42話 クソ甘牛乳と煮たてた紅茶
前回のあらすじ
・ジルディアス「遊牧民はNTR好き」
・恩田「偏見が酷い」
・盗賊の頭「セリフ一行だけで死んだ」
見事に圧倒的な実力をもってして盗賊を追い払ったジルディアスは、キャラバンとともに行動することになった。
キャラバンの護衛は冒険者ではなく、キャラバン所有の私兵であるという。練度はあるほうであったが、敵が悪かったのだとか。対魔物のために近距離に強い私兵を多く起用したせいで、遠距離からの攻撃に対応できなかったのだとか。
あほか? と思ったが、どうせ口にしても聞こえるわけではないため黙っておく。ジルディアスはあまりにあほらしかったためか、黙って肩をすくめるにとどめていた。
「本当にありがとうございました、勇者殿。まさか盗賊団に襲われるとは……」
「どうでもいい。ただ、ポンコツな護衛どもは鍛えなおしておけ。有事に盾にしかなれん護衛などいらん」
『ばっさり言うなぁ』
荷馬車のうち、商人たちが商談や通路を決めるための小さな会議室のような車両の椅子に腰かけ、そう言うジルディアス。白髪頭のふくよかな商人は、申し訳なさそうに頭をかきながら、そっと蓋の閉まった瓶をジルディアスに渡す。
「うちの商品ですが、良かったらどうぞ。高級品のエルフ蜂蜜とここいらで採れた新鮮な牛乳を加熱しながら混ぜた逸品です。都だとこれだけで銀貨が数枚飛びますよ」
「ふむ……」
ジルディアスは小さくそういうと、コルクのふたを外して手の甲に数滴、牛乳をこぼす。そして、それを舐めた。
次の瞬間、ジルディアスはびくりと体を硬直させる。どうした、まさか、毒でも入っていたのか?
一瞬心配した俺だったが、ジルディアスは頭を抱えて呻いた。
「喉が焼けるかと思うほど甘かった。いらん」
「そうですか……? 都では大人気なのですがね……」
瓶をつき返すジルディアスに、白髪頭の商人は少しだけ残念そうに言いながらも、その瓶を懐にしまった。あとで自分だけで楽しむつもりなのだろう。
あっさりと断られてしまった商人は、少しだけ悩んだ後、ジルディアスに言う。
「でしたら、他の甘味を用意しましょうか?」
「……俺は甘いものは好きではない。遠慮させてもらう」
「そうですか……私どもスイートビー商会は、様々な甘味を取り扱う紹介ですので、ご入用でしたら、ぜひお声がけください。私はスイートビー商会の三部門長シップロと申します」
商魂たくましいふくよかな商人、シップロはそう言うと、ぺこりとお辞儀をして紅茶の用意をし始めた。なるほど、紅茶なら甘さの加減は個人でできるものな。
金属でできたポットに魔法で水を注いだシップロは、鍋敷きほどの大きさで、厚みは1センチを少し超えるくらいの黒色の板の上に乗せる。そして、鍋敷きのような板の横につくられた丸いすり鉢状の穴に指を添え、短く詠唱した。
「【ヒート】……最近の魔道具は便利になりましたね。流石に無詠唱の魔道具は用意しておりませんが、旅に持っていけるほどの大きさになると大変便利です。旅におひとついかがでしょうか?」
「いらん。湯沸かしくらい魔道具に頼らずとも自力でできる……ああ、それと、紅茶に砂糖、蜂蜜、ミルクは入れるな」
「? そうですか。珍しい方ですね」
首をかしげるシップロ。ストレートティーはこの世界では珍しいのか?
