7話 魔王と花嫁の結婚式(4)
前回のあらすじ
・ゲイティス戦
・恩田は左手を爆発させてゲイティスを撃退
・恩田「衣装大破した」
ズタボロになった恩田はまず、急いで近くの店から箒を一つ購入し、サクッと刻印をつけて箒自体を仮の発動体にしてからすぐに宿へと戻った。さすがに血みどろの状態で結婚式に参列するわけにはいかないし、不審者として列からはじかれてしまうだろう。
できるだけ速度を上げて宿に戻った俺は、宿の裏手の井戸に直行し、体に付着した血を流し、ついでに水分補給する。光魔法でかなり戻すことはできるとはいえ、まあまあの量の血液を流出している。水分が不足しているとそのままぶっ倒れかねない。回復魔法に医療がほぼ頼り切りなこの世界では、自分で症状が言えない状態であるということはかなり致命的な状態であるため、できればそれは回避したい。
「やべっ、タオル持ってくるの忘れた」
「……お客さん。お客さんがフロライト兵推薦のお客様でなかったなら、とっくに通報していますからね?」
ぽつりとつぶやいた俺に、宿の店主があきれたように声をかける。
強烈な血の匂いで警戒したのか、料理に使うらしい大きい綿棒を持って裏の井戸に来ていた店主は、俺にフェイスタオルくらいの布を投げ渡す。びっくりさせてしまってちょっと申し訳ない。
ありがたく借りようと思ったが、「宿代に銅貨1枚追加」と言われてしまい、俺は思わずぐっと目をつむった。普通に有料だった。
「絶対掃除してくださいね。何で血まみれなのかは聞かないでおきますから」
「大丈夫大丈夫、ほとんど俺の血だ」
「何が大丈夫なんですかそれ」
あきれたように言う若い宿屋の店主。上着を脱ぐと、生暖かい液体が石造りの床に落ち、俺は思わず目を開く。右肩にも切り傷が残っていた。井戸に立てかけていた箒を左手でとり、回復魔法を発動させる。
仮の刻印であるため、この箒はほぼ使い捨て同然の発動体となっている。空を飛んでいる最中に発動体が崩壊しかねないため、もう一度フロライト邸に向かうときには、ジルディアスからもらった杖を使った方がよさそうだ。
血まみれの俺を見て、店主は眉をしかめて問う。
「ずいぶん上質な服だったのに、もったいないことになっていますね。大規模な喧嘩でもあったのですか?」
「いや、喧嘩っていうか、カチコミっていうか……ああ、そうだ。店主さん、服貸してもらったりとか……」
頭を掻きながらそう質問すれば、店主は気難しい表情を浮かべて首を横に振った。
「あんたのその格好見て貸したいっていうやつはそんなにいないですよ。俺だってこの後ジルディアス様の結婚式を見に行くんだ。貸せないですよ」
「うえぇ、やっぱそうか……服貸屋ももうやってないよな?」
「とっくにいい服は全部予約されていますよ。残っているのは葬式服くらいです」
「どうすっかな、俺今手元に葬式服と民族衣装しかねえんだけど」
「……葬式服だけは着ていくなよ。さすがに兵士に切り殺されても文句言えないですからね」
頭を抱えて言う店主。さすがに俺だって葬式服は着ていかない。その葬式服だって俺の葬式のために仕立てられたものなのだ。縁起でもない。
「となると、民族衣装かぁ。あれ目立つんだよなぁ」
「次期公爵様の結婚式だからなぁ。服貸してくれる人なんざもう街にはいないだろうさ。みんな一番いい服着てお屋敷に向かっているだろうし」
「……何であの外道、あんな民衆人気あるんだ、マジで」
「冗談でもそういうこと言うな、馬鹿者。首刎ねられるぞ」
「大丈夫大丈夫、即死じゃなきゃ死なねえから」
「首切られるのが即死じゃないのか?」
「あー、今は首切られたら流石に死ぬ」
「今はって何だ今はって」
俺と宿の店主がそんなやり取りをしていると、奥から女将さんの声が聞こえてきた。どうやら、店主ももう出発する時間らしい。変わり者の客に宿屋の店主は小さく肩を竦めて、「血で宿を汚すなよ」と言い含めてから急ぎ足で宿の中へ向かっていった。
宿屋の店主には、俺が元聖剣だったことを伝えていない。わざわざ伝える理由がなかったのと、単純に広場の銅像と顔が違い過ぎて信じてもらえないからだ。美化され過ぎているのもあんまりよくないと思う。
とにかく、とっとと着替えなければ。
俺がそう思っていると、ふと、空が急に暗くなったことに気が付いた。
顔を上げてみれば、そこには巨大な翼と馬の脚、節足の腕と人間の顔をつけた美しい怪物……ウィルドがいた。
「どうした、ウィルド?」
「ゲイティスがいたって話聞いたけど、大丈夫?」
「ああ、住民に被害はない。ただ、俺の服が死んだ」
「ふーん……」
俺の簡潔な説明を聞いたウィルドは、地面に降りるといつもの中性的な姿に変わる。そして、にっこり笑うと、言った。
「なら、手伝ってあげる!」
「……うん?」
絡み合う思惑の中、始まった結婚式。のちに文句を言われないようにするため、近隣には「きたければ来い」程度の招待状を送ったのだが、招待状を断った国が半数、様子見のために参加した国が半数、といったくらいだ。そんな中でも目を引いたのが、イリシュテアから来たらしい司教バルトロメイ。魔王討伐戦中の禍根があるため、来ないと思っていたのだがどうやら来たらしい。
