15話 赤き翼、翻る雨雲
前回のあらすじ
・ジルディアス「雨雲魔法でつくった」
・恩田「いいから休め」
・エル「あっ、お客さんの杖、返し忘れてた」
少しの休憩を終えたジルディアスは、山登りを始めた。うっそうとした山だが、一定以上の手入れはされているのか、別段歩きにくそう、と言うほどではない。実際、ジルディアスはほぼ平地と変わらない速度で移動している。
山は、上へ登れば登るほど、濃い焦げ臭いにおいが充満し、俺は思わずむせそうになる。
「……呼吸器もないくせに、よくもまあ器用な」
『うるさいな、癖みたいなものだろ。ってか、俺はまだしも、お前は一応人間なんだし、口元くらい布で覆えよ』
「……? 布で覆って何かあるのか? 回復魔法で肺を直せばそれでいいだろう」
あっさりと言うジルディアスに、俺は思わず頭を抱える。いや、頭がないとか言っている場合ではない。
『いやいや、機械やなにかじゃないんだし、手間じゃないから布で口元覆っておけ。多少はマシになる……と思う』
「さてはあやふやだな?」
ジルディアスはそう嫌味を言いながらも、ポケットから大きなハンカチを取り出し、口元を覆う。目の細かい布で、煙を多少は吸い込まなくてよくなった。
細かい刺繍の施されたハンカチを片手に、ジルディアスは無造作に俺を鞘から抜きはらうと、ためらうことも無くへし折る。なかなかハイペースにへし折っていくあたり、切羽詰まっているのだろう。
砕け落ちた俺の破片を地面に散らばしたまま、ジルディアスは俺に魔力を注ぎ込む。即座に復活のスキルを行使し、刀身は元に戻った。
しっかりと整った山道を駆け抜け、そして、数分たたずに山頂へとたどり着く。邪魔なツタ植物を切り払い、前を見れば、そこは山頂の木こり場であった。
木こり場……言うなれば、木を伐採し、その木を木材に加工するための少し大きめの広場の中央。そこに、緑が支配する山中には違和感しかない赤の鱗が輝く。
雨雲の下の太陽のような、鱗。憎々し気に錆色の雲を睨みつける金の瞳は鋭く、もし自分をあの目でにらみつけられれば、心臓麻痺で死んでしまうのではないかと錯覚するほどだった。
山中に侵入した塵芥……と言うには、やや強すぎる実力の持ち主であるジルディアスを見下ろすレッドドラゴン。本来は生態系の頂点に立っていたであろうその竜も、ジルディアスの姿を見てビクッと震えたあたりで、なんとなく察してしまう何かがあった。
『その……なんか、可愛そうだから、あまりいたぶるのは止めてやれよ?』
「魔剣貴様、俺を何だと思っているのだ……?」
思わずそう言った俺に、ジルディアスはあきれたように言うと、指輪からバックルを取り出し、身につける。防御を優先するらしいが、あのドラゴンの反応からしても、そこまで警戒しなくてもよさそうな気がしないでもない。
レッドドラゴンは若干おびえながら、低く唸り声を上げる。唸り声とともに、口の端から赤い炎がちらちらとあふれるが、空から降り注ぐ雨が、その迫力と威力を下げる。
ジルディアスはニッと口元を好戦的に笑ませると、俺を構える。その姿は、勇者と言うよりも敵役のそれである。
「さっさと来い、赤い羽根付きトカゲ」
「……!! グルァァァァアア!!」
不敵な笑みから吐き出される、挑発。
レッドドラゴンはあまりに不名誉な罵倒に激高し、小さな強者に向かって鋭い爪を振り下ろす。
しかし、その判断は失策であった。
がががっ
横なぎに振るわれる聖剣。流石にドラゴンの爪ということもあって両断までは行かなかったものの、半分ほど抉られた爪から、ドラゴンの赤色の血がジワリと滲みだす。地味に痛いやつだアレ。
「グァッ?!」
