5話 とてもさわやか(では)な(い)旅立ち
前回のあらすじ
・ジル「こいつ、聖剣じゃなくて魔剣だろ」
・恩田「失礼な!」
・紫法衣の神官「どうでもいいから、お前勇者な?」
鞘の付いた聖剣を受け取ったジルディアスは、ユミルの腕をつかむと、足早に広場から出ていく。いきなり腕をつかまれたユミルの小さく声が、ジルディアスの足音に混ざりこむ。
それを見た俺は、思わず不機嫌そうなジルディアスに向かって言葉を放っていた。
『おい、ちょっと腕の力弱めてやれよ! 痛そうだろ!』
「……。」
俺の言葉を無視し、ジルディアスは広場を離れ、つかつかと大きな屋敷へと向かう。門番がスルーしていたということは、ここがジルディアスの家なのだろうか?
当然、屋敷に入るまで、ジルディアスはユミルの腕をつかんだままだった。
不機嫌真っただ中なジルディアスは、メイドにユミルを預けると、そのままの足で掃除の行き届いた廊下を歩く。そして、豪華な扉の前で足を止めると、荒々しくノックをした。
「父上、緊急事態だ」
「……敬語の一つも使えないのか、ジルディアス」
あきれたように言う部屋の奥の人間。その声を聴いたジルディアスは、そのまま扉を開ける。
部屋はどうも執務室だったらしく。部屋には天井に届く大きさの本棚に大量の資料が、執務机には書類の山が二山ほど積まれている。そして、座り心地のよさそうな豪華な椅子に座った壮年の男性が、ジルディアスを見上げた。
「どうした、ジルディアス。ルーカスが勇者にでもなったのか?」
「違う、俺がなった」
驚く銀髪の男性の執務机に、ジルディアスは俺を投げる。固い木の机にぶつかり、普通に痛かったが、壮年の男性の表情に、余計な口を挟む気にはなれなかった。
壮年の男性は、驚きと困惑と、そして、少しの落胆を混ぜ合わせた複雑な表情を浮かべると、ジルディアスを見上げる。その表情は、心なしか一気に五歳ほど老けたように見えた。
そんな男性に対し、ジルディアスは言う。
「ユミルを頼む。あと、ルーカスの教育を」
「……当たり前だ。騎士団には__」
「俺から報告する。教会からにらまれた以上、時間はない。__今までの教育を無駄にして悪かった」
ジルディアスはあっさりとそう言うと、左手の中指につけていた指輪を外し、執務室の机に置く。
「勇者に選ばれた以上、公爵家長男の身分に意味はない。俺がこれを持っていたところで、意味もないだろう。ルーカスに渡せ」
「そうだな……フロライト公爵家から、最大限の援助はさせてもらう。……できれば、お前が結婚式を挙げるところを見たかったのだが……。」
「支援などいらん。俺に使う分があったらその分を民に還元しろ」
冷たいジルディアスの言葉に、気落ちしたように書類の山を崩しながら机に顔を突っ伏す壮年の男性。深いため息の音と紙が地面に滑り落ちる音が、整然とした執務室に響く。
突然の展開に、俺は頭が付いて行かず、思わず独り言をつぶやく。
『えっ、何? ジルディアス、勇者になるの? ってか、何で一生の別れみたいな?』
「……黙れ魔剣。これが別れ以外の何に見える!」
吐き捨てるように言うジルディアス。そんな彼を、壮年の男性は驚いたように見る。
「ジルディアス、決別、ではないのか?」
「……決別?」
壮年の男性の言葉に、けげんな表情を浮かべるジルディアス。そして、少し考えてから、何かに思い当たったのか、眉をひそめて言う。
「……貴様が最低な父親だというのは変わりようがないが、だからと言って俺が貴族であり、そして父上が父親であることには変わりないだろう。もちろん、貴様の行いは未来永劫許すことはないがな」
『マジで恨んでんじゃん。何したんだこのおっさん』
「おっさ……まあ、その呼び名は許そう。ともかく、魔剣風情が知る必要はないことをしでかしただけだ」
「うっ……」
頭を抱える壮年の男性。どうやら、ここまで言われるだけの心当たりがあるらしい。
ジルディアスは、何かを思い出したのか、盛大に舌打ちをしてから口を開く。
「そも、魔王と戦うことに関して支援などいらん。軍でも俺についていける人間はごく少数だ。そいつらがともに魔王討伐に参加するとして、誰が国を守る。有能な人員は現場で働かせろ」
「えっ、いや、そうじゃなくて、私は道中の資金のことを言いたかったのだが?」
きょとんとした表情で言う壮年の男性。そんな彼に、今度はジルディアスが首をかしげる番だった。
「……? その手の諸経費は神殿が出すのではないのか? 俺は少なくともそう聞いていたのだが」
「何を言う。神殿が出す分で足りるわけがないだろう! 勇者への支援金は何度も中抜きされた挙句に渡されるものだぞ?!」
「は?」
眉を寄せ、盛大に機嫌を損ねるジルディアス。
壮年の男性の言葉に、俺は、ああなるほど、と思った。
よくよく考えてみれば、ソードテールオンラインは敵からの金銭ドロップはないと聞く。サブクエストやトレードマーケットで必要な金銭を稼ぐシステムだったはずだ。友人が『金がねえ』とぼやいていたため、よく覚えている。
そう言うのがゲームの仕様かとも思っていたが、なるほど、現実に当てはめると、中抜きによって勇者に対して正当な賃金が支払われていなかったのか。……ブラックが過ぎないか?
