15話 鬼と祓魔師と薬師の卵と
前回のあらすじ
・薬師志望の少女ギルダとの出会い
・体育学の教授がやばい
月の国出身の阿鼻教授の壮大な自己紹介の十分後。第二運動場は地獄の様相を呈していた。
転がった学生たち。地面に突き刺さった各々の武器。阿鼻教授のやさしさか、防具破壊や武器破壊は行われなかったようだが、自信満々だった学生たちの心は木っ端みじんに破壊されていた。
そして、運動場の中央。汗一つかいていない阿鼻教授は、俺以外誰も立っている者がいないところを見て首を傾げ、一言。
「なんだ、今年はこの程度か。つまらん」
絶句する俺をよそに、阿鼻教授は大あくびをしてから転がっている学生たちに「十分後再開する」とだけ宣言し、赤と黒の混ざった瞳を俺に向けた。
「死傷者は?」
「負傷者22名。いずれもヒールで治しましたが、ヒールじゃ心の傷までは治せないかと」
「何を。多少強めに攻撃したのは野郎だけだ。この程度の組手で心が折れる軟弱物など、話にならん」
「ええぇ……」
俺の口から力ない声が漏れる。
確かに、女子生徒に対しては多少手加減していたようだが、それにしたって情け容赦はなかった。ギルダも疲れ果ててぶっ倒れている。負傷はしていないようだが、魔力は底まで使い切ったらしい。
魔法で水を作り、それを一息に飲み干した阿鼻教授は、思い出したように俺に言う。
「そういえば恩田。貴様とはまだ手合わせが済んでいなかっただろう。装備が万全ではないとは思うが、やるか? 貴様の場合は攻撃を当てても単位取得を認めるわけにはいかないが……」
「だめなのか?」
「ああ。お前は戦いに慣れているだろう? なら、襲撃者どもから生き延びることなど容易なはずだ。よって貴様の単位取得目標は【襲撃から学生たちを守る側】として設定させてもらう」
「……単位数は変わらないのに難易度は変わるのですか?」
思わずそう聞いてしまった俺に、阿鼻教授は心底不思議そうに首をかしげる。
「何を言っている。どちらかというと俺は貴様以外の学生に申し訳ないとすら思えるのだぞ? 貴様だけ同じ時間で一つ格上の講義が金を払わずに受講できるのだ。それなりに戦力があるところを見るに、別に研究職で一生戦わなくてよいわけではあるまい?」
「!」
今この場で単位をくれてやっても、上位講義を受講できるのは一年後だからな、と言葉を続ける阿鼻教授。その言葉に俺は思わずハッとして目を見開いた。
ぶっちゃけジルディアスの下で働くとなると、荒事から逃れることはおそらく無理だ。そうでないとしても、祓魔師として活動を続けるシスさんを守るためには戦力は必要不可欠だ。
体育が必修科目で学ばなければならない以上、早めに次の工程を学べるのは、かなりのアドバンテージになることだろう。
それが分かった時、俺は迷わず阿鼻教授に言っていた。
「魔法縛りの体術教えてください。死なずに相手に触れればぶっちゃけ俺の勝ちになれるんですけど、武器持ち相手に素手で立ち向かうのに慣れていないんです。守りてえ人を守るために、死なない戦い方を身に着けたいんだ!」
ぐ、と、こぶしを握り言った俺の言葉を聞いた阿鼻教授は、かっかっか、と、腹の底から楽しそうに笑う。そして、身に着けていた装飾品の多い部分鎧を外し、再度竹刀を構える。……うん?
俺の背筋に、汗が一筋流れる。
なんか、嫌に、迫力ないか、この教授?
「向上心のある馬鹿は嫌いではない。いいだろう、恩田! その心意気に応えてやろう!」
心底楽しそうに言う阿鼻教授の体から、魔力の変化に鈍い俺でもわかるほど、あからさまに発せられる魔力量が増えていた。たとえるなら、夜闇のバフのかかった、ジルディアスのように。
重たい首輪のような悪趣味な金のネックレスを投げ捨てるように外しながら、阿鼻教授はぽつりと「弱体の刻印はやはり窮屈だな」とつぶやく。その言葉につられて、先ほどから阿鼻教授が脱ぎ捨てていた豪華な装飾のある部分鎧を見る。そして気が付く。派手派手しいほど大量につけられた宝石のすべてに、デバフとなる刻印が刻み込まれていることに。……マジで?
