150話 星降る世界よりさよならを
前回のあらすじ
・闇の妖精と遭遇
・聖剣が、最後の別れの言葉を紡ぐ
・【第四の聖剣の加護】を受け、ジルディアスが魔王化を制御できるようになる
満天の星空の空間。光に溶けて消えて行く勇者ウィルの死体を横に、流星の杖を握ったサクラは、理解ができないという様相で塵と化したはずのロアの方を見る。
服ごと命を持っていかれたロアは、無事だった荷物の中から布切れをとってきて、腰に巻き付けている。流石に全裸は免れたかったのだろう。
折れた世界樹の杖の魔力増幅装置部分である巨大な琥珀石を右手に握った彼は、星の映りこむ瞳でまじまじと見てくるサクラに対し、流石に羞恥心の方が勝ったのか、長い耳を真っ赤にして目を逸らし、サクラに言う。
「すまない、予備の衣服はあるか?」
「……? 予備の装備品なら提供可能です」
意思のない星の輝きの映りこむ目で、サクラはそう言いながらミスリル製の鎧を取り出す。ガシャンと転がる超高級品であるはずの複数の鎧の部品を見て、ロアは苦い表情を浮かべて言う。
「……せめて布の装備品は無いかい?」
「ステータスとスキル構成を鑑みると、この装備が最適です」
「素肌に金属鎧は不要な負傷を発生させると思うのだが?」
「……新たなる異常状態を認知。提供する装備品を変更します」
ロアの言葉に、サクラは目を伏せてそう答える。そう言って取り出したのは、男女どちらが身に纏っても違和感のないやや豪華な着流しであった。DEXを強化する装備であるため、サクラが旅路で勇者一行の移動速度について行くために所持していたのだ。戦闘時にはほぼ使っていないが、見た目が好みでストレージの肥やしになっていた装備の一つである。
桜模様の着流しを受け取ったロアは、初めて見る着物にやや難儀しながらも、しっかりと身に纏う。……帯の巻き方がわからず、エプロンのように後ろで蝶結びになっているが。
靴がないため、素足のままのロアは、少しだけ居心地悪そうに、耳を下げる。特に足下がズボンのように覆われていないのが落ち着かない。それでも全裸よりは安心感があると前向きに考えることにして、ロアは再びサクラの方を見る。
「さて、君はどちら様かな?」
「……? 私はサクラ。演算機を破壊するために呼び出された、勇者殺しの勇者」
「ふむ、なるほど……」
サクラの返答に、ロアはこめかみに手を当てる。とりあえず、目の前の彼女がサクラではないことは理解した。
胸元の大きくはだけた着流しを居心地悪そうに直しながら、ロアは口を開く。
「元の君には戻れるのかい? それとも、不可能かい?」
「……。」
「答えてくれないか?」
言葉を重ねるロア。そんなロアの言葉に、サクラは星の瞳をそのままに、淡々と返答を口にする。
「不明です。安藤桜の意思がどれほど残っているかによって変化しますが、現状は安藤桜からの返答がありません」
「……そうか」
精霊の愛し子であるロアは、サクラの返答に嘘がないことを重々理解していた。それでもなお、心の中では信じたくないと思えてしまっていた。
一緒に旅をして来た彼女が、完全に消えてしまったのだ。それを認めたいと思えるわけがなかったのだ。だからこそ、そっと目を伏せて、ロアは言葉を紡ぐ。
「一緒に旅をしていた君は、確かに君だったはずなんだ。変わってしまった君が本来の君なのか、そうじゃないのか、俺にはわからない。それでも……それでも、君には、元の君であってほしいんだ」
ロアの言葉に、サクラは不思議そうに首をかしげる。
「何故? 私は少なくとも、安藤桜よりは戦闘面では勝っているはず。精神面は……学習次第では彼女同様の思考回路と行動原理を身に着けることができるはずです」
「……でも、それは、君じゃないんだ。一緒に旅をしていたあの子じゃないんだ」
「……それでも、私が何者でも、日常に戻る貴方には支障がないのでは?」
意思の光のない、サクラの瞳。淡々と紡がれる言葉に、ロアは己の胃の中で酷く重くぬるい液体が広がっていくのを感じた。
星降る世界の中、光に還った勇者ウィル・ブレイバー。もしかしたら数えることもできないほど多い星空の中、一等光る星が増えたかもしれない。……そんな星を探す気にもなれないまま、ロアは首を横に振る。
「仮に、仮にだ。君が、本当に、心からの勇者なら……ウィルやジルディアスのような勇者だったなら、俺は君にこんな質問をしなかっただろう。でも、彼女はそうじゃない」
「……?」
きょとんとした表情で首をかしげるサクラ。小さな仕草の一つ一つが、彼女のそれに類似していく。だんだんと、サクラが安藤桜のころの言動を学習してきているのだ。