壮年の男性は、そっと目を逸らしながら、口を開く。
「ともかく、陰ながらでも援助させてくれ。人員もいいのがいれば斡旋させてもらう」
「……いや、いらん。」
「えっ」
少しだけ悲しそうな顔をする壮年の男性。そんな彼に舌打ちをしながら、ジルディアスは口を開く。
「俺は自分の財産がある。それよりかは、俺以外の貧民勇者が飢えて死なぬように援助をしておけ。勇者に指名されたものはしていた仕事に関わらず、魔王討伐が優先となるのだろう? なら、その支援に使え」
俺は一瞬、「あれ?」と思った。
ジルディアスって、こんなに良いキャラだっけ? 友人はさんざん嫌っていたけれども、ここだけ切り取ると割といい人間に見える。これが、人気投票上位の理由なのか?
そんなことを思った俺だったが、それ以上を考えるよりも先に、ジルディアスは俺の柄をつかむと、腰の剣を固定する金具に取り付け、踵を返す。俺は慌てて言う。
『おいおい、行ってきますも言えないのかよ!』
「何故いう必要がある。帰ってくるかもわからんのに」
不機嫌そうに言うジルディアス。そんな彼の言葉を聞いた壮年の男性は、欠いていた書類から手を放し、顔を上げると、しっかりとジルディアスの背を見て言う。
「……できれば、生きて帰ってこい、我が息子よ」
父の言葉を背に、ジルディアスは振り返ることもせずに言う。
「……お前に息子扱いはされたくはないが、元より魔王に殺される気は毛頭ない。ユミルとルーカスは頼んだ」
ジルディアスはそう言うと、さっさと執務室を出ていった。
執務室で作業をしていた壮年の男性、アルバニア=フロライトは深くため息をついてペンを握った。
己の息子が、自分を恨んでいるであろうことは理解していた。己の行いが、彼にとっても今は無き妻にとっても最低な行いだったと理解していた。
だとしても、彼に謝ることは、彼自身が許さなかった。
__永遠に恨まれ続けることが、私の罰だと思っていたが……
アルバニアは、落とした書類を執事に拾わせ、手に持った書類に目をおとす。
魔王を倒すという責務を負うことになったジルディアス。そんな状況なら、少しでも、ほんの少しでも、父であり、家族であるアルバニアを頼ると思っていた。
しかし、彼は淡々と現状を報告し、そして、半ば義務であろう自分の後継者である弟の教育と、婚約者の保護だけをするように命じ、そのまま出ていこうとした。
あのとき、アルバニアは深い罪悪感に包まれた。
死出の旅に向かうというのに、何も手伝いを要求しない。私を頼るという手段すらもとりたくないという、意思表示なのか。
__私とジルディアスは、会話をほとんどしなかった。
あの件が済んでなお、ジルディアスは別館で生活することを望み、そして、顔も合わせたくない、とでも言いたいかのように王城で騎士として働くことを選んだ彼。
自業自得だとはいえ、アルバニアはジルディアスと交流をとる機会がほとんどなかった。
だからこそ、彼が今を「別れ」と表現したことに、酷く驚いた。
別れ。永遠の別れ、ではなく、決別、でもない。『再会』の可能性を残したその言葉に、アルバニアはかすかな希望を抱いた。
この罪悪を清算する方法が、他に生まれるかもしれない、と。
せめて、息子の戦いを応援したかった。戦力を貸すことは、魔王の特性上できないが、せめて、経済面だけでも、守ることが、救うことができれば。
そして、己にそれしかできないと気が付き、愕然とした。
神に選ばれた人間でなければ、魔王は殺せない。それが、神から下された神託であった。
実際、一部軍人が魔王を殺すために北へと向かったことがあったのだが、半数は途中の結界で阻まれ、そのまた半数は魔物に殺され、残った半数のさらにまた半数は道中の瘴気で命を失い、そして、ほんの一握りの生き残りは、魔王の張った結界を前に、これ以上進むことは不可能であると報告するほかなかった。
勇者は、結界を超えることのできる人間だという。
実際、第一の聖剣を引き抜いた勇者は、魔王の張った結界をすり抜けることに成功し、瘴気に侵されることも無かった。彼は、道中で強力な魔物に襲われ、魔王を倒すには至らなかったが、素晴らしい情報を人類にもたらしたとして、王城の入り口には彼の功績と名誉をたたえる石像が建てられている。
アルバニアの息子、ジルディアスが引き抜いたのは、人族に与えられた100の聖剣のうち、4本目の聖剣だ。かつての第四の聖剣の所持者は、総じて不運な運命をたどり、その命を散らしていると聞く。
アルバニアは、小さく舌打ちをして、書類を睨んだ。
息子の安全を祈ることしかできない己が憎い。権力はあれども、人望はあれども、たった一人の息子すら救うことができなかった己が憎い。
壮年の男性は、書類に己のサインを書き入れながら、軽く目を閉じて祈る。神に祈りなど、久しく捧げていなかった。
「__息子が、どうか五体満足で旅を終えられますように……」
このあまりにも些細で、しかし、あまりにも強欲なこの祈りが天に届くかは、誰にもわからなかった。
【魔王について】
魔王は、突如現れた人族の敵対者である。元より世界に存在していた動物たちとは異なる生命体、魔物を生み出した根源であり、魂を溶かし食らう摂理に相反する存在である。
そんな危機に襲われた人族に、神は100本の剣を与え、そして、魔王の生み出した結界を通り抜けられる才能を持つ人間にのみ、その剣を扱う資格を与えた。
__人族は、やがて魔王を倒すであろう勇者が現れるのを、ただ祈るしかなかった。