38話 蘇る世界樹
前回のあらすじ
・ウィル「女装したのに、大半をカットされた」
・ジルディアス「女装するくらいならユニコーンの一匹や二匹殺す」
・ロア「湖底に何か黒いのがあった」
湖から上がってきたロアの手には、長いロープが握られていた。そして、困惑半分に湖底での出来事を俺たちに説明する。
生き物の居ない湖のそこにあった、禍々しい黒結晶。
「素手で触るのは少し危険そうな気がしてな」
ずぶ濡れの服を軽く絞りながら、ロアはそう言う。黒結晶のことを思い出したためか、ロアの長い耳が恐怖にピクリと揺れた。ルアノの耳も、ロアを心配してか少しだけ下がる。
「触らなくて正解だろうな。ロープか鎖か……とにかく、触らなくて済むものでこっちに結晶を持ってきてくれ。聖剣で砕く」
『お前の場合、聖剣が砕けるにならないよな?』
「黙れ魔剣。お前はお呼びでない」
ばっさりと言い捨てるジルディアスに、俺は思わず肩をすくめる。すくめる肩はないけど。
どうやら、黒結晶の破壊はウィルに任せるつもりらしい。まあ、適当な判断だろう。穢れの塊であるはずの黒結晶を壊すには、光魔法を使えるウィルが適任だ。やってくれる人がいるなら、任せるのが吉だろう。
指輪から長い金属の鎖を取り出したジルディアスは、それをロアに渡す。先端にえげつない棘球が付いていたが、一体本来はどう使うものなのだろうか?
流石に負傷しそうだと思ったらしいロアが鉄球を外す。そして、鎖を片手に再度湖に潜水していった。
一連の行動を見守っていたサクラは、首をかしげてジルディアスに問いかける。
「……アンタもストレージを持っているの?」
「すとれーじ……? いや、ただの魔道具だが?」
「……そう」
サクラはそう言ってすっと目を細める。何やら考え込んでいるらしい。
__ジルディアスは多分、プレイヤーじゃない。プレイヤーだったら、真っ先に行動と言動を改めるはず。
彼女はこの後のジルディアスの蛮行を知っている。そして、アニメ版の最後の惨劇を忘れるはずもない。だからこそ、ジルディアスは絶対にプレイヤーであるはずがなかった。
従者がいたなら、多分そいつがプレイヤーだろう。だがしかし、ジルディアスは現在、単独行動している。ゲームでもアニメでも、ジルディアスには従者がいなかった。なら、だれがジルディアスを操っている?
__転生者? 転移者? どちらにしても、そいつの思惑がわからないと、困るわね……
ぶっちゃけると、ジルディアスが第四の聖剣を抜いた時点で、彼のバッドエンドは確定している。
もしもジルディアスのそばにプレイヤーがいたなら、まずそこから変えるはずなのだ。もしもジルディアス本人がプレイヤーなら、第四の聖剣だけは絶対に引き抜かないはずなのだ。
だからこそ、分からない。
__アンソロジー既読者なら、ジルディアスじゃなくて弟のルーカスに聖剣を抜かせるはず……プレイヤーはゲームだけしかプレイしたことがない? それでも、ゲーム内でも示唆はしてあったし……にわか? 後は、巷に聞く【ジル様にさげずまれたい】人?
サクラは、最後の考えに、流石にそれはないかと首を横に振った。SNSでは割と狂気的な発言が目立った例のタグだが、あの手の人間は現実に居ればジルディアスに冷笑されるよりも先に首を切り落とされるはずである。死人にシナリオを変えられるだけの行動を起こせるはずがない。
__そう言えば、独り言が多いわよね、アイツ
巷では憑依系の転生なるものがあるらしいが、もしジルディアスに憑依転生したらどうなるのだろうか?
