68話 変貌せし芸術家
前回のあらすじ
・ウィル「ライトアロー、難しい……」
・アリア「早く、勇者のところに行くぞ!!」
・アーティ「あれ? ジュエリア商会からの発注表?」
手紙に促されるまま、アーティは中央広場のそばにあるジュエリア商会に向かう。とりあえずサンプルに花火を数束……一応昼用も夜用も併せて鍵のかかる手提げかばんに閉じ込める。
正装……もとい、黒色のシャツと古着屋で購入したちょっとだけ良い仕立てのジャケットを羽織り、包帯の上から金属製の仮面をつける。いつも使う白く着色した木製の仮面の方が軽くて普段使いにはいいのだが、金属製の仮面の方がなんとなくカッコいい。それくらいの気分である。
自分でデザインした蝶の羽の模様の入った金属の仮面。縁あって友達になった職人に端材でつくってもらったこの世に一つだけの仮面である。
そこそこの規模の商会に行くため、多少身なりを整えた後、アーティは軽い足取りで自室のアパートから出て行った。
__この姿をサクラが見れば、おそらく彼を指さして言っただろう。「アーテリアの爆弾魔アーティだ!」と。
中央広場に面する、芸術祭本部のはす向かいの建物。そこが、ジュエリア商会の本店である。一階から二階までは店舗で、三階以上はオフィスである。一階の受付でもらった手紙を見せながら、アーテリアは地下にあるという応接室に案内された。
「へえ、地下なんてあるんだ」
「ええ、はい。デリケートな絵画などは劣化を防ぐために地下室に展示するのが好ましいので」
涼やかな階段を下りながら、受付の女性はにこりとも微笑まずに言う。
__その割には、しけっているな……
ひんやりとする石レンガの壁には、少なくない苔が生えている。流石に水の音まではしないが、湿気も日光同様美術品の敵である。
アーテリアはサンフレイズ平原のように大規模な地下水脈があるわけではない。が、大きな川が都市のど真ん中を流れ、分流している。そのために町中に水路を割り振ることができているのだ。
そのため、湿気を避けるためにも美術品は一階よりも遮光室を二階や三階に設け、そこに飾ることの方が多かった。だからこそ地下に……しけりやすい川の近くでなければ話は別なのだが……美術品を展示しているという受付の女の言葉に、違和感を抱く。
アーティは魔法の発動体になっている指輪をこっそり外して、ポケットの中に隠しておく。流石に花火術式を打ち上げる用のロッドまでは隠せはしなかったが、もしもの時に魔法の発動体があるのとないのでは全く異なるのだ。
しばらく地下の廊下を歩き進み、一つの扉の前で足を止めた受付嬢。ドラゴンの意匠の施された扉には、剣に描かれる紋章の一つである水の紋章が彫刻されたプレートがかけられている。
何ともちぐはぐな感じではあるが、プレートには第六応接室の文字。
__これ、別の階から持ってきたものだな……
アーティはひしひしと悪い予感を感じて、額に冷や汗を浮かべる。
一般に、水龍の竜の時以外には水の紋章を用いることはない。扉に描かれているのは、控えめに言ってもレッドドラゴンであり、若干ワイバーンにすら見える。
仮に、魔物に詳しいジルディアスがこの扉を見れば、この竜の正体をワイバーンイービルだと見破っただろう。要するに、この扉に描かれているのはワイバーンの進化個体であるのだ。もちろん、水属性ではない。
「こちらでお待ちください」
「……用事を思い出した。帰らせてもらうよ」
悪い予感しか感じられず、アーティはそう言う。
しかし、上から足音が聞こえ、彼は表情をひきつらせた。
受付嬢の仲間が下りてきたのかと思ったが、やってきたのはウリリカと案内役の男である。アーティは思わず目を見開いて彼女に問いかけた。
「まってくれ、何で君がここに?!」
「あれ、アーティさん。アーティさんもお呼ばれしたのですか?」
きょとんとした表情を浮かべたウリリカは、ニコッと笑ってアーティに挨拶をする。いや、そんな暇ではない。
アーティは、小さく息を飲む。不味い。彼女は今のところ何もわかっていない。そこまで深い付き合いではないとはいえ、アーティは顔見知りである彼女を見捨てることができない。……もしくは、それどころではない可能性に思い至っていた。
アーティは、眉をしかめて、悔しい気持ちを噛み殺しながら、受付の女性に尋ねる。
