39話 おてがみかけたね
前回のあらすじ
・黒結晶をウィルが破壊
・ルアノが光魔法を行使
穢れの原因の断たれた湖は、あっという間に浄化され、湖は清廉さを取り戻した。流石に生き物までは戻ってこなかったが、それでも、ここまできれいになったのだ。時間さえあれば、元々の湖に戻ることだろう。
完全に湖が浄化されたところで、ジルディアスは手持ち無沙汰にしていたロアに声をかける。
「で、分木はどうやって行うのだ?」
「あ、そうだったな。ちょっと待ってくれ」
ロアはそう言うと、担いでいた剣を抜きはらい、魔力を使い果たして湖のほとりで座り込んでいたルアノに声をかける。穢れを一掃したせいで、相当疲れているようだ。
「分木してくる。休憩していてくれ」
「……うん、わかった」
眠たそうにこくんと頷くルアノに小さく手を振り、ロアは短く詠唱した。
「風魔法第2位【レビテーション】」
その呪文の直後、巻き上がった風に包まれ、ロアは地面から十センチほど浮き上がる。そして、そのまま湖面すれすれを歩き始めた。
ロアの魔法をジルディアスは感心したように見る。
「ふむ、レビテーションなど使えん魔法の代表格だと思っていたが……出力を上げれば泳がずとも水上を移動することができるのか」
『え? 空を飛べる魔法なのに、使えないのか?』
あんなに魔法っぽい魔法なのに、使えない魔法なのだろうか? そんな俺の疑問にジルディアスはあきれたように言う。
「たかが十センチ浮かび上がれる魔法だぞ? 地面を踏まずに歩いて、一体何があるというのだ。まきびしなり罠なりをよけるのになら使えるだろうが、それだって別に風魔法で吹き飛ばすなりすれば問題ないというのに」
『あー……たしかに、使い道なさそうだな……』
たしかに、ゲームであるならば毒床を避けるのにお決まりみたいな魔法であるが、ここは現実だ。まず毒床なるものは存在しないうえ、別にあったとしても木の板なりを倒してその上を進めば、魔力を使わずに済む。レビテーションを使う意味がないだろう。
使えないと思っていた魔法の意外な使用方法に関心しているジルディアスは、ふと、結構物騒なことをつぶやきだす。
「軍の連中にレビテーションを覚えさせれば、地形に関わらない戦闘ができるようになるな。便利そうだ」
『夢も希望もねえな。物騒なことを考えるのはあとにしようぜ?』
軍隊が川を橋もかけずに突っ走っていくという、敵軍からしたら悪夢以外の何でもない恐ろしい光景を思い浮かべながら、俺は小さく肩をすくめる。
騎士であるジルディアスは発想がおっかない。俺なんてレビテーションの直前の風でパンチラできそうくらいの発想しかできなかったというのに。
泳がず直線で湖を渡ったロアは、すっかり綺麗に浄化された湖の中央に降り立ち、適当な若木を見繕うと、根っこごと掘り起し、丁寧に湖で洗い清める。そして、行きと同様の方法で湖の岸に戻ってきた。
両手で抱えるくらいの大きさの若木を持ってきたロアは、ルアノに尋ねる。
「どこに植樹する?」
「……いっそのことこの辺でいいかな?」
「適当に植えると副神官がうるさいだろ。せめて、少しでも開けたところがいいのじゃないか?」
相当適当なことを言うロアとルアノ。植える場所に特にこだわりはないらしい。でも、こんな大樹の森で適当なところに植えたら、それこそ日照不足で成長しきらないのではないのだろうか?
そう思った俺だが、別にそうでもないようだ。
湖のほとりの、少しだけ広い土地を見繕ったロアとルアノ。剣を使って地面を軽く掘り返したロアは、世界樹の苗木を地面に植える。スコップを使っていないにもかかわらず、かなりの手際であった。
手早く世界樹を植えたロアは、サッとルアノと視線を合わせると、苗木の前に膝をついて手を組む。そして、呪文を唱えた。
「あるが、あるがの、いるぐら、えんすらい、いるぐらいの」
……?
