10話 入学準備
前回のあらすじ
・結婚式終了後の宴
・恩田がシスにプロポーズ
・ゲイティスがジルディアスの弱点を探る
結婚式の翌日からジルディアスに呼び出された俺は、相変わらず几帳面に整理整頓された執務室でユミルとフロライト騎士団副団長のクラウディオに【リバースマジック】を教えていた。
ジルディアス本人は何か用事があったのか、少しの間席を外している。その間に二人にリバースマジックを教えていた。
「かなり感覚頼りの魔法だから、やりにくいかもしれないが……」
「いや、理論はわかる。仕組みも分かる。が、わかるけど、古代魔法の理解が必須でしかも必要魔力量がな……あとこれ、特定の魔法に対してだけとか限定できていないから、一般人が使うと回復魔法でダメージを受けることになるのか……」
「神語魔法で大枠を作って、光魔法の付与技術の転用で魔法効果を反転させているなら、物に対して使うのは少し厳しい感じですね……城壁とかに使えたらかなり便利そうなのですが……」
術式を確認しながら、クラウディオとユミルはそう言いあう。ユミルはそもそも基礎魔力量が多く、その上神代出身であるため神語魔法にも精通しているため、習得速度は圧倒的にユミルの方が早かった。
とはいえ、リバースマジックはかなり特殊な魔法であり、ジルディアスなら回復魔法も攻撃魔法もダメージになるためある種の無敵状態に近い状態にできるのだが、一般人だとそうもいかない。回復魔法は基本的に防いだり回避したりといった行為を考えられていないため、現状防ぐ方法が少ない。バリアでさえ回復魔法なら貫通できてしまう。さらに言えば、回復魔法の極致【パーフェクション】が即死魔法と化す。要求される魔力量さえ満たせれば、ある種最強魔法になれなくもない。
そんな話をしていると、執務室の扉がノックもなく開けられ、廊下からジルディアスが室内に入ってきた。退屈な仕事だったのだろう。大あくびをしながら不機嫌そうな面を浮かべている彼は、執務室の中で魔法の勉強会をしていた俺たちに目を向けると、浅く目を閉じて少しだけ表情を和らげる。
「待たせた。新魔法の方はどうだ?」
「ユミルちゃんは問題なく使えるっぽいが、クラウディオは要求魔力量的に実戦使用はきついかもしれない。お前に対して回復魔法使いたいときは基本的に光魔法以外の回復を使った方がよさそうだな」
「わかった。ポーションも用意しておくことにしておこう。さて、本題に入るぞ」
ジルディアスはそう言って執務室の机の椅子に足を組んで座る。そして、机の上に積まれた書類の山のてっぺんに置かれていた一通の便箋をとりあげるとそれを俺に放り投げた。
封筒は普通の紙を単純に重ね合わせたような薄っぺらいものではなく、マチのついた特殊な封筒である。それにもかかわらず、封筒は中身の多さではちきれてしまいそうなほどに膨らんでいた。当然、かなりずっしりしている。
「えっと、なにこれ?」
「ソフィリア学園の入学関係書類だ。お前は俺の権力とコネクション、ついでに金で特例入学をさせている。入試はしなくていいが、一般生徒とは別のカリキュラムが組まれるから確認しておくように」
「了解。ちなみに、特例入学だと一般生徒とはどんな違いがある?」
「特例入学制度はソフィリアの言語とは異なる国の王族や貴族、大臣などの入学を許すための制度だ。学生年齢の人物を入学させることを想定していないため、クラスルームへの割り振りはない。卒業単位取得にクラスルーム活動が使用できないが、それ以外は基本的にただの学生だ」
「ふーん、大学みたいだな」
ジルディアスの説明を聞きながら、俺は封筒を開ける。中身は大量の書類と、何かの箱。箱は気になるが、まずは書類の中でも一番上にあった送付状を確認し、書類がすべてそろっているかを確認する。
「えーっと、一枚目が特例入学許可証、二枚目が入学同意書、魔術的契約書類が5枚と、使い魔がいる場合の届け出が2枚……ほかにもいろいろあるけど、この箱は何?」
「あー……この教材用の発動体ではないでしょうか? 封筒に入れられるサイズの発動体となるとおそらく指輪でしょうし、発動体の性能差で不当な結果が出てしまわないような配慮ではないでしょうか」
「ああ、なるほど」
首をかしげた俺に、送付状を覗き込んだユミルが言う。確かに、発動体の性能によって実技試験に差が出たら不公平だろう。そういった意味合いなら、指輪のカスタマイズは勝手にしない方がいいだろう。
紙でできた小さな箱を開けると、高そうな赤のビロードに包まれた金色の指輪が一つ。これの制作者と俺の趣味はおそらく合わないだろうと思いつつ、指輪の発動体と刻印を確認する。
「刻印は……攻撃魔法の威力減衰と防護魔法の発動速度上昇か。媒介には金とミスリルの合金か?」
「見たところ、天然の金ではなく生成金だな。銀合金の方が使用魔力量を気持ち減らせるが、生成金の合金の方が威力制御がしやすいはずだ。右手に着けておけ、買いなおすとなるとそこそこ高いぞ」
ジルディアスの言う生成金とは、錬金術で作った金のことである。天然物の金とは違い、人工的に生成した金であるため価値は思ったより高くない。とはいえ、合金に使ったり装飾に使ったりと割と利便性は高いため、天然物の金とは別に資材として使われることが多い。現代で言う人工ダイアモンドと似たようなものだ。
異世界人は生成金と天然物の金の違いがわかるらしいが、正直俺には全くその違いがわからない。色とか重さとかは全く変わらないが、帯びている魔力が違うとかなんとか。生成金と天然金を混ぜたらわかるのだろうか?