そこまで考えたところで、サクラは納得した。ジルディアスほどの自我と自尊心の持ち合わせた人間なら、憑依しようとした転生者の一人や二人の人格を噛み殺しそうである。
現時点では、ジルディアスに憑依転生した人間がいる、と考えるのが一番自然だろうか。
とはいえ、依然としてプレイヤーの思考が読めない。もしプレイヤーが邪な考えを……主に、ソードテールオンラインのシナリオを、バッドエンドに導こうとするのならば……サクラは容赦しないだろう。
__何で私がここにいるか分からないけれども……バッドエンドだけは絶対にさせない。
改めてそう決意しながら、サクラは短く息を吐く。
そうこうしているうちに、鎖を引きずってロアが湖底から戻ってきた。サクラはそっと肩を落とし、ロアが引きずってきたその黒の結晶を見て、眉をひそめた。
「……? 魔王の破片?」
そう呟いたサクラの声は、ジルディアスにしか聞こえなかった。
ロアが湖底から引き上げた黒結晶を、ジルディアスと俺は遠巻きに確認する。
黒結晶は、ほぼ球体の塊であり、色はどす黒い。どこかガラス質のような印象を受けるほどに透明感がある。
そして、黒結晶の内部には、まるで煙のような、靄のような、とにかく、表現のしがたい実体のない何かが、どくり、どくりと脈拍をうつかのようにうごめいていた。
『うわ何あれ、キモイ』
「……確かに気味が悪いな。魔力的には闇魔法にも近いが、穢れが含まれすぎていて闇魔法でもない。一番近いのは……ヒルドラインのあの黒竜か?」
『ああ、言われると似てるかも』
俺のあまりにも端的な感想に、ジルディアスもまた首肯しながら感想を付け加える。
形は違えど、なんとなく、この禍々しい感じはヒルドラインの黒竜の鱗に似ているような気がした。もちろん、こちらの黒水晶の方が何倍もお近づきになりたくない雰囲気を漂わせているのだが。
ジルディアスは軽く肩をすくめると、ウィルに言う。
「さっさと壊せ」
「えっ? 僕が?」
「ああ、そうだ」
困惑するウィルだが、ジルディアスの無言の圧力に屈し、首をかしげながらも聖剣を引き抜いた。白銀の刀身は、木漏れ日と水面から反射する輝きを浴びて、淡く白く輝いた。
「……あっちの方が聖剣らしい聖剣だな?」
『はー?! 俺の方がもっと激しく光れますけどー?!』
「貴様にあのような神々しさが出せるなら、ぜひ拝んでみたいものだな」
ジルディアスの嘲笑。あー、普通に腹立つ! 真似しようと思えば、できるぞ多分! 神々しくはないと思うけど!
くだらない言い争いをしている俺とジルディアスを置いて、ウィルは深く息を吐きながら、聖剣を構える。そして、短くつぶやく。
「……穢れを、払う。光魔法を剣にまとわせるイメージで……砕かずに、消す」
ぶつぶつとそう呟きながら、ウィルは聖剣を振りかぶり、そして、振り下ろした。
白く輝く光の軌跡が、黒結晶に向かって真っすぐと振り下ろされる。そして、一拍遅れて、空気の裂ける音が響く。
__キン
甲高く、澄み切った金属音。そして、次の瞬間には、黒の結晶の奥の奥、靄に見えていた箇所が、消えていた。
それは、光魔法ではない。ただ、穢れを払う、一撃。
「……。」
ただ無言で一連の動作を見ていたジルディアスは、振り下ろされた聖剣に、聖剣が立ち切った穢れに、一瞬だけ目を見開いたものの、数秒後には小さく歯ぎしりをして、ウィルから目を逸らす。
水晶を切断できたウィルは、緊張が解けたかのように「ふう」と一息つくと、聖剣を納刀した。
真っ二つになった水晶は、既に色を失い、ただの透明な水晶に変わっていた。
崩れていく水晶を見守るサクラ。そして、彼女はルアノに問いかける。
「今なら、湖を戻せるのじゃないのかしら?」
「! やってみる!」
ルアノはピクリと耳を動かし、湖面を見る。確かにまだ、湖面は黒色の油膜に覆われているものの、湖底から滲みだすあの穢れはなくなっていた。
世界樹の木の枝でできた杖を握り締め、ルアノは祈るように目を閉じる。
「光の精霊様。どうか、私に力を貸して」
ざわりと、神域の森を風が通り抜ける。
もはや、神域の湖のそばにいる誰もが、口を開くことができなかった。
淡い光がルアノのそばに集まり、その長い緑の髪の毛を揺らしながら、膨らませる。そして、世界樹の木の枝の先、琥珀でできた発動体に眩く集う。
そして、ルアノは呪文を詠唱した。
「穢れを払い清め、精霊の揺り籠を、私たちの心のよりどころを、世界樹を救いたまえ。__光魔法真位【ピュリフィケーション】」
次の瞬間、まばゆい光が、湖を照らした。