53話 手を伸ばせ、産声を上げよ
前回のあらすじ
・原初の聖剣戦
・地面が崩落して、地下水脈に叩き落された
揺れ動く水面。レビテーションで水面数センチ上を維持しているがために転倒や入水を逃れているが、それでもまるで油断はできない。
地下水脈の水がさざめき、不気味に波打つ。水面全てが今、ウィルドの支配下にある。
ジルディアスは、深く息を吐き、そして、指輪からロッドを取り出す。そして、呪文を詠唱した。
「水魔法第一位【アイス】」
短い詠唱の直後、水面がぱきぱきと異音を立て始めた。
底冷えする地下水脈の空間。そこが、さらに冷え込み始めたのだ。そして、ジルディアスの足元に、厚みは50センチ以上、範囲は5メートル四方程度の氷の地面が現れる。
ジルディアスはレビテーションを解いて、仮設の地面に降り立った。
『へ? 何で? 浮かんでいられるんだったら、そのままでいいんじゃねえの?』
「魔力の節約のためだ。空を飛び続けるよりは水を凍らせた方がマシだからな。あとは、レビテーションの状態だと、早く移動できない」
揺れる氷を踏みしめ、ジルディアスは水面に足をつけているウィルドを睨む。水の上を歩く魔法がないわけではない。だがしかし、原初の聖剣は水を操っている。足を取られて水底に引きずり込まれれば、流石のジルディアスも窒息死するのだ。
だからこそ、ジルディアスは水面を凍らせて、割られさえしなければ安心安全な地面を作ることを選んだ。魔力は多少必要になるが、それでもレビテーションを継続し続けるよりかはマシであり、水面に立つよりはリスクがない。
ジルディアスが氷で足場を作ったところを見たウィルドは、にっこりと笑顔を浮かべると、右腕をすっと真横に伸ばした。
すると、それに呼応するかのように、地下水脈の澄み切った透明な水が、ずるりと持ち上がり、槍を象る。鋭く研ぎ澄まされた水の槍。それは、水脈の水を原料に量産され、地下空間には大量の水の槍が生成されていた。
『うっわぁ、やべえなアレ』
「お前には語彙力と言うものがないのか?」
あきれたように言うジルディアス。しかし、その額には冷や汗が浮かんでいた。
氷の足場は分厚いため、そう簡単には割れはしない。だがしかし、水面に浮かんでいるため、波立つ水面の影響を直に受ける。氷を割られるという心配よりも、転覆させられる方が恐ろしかった。
ぴちょん、ぴちょんと地下水脈に隠れ暮らしていた魚や水生の魔物たちが逃げ出していく音が、岩盤の空洞に響く。日も差さないこんな地下水脈でも、生き物がいるのか。
氷の床にロッドを突き立て、来るはずの衝撃に備えるジルディアス。
次の瞬間、大量の水の槍がジルディアスめがけて射出された。大量の地下水を使って作られた、絶望的な数の槍。だがしかし、ジルディアスの笑みは消えなかった。
「水魔法第三位【ウォーターシールド】、第一位【アイス】!」
水が大量にある、という環境は、ジルディアスも同様である。足元の水を使うことで魔力消費を抑えながら、ジルディアスは巨大な水の盾を作り出し、それを凍らせた。
莫大な量の氷の壁と、水の槍がぶつかり合う。
砕け散る氷の破片が、地上から差し込む細い光に反射し、白く輝く。飛び散った水が凍え、小さな氷塊になって水面に落ちる。
破壊された氷の壁は、砕け散って水面に堕ちていく。水柱を上げ、水面に大きな塊が浮かんでは揺れた。
氷の盾が崩れた直後、ジルディアスは動いていた。
氷の地面を駆け抜け、一気に助走をつけた直後、砕けた氷の盾の破片……破片と言っても、大きさは優に一立方メートルを超える巨大な氷塊なのだが……に飛び移る。
その瞬間、ジルディアスに向かって殺到していた水の槍が、今までたっていた足場の氷を砕いて沈めた。
飛び散る水もそのままに、ジルディアスは次の氷塊に飛び移る。素の身体能力で水に浮かぶ氷を飛びうつりながら、まっすぐにウィルドに接近する。
想定外の移動方法に、目を丸くするウィルド。距離は既に五メートル圏内になっていた。
ロッドを砕き、ジルディアスは右の双剣を振りかぶると、氷塊から飛び立った。おい待て、そこから足場はもうないぞ?!