そんなことを考えながら、俺は金の指輪を右手の中指に着ける。ちなみに、シスとの婚約指輪は左手に着けると爆発に巻き込まれてしまうかもしれないため、ネックレスにして首から下げている。
「学生寮の入寮用の書類もあるし、寝泊りはソフィリアか……距離的にギリ週末にシスさんに会いに行くくらいならできるか?」
「うわぁ、フロライトからソフィリアって普通に移動したら大体2日はかかるぞ……」
「おそらく、箒で移動するつもりなのでしょうね。要求される魔力量的にとても正気とは思えませんが、ユージさんならたぶんできるでしょう。ジルの旅路についていけますし」
「ナチュラルに人外扱いするのやめてもらえる? いや、できるから言ってるんだけどさ」
風魔法【フライ】の必要魔力量は割と多い。だが、俺はスキル効果二倍の影響で魔力量を抑えることができる。ついでに刻印でちょこちょこ発動体に細工をすれば、魔法での長距離移動も可能というわけだ。……まあ、かなりシビアな重量制限があり、二人乗りくらいまでが限界なのだが。
おそらくバフをかけて走れば日帰りでソフィリアからフロライトまで行き帰りできそうなジルディアスはさりげなく目をそらしながら、言葉を続ける。
「ソフィリアで生活物資を購入するための金をある程度用意しておけ。フロライトの金貨よりもサーデリアの貨幣の方が今のところいいレートで取引されているはずだ。ヒルドライン子爵かルアノあたりに声をかけておけ」
「うん? フロライトの金貨の方が金割合が高いんじゃなかったのか?」
「今のところ信用がないからな。取引できる国も割と限られている。外貨の方が安心だぞ。……まあ、イリシュテアはやめた方がいいと思うが」
羽ペンを手に取りジルディアスは薄っぺらい紙を一瞥してから言う。
聞くところによると、現在のイリシュテアはアンデットの増殖に対抗しきれておらず、輸入が滞り始めているらしい。今まで門前を守り続けてきていたイリシュテアの祓魔師たちは皆離別してしまったため、もうすでに影響が出てきているようだ。テレポーターがあるため今のところは何とかなっているようだが、テレポーターの使用には高純度魔力結晶がいる。桜によるとそれはまれに運営から配布されるタイプの課金アイテムだったらしく、そこまで簡単に入手できるようなものではないのではと思えた。
それでも、正直どうでもよかった。あの町にあるいい思い出は、正直シスに出会えたこと以外ない。師匠ことアレンはアーテリアに避難していたし、マシといえばギリギリマシな人間性のイリシュテア聖騎士団団長アルフレッドは現在エルフのアリアとともにフロライト旅行という名目の魔物討伐行脚を行っている。心配するべき人間はせいぜい港町の人々くらいだ。
話を戻そう。貨幣価値の安全性という意味合いではアーテリアやサーデリア、それこそソフィリアなどの国の貨幣価値が高い。セントラルは……正直どう転ぶかわからない。というのも、まだ行方不明の王太子が見つかっていないのだ。
フロライトにも影響のあったクーデターの際、先王は病で倒れたとされている。まあ、十中八九神殿暗部に拉致されたのだろうとは思うが、その事実をわざわざ大声で言うメリットはない。しかし、そこで問題になるのが、次の王だ。
セントラルの王位継承権第一位は、ジルディアスがかつて仕えていたアベル王子である。そして、継承権第二位は彼の叔父にあたるオーラン公爵、少し番号を飛ばして、継承権第五位にアルバニア、十位にジルディアスである。
……うん、そうだ。現公爵であるアルバニアとその息子ジルディアスは公爵家長男であるため、実は王位継承権があるのである。まあ、それが認められることは未来永劫なさそうではあるが。
いや、それは主題ではない。
