154話 精神分析の用意は十分か?
前回のあらすじ
・ジルディアスが故郷フロライトに向かい、帰郷を開始する
・恩田裕次郎を弔うため、旅をして来た町の多くの人がフロライトに向かう
さて、俺は恩田 裕次郎。ついさっき、第四の聖剣に魂を譲り渡して、ポックリ死んだ勇者兼祓魔師だ。
……うん、まあ、なんだ。言いたいことは山ほどあるだろう。だが、正直俺もよくわかっていないから、ちょっと諦めてくれ。
俺が現在いるのは、何度目かの壁も天井も床すらもない、ただただ真っ白な空間。手もなく足もなく、何なら頭もない俺はさっきまで、この空間に存在を溶かされていたはずだった。
後悔もやりたいこともあったが、悔いはなかったし、消滅も納得した。だがしかし、何故か分からないが、俺は個としての俺を保っていた。
__何だこれ……
心の中でそう考えた瞬間、どこからともなく男の声が聞こえてきた。
「久しぶりだな。最後に会話をしたのは、確かサンフレイズ平原の祠だったか?」
聞こえてきた声に、俺は思わず目を丸くする。……まあ、目どころか、顔もないのだが。肉体もない俺は、声の聞こえるほうに向かって強く言葉を意識する。
『確かに俺は死んだはずなんだが……なんで消えていないんだ?』
その疑問に、男の声は答えた。
「ああ。君は確かに死んだ。君の死因は、第四の聖剣に魂をささげたことによって存在崩壊したことによる死だ。魂が消滅しなかったのがある種の奇跡と言うべき幸運だっただろうな。……おそらく、第四の聖剣は魂を意思を得るための触媒としてしか使用していなかったことが大きな要因だろう。
第四の聖剣は君に成り代わろうとしたのではなく、あくまでも彼は彼として存在しようとした。誇ると良い。恩田裕次郎、君は、どれだけ不条理な現実を見ても、どれだけの苦痛を負おうとも、君自身の意思で人助けをしようとした。そんな君の思いを、第四の聖剣が受け入れたのだ。もしも心折れて魂を譲り渡したのだとすれば、間違いなく君の存在は消滅していた」
『うわぁ……』
思わず馬鹿みたいな声を上げた俺に、男の声は少しがっかりしたような反応を示す。どうやら、もっと大仰な反応が得られると思っていたらしい。少なくとも俺は死を覚悟して聖剣に魂を差し出したのだ。そして、その賭けの結果、俺の魂は消滅していなかっただけの話だ。
それよりも、もっと重要で知りたいことがある。
『なあ、神様。ジルディアスは、無事なのか? プレシスはもう大丈夫なのか?』
「ああ。君の献身で、聖剣はジルディアスの遺体を守り、守られたジルディアスはアンデット……というよりは、魔王として復活した。古き魔王は倒されて、聖剣の加護によってジルディアス自身も意図せずバグを振りまくような存在ではなくなった。古き神エシスもその座が失われた以上、プレシスがすぐに崩壊することはないだろう」
『すぐに、ってところは引っかかるけれども、まあ、納得するしかないよな……』
「しかたあるまい、あの世界はもともとの設計がかなり不安定だ。いくら神が代替わりしたところで、即座にその不安定性が排除されるわけではない」
そう言って肩をすくめる(姿は見えないが、おそらく肩をすくめた)男の声は、さて、と言って話を元に戻す。空気が変わったことを理解した俺は、小さく息を飲んだ。……口も喉もないけれども。
「ともかく、理由はどうあれ、君は死に、魂は輪廻に還るべくその経験値の判断をしているところだ。__しかしだな、君の人生はやや複雑にできている。
恩田裕次郎。君の魂はサンフレイズ平原で聖剣に成る前までは人間だった。そして、その後聖剣として生き、第四の聖剣に魂をささげて死に至っている。……考えるだけでややこしいな。コレ、実質一人の人間の話なのだが……」
『第四の聖剣には彼自身の思いがあったわけだし、実質別人だろ』
「聖剣は原初の聖剣を除き、基本意思が宿らないようにできている。君のように魂を捧げれば意思が宿る可能性は無きにしも非ずだが、その場合、聖剣自身の経験値やら何やらが複雑すぎる。そもそも、死した第四の聖剣の処遇が現状定められていない上に、何が面倒かというと、恩田裕次郎の魂の経験が人間換算だと輪廻転生にたる経験を積んでいるが、聖剣換算だと足りなすぎることだ」
ため息をつきながら言う男の声。正直意味が解らないが、とりあえず分かったことにしておこう。俺が心の中でそう思っていると、さらに疲れたような表情を浮かべた男の声が、ぼそりと独り言を吐き出す。
「そりゃ、人間ごときの行動原理でほぼ寿命のない聖剣が転生に必要とする経験を積むことはできないだろう。それは百も承知の上で、君と第四の聖剣はあまりに短命だった」
『あれ、第四の聖剣ってウィルドが封印されてから造られたわけだし、神代末期から生きているんじゃないのか?』
「その生命判定が難しい。というよりも、現状の定めだと判断ができない」
そう言ってうめき声をあげる男の声。まあ、なんとなく苦悩しているのだろう。深くは知らないが。
真っ白な空間は、その正体を知っていると時々波打っているように見える。神の審判が下らなければ、この白の空間が存在を溶かしにかかることはないはずだ。
しばらくの沈黙ののち、神は深く深く息を吸って、吐いて、吸って、吐いてから判決を口にする。
「どれだけ考えても、結論は出ない。よって、正直良くない手段だが、こうすることにしよう」
神は、そう前置きしてから、俺に向かって聞き覚えのある提案をし始めた。