何だ? 声が二重に聞こえる?
俺は思わず首を傾げた。声は確かにロアのものだけである。だがしかし、謎の呪文に重なって拙い言葉が聞こえる。
困惑する俺を置いて、ロアは呪文を続ける。
「ぴくすた、ぴくすゆりあすた、いるぐらい、いるぐらい、いるぐらい。いるぐら、ぷれしすえんすらいるの」
プレシスは、この世界の名前だったか。紡がれる呪文の文言には若干の共通性はあるように見えるが、それでも全く意味は分からない。副音声の拙い言葉の意味ならはっきりと分かるのだが。
ふと顔を上げてみれば、ジルディアスが目を丸くしてロアの詠唱を見守っていた。割とわかりやすいぐらい驚いていたが、彼からしても珍しい呪文なのだろうか?
あたたかい風が湖の水をまきこんで、湿気る。ざわざわと葉が揺れ、木陰から、茂みの隙間から、湖から、地面の陰から、木漏れ日から、何かがこちらを覗き込む。
ロアの詠唱は、続く。
「__あるが、あるがの、おるおすとる。おるおーの、ユグドラシル」
詠唱が空に溶け込む。
変化は、すぐに起きた。
地面が静かに揺れ始める。そして、爆発するように、世界樹の若木が天に向かって伸び始めたのだ。
『うっわぁ?! 何だ?!』
「……!!」
反射的に俺で体を庇いながら、両足でしっかりと地面を捉えるジルディアス。その赤の瞳には、確かに困惑と驚きが溶け込んでいた。
突然成長した世界樹の苗木は、その背丈を十メートル近い高さまで伸ばしたところで、成長は緩やかなものに変わった。とはいえ、緩やかと言えども、見ていて伸びていると分かる成長速度である。一般的な植物ではありえない速度で成長しているのは十二分に理解できた。
ロアは一仕事終えたといわんばかりに肩をすくめると、深く息を吐いた。
「これで世界樹の植え付けは終わりだ。あとは報告するだけだな」
ずっと前傾姿勢で地面に足をついていたのが疲れたのか、ロアは体を伸ばしながらルアノに言う。ルアノも小さく頷きながら、目を見開いて固まる俺たちにそっと目くばせをした。
ようやく驚きから抜け出せたのか、ジルディアスが口を開く。
「……珍しいものを見た。まさか、生きているうちに神語魔法を見ることができるとは」
「神語魔法を知っているのか! 博識だな!」
「__神語魔法ですって?」
驚きのあまり、小さくつぶやくサクラ。彼女は、俺とジルディアスがギリギリ聞き取れるぐらいの小声で、さらに独り言を続けた。
「……何で、二部の新技能がここで……?」
『えっ、二部あんの?』
「にぶ?」
俺とサクラの言葉に、ジルディアスは首をかしげてオウム返しをする。そして、「ああ、二部か」と小さくつぶやき、そして眉をひそめた。
「おい魔剣、何の話だ?」
『あー、多分、お前には関係ない話じゃないかな?』
そう言えば、STOはエンドコンテンツのダンジョンイフを作っているあたり、メインストーリーは完結しているはずなのだ。なら、二部を作っていてもおかしくはないだろう。
ゲームの一部で死亡したジルディアスが、二部のストーリーに関わることはないだろう。そう考えれば、二部に新技能があろうがなかろうが、今は特に意味がないはずだ。
この手のゲームは二部を作ること前提にストーリーを作っているはずだ。だからこそ、ロアの使う神語魔法とやらは多分、伏線のような物なのだろう。詳しくは知らないが、まだ魔王が倒されていない以上、時間的には一部のはずなのだから。
しかして、俺の返事がお気に召さなかったらしいジルディアスは、不愉快そうに表情を歪めると、黙って俺をへし折る。普通に痛い。
まだタケノコのごとき成長を続ける世界樹の若木を置いて、ルアノとロアは撤退の準備を始める。驚きから抜け切れていなかったウィルは少しだけぴくっと体を震わせながらも、サクラにせかされて、慌てて歩き出した。
ジルディアスは何かを考え込むようなそぶりを見せたが、すぐに歩き出す。
『どうしたんだ、ジルディアス?』
「いや……神語魔法は、全ての魔法の源と呼ばれる魔法でな。単語を構成して魔法を形作るのだが……あそこまで単語が現存していたことに驚いただけだ」
『へ? 何で? なくなるのか?』
「なくなるも何も……神語魔法は神代の言語だぞ? 忘却されて消えていくに決まっていくだろうが」
どうやら、神語とは、遥か昔の言語であるらしい。種族的に寿命の長いエルフたちは、口伝が比較的正確に伝わっていたため、まだ使用可能な神語魔法が残っていたのだろう、というのがジルディアスの予想であった。ふーん? そんなものなのか?