王位継承権第二位のオーラン公爵は、ずぶずぶの神殿派である。ついでに、ジルディアスが公然と愚王と呼んでいた先王よりもさらに暗愚であるという。……もちろん、ジルディアス曰く、という言葉が頭につくが。
「……アベル殿下の捜索は?」
「相変わらず微妙だ。だがしかし、殺されてはいないことはわかっている。後任のマルクがよくやってくれたようだ」
ジルディアスはそう言って、思い出したと言わんばかりにとある調査書類を俺たち三人が座っている重厚な木製のテーブルに滑らせた。
表紙を見ると、大量の書き込み。まあまあ意味のない文字列が並び、一瞬理解できなかったが、神の祝福がこの文字列の意味合いを読み解いた。
「……【近衛騎士団長マルク、ソフィリア学園のそばで目撃される】、【身分を偽って潜伏中か】、【王太子はソフィリアにいる可能性が高い】、ねえ?」
「暗号文も解読できるのか。便利だな、後で小遣いをやるからいくつか解読作業を頼む」
「りょーかい。ソフィリア貨幣立てで頼む」
「かまわん。財産没収はされていないうえにメスドラゴンとオルス殿の鱗がまあまあ高値で売れた。懐はそれなりに温かい」
「メイスのことをメスドラゴンっていうのいい加減やめてやれよ……」
レッドドラゴンのメイス親子は現在、フロライトに住み着いている。そのうち火山のある祖国に戻るつもりではあるらしいが、思いのほか人族の街での生活が楽しいらしくいついているのだ。二人はセントラル語をしゃべれないはずなのに、身振り手振りと片言のセントラル語、それに東方言語でフロライト生活をエンジョイしているらしい。ジルディアスは大体すべての言語の勉強をしていたため、ニュアンスとしてメイスらの言葉を理解できていたらしい。
俺の言語の解読能力こそがチートではないかと思いつつも、俺はおそらくイリシュテア語と神殿特有のよくわからない言い回しの書かれた暗号文の紙をジルディアスに返却する。
「つまり、俺は勉強して、そのうえでアベル殿下の捜索も行えってことか」
「アベル殿下の捜索はあくまでも隠密行動だ。……この暗号文を俺に流したのは、今ソフィリア方面にいるウィルだ。どうにも、世界が滅びかねん騒乱の原因として、アベル殿下の生死があるらしい。神殿勢にアベル殿下が害される前に捜索し、保護しろ。ばれたら暗部どもが集結すると思え」
「神殿暗部っていうと、あんまり強いイメージないけど、実際どんな感じ?」
思わず口にしてしまったその疑問に、ジルディアスは一瞬赤い瞳をあきれたように細めるも、小さく首を振っていった。
「……確かに、確実に強いとは言わん。が、大っぴらに殺すと面倒なうえに、数は多い。あと、一応連中は表向き聖職者だからな。国際的に非難されかねん」
「あー、なるほど? まあ、気を付ける」
レースのカーテンが、風にあおられて小さく揺れる。
着々と進んでいく入学準備に、俺はなんとなく、人間に生まれ変わったのだと再実感し始めていた。
【東方言語】
ひとくくりに東方言語とまとめているが、実のところかなり多岐にわたる。
東方地方は火山をはじめとする険しい山脈地帯が多く、少ない平地にはドワーフの国や月の国などがあるため、同一言語でありながら多岐にわたる方言があり、文法だけを理解していてもなかなか会話にならないことが多々ある。東方言語レッドドラゴンドラゴン方言は東方方言の中でもうなり声や牙の間に息を吹き付ける音などが混ざっているため、話しにくく聞き取りにくいことで有名。
東方地域は火山や山脈が天然の要塞となっているため魔王の脅威にはそこまでさらされはしなかったが、とにかく農耕に使える平地が限られているため、民族魔族人族問わず戦争が絶えない危険地域である。また、魔物の血を引く民族の国である月の国は明確に神殿と敵対している。