「ちぃっ、浅かったか!」
想定外の反撃を喰らい、痛みと驚きで声を上げるドラゴン。爪の切断に失敗し、舌打ちをするジルディアス。
動揺しつつも、この場にいるのは危険だと判断したレッドドラゴンは大きく翼を広げ、ジルディアスから距離をとる。
しかし、空を飛ぶことはない。なにせ、昨日散々、ワイバーンがジルディアスによって撃ち落とされているところを見ているのだ。雨で弱っている今、無茶な動きをすればすぐにでも死につながると、レッドドラゴンは本能で理解していた。
『これもう、どっちが敵だかわからないな』
「下らんことを言うな魔剣!」
喉奥でクツクツと笑い声を上げながら言うジルディアス。いやこれ、三百六十度どこから見ても、立派な悪役だろ。
本来なら岩すら砕く強度の爪と打ちかっていながら、刃こぼれ一つない聖剣を片手に、ジルディアスは一歩一歩レッドドラゴンへと歩み寄る。
レッドドラゴンはびくりと体を震わせながらも、大きな咆哮とともに、炎の塊を吐き出す。
瞬間、ジルディアスは動いていた。
「水魔法第三位【ウォーターシールド】!」
瞬間、黒色の光の混ざった水が展開し、炎のブレスの前に水の盾が出現する。
鈍い輝きの水の盾と、温度が高すぎてもはや白色にすら見える炎のブレスが衝突し、一拍遅れてから大爆発とともに炎も、水の盾も消失した。
渾身の一撃を低級魔法の一種で打ち消されたドラゴンの驚きの表情と、ジルディアスの不敵な表情が交差する。
吹き飛んだ水が雨に混ざり、降り注ぐ。
「どうした、わざわざ竜の対策のためにローブも身につけてやったと言うのに、このザマか?」
「……」
ドラゴンの喉の奥から、グッと小さなうめき声が上がる。どこからどう見ても動揺しているドラゴン。
そんな竜の様子に、ジルディアスは少しだけ不愉快そうに表情を歪めると、また一歩レッドドラゴンに近づく。
『やめてやれよ、かわいそうだろ』
あまりにおびえるドラゴンに、俺は思わずジルディアスに言う。しかし、ジルディアスは首をかしげてつぶやいた。
「……あの竜、成竜ではないのか?」
『ん? どういうこと?』
「いやなに、ブレスが弱く、敵の強さを見誤っていないにもかかわらず、引き際を見誤るあたり、普通の竜ではありえんと思ってな」
ジルディアスはそう言うと、構えていた剣を下ろす。あれで弱いとか言うジルディアスの頭がおかしいのか、それとも本当に弱いのか、実際の体を持たない俺にはわからないが、少なからず、ドラゴンが弱いようには見えない。
突然弱まった殺気に、ドラゴンは目を丸くする。
ジルディアス自身もフッと優し気な笑みを浮かべ、戦いの雰囲気は霧散する。
ついで、彼は口を開いた。
「まあ、だからと言って見逃しはしないが」
『……へ?』
次の瞬間、俺をへし折り、地面に叩きつける。そして、地面が少し凹むほど強く踏み込むと、指輪から一振りの剣を取り出し、ドラゴンの首に向かって一閃。
『おい外道ー!!!!?!』
「グルァァァァアア!??!」
本当にギリギリのところでジルディアスの一撃を回避したレッドドラゴン。
先ほどまでのすがすがしいまでの外道スマイルを少しだけゆがめ、盛大に舌打ちをする外道。
『何考えてんだ外道! 今、完全に見逃す流れだったよな?!』
「グラ、ガァア?!」
『ほら、ドラゴンも思いっきり文句言ってんじゃん!!』
「やかましいわたわけ。この竜が山に被害を与えたことに変わりはないだろうが」
非難がましく吠える涙目のドラゴンと俺をばっさりと切り捨て、ジルディアスはあっさりと次の一撃を用意しだす。
剣に魔力がこめられ、黒色の靄があふれる。どこのどいつだ、こいつを勇者と認めたのは!!