気になった俺は、ヘルプ機能を使って神語魔法について検索する。すると、真っ先に『権限が不足しています』というマークが現れ、直後に簡単な情報が現れた。
『えーっと、神語魔法とは、神代の言語を元に世界を変化させる魔法であり、発声のみの言語体である。文字として書き起こすことは不可能であり、神代には神語魔法の言語で日常生活を送っていたものと見られている……へえ、そうなんだ』
「知っている割に反応が雑だな、魔剣。すべての魔法の源だぞ?」
『知ってても俺が使えるわけじゃないし、全ての魔法の源つったって、お前、光魔法以外全魔法使えるだろ。別にいらなくね?』
「……貴様というやつは……。」
俺の言葉に、ジルディアスは心底呆れたように頭を抱える。いやだって、そうじゃん。俺はまだレベルアップができないから、新しい技能なんて覚えられないし、こいつは大体何でもできるからそもそも神語魔法を覚える意味がない。
だったら神語魔法なんていらなくね? そんなフラグもあるんだ程度でいいだろ。直近の問題はこいつが外道行為して闇落ちして死にかねないってことくらいだ。
杖のままだった俺に、ジルディアスは魔力を流しながら剣に戻れと無言の圧力をかける。俺は『へいへい』と返事をしながらも剣に戻った。寄り道もこれで終わりだろうし、ここからはまたクソつまらない旅の再開なのだ。
せめて、今日行われるだろう新しい世界樹の誕生を祝う祭りくらい、楽しんでから旅に戻ろう。
そう思った俺だが、残念ながら、ジルディアスの悪役補正は生半可ではなかった。
報告のために勇者一行とともに樹上に上がったその直後、ジルディアスは、目の前に立ち並ぶ物々しい様子のエルフたちに、眉をしかめた。
「何の用だ?」
向けられている武器に、ジルディアスは不機嫌を隠すことも無く低い声で威圧する。しかし、血の気のある若いエルフたちには、あまり効果がなかった。
若葉のような緑髪のエルフは、ジルディアスの言葉に対し、苛立ったように怒鳴った。
「神域を荒らした不敬者が!!」
「『……は?』」
俺とジルディアスの声が、同時に響く。神域を荒らした? そんなことしてなくね?
そう思った俺たちだが、若いエルフは隔絶した力量差に気が付くことも無く、その槍を振るう。当然のように剣のままだった俺を使い、ジルディアスは槍を鉄の穂先ごと切り捨てる。
両断された槍の穂先は、くるくると宙を回転しながらそのまま木でできた街路に突き刺さり、周囲のざわめきが、一瞬だけ止んだ。
ジルディアスは、地を這うような低い声で言う。
「死にたくなければさっさと失せろ。意味が解らんわ」
額に青筋を浮かべ、怒りを隠しきれない(隠したことなどほとんどないが)ジルディアスに、若いエルフはようやくこの絶望的な力量差に気が付く。
「ひっ……?!」
おびえるエルフ。だがしかし、ジルディアスの怒りはそう簡単に消えはしない。
「面倒だ。死ね」
「待ってください、ジルディアスさん!」
俺を振りかぶるジルディアスと、その場で腰を抜かした若いエルフの間に割り込むウィル。流石に同じ勇者であるウィルを殺すのはマズいと判断したのか、ジルディアスは俺を振り下ろさず、動きを止める。
「何の真似だ」
「何のマネとかそう言うことじゃないです! 何で、人を殺そうとなんて……!」
「そいつは俺を殺そうとした。なら、殺されても文句は言えないはずだ」
「死んだら文句なんて言えないでしょうけどね。……ついに本性を現したかしら?」
油断なく杖を構えるサクラ。そんなサクラに、ジルディアスは小さく舌打ちをすると、面倒くさそうに俺を構えた。……ん?