水面を蹴って後方に下がるウィルドは、ニッと笑みを浮かべ、指を軽く動かす。現れた水の槍は、急造したためか、先ほどのものよりかは幾分数も大きさも小さく少なかったが、それでも、人を殺すには十分である。
そんな槍が、ジルディアスの両側に現れる。
『じゃあね』
少しだけさみしそうに笑顔を浮かべ、そう言うウィルド。
しかし、ジルディアスは凶悪に笑むと、叫んだ。
「油断したな?!」
水の滴る音が、響く。
一拍遅れて、水の槍がジルディアスめがけて斉射された。
重い水の槍が、クロスして空を舞い、そして、重力に従って水面に戻る。すさまじい音と衝撃と、水しぶきがあたりに散った。
しかし、ジルディアスにその水の槍が一本でもあたることは、なかった。
「【ウィンドステップ】!」
風魔法を使って空気を蹴る。急加速し、きりもみ回転をしながら空中で槍を避けた。ジルディアスが通り抜けた半秒後、槍は空を穿ち貫き、水面に戻っていった。
風を踏みつけ、一気に距離を詰めたジルディアスは、そのまま茫然と宇宙のような輝く目を丸く開くウィルドの腹部に、短剣を突き立てた。
『がっ……?!』
「硬い……!」
何かの砕ける音が響き、ジルディアスは盛大に舌打ちをする。彼の右腕には、完全に砕けた短剣が握り締められていた。
刺突の役割は果たさなかったが、それでも、有効打は与えられた。
腹部をすくい上げられるように殴られたウィルドは、冗談のように吹っ飛び、地下水脈の岩盤に叩きつけられる。鈍い音とともに、小さな崩落音が地下空間に響き渡る。
砕け散った短剣……もともと双剣だったそれを放り捨て、ジルディアスは再度水面を凍らせてその上に立つ。衣服は既にずぶ濡れで重く冷え切っている。不愉快そうに顔を歪め、ジルディアスはすっと目を細めた。
岩盤に叩きつけられた原初の聖剣は、小さく咳き込みながらも、その翼をはためかせた。空中に留まり、原初の聖剣は悔しそうにジルディアスを睨む。そして、詠唱した。
『直れ』
原初の聖剣【ウィルド】 Lv.120
種族:__ 性別:なし 年齢:(読み込めませんでした)
HP:10610/10610 MP:5605/2770
「殺すには足りなかったか……」
『魔力は半分切った。もう少し粘れば、勝てるだろ』
「消耗戦なのはこちらもだ。__そろそろ、武器が尽きる」
『え、マジ?』
思わず顔を上げた俺。ジルディアスは渋い表情を浮かべ、無言のうちに俺の驚きの声に同意を示した。
考えてみれば、この戦いが始まってから、ジルディアスはほぼ武器を使い捨てにしてウィルドに攻撃を仕掛けていた。足りない武器の耐久を数で補っていたのである。そうすれば、必然的に数は減っていくわけで。
「ヒルドラインで武器の補給ができていなければ、相当まずかったな」
ジルディアスは吐き捨てるようにそう言いながら、指輪から両手持ちの大剣を引きずり出す。そして、それを右手に握り締めると、腰につけていた宝飾の美しいナイフを手に取り、そっと握り締めた。
群青の宝石が淡く輝き、そして、少しの間柔く光った後、宝石の群青が薄らいだ。宝石のあしらわれたナイフにためられていた魔力を補給したのである。
『便利だなそれ』
「ああ、初めて使ったがな……」
エルフの村では結局使わなかったため、実践では初使用である。
満ち満ちていく魔力。これで、しばらくは生き残れる。……それでも、原初の聖剣の魔力が尽きるまで持つかどうかはわからない。