魔力のこもった剣を片手に、再度地面を踏み込み。今度は翼の付け根を狙って一閃。
ドラゴンは何とか翼を両断されることは回避したものの、付け根は抉れ、とても空へ逃げ出せるようには見えない。
ヤバい。このままだと、マジでドラゴンが殺される。
混乱しながら、俺は反射的に自分にできることをする。
『【ヒール】、【ライト】!!』
「ぐぅっ?!」
突然光が自分の網膜を焼き、小さくうめき声を上げるジルディアス。翼の治ったドラゴンは、慌てて魔法を展開する。次の瞬間、魔法で変化したドラゴンが現れる。
「わー、わーっ、い、命だけは助けてください!!」
そう言って土下座をしたのは、全裸の女性。太陽を固めたような真っ赤な髪の毛がべたりと地面に引っ付く。
あまりに勢いのある命乞いに、ジルディアスは不愉快そうに眉を顰める。
「よかろう、そのまま動くな。一刀で首を切り落としてくれる」
『いやいや、命助かってないだろそれ!』
思わず突っ込む俺。
そんな俺の言葉に、ジルディアスは面倒くさそうに眉を顰めると、小さくため息をついて、指輪に剣をしまい込んだ。
「では、さっさと吐け」
「えっ、ちょっと、ここ一週間何も食べてないので、吐けるものは」
「違うわたわけ。何故ここに来たのか、町を襲撃したドラゴンは何者かを答えろと言っている」
『……ん?』
今にも手を口の中に突っ込んで胃液を吐き出しそうになっていたドラゴンにばっさりと言い捨てるジルディアス。その言葉に、俺は首を傾げた。
『待って待って、そのドラゴン、昨日のじゃないのか?』
「む? 違うぞ? このドラゴンもどき」
「違う! ワタシはドラゴンのメイス・ドラゴニア・エイリーン! ドラゴンもどきなんかじゃないもん!」
割と命知らずにもジルディアスの言葉をぶった切って言葉を重ねるドラゴン。がばっと起き上がったせいで胸が盛大に揺れて、俺は思わず妙な悲鳴を上げて後ろを向く。
しかし、女体にさほど興味がないのか、全裸のドラゴンを一瞥すると、汚らわしいと言わんばかりに顔をしかめ、マントを背から外すと、ドラゴンに投げつけた。
「面倒だ、メスドラゴンでよかろう。__ともかく、こやつは見るからに雌であり、昨日ヒルドラインを襲撃したのは雄だ。よって、こいつではない」
「こ、この美少女に向かってメスドラゴンって、酷くない?!」
「たわけ、ちゃんと貴様の名前から要素を拾ってやっているだろうが」
『メイス・ドラゴニア・エイリーン……ああ、なるほどね。最低な名前付けだなおい』
興がそがれたのか、やる気が失せたのか、ジルディアスは俺を拾い上げると魔力を流す。ともかく、普通の刀身に戻った俺は、鞘の中に固定される。
目を細め、再度同じ質問をする。
「さて、あの竜はどこだ。町に害を与えかけたのだ。必ず討ち取らねばならん」
「……! そうだ、お父さん……!」
「父さん?」
「行かなくちゃ、ワタシが、お父さんを止めるんだ……!」
レッドドラゴンはそう言うと、即座に竜の姿に変異すると、慌てて空へと飛びあがる。
舞い上がる竜。すさまじい風圧に、ジルディアスは反射的に手を前に出し、巻き上がる小石から体を守る。
赤の竜は、雨雲を切り裂き、そのままヒルドライン街の方へと羽ばたく。
「……おのれ、あのメスドラゴン、俺の質問に答えずに逃げたな……!」
『怒るところ、そこか?』
「後は、俺のマントを盗んでいったことか? 自然な流れで持っていやがったな」
ジルディアスはそう言って軽く舌打ちをすると、町の方へと駆け出した。
「さっさと竜狩りを終えるぞ」
『うーん……何があったのかわからないけど、ちょっと確認したほうがよさそうな雰囲気はあるよな』
雨はまだ、止んではいなかった。
【竜の生態】
ドラゴンは、様々な種族をまとめた名称である。
生態は多種多様であり、人族の竜種リルドラケンや、魔族の竜鬼、東洋に住まうという伝説の龍もドラゴンの一種と分類される。
しかし、中には知恵のないドラゴンも存在し、それらはいわゆる魔喰いの竜、もしくは、人喰いの竜などと呼ばれる。それらは害獣に分類されるため、リルドラケンもそれらのドラゴンを討伐することに忌諱感はない。
中には、後天的に魔喰い、人喰いに堕落してしまう竜も存在しているという噂があるが、真偽は不明である。