20話 猛る竜、やる気のない勇者
前回のあらすじ
・オルス「がるあああああああ!」
・ジルディアス「殺して良い?」
・恩田「止めろ」
突然不機嫌になったジルディアスは、舌打ちをして俺に言う。
「たわけ。深度3に至っているなら、そもそも治らんではないか!」
『いや、まだ、あの竜に理性が残ってるから、ワンチャンある!』
「やかましい! ああクソ、腹が立つ! 何故また光魔法なんだ!!」
腹立たしそうに怒鳴るジルディアスは、いら立ち紛れに魔法を展開する。
「風魔法第4位【ウィンドステップ】!」
『うぉっ?!』
詠唱とともに、ジルディアスの足の下に風魔法が展開される。本来なら、地面を蹴る力を風が助け、少しだけ早く動けるようになる魔法であるが、ジルディアスは魔力を多めに込めることで垂直跳びの高さを強引に上げていた。
文字通り空を駆けるようにして宙に浮かび上がったジルディアスは、何の容赦もためらいもなく、馬鹿でかい両手剣……バスターソードを振りかぶると、体のひねりを加えながら黒竜に向かって振り下ろす。
突然の乱入者に、赤の竜も黒の竜も対応することができず、黒の竜は無防備なままにその横っ面をバスターソードの腹で殴打される。
黒竜がひるんだところを見逃さず、ジルディアスは連続して呪文を唱える。
「【ウィンドステップ】、闇魔法第8位【グラビティ】」
連続で魔法を発動した、次の瞬間。黒の竜が苦し気な悲鳴を上げて地面に叩き落とされる。なお、横で情けない悲鳴を上げて、土下座じみた墜落をしたメイスは見なかったことにする。
ドラゴンは、その巨体が故に、空中でバランスを崩すと巨体の自重を立て直しきれず、墜落する可能性が高い。
そのため、基本的にドラゴンと戦う、もしくは、ドラゴンから町を防衛する際には、広げられた翼を狙うのだ。翼に攻撃を当てられれば、もしかしたら空中でバランスを崩し、そのまま落死してくれる可能性がゼロではないからである。
しかして、ジルディアスは、黒竜の翼を切り落としはしなかった。単純に届いても深く切り裂けない、ということもあったが、理性のない竜が翼を傷つけられ、そのまま空中で体制を持ち直せるかと考えたとき、ムリな可能性が高いと瞬時に判断したのだ。
いくら頑丈な竜とはいえ、空中から落下すれば、普通に首の骨を折る。つまり、いくら翼があっても、落死するときには落死する。一応、聖剣に『殺さない』と伝えているため、魔力は使うものの、闇魔法で重力を操作して竜を落すという、幾分か手間のかかる方法をとっていた。
「風魔法第2位【ホバリング】」
風の魔法で着地の衝撃を緩和し、地面に叩き落とされて首を垂れる形となった黒竜は、憎々しげに低く唸り声を上げる。口から漏れ出る黒色の炎は、凄まじい熱波とともにジルディアスを威嚇するが、当の本人は軽く無視していた。
実のところ、グラビティでとらえられてしまうなら、後は特に注意すべきことも無かった。魔力抵抗の高い者や、単純に体力や筋力のあるものなら、グラビティの魔法を跳ね返すこともあるが、黒竜に理性がないこと、聖剣をへし折った影響でステータスが二倍になっていることとで、ジルディアスは、竜さえも屈服させる魔術の行使を可能としていたのだ。……まあ、おまけでメイスが「なぁぁあああああ!」とよくわからない悲鳴を上げているのだが。
「さて、魔剣。手が届く位置まで落としてくれたぞ? 低級魔法すらまともに使えん貴様が何をするつもりだ?」
『あー、いや、うん、何でお前がそこまでイライラしてんのかは知らないけどさ、そのまま竜を地面に縛り付けておくことってできる? 最低でも、ヒルドラインにいる光魔法使いを呼べるくらい』
「無理ではないが……何回貴様をへし折ればいいだろうな?」
『それで済むなら頼む。事情説明は頼んだぜ? 俺はしゃべれてもお前以外には聞こえていないわけだし』
「まことに使えぬ魔剣だな、貴様は」
他力本願を表明した俺に、ジルディアスはあきれたように言う。そして、ついでとばかりに俺をへし折った。普通に痛い。
そして、長期戦必須であるためか、バスターソードを指輪にしまい、金属製のロッドを取り出したジルディアスは、どっかりと地面に座り込んだ。
「まっ、ちょっ、その、ローブをまとっている人族のオスの方!!」
座り込んだジルディアスに、ほぼ土下座に近い形で地面にめり込んでいるメイスが声をかける。おい、正気か? ドラゴンだから種族観念が違うのはわかるが、機嫌の悪いジルディアスにそんなことを言うなど、理解できかねるぞ?