正体のわからない微笑みを浮かべたまま、バルトロメイは招待者席に座っている。
招待を受け、了承をした席はほぼ埋まっている。埋まっていないのは一つ、かつての第四の聖剣にして、勇者だった恩田裕次郎の席だけだ。
赤色の絨毯の上を歩きながら、ジルディアスはぐっと眉根を寄せる。
恩田がそう簡単に不義理を働くようには思えない。しかし、どこか浮世離れをしている、というか、感性がだいぶ異なる恩田が何かしでかしている気がしないでもない。
__というかアイツに聞きそびれたが、奴は本当に結婚式用の礼服を持っているのか?
心配半分、シンプルに怒り半分のジルディアスは、深くため息をつく。
不気味に笑んでいるバルトロメイを横目に、もうすでに男泣きし始めているアルバニア。シスは恩田がいないことを心配しながらも、シスター服にちょっとした宝飾品を身に着けて二人の幸福を祈っている。
エルフの村代表のルアノは美しい神官の服を身にまとっており、エルフ独特の神々しさがあった。その隣に座るアルガダ子爵は最近少しずつ痩せてきたのか、仕立て直したばかりの礼服を身にまとって憤慨したように恩田が座るはずの空席をにらんでいる。サンフレイズ平原の英雄クーランは相変わらず派手な民族衣装を身にまとい飾りのついた槍を椅子に立てかけており、隣に座る新風の芸術家アーティはその槍に興味があるのか、結婚式中だというのにスケッチをしようとして隣に座っていた準伯爵に鉛筆とメモを取り上げられていた。
行商のシップロは部下にフロライト邸の出店を任せて護衛のレオン中団長とともに招待席に座ったまま、時折隣の席のオルガ準伯爵に声をかけ、自社製品の営業を行っている。
そうそうたる面子の招待客に、ジルディアスの様子見を行おうとしていた諸外国の招待客はどこかばつが悪そうである。
淡々と、赤色の絨毯を歩いていくシスとジルディアス。
そんな中、ふと、シスが小さく声を上げた。
「ジル」
「どうした、ユミル?」
ジルディアスは、ユミルの見る方向をつられてみる。そして、盛大に表情をひきつらせた。
招待状のない観客に混ざって、見事な衣装と即席の刻印の刻まれたボロい箒を持った、恩田裕次郎。彼は間の抜けた顔でジルディアスに手を振っており、胸ポケットの中には招待状が差し込まれていた。
額に青筋を浮かべたジルディアスは、ユミルの手を握ったままつかつかと観客の立見席に歩み寄り、こぶしを振り上げる。
一瞬遅れて、ごっという鈍い音が響き、恩田は地面に突っ伏す。
「ド阿呆!! 貴様は絶対そこではないだろう!! 何のための招待状だ!!」
「仕方ないだろ!! ゲイティスの襲撃に対応してたら時間なくなってたし、この雰囲気で遅刻しましたーって招待客のところに行けないだろ!! というか招待状偽物だと思われたし!!」
「馬鹿か貴様! 先にいた招待客に声をかけろ! というか、フロライト兵に声をかけろ!!」
「タイミング悪かったのかなんだか知らないけど、フロライト兵に俺の面知ってる人いなかったんだけど???」
「……そういえば貴様、印象があるようでない面をしているからな……」
「納得しないでくれるぅ?!」
ぎゃーぎゃーと言い争う恩田とジルディアス。その様に、諸外国の招待客は目を丸くして、なじみのある招待客は頭を抱える。バルトロメイは盛大に表情をひきつらせた。
恩田の首根っこをつかんだジルディアスは、服を見てぐっと眉をしかめる。
「この衣装……まさかウィルドか?」
「服破れて困ってそうだったから。というか、何で僕は席が遠いの?」
「今代の神を招待客に入れるわけにはいかないだろうが」
あきれたように言うジルディアス。ユミルは二人に向かって言う。
「とりあえず、ユージさんは招待席に。ウィルドさんは服の姿のままでもいいのですか?」
「勝負服って言葉があるくらいだから、服だとしても武器みたいなものだよ。それに、大切な友達を着飾るのは楽しいからいいよ」
「なら、その衣装のままお席へどうぞ。__ジル、行こう」
ウィルドのどこか楽しそうな返事を聞いたユミルはそういって、ジルディアスの手を引く。
いつもどこか受け身というか、基本的に前に出る性格ではない彼女のその言葉に、ジルディアスは少しだけ目を開く。
……ユミルは、ジルディアスに対して引け目のような感情を抱いていた。
光の妖精の花嫁として虐待……否、拷問の日々を受けていた彼女を同情し、婚約したのだと、心のどこかで考えていた。幼いあの日に己を救ったのも、義務のままに……正しく生きるべきという母の呪縛によるものだと、思っていた。