ジルディアスの強さは、圧倒的ではあるものの、それはあくまでも今までウィルドの攻撃をまともに一撃も喰らっていないからである。もしも、ヒールでは治せない深手を負えば、その瞬間にジルディアスは不利に転じるだろう。
翼が空気を打つ音が、地下水脈にこだまする。
空中に浮かぶウィルドは、少しだけ複雑な表情を浮かべ、右腕を動かした。
次の瞬間、ジルディアスの足元の氷が、大きく揺れた。
『うわっ、何だ?!』
思わず間の抜けた悲鳴を上げる俺。見ると、水で作られた腕が、分厚い氷をつかんで水中に引きずり込んでいた。ジルディアスは盛大に舌打ちをすると、俺をつかんで詠唱する。
「風魔法第二位【レビテーション】」
魔法で水面を避け、浮き上がる。水面を歩く魔法はリスクが高いと判断したのだろう。魔力を多少消費してでも、生き残ることに重きをおきたかった。
しかし、そんなジルディアスの判断とは裏腹に、ウィルドは次の呪文を唱えていた。
『精霊よ、土をここに』
その呪文を唱えた直後、ウィルドは翼を大きくはためかせ、地上へと舞い上がる。
そして、地下水脈の周辺をすさまじい大揺れが襲う。
「何だ?!」
『土……ヤバい、生き埋めにする気だ!』
レビテーションで文字通り地に足をつけていなかったおかげで、転倒はしなかったジルディアス。しかし、それがいいか悪いかで言えば、どちらでもなかった。
俺の叫び声に、ジルディアスは奥歯を噛みしめると、深く息を吐き、右手に持っていた大剣をへし折った。金属の砕け散る音が、崩落する地下空間に高く響く。反響する音が消えるよりも先に、ジルディアスはうなるように呪文を詠唱した。
「水魔法第三位【ウォーターシールド】、第一位【アイス】!」
ジルディアスが唱えたのは、空を飛ぶ魔法ではなく、水魔法であった。地下の水を大きく動かし、そして、魔法で一気に凍らせる。
らせん状に空に向かって突き立つ氷の棟。出来上がった氷の階段に、ジルディアスは即座に足をかけた。
『何で、空を飛ぶ魔法を使わねえんだ?!』
「周りを見てから物を言え、たわけが!!」
崩落音に巻き込まれないよう、大きな声でジルディアスに問いかける俺。そんな俺に、ジルディアスはやけくそ紛れに怒鳴り返した。
その言葉通り、周りを見てみれば、崩落し自由落下していく巨石に紛れ、鋭い石の槍がこちらを狙っていた。
「乗り物がない今、魔法で空を飛びながらアレを回避するのは不可能だ!」
『乗り物があれば行けるのか……』
せめてほうきがあればおそらく、と小さくつぶやくジルディアス。マジか、ほうきで空を飛ぶとかあるんだ。ちょっとメルヘンだな。
大剣をへし折って急増させたステータスで、氷の階段を駆け上る。時折ダークジャベリンでこちらへ飛んでくる石の槍を打ち砕き、崩れ落ちてくる巨石を質量を伴う水で打ち逸らす。
魔法を使いながら魔法を使うのは至難の業だが、走りながら魔法を使うなら、まだ難易度はマシである。とはいえ、どちらも魔術に精通していなければできない凄技である。俺は少なくとも絶対無理だ。
とはいえ、細かな石までは注意が払えないのか、尖った石がジルディアスの瞼の上を薄く切り裂いた。片手で血をぬぐい払いながら、彼は地上を目指す。
空から降り注ぐ日光は、崩れ行く岩盤に隠され、だんだんと小さな光に変わっていく。視界が悪くなると不味いと判断し、俺はライトの魔法を行使した。
「……!」
氷の階段が、大きく揺れる。石の槍が、階段の根元を穿ったのだ。さらに、自由落下する巨石もそれに追随する。
