16話 魔道具制作基礎
前回のあらすじ
・阿鼻教授「向上心のある馬鹿は嫌いではない!」
・恩田「接近戦に限ってはジルディアスより強いまであるぞ……」
体育学の翌日。魔道具制作基礎では、ポーションづくりを学ぶため、比較的多くの学生が大実験室に集まっていた。
阿鼻教授の鬼講義のせいで全身筋肉痛の俺は、到着が遅かったためか一番後ろの方の席しか取れなかった。講義室を見回せば、一番先頭の席にギルダが座っているのが見えた。講義室内は時々筋肉痛でうめき声をあげている学生がちらほらと見える。元気だなぁ、彼女。
俺がそんなことを考えながら、アレン師匠からもらった講義の開始時間ギリギリに講義室へ駈け込んで来た。
普段運動しないためか、かなり激しく息切れをしながら、アレン師匠は右手の指輪を使って後ろからついてきていたらしい空飛ぶ絨毯……というにはサイズが小さすぎるため、便宜上空飛ぶ風呂敷とでも言うべきだろうか……をせかし、深々とため息をつき、口を開いた。
「少し遅くなった。薬学のハイネス教授は後から来る予定だ。まずは、材料購入済みの学生に材料を配布する。学籍番号を呼ばれた学生からとりに来るように」
そう言ってアレン師匠はふらふらと重たそうに飛んでいる空飛ぶ風呂敷を引っ張り、手近な机に素材を並べていく。素材の大部分は新鮮なものなのか、まだフレッシュなハーブのような香りが漂っている。
彼が材料の配布を行っているところを見て、少し離れた席のミハエルがかすかに反応を示す。しかし、とくに声を出すまでもなく、いつもと変わらずおつきの女性とイチャイチャしだした。
学費をジルディアスに支払ってもらっている俺は、素材などは申込書をかいて購入する方を選んだ。頑張れば採取できなくもない素材がまあまああるが、誤採取が怖いし、何よりも勉強の方に時間を割きたい。
学籍番号を呼ばれ、俺はさっさと今日使う素材を受け取りに行く。
疲れ切った様子のアレン教授から手渡された素材は、『乾燥チコリ』と浄化水。それを受け取った俺は、思わず首を傾げた。
「あれ? 乾燥してるのと生のと両方配っているんですか?」
俺のその質問に、アレン師匠は深々とため息をついて、口を開いた。
「……まあ、いろいろあってな。後で説明する。」
そっと目をそらしながら言うアレン師匠。なんとなく、何らかの事情があるのだろうと判断した俺は、小さく肩を竦めて自席に戻る。
購入者に素材を配り終えたアレン師匠は、遅れて到着した緑色の髪をゆるいみつあみにした老年の女性……ハイネス教授の方を見て口を開く。
「すみません、こっからはお願いしていいですか?」
「ええ、準備ありがとうね、アレン君。では、若葉諸君、講義を始めるわよ」
朗らかに笑んだ老女は、新入生である俺たちを『若葉』と呼びながら、教壇に立つ。どうやら、今回の講義はアレン師匠はメインではなく、あくまでも補助的な立ち位置であるらしい。
魔王ジルディアスに原初の聖剣ウィルドという厄ネタを抱え込んだ現在のフロライトにとって、ポーション不足は結構致命的だ。学べることはできるだけ学びたい、と俺も思うが、それ以上に、この講義を心待ちにしていた彼女がいるらしい。
きゅ、と、こぶしを握り、目をキラキラとさせながら教壇に立つハイネス教授を見るギルダ。彼女の瞳は、あこがれと感動と同時に、確かな野心が満ちていた。
老年のハイネス教授は、にこにこと朗らかに笑みながらも、講義自体はかなりてきぱきと進んでいく。
今回のポーションづくりに必要な素材は、『チコリ草』と『精製水』、『魔石』の三つだけ。あとは加工用の小鍋と封入用の小瓶があれば普段使い用のポーションは作れる。……もちろん、販売されているポーションは、それ以外にも防腐加工がされていたり、日光で薬効がだめにならないよう瓶そのものにも工夫があるわけだが。
乾燥しているか生のチコリ草をよく洗ってから細かく刻み、水魔法の『ピュリフィケーション』で完全に浄化した精製水に漬け込む。そして、適当な魔石をザラメくらいの大きさに砕いて下準備は完了だ。
優秀な学生たちばかりのこの教室では、下準備程度すぐに完了してしまう。自炊をあまりしてこなかった俺が一番最後まであるぞ、これ。
この程度の下準備程度秒で終わらせたギルダは、既に次の作業の用意を始めている。彼女は何やらハイネス教授に声を掛けられていたため、別の課題も与えられているのだろう。
すべてのテーブルの下準備が終わったところで、ハイネス教授は小さな加熱用の魔道具の前に立つ。