そう思った俺だったが、どうやら地域の特色のような物らしい。
ある程度湯が温まったところで、シップロは茶葉を金属のポットに入れた。そして、湯を完全に沸騰させて、茶葉を煮込む。
「……?」
茶の入れ方が知っているものと違ったのか、ジルディアスはかすかに眉を寄せる。よほどいい茶葉を使っているのか、紅茶の柔く良い香りが馬車の室内に広がった。
『いい匂いだな』
「……茶の入れ方にいささか不安はあるがな」
シップロに聞こえない程度の小声で、俺のつぶやきに答えるジルディアス。特殊なサスペンションでもついているのか、悪路にも拘らず、馬車はさほど揺れなかった。
IHコンロのような魔道具を使い、たっぷりと茶葉を煮出したシップロは、上質な陶器の器にその茶を少しだけよそうと、自分の分だけたっぷりの蜂蜜と牛乳を注ぎ、よく混ぜる。
そして、紅茶をジルディアスに手渡した。
「どうぞ、ストレートティーです。ミルク瓶はこちらに置かせてもらいますね」
「……ほう」
白く透明感のあるティーカップの三分の一ほどに、紅茶色と言うにはいささか色の濃すぎる液体が注がれていた。沸騰した湯で加熱しながらたっぷり煮出したためだろう。
じっくりと煮出した紅茶は、複雑でよい香りがしている。しかし、いささか苦い。煮出しの工程で、たっぷりの香りと一緒に苦みや雑味まで煮出してしまうためだろう。
なるほど、その苦みを和らげるために、たっぷりの蜂蜜と牛乳を入れているのか。紅茶の香りは、煮出しても揮発しにくいのか、牛乳を注いでも薄まりはしない。砂糖と牛乳を入れる前提の紅茶なのだ。
紅茶に一口口をつけてから、ジルディアスは素直に牛乳を注いだ。どうやら相当濃かったらしい。
牛乳で薄めた紅茶を改めて飲んだジルディアスは、瞳を少しだけ丸くした。
「美味いな。ずいぶんいい茶葉のようだ」
「ええ、もちろんですとも。エルフの森にほど近いところに定住する農家たちが栽培する最高級品です。今年は特に出来が良かった。素晴らしいでしょう?」
にっこりと微笑んで言うシップロ。どうやら自慢の商品らしい。
ジルディアスは小さく肩をすくめると、かぶりを振ってこたえた。
「悪いが、牛乳を運べるだけの余裕が無くてな。ストレートティーで飲めるものがあるのなら考えるが」
「もちろんございますよ。どうぞ、旅の彩りにひとついかがですかな?」
「いくらだ? 日持ちするなら俺の婚約者にもいくつか取り分けてほしい」
「ほほ、婚約者様がいらっしゃるのですか! なら、是非お勧めしたいものがございますよ!」
楽しそうに商談するシップロと、退屈潰し半分にシップロが提示する商品を見るジルディアス。それなりに平和に、俺たちは次の町へ向かっていた。
時は変わり、一夜の歓待明けのサクラとウィルは、少しだけ複雑そうな表情を浮かべてエルフの森から出た。
「誤解は解けたけれども……ジルディアスはいなくなっていたわね」
「まさか、エレベーターを使わずに飛び降りるなんて思ってもいなかった……」
「真似したら駄目だぞ? あれはエルフでも余裕で死ねるからな」
「するわけないだろう。彼は人間だぞ?」
ウィルにとんでもない注意を促すのは、従者としてエルフの村からついてきた、高所恐怖症のエルフ、アリアである。アリアの間の抜けた指摘に、同じく従者として村を出たロアが呆れたように言う。
見地を広げるという名目で体よく村から追い出されたロアは、元々村の外に興味のあったアリアとともにウィルの従者になったのである。
今回のジルディアス追い出し事件で、エルフたちはこってりとルアノに罰せられた。あまりに高慢が過ぎると、エルフの民族感に問題意識を抱いたルアノによって、現在のエルフの村は、絶賛改革中である。
特に、樹上のエルフたちは地上研修と言うものと取り入れ、ハーフエルフや人間と交流するようになり始めた。まだ態度を改めないものもいるが、いずれの日にか、わだかまりは消えることだろう。エルフは長い寿命を持つため、心穏やかなものが多いのだ。
ウィルはふと、ジルディアスのことを思い出す。そして、申し訳ないことをしたとそっと目を伏せた。
聖剣を樹上から落としてしまったジルディアスは、反射的に足をつかんだウィルのおかげで地面に叩きつけられるのを防がれたが、すぐにウィルの手を振り払った。
「邪魔だ、どけ!!」
「邪魔とかそういう話じゃない! 飛び降りるつもりか?!」
「当たり前だ!」
間髪開けずに答えたジルディアス。その瞳は本気であった。
自殺行為にしか見えない行動を止めようとするウィルに苛立ってきたのか、ジルディアスは短く警告する。
「死にたくないのなら、どけ」
「でも……!」
手を伸ばしてジルディアスを制止しようとしたウィル。次の瞬間、サクラが魔術を発動していた。
「【バリア】!!」
「……へ?」
