152話 君に捧ぐ別れの言葉(2)
前回のあらすじ
・神の演算機
・サクラ「ウィルが演算機を上書きしてるっぽい」
・101番目の聖剣の反逆で演算機が破壊される
星降る世界に乱入した原初の聖剣、ウィルドは、砕けた演算機を一瞥して、吐き捨てるようにつぶやく。
『あれから千年以上立っているけれども、まったく変わっていないんだね、おかあさん』
【君に母と呼ばれる筋合いはないな、プロトタイプ】
『ううん、僕は、原初の聖剣のウィルドだ』
【__まったくもって不愉快だ。何故吾の知らないところで君に知性が宿っている? 吾が作ってやった時にはまさしくただの兵器だったではないか】
不貞腐れたような口調で言葉を紡ぐエシス。そんな彼に対し、異形の怪物姿のウィルドは巨大な白の羽根を広げムッとした表情を浮かべ、反論する。
『違う。僕は僕のままだ。__おかあさんが、僕を見ていなかっただけだ』
【くだらない。プロトタイプ、お前が噛みつくべき相手を間違えたのが原罪だろう】
砕けた演算機は、ふん、と鼻を鳴らしてウィルドにそう言い切る。
圧倒的な脅威を、同時に、巨木を前にした時のような安堵の感情が、ロアの胸中に広がる。確かに人類を滅ぼしえる兵器のウィルドは今、人類を__世界を守るために再び神に反旗を翻そうとしていたのだ。
その肉体を、神を殺すために姿に変えながら、ウィルドは首を横に振る。
『いや。僕は、間違っていなかった。興味にそそのかされて世界の管理を怠って、他の世界にも影響を与えかねない魔王を放置した時点で、おかあさんは世界にとっては脅威でしかない』
【そう言って世界の脅威になる目を上から順番に刈り取っていくのか? そうなれば繰り上がった順位に最後に残るのは貴様だけだな】
ゲラゲラと馬鹿にするようにウィルドをあざけ笑うエシスの声に、サクラはぐっと奥歯を噛みしめて拳を握り締めた。
しかして、ウィルドはただ冷静に、ただただ冷静なままに、低い声で、下卑た神を一蹴する。
『おかあさんと僕を同一視しないで。__魔王は、新たな魔王と聖剣によって討ち取られた。神もまた、そろそろ代替わりの時期だよ』
そう言葉を紡いだウィルドは、いつの間にか、白色の翼の生えた人間の姿に変貌していた。そして、彼は、彼自身のうなじに手を添える。ぎしり、と、彼は自身のうなじに爪をたて、何かを体からはがそうとしていたのだ。
パキパキと、この星空の世界が滅んでいく音が、聞こえてくる。演算機の崩壊と同時に、プレシスが終わろうとし始めていた。
それでも、原初の聖剣は、ついに、己の肉体から、背骨の一部を剥離させた。
ぱきり、と、小さな音を立て、真っ白な破片が、彼の手の中に転がった。血は流れていない。ただ、彼のうなじあたりに光の粒子がちらちらと舞って、それでも少しずつ、肉体の修復はなされていく。
【ま、まさか__】
ウィルドの行動を見ていたエシスの声が、ひきつる。何が起きているのか理解する暇もなく、ロアはただ茫然とウィルドの行動を見つめることしかできない。
真っ白な破片……ウィルドの背骨の一部を持ったまま、彼は壊れた演算機に開いた左手で触れる。そして、願いの言葉を__世界を創り出す祝福の言葉を、紡ぎ出す。
『闇と光は分かたれ、世界に土が、水が、風が、炎が、踊り出る。神の息吹は世界を満たし、生命は萌出る』
紡がれた神代の奇跡の祈りは、まるで歌のように壊れ行く星空の世界に朗々と響く。
ロアは、腹の底に、心臓の奥の奥に、脳髄に染み渡るような、響き渡るようなその祈りの言葉を聞き、自然と鳥肌が立っていたことに気が付く。美しい願いの言葉は、まっすぐで透明な言葉は、純真で穢れを知らない望みの言葉は、新たな世界の誕生を歌い紡ぐ。
【やめろ、今すぐそれを止めろ!】
叫ぶエシスの声を無視し、ウィルドは、創世の言葉を編み続ける。
『生み出された脅威は世界を侵し、魂喰らう怪物と化した。怪物を止めるために生み出された刃は、一度目は己の手をつきさし、二度目は広く振りまかれた』
崩れていく世界から、星が溶け落ちた。透明な床はひびが入って今にも闇夜に落ちそうだ。それでも、産声の歌は続く。
『神隠れ、悲哀に満ちた世界は、何度も過ちを犯した。何度も罪を犯した。それでも命は萌出で、立ち上がり、やがて奪われた未来を取り戻す。__これから紡がれるのは、世界守る剣による物語。誰もがもう二度と神の命運のために神の因子を振るわなくても良くなる世界のための、誓いの言葉』
願いが、祈りが、世界を、再構築していく。
ヒビの入った透明な床は、崩れ落ちる寸前で止まり、溶けた星は再び姿を取り戻す。崩れていく世界は、刻む時のテンポが崩れて崩壊しかけた世界は、再びその脈拍を取り戻す。
魔王に浸食された世界は、だんだんと魔力に満ち、光に満ち、失われた奇跡はまた別の形で取り戻される。
脈を取り戻した世界は、信仰の力を、世界の願いを、人型の剣に与える。降り注ぐ流星を一身に浴び、ウィルドはより美しい笑顔を浮かべた。
【ああ、吾の神格が!! 神としての居場所が!! なくなっていく!! 奪われていく!!】