彼が、再び光の妖精と相対し、命を賭して己を守ってくれようとしてくれるまでは。
ジルディアスは、愛を言葉にはしなかった。態度に表すこともまれだった。贈り物さえも確かに高価なのかもしれないが、何を意図したのかよくわからないものばかり送られたため、ユミルは彼のことをわかりかねていた。
それは、ジルディアスが成長して近衛騎士になるころには、ユミル自身の身分……神代出身というだけで、平民の身分でしかない己の存在も相まって、越えがたい溝となっていた。
どれだけ発言が酷かろうとも、残忍な性格であろうとも、ジルディアスは公爵家の長男だ。多くの貴族の女性がこぞって彼の妻の座を手に入れようと粉をかけた。それでも、ジルディアスは婚約者の存在を理由にそのすべてを却下していた。
その行動ゆえに、ユミル本人に対してクレームを入れるご令嬢も多かった。……幼いころは単純に愛してくれているからだと思えても、成長するにしたがってユミルは現実を見た。
次期公爵のジルディアスに、身元不明の少女が婚約者であることは釣り合わない。結婚などあり得ない。本当に彼を愛しているなら、他者にこの立場を……婚約者の立場を、譲るべきなのだと。そのころには、自尊心などもう残ってはいなかった。己はただ、ジルディアスが助けただけの存在にすぎず、ただの足手まといなのだと。……好きだと伝える資格などかけらもないのだと。
だからこそ、光の妖精との戦いで、彼が約束を口にしたとき。感情をあらわにしたとき。初めて、彼の言葉に感情を見出した。
彼は本気で己を愛している。それは母との約束だからではない。義務だからではない。とてつもなく不器用で、どうしようもないほど口下手で、態度に出せないだけで、彼の行動こそがユミルに対する愛の形なのだ。
だから、ユミルは、ジルディアスの愛を信じた。同時に、少し、強欲になることを選んだ。
好きな人に愛していると伝えたい。
好きな人を守りたい。
好きな人の力になりたい。
だから、彼女は、魔王討伐戦に参加したのだ。
神代のころからその悪名をとどろかせる【魔王】に対する恐怖はあった。だが、愛はそれを凌駕した。神代出身でも、戦いを知らず、ジルディアスの加護に守られ平和に生きていた少女が争いの渦中に踏み出したその理由は、ただそれだけなのだ。
愛ゆえに、彼女はジルディアスのために動いた。その行動こそが、きっと己が彼を愛する資格になってくれると願って。
そして彼は、ついさっき言葉に出してくれた。「お前じゃないとだめだ」と。行動は結果を伴った。それが、彼女の自尊心を、ほんの少しだけ育んだ。腐りかけた自信を癒した。
愛していいんだ。愛されていいんだ。
だから、私は、彼と結婚してもいいんだ。許されるんだ。
だから。だから!
「ほら、行こうジル。夫婦に、なろうよ!」
「……!」
花嫁は、華やぐような笑顔を浮かべて魔王の手を引く。その瞳は、自信に満ちていた。
【ユミルの死】剣の物語より一部抜粋
__少女は、ジルディアスを愛していた。
たとえ、彼が外道に堕ち、余多の罪を犯し、多くの人を殺し、そして、恩人であるウィルを殺そうとしていても。
バルトメロイに拘束されたジルディアスは、少女の名前をささやかれ、抵抗を止めた。その事実を、勇者ウィルは知らない。民衆は知らない。ただ、悪が捕縛されたのだと、このクーデターが終わるのだと、皆が信じてやまなかった。
少女も、己を盾にジルディアスが拘束を受け入れた事実を知らなかった。それでも、少女は、彼を愛していた。
だから、魔王討伐の旅路に、参加することを選んだ。
婚約者であり、片思い相手の彼の暴走を止めるために。
少女は、ジルディアスを愛していた。ただ、言葉のないジルディアスと、周囲からの非難で自尊心を喪失していた。光魔法が使えないとはいえ、ジルディアスはそのほかの技能がそれを補って余りあるほどに強く、己の存在意義がないのだと、どこか思ってしまった。
だから、ジルディアスの「正義」が暴走したのを見て、初めて己の存在意義を、見出した。
止めなければならない。彼を。__たとえ、己の命を犠牲にしても。
旅路の果てに、少女は魔王の呪いに侵されたジルディアスにより殺される。それによってジルディアスの動きは止まり、そのすきに勇者は魔王の呪いに侵されたジルディアスを討った。
……愛する婚約者を己の手で殺し、遺体を胸に抱いたジルディアスの慟哭は、誰に聞かれることもなかった。