「今の君には、二つの選択肢がある。
一つは、聖剣としての死を受け入れ、記憶もろとも魂を分解して、人間以外に転生すること。その場合、君は確実に輪廻の輪に入ることになるが、場合によっては魂の崩壊が起きるかもしれない不安定な生物に転生することになるだろう。もちろん、『恩田裕次郎』という存在は死亡する。
__もう一つは、足りない分の経験を積むために、記憶を維持したまま再度生き返ること。その場合は『恩田裕次郎』という存在は残るものの、足りない経験を補いきる前に死ねば、今度こそ確実に魂が消滅して、輪廻の輪には入れなくなるだろう」
『……!』
ああ、俺が死んだときに聞いた、二つの選択肢が、また、俺の前にやって来た。__あの時と違うのは、ただ、俺がその死に納得したか否か、ということだけだ。
俺は、納得して死んだ。後悔はあったが、悔いなく死んだ。
それでも、腹の奥に、心の奥底に、熱が戻る。
いたずらっぽく笑って、男の声は言葉を続ける。
「さあ、どうする、恩田裕次郎」
『……聞かせてくれ。俺が生き返るのは、プレシスっていう世界か? それとも、それ以外か?』
「残念ながら俺の管轄内で管理のずさんな世界があまりなくてな。プレシスの神に申請する必要はあるが、間違いなく受理されるだろう。そう言った意味では、君をプレシスに転生させることは可能だ」
『なら、シスたちには……ジルディアスたちとは、再会できるのか?』
その質問に対して、しばらく男の声は無言になる。思い返せば、この無言の時間はたった数秒だっただろう。それでも、その時の俺には、無限にも感じられる時間だった。
しばらく考えてから、男の声は俺の質問に答えた。
「可能性はゼロではない。魂が転生する速度は、あくまでも生きている間の経験値に依存する。まっとうに人間として生きて、再度人間に転生するなら、本来なら魂の漂白や経験の整理などで100年前後はかかるはずだ」
『……100年』
思わず息を飲む。生き返るのに100年もかかってしまったら、人間という枠から外れたジルディアスやそもそも人間ではないウィルドたちならともかく、シスには再開できそうにもない。
そんな俺に対して、男の声は首を横に振って(もちろん姿は見えていないが)説明を付け加えた。
「経験値に依存すると言っているだろう。聖剣としての基準で考えれば、まったくもって転生には足りない経験ではあったが、人間換算だと余裕の経験値だ。まあ、一般よりは短い期間で転生できるだろう。第一、君に与える肉体には用意がある」
男の声はそう言って目を閉じ呼吸していない俺の肉体を真っ白な空間に現す。思い出すのは、一番最初につくったキャラクターシート同様の肉体だ。
「ああ、これはその時の肉体ではないぞ。君が作った体はヘルプ機能の摂理崩壊で分解されたからな。これは、サンフレイズ平原で君が人間に転生しなおそうとしたときに与えようとした肉体だ。作ったはいいが、君が聖剣として生きることを選んだために、倉庫行きになっていたからな。埃をかぶる前に使えて何よりだ」
男の声はそう付け加えてから、再度問いかける。
「さて、恩田裕次郎。君が生き返ることを望むのなら、経験のさほどない肉体で、知り合いがいるかどうかもわからない未来に生き返ることになる。ヘルプ機能は使えず、一応言語だけは通用するようにしておくが、それ以外は親兄弟もなく、頼ることのできる人間が生きているかもわからない。もしかすれば、数十年単位遅れて生き返れば、国の一つや二つなくなり、地図が書き換わった状態になっている可能性だってある。
__それでも、君は生き返るのかね? それとも、輪廻の輪に還るのかね?」
そんな神からの問いかけに、俺は、ただ、不敵に笑んだ。……あの旅で、こんなところがジルディアスに似て悪役っぽい笑顔になったのは、ちょっと嫌なんだけどな。
『聞く必要もない愚問だろ。俺は後悔することはしたくないんだ』
「……なら、こちらとしても賽を振るだけだ。君の経験がどれだけ君の転生の期間を早めるか、楽しみにしていたまえ」
『いくら年とってもシスはシスだから、いつだって彼女のことを好きになれるさ。ジルディアスは……まあ多分、生きてんだろ。最悪、エルフの村に行けば、自立するまでの援助くらいならしてもらえる……と思いたいな』
そんなことをぼやきながらも、俺は、俺の体に向かって手を伸ばす。体に魂が解けた瞬間、俺の意識は、白に染まった。
光に包まれて消えて行く恩田裕次郎の体。それを見た男の声の主は、ガリガリと頭をかいて、彼の経験の項目を見ていく。そして、小さくつぶやいた。
「彼は、本当にとんでもない人生を送って来たな。……レッドドラゴンの救済に、エルフの村の魔王の破片破壊補助、原初の聖剣の更生、アーテリアでは魔王の呪いを解除し、役目を放棄していた光の妖精の討伐補助、それに、魔王討伐補助。彼は全く自覚していないようだったが、この転生、比較的速やかに行われるようだが……一体、何か月程度で済むのだろうな?」
神は、クスリと笑みを浮かべ、賽を転がした。……彼の再誕の日を決めるために。
英雄たちによる魔王討伐の旅は終わった。__結局のところ、どう足掻いても一般人だった彼は、ただ、とてつもない不運を持ち合わせていただけだった。
さて、再誕の日には、彼にどんな不運が訪れるのだろうか。少なくとも、呪いたくなるような不運であり、笑ってしまうような不運であり、誰もが頭を抱えるような不運であることは、決まっているのだから!