悲痛なエシスの声。
世界をうつってなおそれが堕天という刑を甘受するのみでしかなかったエシスに、ついに罰が下されたのだ。それは、己の本来の居場所である、神としての地位を奪われるという苦痛以上の苦痛。例え刑が終わったとしても、再び世界の管理人としての立ち位置に戻れるかわからなくなるという、彼の末路に相応しい罰だった。
世界に認められ、神格を帯びたウィルドは、新たに管理人としての座を……神としての神格を得る。神を愛していた無知な赤子は、分別を理解し、世界を愛する存在として、未来を守り育む刃として、認められたのだ。
『僕の愛する美しき世界。病める時も健やかなるときも、巨悪が現れたときも、この世が悲哀に満ちるときも、歓喜に溢れるときも、脈々と続く世界の時を紡ぎ続けることを、世界の安寧を守り続けることを、ここに誓う。__僕の名前は、『ウィルド』。プレシスの原初の守護剣にして、新たな魔王と友誼を結ぶ者。そして__』
【止めろぉぉぉぉぉぉおおお!!!】
エシスの絶叫。
それでも、ウィルドは、己の地位を確立する言葉を、紡ぎ出す。
『__僕が、プレシスの新たな神だ』
宣言の最後の言葉が紡がれた瞬間、101番目の聖剣の反乱で砕けた演算機が、元の形に戻る。
そして、日本語のエシスの声が、ぱつり、と、消えた。神格を失ったエシスは、プレシスに干渉するすべを失ったのだ。
新たな神として世界に認められたウィルドは、己の背骨を演算機に埋め込み、そっと抱きしめる。入れ子の球はふわりと光を帯び、今度こそ、巻き戻されることのない時を紡ぐようになったのだ。
新たな神話に刻まれるべき光景を目にしたロアは、ようやく息が苦しくなっていたことに気が付く。どうやら、息をつくことさえできない幻想的な光景に、自然と呼吸を止めてしまっていたのだ。
ふうふうと、浅く息を繰り返すロア。そんなロアの横で、サクラはさみしそうに眉を下げた。
「その、ウィルド。私は、もう、帰るの?」
『……うん。この一年間、異世界であるプレシスのために、尽力してくれてありがとう。帰るなら、今が一番いいタイミングだよ』
少しだけさみしそうに、それでも、やさしい笑顔で、ウィルドはサクラに言う。
長い長い旅だった。たった一年間とは思えないほどに。そんな旅の中で、彼女は、たった一つ。たった一つのモノを、元の世界に持ち帰ることを望んだ。
「なら、思い出だけは、どうしても持ち帰りたいの。……良いことも悪いこともビックリすることも悲しかったこともあったけれども、この記憶だけは、胸の内にとどめたい。それができないなら……ちょっと悩むけど、この世界に留まりたい」
『……大丈夫。君が忘れない限り、君の思い出は決して奪われることなく君のものだ。長い人生の間、思い出が色あせるかもしれない。薄れるかもしれない。それでも、君の経験は、その時々の思いは、決して失われないさ。それでも、失われそうになった時のために、これを君にあげる』
ウィルドはそう言って、そっとサクラの持っていた復活の琥珀石に白銀のチェーンをつけ、ネックレスにして彼女に手渡す。琥珀石のネックレスを手に取ったサクラは、さみしさを押し殺すために、わざと笑顔を浮かべ、ロアの方へ向き直る。
「……帰らなきゃ」
「……そうか。」
別れの気配を感じ取ったロアは、できるだけ未練なく別れようとするためだろう。神官のあの感情が無いようにも見える曖昧な笑みを浮かべる。それでも、彼の耳は雄弁にさみしさを物語っていた。
再開できるかもわからない、世界を隔てた帰郷。二度と会えるかも分かれない戦友との別れに、サクラは、流しそうになった涙を押しとどめて踵を返す。
それでも、ロアは決心したようにぐっと手を握り締め、サクラの背中に向かって言う。
「俺は、この後も旅を続ける。世界をめぐって、知識を身に着けて、そうして、そうして__君の世界にまで行けるくらいに、強くなる。だから、今は身分不相応だったとしても、こう言わせてくれ」
ロアらしくなく、感情の滲んだ、切迫した声。
そんな言葉に、情けない面を浮かべていることが分かっているサクラは、振り返ることもできず、その決意の言葉を聞く。
「__また会おう。そして、その時には、君の告白に対して、返事をさせてくれ」
真剣なその表情。サクラは、振り返らなくてもわかっていた。決して嘘をつくことのない彼が紡ぐ言葉の重みを。押し殺していた感情が気がつかせてくれなかった恋心は、心臓に火傷のように重く消えない痛みを残す。
だからこそ、彼女は、振り返らずに涙声で言葉を紡いだ。
「……早く来てね。女の子の寿命は短いんだから」
「もちろんだ。君を寡婦にはさせないさ」
そうして、星降る世界の中、サクラは思い出と琥珀のペンダントを胸に抱いて元の世界に帰って行く。
彼女の別れを見送ったロアは、だんだんと、意識が遠のいていく。突然訪れた強い眠気に耐え切れず、その場に崩れ落ちた彼の体を抱え上げ、新たな神は優しく微笑んだ。
__異世界の少女とハーフエルフの神官の、再開の約束