すさまじい轟音を響かせながら崩壊し、埋まった地下空洞。
青空に純白の翼をはためかせるウィルドは、陥没した地面を上空から見つめる。
次の瞬間、すさまじい爆音とともに白銀と赤の勇者が地面からはいずり出てきた。
ごほごほと咳き込みながら、恨めし気に上空のウィルドを睨む勇者。その姿を見たウィルドは、満足そうに笑顔を浮かべる。その笑顔は、まるで人間の浮かべるそれのようであった。
原初の聖剣は、美しく微笑む。しかし、その微笑みの中には、確かに胸に引っ掛かる、複雑に思う気持ちが混ざっていた。
己の役目を全うしなければならない。己の役目__すなわち、世界の脅威を殲滅すること。
かつて一番の世界の脅威だった者……己の生みの親である神は、あの翡翠の祠に封印されている間に消えてしまった。
そんな今の世界の脅威は、何か。祠に封印されている間、ウィルドは考えていた。
まっとうに考えれば、次に殲滅すべきなのは神が生み出した『魔王』であるはずだった。
だがしかし、ウィルドは見てしまったのだ。悠久の時を経ても崩れず、壊れず、己を縛り付けていた祠の中で。
サンフレイズ平原は、その広さ故にたびたび人族同士の戦争の場となった。人が人を殺し、人が地を焼き払い、人が獣を穿ち殺し、醜く争うところを。焼け野原になったサンフレイズ平原を。祠のそばで血を流しながら息絶えた兵士を。生物たちの絶命の悲鳴を。ウィルドは、ずっと見ていたのだ。
__『魔王』は世界の脅威である。だがしかし、人族もまた、放置しては置けない脅威に他ならない。
祠に封印された原初の聖剣は、世界を守るという目的を、大義を、抱えたまま、それでもなお、武器として誰かのためにありたいというその感情が暴走していた。
神のために、神を殺そうとした。でも、それはダメだった。
命令に従ったのに。そのために生まれたのに。
何で生まれたのだ。何で生んだのだ。わからない。わからない!
『誰か、僕を導いてくれよ……!』
何で僕には感情があるんだ。何で僕は物事を考えられるんだ。何で僕は、何で僕は、神に封印されたんだ。
原初の聖剣は、魔王を滅ぼすために作られた武器であった彼は、まだ成長の途中だったのだ。物事の分別が付くよりも先に使命を与えられ、その使命の意図を読み解くだけの力が、まだ備わっていなかったのだ。
彼の本質は、まだ善悪の判断ができない赤子だった。
だから、彼は原初の聖剣【ウィルド】なのだ。それでしかないのだ。
ウィルドは、地面で何やら言い争う聖剣とその所有者を見る。第四の聖剣は、どうやら魂を持っているらしい。プロトタイプである己以外に意思を持つ聖剣は創り出されていなかったはずだが、神の気まぐれか、それとも運命か。
そのどちらだったとしても、彼は第四の聖剣がうらやましかった。
確固たる己を持ち、何をすべきか考えられる。折れていてもなお、自分の出来ることを思考でき、行動できる。人間の魂が邪魔をしているせいか、まったく成長していない聖剣であるにもかかわらず、第四の聖剣は、聖剣としての役割を果たしていた。
魔王を打ち滅ぼす力だけなら、己が上回っていると確かに理解できていた。それでも、確かにウィルドは、第四の聖剣に対して『嫉妬』の感情を抱く。
『__超えて見せる。僕の方が、強い』
原初の聖剣は、決意をするようにつぶやく。そして、第四の聖剣の持ち主__すなわち、ジルディアスに立ち向かう。
己の方が強いのだと、証明するために。