俺の心配通り、大変機嫌の悪いジルディアスは、メイスのその言葉に眉を顰めると、盛大に舌打ちをして言う。
「黙れメスドラゴン。俺は今、機嫌が悪い」
「あああああ、ちょっ、重い! 若干力強めるのやめて!!」
「若干でなければいいのか? 隣の黒竜を殺さん程度に抑えていたが、本気を出してやろうか」
「やめてください、しんでしまいます!」
思わず敬語になったメイス。割と切実な響きだったことが、現状のきつさを物語っている。情けないメイスの姿に、ある程度機嫌がマシになったのか、ジルディアスはメイスを鼻で笑うと、手に持っていたロッドを地面に下げる。彼が見事な外道スマイルを浮かべている今、どっちが悪役かよくわかったものではない。
文字通りドラゴンを完封したジルディアスは、土下座の姿勢から起き上がろうとウゴウゴしているメイスをちらりと眺めてから、ひくりと眉を潜ませ、問いかけた。
「で、何の用だメスドラゴン」
「あ、話は聞いてくれるのね。とりあえず、グラビティを解いてもらえる?」
「隣の黒竜が解き離れてもいいなら考えてやらんことも無いが?」
「あー……なら、このままでいいか。そのー、隣の竜は、まがいなりにも私の父なので、私に介錯させてもらえるとありがたいのですけど……?」
「……なに、魔剣がまだ治せると言うのでな。ヒルドライン街から光魔法使いが来るのを待て」
あっさりとそう言ったジルディアスに、メイスは何を言っているんだコイツ、と言う表情を浮かべた。現状ドラゴンのままであるというのに、目は悠然と彼女の感情を露わにしていた。
「えっと、人族にも、剣としゃべれるっていう人がいるんですね? うちの村のメリアちゃんもお人形とおしゃべりしていましたし……」
「……闇魔法第8位【グラビ__」
「わーわー! すいませんでした! 止めてください!」
ドラゴンの姿で見事な土下座を披露するメイス。ジルディアスは憮然とした表情で呪文を途中で放棄すると、流石に哀れになってきた。というか、俺以外に意識のある剣とか武器とかいないのか。
するずると地面を這い、グラビティの効果範囲から逃れようとするメイスを無言で観察するジルディアス。その間にも、黒竜の崩れた叫びは聞こえていた。
『何があった?!』
『これで娘を殺さずに済むのか?』
『何だ、アイツは何だ?』
『こいつはな……一応勇者……のはずなんだけどな』
「突然口をきいたと思えば何だ魔剣」
額に青筋を浮かべたジルディアスは、次の瞬間、俺をへし折った。あ、折れた切片を地面でゴリゴリこするの止めろ、地味に痛い!
俺の言葉が届いたのかどうなのか、黒竜の叫びが止む。黒く淀んだ瞳がずるりと俺を見る。一瞬その眼光にひるみかけた俺だが、言葉が通じているような気がして、さらに言葉を続けた。
『まだ、意識を保っていてくれ。光魔法なら、貴方を癒すことができる』
『……無理だ。もう、時間がない。耐えられない。このまま殺してくれ』
『娘さんをおいて逝くつもりか? もう少し待てよ。きっと治る』
『無理だと言っている! もう俺は言葉すら紡げない! 娘を見ても、殺意しか抱けない! このまますべてを破壊してしまうくらいなら死んだほうがマシだ!』
叫ぶ黒竜。もうすでに雨は時折雫を一滴か二滴降らす程度で、黒竜を戒める天の恵みは尽きようとしていた。黒竜の絶叫に混ざる、ノイズにも似た雑音。限りない無力感が、俺を襲う。
『頼む、頼むから、もう少しなんだ! もう少しで、アンタは助かるんだ!』
『無Riだ! 早くkoろせ! 今なら殺せrUだろu?!』
黒龍の声に、ノイズが交じる。崩れていく理性に、感情が溶け落ちていく。純粋な叫びさえ溶かされ、黒に染まりかけている。気が付いても、俺には何もできない。見えていても、何もできない。
どうして。何故。
何で俺には口がないのだろう。何で俺は今、壁の上にいる人々に、助けを叫べないのだろう。
何で、俺には足がないのだろう。何で俺は今、ここから走って彼を助けられる人を探しにいけないのだろう。
何で俺に手がないのだろう。何で俺は今、目を背けたいこの現状を手で覆い隠すことができないのだろう。
『何で、どうして俺は今、何もできないんだ……! 今しかないのに、今しかチャンスはないのに……!』
零れ落ちる本音は、もはやジルディアスにしか届かない。
黒龍の叫びは濁り、もう、そこにはノイズしかない。崩れ落ちていく言葉に、理性。もう、声は聞こえない。
その時、ジルディアスは俺の柄をへし折った。
『いっだ?! 何すんだよ?!』
「いい加減黙れ。貴様、俺にない才能を持っていながら、下らんことを吐くな……! 貴様は何の魔法を使える?!」
いら立ち紛れに砕け散った金属片を手で払いながら、ジルディアスは俺に怒鳴る。そして、同時に魔力を注ぎ込んだ。
「とっとと治れ。そして、使え。魔法を」
『は……? 俺には何も……』
「たわけ! 貴様、光魔法が使えるだろうが!!」
『いや、俺の光魔法、レベル1だから……』
「やってもいないくせにハナから諦めるなと言っている!」
ジルディアスは腹立たしそうにそう怒鳴ると、俺を黒の竜の目の前に突き立てた。ザクリと音を立て、地面をえぐる剣先。そして、ジルディアスは俺に問うた。
「貴様がこの竜を見捨て俺がこの竜を屠るか、貴様が治すか。二つに一つだ。待機と言う返答はない!」
『……!』
突き刺さる言葉に、俺は思わず息を飲んだ。
あまりにも強引な、横暴な言葉だった。だが、ジルディアスの言葉で俺の感情は、安定した。
わからない。俺が彼を治せるかどうかなど。だとしても、今から光魔法の使える魔導士が来たところで、間に合わない。もう、やるしかなかった。
『救えるかは、わからない。でも、救うって決めたんだ』
「そうだな。そら、さっさと直せ。俺も気は長いほうではない」
『治すの漢字、違くない? 【ヒール】』
思わず突っ込んだせいで、妙に締まりのない状況に早変わりする。少しだけ気まずく顔をしかめてから、俺はヒールを行使した。
淡い光が、黒の竜を包み込む。
次の瞬間、竜は、高く咆哮を上げた。