そして、口元にえくぼを作りながら、朗々と手順を口にする。
「若葉の皆様。とても手際が良いですね。中には作業をほかの若葉に押し付けた方もいたようですが、まあ、実際の調薬作業ではまれにあることです。__とはいえ、すべてを他人にさせたら、単位は認めませんからね」
しっかりとくぎを刺す彼女の言葉に、ミハエルは特に表情を崩しはしない。まあ、王侯貴族もそこそこ通っている学校ではあるため、何人か該当生徒はいる。そういった彼らは、どこか罰の悪そうな表情を浮かべたり、不愉快そうに眉をしかめたりと多少の反応は示していた。
そんな彼らの様子を特に気にすることもなく、ハイネス教授は次の作業の手順を説明する。
「次の作業は加熱です。良質な魔石を用意したので、よっぽどのことがない限りポーションにはなるでしょう。魔法の才能的に調薬が一切できない若葉には別の課題を用意していますので、とりあえず、今回はすべての若葉に調薬を行ってもらいます」
彼女はそう言って、チコリ草と水の入ったフラスコを、コンロのような魔道具の上にのせる。
遠い席であるここからでは、彼女の手元はよく見えない。それでも、フラスコの底から反射する光を見る限り、かなりの弱火であるようだ。
薬学に少しでも興味のある学生は、最高峰の薬師であるハイネス教授の一挙手一投足を見逃さないために目を大きく見開き、彼女の一言一言を刻み込むよう手元のノートにペンを走らせる。
漂う加熱された薬草の胸のすくようなさわやかな香り。老齢な彼女は、真剣な学生に笑顔を浮かべ薬草の説明をしながら、それでも、その行動の一つ一つに無駄などなかった。
薬草から薬効が溶け出し、浄化された水に若葉よりも少し濃い緑色が移りだす。同時に、沸騰に近づいたのか水蒸気の泡がフラスコにつき始めたちょうどその時、ハイネス教授はコンロのような魔道具の火を止めた。
「はい、うまく薬草から抽出が完了すれば、この通りの色になります。調薬の才能がまるでない方でもこの工程まではできます。この状態でも弱い薬効がありますが、効果は3~4日程度で完全になくなってしまうので、保存はできませんし、回復魔法の【ヒール】のような即時性もありません。ですので、魔石を使ってこの抽出液の効果を定着し、強化していきます」
そう言って彼女は砕いた魔石の入った小さなガラス皿を生徒たちに軽く見せる。
「錬金術のスキルを持っていて、普段から調薬を行っている若芽の方でしたら、特に詠唱なく加熱した抽出液に魔石を入れるだけでポーションができるでしょう。ですが、この場には錬金術のスキルを持っていない若葉も多くいるはずです。そこで、詠唱込みの調薬を実演しますので、真似してみてください」
ハイネス教授はそう言って、ガラス棒に金色の刻印を刻んだらしいマドラーを右手に、詠唱を開始する。
「錬金術第一位【定着】」
短い詠唱。同時に注ぎ込まれたわずかな魔力と、砕いた半量の魔石。緑色の抽出液は、魔石と魔力でゆっくりと変色し、黄色が失せて青色に変わる。普通に売っているHPポーションのうち、廉価版は大体こんな色だ。
そして、ついで即時回復の効果を追加するための詠唱を行う。
「錬金術第二位【付与Ⅰ】」
鮮やかな腕前。繊細な技。語彙力の少ない俺では、彼女のその妙技をそう例えるほかなかった。
「ハイネスばあさん……ばあさんのくせに、錬金術師として衰える気配もねえんだよな……」
「! アレン師匠」
資材を配り終え、手持無沙汰となったらしいアレン師匠が、俺の隣の空席に腰を下ろす。
……調薬と刻印は、方向性が全く異なるようにも思えるが、実際のところ、どちらも【錬金術】に他ならない。
刻印のエンチャントは、今ハイネス教授が使用した詠唱と効果にたいそうな違いはない。大きな違いは、物理的な刻印の有無くらいなものだ。そして、【バイタリティ】をはじめとする強化魔法とは方向性は同じ割にかけ離れている。
「……魔法を物体に付与する、って、口にするのは割と簡単だけど、正直わけわからないんすよね。だから、ハイネス教授の講義はめちゃくちゃ参考になる」
「お? 刻印は余裕のつもりか?」
「そんなわけないですよ。……昨日見ましたけど、阿鼻教授の身に着けていた弱体刻印、アレン師匠が作ったやつですよね?」
ハイネス教授のポーション生成の様子を見逃さないよう、アレン師匠の方を見ず、俺は問う。正直、ほぼ直感ではあったものの、なんとなく確信していた。あんな代物を作れるのは、アレン師匠くらいだと。