「や、やっぱ、魔法ありでいいっすか……?」
「だめだ! 一度魔法を使うごとに、ペナルティとして手合わせの時間を3分増加する!」
「うっそだろ、俺、祓魔師だぞ?! 回復魔法ナシは流石に……!」
「なるほど、祓魔師だったからあそこまで的確に防護壁を展開できたのか。それはそうと、回復魔法は構わん。__ただし、その場合、多少の負傷では手合わせは終了させん。魔力が尽きるまで回復魔法を使って戦闘継続をしろ」
「お、鬼!!」
「そうだが?」
無慈悲な阿鼻教授のセリフ。
そして、一方的に俺がぶちのめされるだけの手合わせが開始された。
手合わせでかなり消耗したギルダは、それでもこっそり持ってきていた自作のポーションのおかげで、ほかの学生よりも早く復帰していた。
そして、彼女は恩田と阿鼻の人間離れした……いや、後者は人間ではないのだが……手合わせを茫然と見つめることしかできなかった。
エンチャント一つない安っぽい竹刀が、甲高い音を立てながら空気を縦に切り裂く。恩田の左半身を狙ったその一撃に、軽装の彼は悲鳴を上げながらもギリギリで回避を成功させた。
「うぉぉぉおお!??!!!」
「そこは逃げるな! 前に足出せ!」
「無理だろ死ぬわ!!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎながらも、恩田は戦闘を継続させている。
地面に向かって振り抜かれた竹刀の剣先を丈夫ななめし皮で作られた靴で踏みつけ、握りしめたこぶしで一撃を狙う。
武器を使えなくさせるその判断を見た阿鼻は、即座に竹刀から右手を放し、クロスカウンターとばかりにストレートを差し込む。
互いに回避不能な、同時攻撃。
肉と骨をうつ鈍い音が二つ響き、恩田の体が吹っ飛んだ。……さすがの阿鼻も、顎にきつい一撃を食らったためか、軽くたたらを踏んだ。
下手ながらも地面に転がり、受け身もどきを取った恩田に向かって、容赦のない阿鼻の腹狙いの蹴りが迫る。
その蹴りに対し、恩田は地面に手を付け、腕の筋力で体を跳ね上げさせることで直撃は免れる。それでも、編み上げブーツの足先がかすめ、恩田の引き締まった腹筋をえぐった。
苦痛で表情を歪めながら、恩田は左腕に魔力を回して回復魔法を発動させる。もはや呪文を詠唱している暇などはない。
当然のように無詠唱で発動する回復魔法に、阿鼻教授は驚きもせずに攻撃を続行する。魔法発動中はどうしても隙になってしまうため、そこを逃す手などなかったのだ。
左手だけで竹刀を操り、脛をしたたかに打ち据える。骨と竹のぶつかり合う音に、恩田の鈍い苦鳴が混ざる。
これが決定打だった。
苦痛のあまり動きの鈍った恩田の襟首を、血管の浮いた阿鼻の右手が捕まえる。
次の瞬間、恩田は瞬く暇も逃れる暇もなく、背中から地面にたたきつけられた。
阿鼻がそのすさまじい筋力で、片腕のみの背負い投げをしたのだ。
「がふっ……!」
肺から息が押し出される、湿った声。動きやすそうだった白い綿のシャツは、汗と泥で汚れてしまっている。たたきつけられたときに後頭部を打ったのか、追撃に備えるために即座に立ち上がろうとした恩田は、うまく立ち上がれず、そのまま第二運動場の地面に卒倒した。
目の前が白く瞬く。阿鼻の凶悪なまでの暴力に、ギルダは腹の底からの恐怖を覚えた。
……今まで、ゴブリンが殺される様や悪人が縛り首になるところを見たことがあった。それでも、ここまで鮮烈な戦いは、ここまでの残酷さは、見たことがなかったのだ。
すぐには立ち上がれないらしい恩田を見下ろす阿鼻は、まだ戦闘を継続する意思のある恩田に少しばかり感動を覚えながらも、冷たく宣告する。
「……今俺が持っているのが刀であれば、脛に刀が当たった時点で勝敗は決まっていた。もっと間合いを意識しろ。__ほら次だ、立て!」
「ごめん、ちょっとタンマ……目ぇ回って立てねえ……」
「ならば死ね!!」
「おいマジかよ!! 【ファストバリア】!!」
容赦のない阿鼻の声。その直後、竹刀が振り下ろされ、ほぼ同時に黄金の障壁が展開される。
甲高い音とともに、殺意の含まれた一撃は防がれる。
黄金の結界の中で避難がましい視線を阿鼻に向ける恩田と、しれっとした表情で恩田に「回復魔法以外の魔法を使ったな。3分追加だ」と言い切る阿鼻。一拍遅れて、間の抜けた恩田の悲鳴が響く。
すさまじい速度かつ正確さの魔法展開に、ギルダは目を見開いた。
彼女は知っていた。魔法が使えることと、その魔法を戦闘に使うことは別であることを。
【ファストバリア】は、光魔法の中でも比較的低級な部類の魔法だ。そして、それは彼が先ほど無詠唱で行使していた【ヒール】も同様である。
高度な魔法を使えることが戦いにおいて重要かと問われると、そうではない。結局魔法を行使する速度こそが、そして、一つ一つの魔法のクオリティこそが、戦いの勝敗を左右する。……つまり、熟練度こそが、正義だった。