『おいおいおい、待てよジルディアス。お前さん何するつもり?』
「は? 何するもクソもないだろうが。邪魔をする従者を殺し、そこのエルフを殺す。それだけだ」
『いやいやいやいやいや?! 何で?!』
「……? 俺を殺そうとしたやつを殺して何が悪い?」
あっさりと言い、首をかしげるジルディアス。
嘘だろ。こいつ本気で言っていやがる。マジでエルフを殺す気だ。俺は慌てて変形して剣の切れ味を鈍らせる。魔物やら化け物やらならまだしも、俺は人を殺すのには使われたくない。
『ナチュラルに俺を使って人を殺そうとするんじゃねえよ。つーか殺すな』
「……武器風情が俺に何を言っている。大体、何故殺すななどと言うのだ。力量差を見間違えたこのエルフが悪いだろうが」
『だとしたら、サクラに喧嘩を売るのはお前が悪いからか? お前、止めておけよ。負けても勝っても利益一つねえじゃん!』
わざとなまくらになった俺をへし折ろうとするジルディアスに、俺は反射的に棘を生やして抵抗する。ジルディアスの赤い瞳が怒りで歪むが、俺は全く気にせず滅茶苦茶に抵抗した。
ジルディアスは盛大に舌打ちをすると、俺を放り投げる。地面にでも転がそうとしたのだろう。だがしかし、忘れてはいけない。ここは、樹上である。
『は……?』
「……!」
思わず間の抜けた声を上げる俺に、ジルディアスは、一瞬の空白の後、思わず目を丸く見開く。
いつもの癖で、雑に扱おうとしたため、ジルディアスもここが樹上であることを失念していたのだ。
重力に従って空中に放り出された俺は、くるくると回転しながら地面に向かって堕ちていく。投げたのはジルディアス自身だというのに、彼は思わず俺に向かって手を伸ばす。
周りからしてみれば、ジルディアスが樹上から飛び降りようとしているように見えたのだろう。ウィルはジルディアスの名前を呼んで縄でできた策のような物を飛び越えようとしたジルディアスの足をつかむ。
伸ばした手が、空を切る。
ウィルにとめられたジルディアスは、樹上から地面に落ちることこそなかったものの、俺をつかみ損ねたのだ。
数秒後、俺は、地面に叩きつけられた。
【異世界転移について】
そもそも、転移とは相当不確定な事象である。異界からの迷い人ならば、次元の裂け目に運悪く落ちた人間が、運良く人間が生きていけるだけの環境と、裂け目で己を維持できさえすれば可能だろう。だがしかし、転移はそうはいかない。
例えば、摂理の違い。例えば、気候の違い。例えば、常識や言語の違い。例えば、内臓など体の器官の違い。例えば、気体の割合の違い。例えば、成分の違い。
生身の人間が転移した場合、まず、生きてはいけない。少なくとも、摂理の違いによって強制的に世界から排除され、即死亡することだろう。
しかし、転移するための肉体が与えられていた場合は、また別の話になる。少なからず、摂理にさえ適合できていれば、転移した直後に即死することはないためだ。
まあ、少なくとも、転移を可能とするだけの器を誰かが用意しなければならないため、知らず知らずのうちに転移するということは、まず起こりえないだろう。
__まず、起こりえないはずなのである。