そんな彼女に、ロアは言葉を紡ぐ。
「君は確かに、間違いようもなく勇者だ。勇者となるべく生まれて、確かに世界の敵となっていた『勇者ウィル』を討伐した。それは素晴らしい行いであり、後世まで語り継がれるべき偉業だと思う。__ただ、それは、あくまでも君の話だ。
彼女は、あくまでも女の子だった。世界を救おうとしてしまうくらいとんでもないお人好しで、臆病で、仲間が傷つくのを恐れるような、無謀で、無敵で、強い少女だった。……あの子は根からの勇者じゃない。ただの女の子だ」
「……それはあくまでも貴方の主観でしかない。私は間違いなく勇者としてこの世界を救おうとした。そこに私との違いはない」
「いいや、違う。あの子は、俺たちの世界の事情には本来関わってはいけない人間だった。俺たちが解決すべき事情だったにもかかわらず、あの子は自分の意志で、世界を救おうとしたんだ。それがお人好し以外の何なんだ。……彼女の行動原理は、『勇者だから』なんて理由じゃない。『みんなに幸せな未来を与えたいから』という理由だった」
STOのシナリオを曲げてでも、ハッピーエンドを迎えたいという、命を懸けるにはあまりにも無謀で、無敵で、どうしようもないほどお人好しな『安藤桜』の世界を救う理由。その無意識な自己犠牲の精神を、本音を読み取ることのできるロアは見たことがなかった。
人間の本音など、薄汚くて当たり前だと思っていた。だからこそ、本心から人を……この世界を救おうとした『安藤桜』は、あまりにも美しく儚い芸術作品のようなものに見えた。
そう、安藤桜がロアに救われていたように、ヒトの言葉の真偽の分かってしまうロアもまた、安藤桜に救われていたのだ。
ロアは、言葉を続ける。
「……俺は、お人好しの彼女だけがハッピーエンドを迎えられないのが、納得いかない。せめて、彼女は元居た世界で、幸せに暮らせているべきだ」
「……そう。」
サクラは張り付けたような不気味な笑顔を浮かべ、ロアの方を見る。
……言葉の真偽が分かるロアには、彼女の表情の理由はわからない。それでも、なんとなく、彼女の表情に『悲しみ』があるように思えた。
……何もない真っ白な空間の中。私の意思を溶かす気もない空間の中の隅っこでうずくまった私は、ただ恐怖にふるえていた。
__ロアが死んでしまった。私のせいで。
ずっと己を支えてくれた彼が、勇者ウィルのバフをはがすために、命を賭したのだ。それもこれも、彼を倒せるだけの力量がなかった己のせいに他ならない。
ただただ、不甲斐なかった。彼が死んでしまい、恐れのあまり消えてしまうことを選んでしまった。彼が命と引き換えにつくってくれた隙を、私は捨てた。恐怖がために捨ててしまった。
何で、何でこんなにも、私は無力なんだ。誰も助けられず、勝てず、彼の献身さえも無に帰した。そうやって心が完全に折れた瞬間、私はここにいた。
意識すれば、ぼんやりと私じゃない私の視界が見える。
ためらわずに武器を振るい、強敵を前にしても怯えず、引かず、笑って戦う。苦しいとも、悲しいとも、怖いとも言わず、責務を果たすべく戦う『勇者』。彼女が、きっと私のメインパラメータの本当の姿なのだろう。
不完全な勇者は、もうあの世界にはいない。強くて正しい彼女こそが、勇者として生きていくべきなのだ。きっとそうだ。
私の頬を涙が伝う。それでも、頬を離れた涙は、光の粒に変わってい消えて行く。私であることを諦めた私は、さながら人の形を売り渡したようなものだ。もはや人でなしに他ならない。
パラメータが大量の魔法を展開し、勇者ウィルを迎え撃つ。眩い星空さえもかすむほどの光量が二人しかいない世界を明るく照らす。笑顔で戦うパラメータは、どれだけ攻撃を喰らってもひるむことなく戦い続ける。
しばらくの激戦を茫然と見ていると、やがて、結末が訪れる。
強力なロアの援護魔法が、勇者ウィルの一撃を逸らす。生きているロアの姿を見て、私は涙が引っ込み、思わず目を見開いた。
「どうして……?!」
驚いてしまった私だが、よくよく思い返せば、フロライトでジルディアスと戦う覚悟をした時に、彼に琥珀石を投げ渡された。琥珀石の魔道具の効果は、一度だけ死に瀕するような攻撃を無効かする、というものだったはずだ。
おそらく、魔法に蹂躙されたときにその魔道具が発動したのだろう。だからこそ、彼は死ななかった。
私がそうやって納得している間に、彼はパラメータから衣服を借り、問答を始める。
パラメータとロアが会話をする場面を見て、私の心臓のあたりが、つきり、と痛んだ。まだこの世界に生まれたばかりのパラメータは、その感性がゲーム基準であるためか、言動に不自由しているようだった。
