った言葉がよくわからなかったらしいジルディアスは、ちらりと俺を見る。そして、同時にピクリと表情を凍えさせた。え? どうした?
そう思ったのもつかの間、ジルディアスは盛大に舌打ちをして、黙って細い路地の奥を親指で指さす。
「最悪だな。さっさと移動するぞ。ここではわざわざ警吏に届け出れば、届け出た人間が罰せられる」
「ん、何……うぎゃぁっ?!」
ジルディアスの指す指につられ、そちらを見る俺。そして、俺は思わず悲鳴を上げた。
冷たいレンガ造りの路地の奥、暗がりからこちら側に滴るように流れる赤色の液体。そして、聞こえてくる小さなうめき声。それを見て、思わず駆け寄ろうとした俺の襟首を、ジルディアスがつかんで止めた。
「止めろ。アレはもう手遅れだ」
「わ、わかんねえだろ?! まだ声が聞こえて……」
「声の主は、人間のものではない。俺の加護を忘れたか?」
ジルディアスはそう言って足元に転がっていた小石を拾い上げると、路地に向かって放り投げる。すると、そのうめき声の主に当たったのか、それが路地からずるりと顔を出した。
美しい水晶の城壁に施された光魔法の結界によって、アンデットはこの街に入り込むことはできない。しかし、もしも、結界の中でアンデットが沸いたら……?
ああ、なるほど、こうなるのか。
俺は、ありありとその答えを目にした。
下半身のない、血まみれの死体。それが、ずるずると腕の力だけで路地から出てこようとして、日の光を嫌って路地に引きこもる。闇の精霊の加護で夜目のきくジルディアスは、路地の暗がりの向こうの様子がはっきりと見えていたのだろう。
俺に嘔吐と言う機能は実装されていない。何せ、食事をしないし、する意味がないのだから。だとしても、確かに俺は、吐き気を催すような、酷い怒りを覚えた。酷い悲しみを覚えた。
「……ジルディアス。頼む、放してくれ」
「……下手に同情をするな。これがこの街の現状だ」
「違う。そうじゃない」
確かな怒りの感情を覚えた俺に、ジルディアスは静かな声で言う。それでも、俺は言葉を続けた。
「なあ、何でこんなことになるんだ?」
「何でも何も……ここは城壁そばの貧困町だ。弔う人間がいなかった死体がこうなっても、仕方があるまい」
「……」
知識では知っているつもりだった。弔われることなく放置された死体がアンデットになることを。見て知っていたつもりだった。
でも、何で、こんな、町の中で。
「何で、彼は、下半身が無いんだ……?」
思わず、つぶやいていた。
その言葉に、ジルディアスは一瞬だけポカンとしたが、即座に目を丸くして息を飲んだ。
そう。このアンデットの下半身は、まるで無理やりちぎられたかのように腰半ばで消失されていた。アンデットは死体に穢れが帯びて生まれる怪物である。そのため、アンデットになってからは出血はさほどしない。
しかして、路地には大量の血液があふれかえってこぼれている。つまり、この死体は、アンデットになる前から下半身を破壊されていたのだ。
__いや、違う。下半身を破壊されたことこそ、死因なのだろう。
街中である以上、彼は確実に人の手によって……それが事故なのか、故意なのかは俺にもわからなかったが……こうなった。だがしかして、事故でこんなことになる理由が、あるのか?
魔法と言う未知の力があるこの世界で、下半身程度簡単に消し飛ばせる魔法が存在することは知っている。しかし、そう簡単にその魔法がひとに対して使われるものなのだろうか?
ただただわからなかった。そして、だからこそ、ただただ悲しみを、怒りを抱くことしかできなかった。
誰がこうした? 何でこんなことをした? 何でこんな非道なことができるんだ?
沸き起こる疑問が、怒りと悲しみに染まる。
噴出する感情に表情が歪む俺とは反対に、ジルディアスの瞳はかすかな思考こそ見えども、冷静沈着そのものだった。
「……魔剣、アレを祓えるか?」
「……弔う。同じ人に対して、こんなことができる人類がいるなんて信じたくもない」
祓えるか、と言う質問に対し、俺は思わず弔うと答えていた。そこに理由などない。ただ、苦痛と無念の内に死んでいったのだろう彼を見てしまえば、俺は俺にできることをするしかなかったのだ。
哀れにも死にながらにして血だまりの上を這いずり回ることしかできない彼に、俺は跪く。正者の気配に、アンデットは激しく憎しみと苦痛のうめき声をあげ、腕が焦がれるのも無視してその死後硬直で歪にうごめく腕を俺に向かって伸ばした。
だから、俺はその手を取った。
濁りきった目に、理性はない。ただ生きるものへの怨嗟で、彼は握った俺の腕にただ爪を立てるだけだった。
「……【ヒール】」
短い詠唱の直後、柔らかい光がアンデットを包み込む。
そして、俺は一人の人間を弔った。