阿鼻教授との手合わせで、彼がフィジカルだけならジルディアスを上回る存在だと理解していた。そんな阿鼻教授に、生半可な魔道具が通用するはずがない。ついでに、同じ効果の魔道具を複数同時に装備しても、互いに干渉することなく効果を発揮していた。それは本来、結構難しいはずなのだ。
俺の問いを聞いたアレン師匠は、喉の奥でくつくつと笑いながら口を開く。
「まあな。まさか、阿鼻教授が俺が学生時代に作った弱体の装備いまだに身に着けてくれているとは思ってもいなかった」
「……あんなの、一つでも一般人が身に着けたら指一本動かせなくなるくらい弱体化しますよ。正気じゃない」
「言っておくがユージ、お前の刻印も大概頭おかしいぞ? つーかお前、あの箒の刻印解析したけど、安全用の刻印有余ゼロは正気じゃね__」
「講義くらい静かに受講なさい、アレン!!」
がたん、と席を立ち、俺に臨時刻印講義を始めようとしたアレン師匠の後頭部に、出来立てのポーション瓶がクリティカルヒットする。ぱりん、と高らかな音が響き、ガラスとあっつあっつの青色のポーションたアレン教授の頭髪を濡らす。
中身はポーションだから大丈夫だろうと__ついでに、微妙に感じられるハイネス教授の殺気から本能的に__バリアを展開はしなかったが、アレン教授自身も何ら頭の攻撃がぶつかったのは完全に予想の範疇外だったのだろう。一瞬遅れて、「あっつ!!!」と悲鳴を上げ、頭を抱える。
深々とため息をついたハイネス教授は、青色のポーションの入ったビーカーをそのままに、口を開く。
「アレン、あなたは学生時代から刻印のことばっかりを錬金術だと思って。いいですか、調薬も刻印も併せて一つの錬金術です。若葉たちの教育に悪いことをしないでください」
「と、突然の暴力は教育に悪くないと……???」
「愛の鞭です。そして、アレンの隣の若葉、あなたも同様です。授業に関係のない私語は慎みなさい」
ガラスで切ったにも関わらず、ポーションの回復能力で単純に血で汚れているだけの頭をハンカチでぬぐいながら、アレンはただ肩を竦める。俺もアレン師匠につられて肩を竦め、「はーい」とおとなしく返事をした。ろ過工程を踏まえ完成したポーションは一度投げられたため、おそらく次飛んでくるのはろ過した後の廃液か切るときに使っていた包丁のどちらかだ。
俺の返事を聞いたハイネス教授は、小さく肩を竦めると学生たちに向けて言う。
「さて、初級ポーションの作り方は、説明した通りです。エンチャントの工程は才能が関わってきます。良質な材料を用意しているので、才能がない方以外は成功すると思われますが、集中していないとろくなポーションが作れません。若葉の皆様。まずは、回復可能なポーションを作るところから始めてみましょう」
老女は優しく微笑んでそう言うと、学生たちにポーションづくりの続きを促す。
砕けたガラス片を拾っているアレン教授を横目に、俺も再び自分で作った薬草と生成の混合物を見る。
「アレン師匠、乾燥してるチコリ草も生のと同じように加熱して大丈夫なんですか?」
「うん? ああ、まあな。ただ、生のチコリ草より薬効抽出速度が速いから、やや火加減は強めにした方がいいぜ。魔石を混ぜるのは沸騰直前くらいの温度の時にしておきたいからな」
ゆっくりと元の形を取り戻しつつある乾燥チコリ。ハイネス教授が実演に使っていたのは生のチコリ草だった。
HPポーションは、光魔法使いのいない村や騎士たちには必要な資源だ。俺一人が作れるようになるだけでは力不足。少なくとも、教えられるようになるくらいには身につけないといけない。
そう決意しながら、魔道具のコンロの上にビーカーを置き、アレン師匠のアドバイス通り実演よりも少し強めの弱火でビーカーを加熱する。
透明な水に染み出す緑色の薬効。若葉色よりも少し濃くなるその直前に沸騰直前まで持っていけたため、その時点で火を止める。
床掃除を手早く終わらせ、割れたガラスを空飛ぶ風呂敷に持たせたアレン教授は、俺のポーションづくりを見て「手際良いな」とつぶやく。どうやら、ここまではうまくできているらしい。
そして、左手に砕いた魔石の入った器を取り、錬金術の詠唱を口ずさむ。
「錬金術第一位【定着】!」
__そして、次の瞬間、俺のビーカーは爆発した。……なんで?
【チコリ草】
ポーションによく使われる薬草。採取自体の難易度は低いが、栽培はかなり手間がかかる。モロヘイヤみたいな見た目だが、味はミントとからしを混ぜたような味。おいしくはない。