「ねえ、今日、ここに招待されたのって、ボクと彼女合わせて何人かな?」
「ええそうですね、様々な分野の芸術家を30名ほどお呼びしています」
「……そのうちで、画材が絵の具じゃない人は何割くらい?」
「なぜそのようなことをご質問なさるのでしょうか?」
アーティの質問に、質問で返す受付嬢。だがしかし、その声色が答えである。
__ボクの知り合いが、もうすでに応接室に入ってしまったかもしれない。
アーティは、トラウマのせいで画材として絵の具を選ぶことはできない。そのため、必然的に絵の具以外を画材とする芸術家の知り合いが多かった。30人も呼ばれているというならば、何人かここへきてしまっている人がいるかもしれない。
彼は拳を握り締め、歯ぎしりをする。アーティは友人を見捨てられるほど、崩壊した人間性を持ち合わせてはいないのだ。
「……ウリリカ。君さ、多分忘れ物しているよね? 一回家に帰ったら?」
「? 今日はしていませんよ?」
「してるさ。家の窓か玄関のカギを閉め忘れているはずだ」
「私、実家暮らしですけど」
「あっ、そうなの? いや、違う。ともかく、一度帰ってくれ。ここに来ちゃいけない」
アーティは小声でウリリカに言う。彼女はまだ何が起きているのかわからないらしく、首をかしげていた。流石に、女性一人を守りながら立ち回れるような自信は、芸術家でしかないアーティには存在していなかった。
だがしかし、アーティの小声が聞こえていたのか、ウリリカを案内していた男がやんわりとした笑顔を浮かべ、言う。
「どうぞ、こちらの待合室へ」
「あっ、は、はい!」
ウリリカは元気よく返事をすると、何もないところで転びかけながらも竜の彫刻の入った扉に手をかける。その瞬間、アーティの自制心は苔むした廊下に投げ捨てられた。
ウリリカの開いていた左手をつかみ、部屋に入れないように止める。そして、開いた右手で鍵付きの頑丈なカバンを振りかぶり、彼女を案内していた男の顔面を殴打した。
「きゃあああああ?!」
悲鳴を上げる受付嬢。アーティは、ウリリカに向かって怒鳴る。
「早く地上へ!! 君の家族かあの勇者君たちに伝えてくれ!!」
「な、何をですか……?」
「何って……」
そう問われて、アーティは少しだけ困惑する。一応、まだ彼らが悪いことをしているところを確かに見たわけではない。言葉の節々に違和感を覚え、少なからず知り合いである彼女をこの扉の奥に連れて行きたくなかっただけなのだ。
考え込みかけたアーティに、彼を案内してしまった受付嬢はヒステリックな金切り声を上げる。
「きょ、狂人!!」
「……だそうだ。いきなり人をぶん殴った芸術家が、爆発物も持っているらしいってよろしく」
「は、はい……?」
困惑するウリリカに、アーティはニコッと笑うと、さらに言葉を続ける。
「ここを崩落させちゃう前に逃げたほうが良いよ。ほら、早く」
「あ、あの……」
「……ほら、早く逃げて」
アーティはそう言いながら、腰を抜かしてしまった受付嬢をよそに、カバンの鍵を開ける。そして、魔法陣の描かれた紙を一枚取り出すと、扉の蝶番に押し当て、短く詠唱した。
「術式起動、【着火】」
短い詠唱の直後、途切れた術式に黒く焦げ跡が走り、術式を完成させる。そして、次の瞬間には蝶番を吹き飛ばす程度の小規模な爆発を起こした。
花火特有の爆発音が、腹の底にびりびりと響く。ワイバーンの扉な随分頑丈だったのか、少しの抵抗の後、アーティの蹴りを前に、あえなく崩れ落ちる。
アーティは警戒しながら、扉の先を覗き込む。そして、息を飲んだ。
__扉の先には、奇妙な光景が広がっていた。
まるで酒屋の大樽を倍にしたような大きさのガラスの器に、たっぷりと満たされた黒。吐き気を催すような色合いのそれに、誘い込まれてしまった芸術家たちは絶望の表情を浮かべてただ息を殺しながら祈りをささげることしかできない。
「何だ、アレ……?」
「……?!」
思わず見えてしまった液体に眉をしかめ、震える手を握り締めながら、声を上げたアーティ。突然の声に、周りの芸術家たちの表情が引きつる。
人間の声を聞き取ったその黒い液体は、その液面を大きく揺らす。当然、地下であるため風が吹き込んできたわけではない。液体そのものが、ずるりと動いたのだ。
「ひっ……!」
真っ青な表情の芸術家が、耐え切れずに悲鳴を上げる。