そんな中で、恩田の魔法の熟練度は、一流を優に超えていた。
戦闘中に行動を阻害しない無詠唱回復魔法。即死になりかねない強撃を防ぐための短縮詠唱結界魔法。それらを、ほぼノータイムで発動している。
__まるで、魔法を自分の手足みたいに使っているわ……!
武術を使いこなす阿鼻とは対極的に、恩田は魔術を……光魔法を使いこなしている。今回は恩田自身が武術を学びたいがために魔法を制限している訳だが、もしも、まったく制限がない状態だったのなら、二人は、いったいどんな戦いをするのだろうか? ……そして、その戦いに巻き込まれたら、己は、生き残れるのだろうか?
少しずつ意識を取り戻した学生たちが増えていく中、ギルダは、その場から動くこともできず、一分と立たず再開された二人の手合わせを見つめていた。
体育の講義が終わるころには、俺の服はズタボロになっていた。ありがたいことに、ギルダがわざわざ購買に服を買いに行ってくれていたようで、泥まみれ汗まみれ血まみれで次の講義を受講するのは免れたが、それにしたってあの教授はヤバすぎる。
明日襲い来るであろう全身筋肉痛に恐怖を覚えつつ、今日最後の講義である天文学の講義を受講する。シラバスを見る感じ、星の見方やら季節による属性魔力の上昇効率やらの基礎を勉強するらしい。
ぶっちゃけ夜になるとバフのかかるジルディアスとかいうバグを見ていると、時期による属性魔法の強化効率とか正直どうでもよくなる。だがまあ、単位は欲しいし、光魔法の講義の推奨講義として天文学があるし、時間も余っている。シラバスを見る限り定期試験もない。評価はレポート提出だけみたいだ。単位目的で受講しよう。
白髪頭の教授が黒板に文字を書いていくのを見ながら、俺は左腕の刻印を指でなぞる。アレン師匠に手直ししてもらった刻印は、そう簡単には暴発しないよう、魔石を砕いたインクで入れ墨を施してもらった。さすがのアレン師匠は、俺の腕という普段は刻印しない素材に対しても一発できっちりと刻印を成功させていた。俺でもうっかりすると2,3回は爆発させるからなぁ……
「……阿鼻教授、ジルディアスから闇魔法デバフ差っ引いて、近接戦闘能力1割増しした感じだったな……オリジナルスキルあったら厄介そうだ」
ぽつりと声を漏らした俺に、隣の席に座っていたギルダは目を丸くする。
「えっ、ジルディアスって……」
「あー……俺、フロライト出身なんです」
「そ、そうなんですね……」
慌てて言いつくろう俺に、納得していない顔で、それでも深く追求する気はないのか、ギルダは教科書に目を落とす。
近接戦はジルディアスが最強だと思っていたが、アイツより強い奴なんているもんなんだな……世界は広い。まあ、ジルディアスは武器の破壊者あるし、なんだかんだ魔法を絡めた戦闘がアホほど強いから、真正面から戦って負けるということはまずないだろう。
そんなことを考えていると、背後から講堂のドアが無遠慮に開かれる音が響く。
ちらっと後ろを見てみれば、保健室から帰ってきたらしいミハエルがいらだった雰囲気を隠しもせず、一番後ろの席に座っているところだった。主である彼がそんな様だからか、付き人の彼女らも講義中だというのに姦しさが1,5割増しだ。
気にしたら多分負けだろうから俺は無視を決めてかかる。あれでも一応どっかの国のお偉いさんらしいし、何かしらあったら国際問題になりかねないし、国際問題を引き起こしたら俺がジルディアスに殺される。
ギルダさんも騒音が気になるのか、ぐっと眉をしかめている。それでも、特に文句を言いつけに行く気はないらしい。
白髪の教授は耳が遠いのか、シンプルに事なかれ主義なのか、ミハエルらを特に注意することもなく、やややかましいまま、天文学の講義は進んでいった。