ウィルの左側面を守るように展開された、光の壁。それは、甲高い音をたて、次の瞬間には砕けた。
バリアを砕いたのは、指輪から抜き身のロングソードを取り出したジルディアス。容赦なくウィルの首を狙ったその一刀は、サクラのバリアによって妨害されたため、ウィルには何のダメージを与えることも無かった。
「何を考えてんのよ、アンタ……!」
杖を構え、叫ぶサクラ。そんなサクラを、ジルディアスは睨む。
「邪魔を、するな」
「……!」
返事は許されていない。いや、返事をすれば死ぬ。反論しても死ぬ。邪魔をすれば、もちろん死ぬ。
それを理解したサクラは、小さく息を飲んだ。ただ、ジルディアスが恐ろしかった。本能が、今の彼には触れてはいけないと、関わっていけないと、警鐘を鳴らしていたのだ。
無言のサクラを一瞥し、前に向き直ったジルディアスは、茫然としていたウィルを押しのけると、そのまま空中に足を踏みだす。
そこで我に返ったウィルは、慌ててジルディアスが飛び降りていった場所を確認した。
取り出したロングソードを巨木ユグラシアに突き立て、勢いを殺しながら地面に落下していく彼は、巨木の半ばほど__それでもまだ地上からは10m以上はある__で、ロングソードを巨木から引き抜くと、空中でそのロングソードを砕いた。
当然、ブレーキの役割を果たしていたロングソードが破壊された以上、ジルディアスは自由落下を始める。あの高さからでも、落ちれば十分死んでしまうかもしれない。
そう思ったウィルだが、指輪から冷静に金属製のロッドを取り出したジルディアスは、落下をしながらも呪文を詠唱していた。
「風魔法第4位【ウィンドステップ】」
風魔法で作り出した足場を蹴りながら空中を進み、そして、同時に勢いも殺す。必要最低限まで風魔法を行使しながら勢いを殺して、そして最後にホバリングを使って最後の最後まで勢いを殺しきり、ジルディアスは無傷でユグラシアからの飛び降りを成功して見せた。
「わあ……」
「うわぁ……」
当然、上がウィルの憧憬を含んだ感嘆であり、下が裏ボススペックにあきれるサクラのうめき声である。
ジルディアスが地面にたどり着くのとほぼ同時に、ルアノがエレベーター前に戻り、誤解は解かれたが、ジルディアスは結局、樹上に戻ることはなく、間借りしていた客室から引きはらった。
もし、ウィルがジルディアスを止めなければ、おそらく彼は落とした聖剣を拾えていたかもしれない。結局、かもしれないという仮定に終わってしまうが、それでも、ジルディアスは巨木から飛び降りても死にはしなかっただろう。
そう思うと、ウィルはどこか罪悪感を覚えた。
うつむくウィルを見て、ロアは少しだけ心配そうに声をかける。
「どうした、勇者」
「いや……ジルディアスさんに悪いことをしたなって思って」
「悪いこと? もしや、飛び降りを止めたことか?」
「うん」
耳をピクリと傾け、そう問うロアに、ウィルは小さく頷いた。
ロアは少しだけ考えてから、口を開いた。
「俺は君が間違ったことをしたようには思えないな。翼を持った鳥獣人でもない限り、誰が考えても、ユグラシアから飛び降りるのは自殺と同義だ。それをしようとしたジルディアスを君が止めて、何が悪い」
「いや……でも、俺が止めなければ、ジルディアスさんは聖剣を落さずに済んだかも……」
「それはないだろう。むしろ、焦って飛び降りたせいで負傷していたかもしれない」
ロアとて、ジルディアスが割と聖剣を雑に扱っていたことを知っている。それでも、ユグラシアから飛び降りてつかもうとするくらいには、大切な武器だったのだろう。
それでも、まだ晴れないウィルに、ロアは苦笑いをして言う。
「結局、過ぎたことなど『かもしれない』になるだけだ。気に病むなら、これから先、このように思い悩まないようにするために判断を研ぎ澄ますといい。経験から学ばぬのは愚か者だけだからな」
「……そっか。」
「ああ、そうだとも」
穏やかに会話をしながら、従者が増え、四人になった勇者一行はプレシス最大の平原、サンフレイズ平原に足を踏み入れた。
【隊商について】
サンフレイズ平原には、多数の遊牧民が生活している。遊牧民たちは半ば自給自足の生活をしているのだが、それでも魔物と戦うための武器や、刈った羊の毛などを売る場所が必要だったりする。それを満たすのが、隊商である。
スイートビー商会は、嗜好品を主に取り扱っており、特にエルフの村と交易して手に入れたエルフ蜂蜜などは高級品として取り扱われている。
遊牧民たちも、ほとんど変わらない放浪の日々の癒しとして甘味を愛しているため、スイートビー商会はなかなか有名どころであるという。
余談ではあるが、シップロ三部門長はサンフレイズ基準だとそこまで甘いもの好きではない。ヤバい人はあの紅茶に蜂蜜と砂糖をもっとどっさりと入れる。糖尿になりそう