次の瞬間、黒色の液体はずるりと触手を伸ばした。
「伏せてくれ! 【着火】」
即座に花火の術式の描かれた紙を投げ、術式を起動させる。悲鳴を上げた女性の芸術家に向かって伸びていた触手は、花火の爆破に巻き込まれ、女性にその体を触れさせるよりも先にねばついた黒い粘液に変わった。
固いタイル敷きの床に飛び散った黒い粘液は、シュワシュワと音を立てて床を溶かしていく。それを見て、アーティは表情を凍らせた。
「もしかして、アレ、バルプ……?!」
悪辣版スライムこと、黒色のバルプが、どうやら人が8人くらいは入れてしまいそうな大瓶の中に詰まっているらしい。
想定外の反撃に苛ついたのか、バルプは大きくその体を波立たせ、ガラスを破壊した。
「逃げろ、早く! 入り口は開いたままになっている!!」
アーティはそう叫びながら、扉のそばから走って離れ、魔法陣を展開していく。超巨大なバルプを睨みつけ、アーティは入り口から離れながらもほぼ絶え間なく花火を着火していった。
閃光と火花が飛びちる。爆風で巨大な黒バルプの表皮が抉られ飛ばされていく。
すさまじい音に、バルプはその体表で怒りを露わにしながら、術者であるアーティを押しつぶさんとぐにゅりとグロテスクにその体を動かす。その重量からか、体は山形を描き、床をどろどろに融解する過程で生まれる気泡を体に取り込み、ぼつぼつ、ぼつぼつと不気味に泡がつぶれる音が響いていた。
__黒色のバルプなんて、話にも聞いたことがない……
吐き気を催すような醜悪な見た目のバルプに、アーティは全身に鳥肌が立つのを感じた。色のついた液体であるというだけで気持ちが悪いというのに、さらに酸性の体なのだ。顔の左半分がつきりと痛む。今にも恐怖で床に崩れ落ちてしまいそうだった。
それでも、まだやめるわけにはいかない。
千載一遇の好機に、慌てて逃げ出す芸術家たち。音を出すものから次々にバルプに食い殺されていったため、彼等は逃げ出すこともできずに息を殺していたのである。
彼らの中には、一応顔見知りもいた。
彼ら全員が逃げ出してから、自分自身も逃げ出せばいいだろう。
そう思った彼は、深く息を吐いて緊張を逃す。最悪勝てなくても、逃げられればそれでいい。そもそも、魔物との戦いを芸術家がしなければいけないほうが間違っている。
守るべき友人のため。彼は全身全霊で花火を放ち続ける。
__だからこそ、彼は気が付けなかった。
床のタイルの間越しに、ゆっくりと近づいてきていた、ブラックバルプの粘液に。
ゆっくり、ゆっくりと、しかし、着実にアーティの背後に集まるブラックバルプ。そして、それは先のとがった触手を振りかぶる。
「あぐっ……?」
ぴしゃり、と、タイルに飛び散る、赤色の体液。突然腹部を貫通した黒色のそれに、アーティはロクに反応することすらできなかった。
指一本動かすことすらできず、アーティはそのまま地面に倒れ込む。
バルプはずるずると歓喜に体表をうごめかせる。そして、突然その動きを止めた。
ぶるぶると、気味悪く震えだすバルプは、次の瞬間、突然色を失いだした。
「……?」
突然死に絶えたバルプに、アーティはぼうっとする視界の中首をかしげる。そして、視界の端にあるものを認め、どこか、彼は納得した。
吐き気を催すような、黒色の結晶。それは、何とか残ったバルプの切片によってずるり、ずるり、と、ゆっくり動かされていく。
本能が、アレが邪悪だと叫ぶ。なるほど、あんなものが入っていたから、あのバルプは不気味なほどの【黒色】だったのか。
何の光の反射もない黒色の結晶は、アーティの傷口に押し当てられる。
そして、結晶は彼の体液でどろりと溶けた。
「あ……」
声が、漏れる。
気持ちが悪い。
気持ちが悪い気持ちが悪い。
気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い気持ちが悪い
「ガ……ぁ、あ」
埋め込まれた黒色の結晶が、ずるずると体内を這いずり回る。そして、彼の行動に支障をきたす腹部の傷を覆いつくした。
「ぐぁ、あ」
アーティは、もはや言語かすら難しいようなうめき声を上げる。上げ続ける。苦痛に歪む彼の表情。絶望に染まる彼の声。
それは、やがて、上書きされた。
「はは、ははははははははははっはははっははははは!!!!」
__狂ったような、哄笑に。