ぐらりと、心が揺れる。
ロアとともにいるべきなのは、彼の決死の献身さえも有効活用できなかった私ではなく、パラメータなのではないのだろうか。
元々、パラメータの中身は私であるべきではない。私は地球に自分の体があり、そこで生きていた記憶がある。そうである以上、『サクラ』の体は私のものではないのだ。
__不甲斐ない私ではなく、パラメータに心も思考もすべてを譲渡し、正しく生きてもらったほうが良いのではないのだろうか?
生じた迷い。その時、パラメータから服の裾をつかまれたような感覚を覚える。慌てて真っ白な空間を見回してみると、何もない場所から、無数の手が生えているのが見えた。
そのうちの一本が、私の服の裾をつかんでいたのだ。
平常であれば悲鳴を上げてしまうような光景だったが、何故だか今の私には、この手が害あるものには見えなかった。ただ純粋に、知識が欲しくて、助けてほしくて、伸ばされているような手にしか見えなかったのだ。
なんとなく、私は直感した。この手をつかめば、心も、知識も、彼女に手渡せると。
ばくばくと、心臓が鳴り響く。
取り返しのつかない決断になる。すべてを渡してしまえば、きっと私は消えてなくなるだろう。__それでも、本来ならそれが正しいのではないのだろうか?
思考がドツボにはまり、何が正しいのかわからなくなっていく。
__そんな時、『彼女』の視界が、私の脳裏に流れ込む。
「彼女は、あくまでも女の子だった。世界を救おうとしてしまうくらいとんでもないお人好しで、臆病で、仲間が傷つくのを恐れるような、無謀で、無敵で、強い少女だった。……あの子は根からの勇者じゃない。ただの女の子だ」
優しくて、落ち着く、彼の声。
その言葉を聞いて、私は無意識のうちに真っ白な手に向かって伸ばしていた指先をひっこめる。
神官であった彼は、切々と、パラメータに向かって言葉を紡ぐ。
「……俺は、お人好しの彼女だけがハッピーエンドを迎えられないのが、納得いかない。せめて、彼女は元居た世界で、幸せに暮らせているべきだ」
私の幸せを願う、ロアの言葉。その言葉を聞いて、私は思わず何もない空間で涙をこぼした。
……旅の途中でいつの間にか思出せなくなっていた、家族の顔が。思い出さないように封印していた、故郷への思いが。帰りたいという、強い願いが。胸の内にあふれ出したのだ。
帰りたい。家に帰りたい。お母さんに、お父さんに、弟に、ペットに、友達に、先生に、日常に、会いたい。戻りたい。
ここまで死にかけてやっと、私は思い出した。私の原点に。
ハッピーエンドを迎えたかった。みんなが幸せな終わりを迎えたあと、私も私の日常に変えることができるようなハッピーエンドを。めでたしめでたしな物語にしたかったのだ。
そう思ったとき、真っ白な空間から伸びていた手が、光に溶けて消えて行った。
そうだ。私は、目を覚まさないといけない。生きなきゃいけない。生きて、帰らなきゃいけない。
強くそう思ったそのとき、私の手に、いつもの金属製のロッドが握られていたことに気が付く。
__まだ、戦える。まだ、私は前を向ける!
恐怖で震える体を振り払い、足に力を籠める。立ち上がって、ロッドを強く握る。大きく息を吸い込む。……あんまりにも単純で、普通なら意識しなくてもできるようなことを、たっぷり時間をかけて行い。私は、前を向いた。
そして、一歩、足を踏み出す。__誰にとってもハッピーエンドな未来を迎えるために。
ロアから視線を逸らし、サクラはパノラマに広がる星空を見上げる。奥歯を噛みしめながら、彼女は美しい笑顔を浮かべて言う。
「安藤桜の意思が、見つかりました。……権限を譲渡します」
彼女のその言葉の直後、サクラの流星の杖が砕けちる。粉々になった星の欠片が光に溶けていくさなか、サクラはロアの方をまっすぐとみて、言葉を紡ぐ。
「……さようなら。ワタシの最初で最後の、初恋相手」
「えっ?」
サクラの最後の告白に、ロアは目を丸くし、思わず手を伸ばす。しかし、その手は何をつかむこともできず、無情にも光に変わった聖剣の杖は再構築される。金属製の桜のモチーフのロッドに変わった聖剣。そして、星の映りこんでいた瞳に、光が戻る。
そして、彼女は突然の告白に今だ混乱している様子のロアから、気まずそうに目を逸らす。
何を言うべきか数分間迷い、しばらく沈黙が落ちる。それでも、頭を抱えて、彼女は口を開いた。
「その、お人好しで悪かったわね……?」
その言葉を聞いて、ロアは片耳を揺らして苦笑いをすると、ほっとしたような表情を浮かべて、言葉を紡いだ。
「お帰り、サクラ」
__星降る世界の中、魔法使いと神官は、互いの再会を噛みしめるように喜んだ。
安藤桜は、精神的なプレッシャーに耐えるために、あらゆる感情に鈍感になっていた。
……だからこそ、彼女の本来の感情に、少しの間だけでも触れていたパラメータは、胸の内の中で忘れ去られていた、ロアへの恋心に気が付いたのだろう。
ロアが安藤桜を求めなければ。彼が求める『サクラ』が己でよかったのなら。パラメータは、少しの嫉妬を覚え、故に意地悪として、ふさぎ込んだ安藤桜に『心と知識』を要求した。……結果は、パラメータに『失恋』という新たな感情を覚えさせるには十分な出来事であったのだが。
__白紙だったパラメータは『恋』と『失恋』を学び、その役目を終えた。