148話 正義を我が手に
前回のあらすじ
・勇者ウィル戦
・パラメータ:サクラがウィルを追い詰める
・死んだはずのロアが勇者の一撃を逸らした
砕けた黒の水晶の幹。すさまじい熱波と炎の輝きが薄暗く寒々とした魔王城を熱する。
悪役の様な笑顔を浮かべたジルディアスは、スキルの衝撃ですでに壊れかけた黒水晶の剣をへし折り、再びその右手に剣を生成しなおす。それなりのバフがかかったために、ジルディアスはすっと目を細め、そして、左手の聖剣を掲げて指示を下す。
「総員、誤射にだけ気をつけろ。あとは全力で魔王を削れ!!」
その言葉に、誰も返事を返さない。
その代わりに、全員がそれぞれの武器を構えた。
「威力増強【ライトアロー】!」
「剣術二ノ技【双撃】!」
「光魔法装填、威力増強、魔道具起動【発射】!」
「光をここに!」
光り輝く攻撃の群れは、かなり消耗していた魔王の大木を大きく揺らす。声なき声が苦痛の絶叫を上げているのが勇者一行には聞こえていた。その声が反撃のための怒りに変貌するよりも先に、ウィルの容赦の欠片もない追撃が加わる。
「火魔法第9位【ファイアストーム】!」
炎の竜巻を発生させる火魔法が、大樹の側面を焼く。もちろん、操作をミスした訳ではない。全体の攻撃に影響が出ないようにするために、人がおらず風下になる場所を選ぶと必然的にそこになったのだ。
紅蓮の竜巻は、勇者一行を圧殺するために降り注ぐ黒結晶の硬葉を吸い寄せ、そのまま燃やし灰に変える。
魔王への火力として十分な効果を発揮し、さらには魔王の落葉を防ぐこともできる、最善手にも近いウィルの選択。しかし、残念なことに、上方向にも火力の出るファイアストームでは、空中にいるジルディアスに多少なりとも影響が出る。ウィンドステップの効果が切れた彼は、竜巻の方へ吸い寄せられながら地面へと落下していく。
その様子に、ウィルは小さく目を見開く。
しかして、何故かジルディアスは炎をまるで気にすることなく、自由落下をしながら左手の聖剣に向かって言う。
「聖剣、箒に変形できるか?」
『【__】』
額に伸びる黒い水晶の角が、赤々とした炎でなまめかしく照らされる。その光に、聖剣が変形する時の黄金の輝きが混ざり、ジルディアスの左手には美しい金属製の杖が握られていた。
返ってこない軽口に、ジルディアスは少しだけ目を伏せる。それでも、すぐに気持ちを切り替え、風魔法を唱えた。
「風魔法第四位【フライ】」
風の魔法をかけられた聖剣は浮力を獲得し、重力の束縛から解放される。
楽しそうな笑顔を浮かべた彼は、左手の筋力だけで浮かぶ箒に飛び乗ると、左手で箒の柄を握り、鍛え上げられた体幹を有効活用して片足を立てた膝立ちの様な状態に持っていく。
かなり不安定な状況にもかかわらず、新たなる魔王は箒の直径五センチばかりのやや太めの柄の上でぐらつくことなく、右手に黒結晶の刃を構える。
そして、炎の竜巻の方へと吸い寄せられる黒結晶の塊を回避しながら、太い魔王の幹へと加速していく。
迫りくる脅威を察知した魔王は、枝一つを蠢かし、それを黒竜に変える。
黒曜石よりももっと深い黒色の鱗を持ったそのドラゴンは、どす黒い瘴気を振りまきながら、ジルディアスに向かってその剣の様な牙をむき出しにして迫りくる。
それでも、彼はまだ加速した。
火の粉が頬を撫でる。ドラゴンの空気を震わせる咆哮が腹を震わせる。吹き抜ける風が新たなる魔王の白に近い銀髪を揺らし、その美しい相貌を露わにした。
花咲くような、心奪われるような、命奪い合う戦場に似合わぬ、笑顔。
彼は、笑って黒結晶の大剣を、振り下ろす。
生み出された直後の黒竜は、まるで意味が解らなかったことだろう。
スキルさえ行使していない一刀のもとに、脳を断ち切られ、首骨を断ち切られ、腹を断ち切られ、尾まで断ち切られた、そのドラゴンは、膨大な量の瘴気を新たなる魔王に奪われ、黒結晶でできたその体を透明に変えて、重力という名前の鎖に縛られ落ちていく。
瘴気はジルディアスの攻撃ステータスに変貌する。ちょうど、彼が武器を破壊した時のように。
真っ二つの黒竜だったその存在は、禍々しい魔王城の床に墜落し、まるで杭を打ち込まれた氷細工のように、パリンと音を立てて儚く砕け散る。
その様子を見たウィルは、表情をひきつらせ、自然と声を漏らしてしまった。
「……なんてこった。僕たちは、とんでもない魔王を生み出してしまった!」
新たなる魔王は、古き魔王……黒結晶の巨木の破壊者として、高らかに笑う。ああ、そうだ。運命に唾吐く彼は、光魔法の才能の欠片もない彼は、魔王の才能を持っていたのだ!
ジルディアスの姿を見て、アリアはどこか納得した。
__勇者の素質とは、即ち、勇者の才能を持っていない人族の通れない魔王の張る結界を超越できること。……なら、何で従者は通れるの?
勇者の才能のない……聖剣の所有者たりえないアルフレッドは、従者になることで魔王の結界を通ることができるようになった。試してはいないが、きっとアリアも勇者になる才能を持ってはいない。それでも、従者になったがゆえに、結界を通り抜けることができた。
その理由が、今黒いタイルの上に転がる透明な破片で察せられた。
あの黒竜だった透明な水晶は、ジルディアスに瘴気を……ステータスを完全に奪われてしまっている。それは間違いなく、彼のオリジナルスキル【武器の破壊者】の効果に違いない。
勇者とは、魔王の権限を喰らうことができる存在、もしくは、魔王の権限を棄却することができる存在が、勇者たりえるのだ。つまり、勇者とは新たな魔王になる才能を持った存在なのだ。
黒竜を一刀両断した才ある魔王は、魔王の枝に飛び移ると、全員に向かって宣言する。
「魔王を破壊する。__聖剣、折れるなよ」
そして、ジルディアスは箒を剣に戻すと、黒竜を一刀両断にするというあまりに無茶苦茶な運用をされた結果大きく刃こぼれした黒結晶の剣を投げ捨てて、聖剣のみを両手に握り構える。
己の生死に関わる脅威を察知した魔王は、即座に枝上の怪物を排除するべく、肉体を剣やら棘やらに変形させる。
しかし、その棘に、聖剣は光魔法を行使する。まばゆい光が、光さえも吸い込むようなどす黒い水晶を優しく撫で、容赦なく溶かし焼き払う。当然、聖剣を握るジルディアスにも、多少の影響はあったが、自前のタフさで苦鳴一つ上げずに振りかぶった聖剣を、魔王の幹めがけて振り下ろす。
白銀の一閃が、魔王の呪いさえも奪いつくす一撃が、漆黒の幹を捉える。
幹を下から攻撃していたウィルたち勇者一行は、白銀の雷光がどす黒い世界樹の様な魔王に直撃したのを見た。
響き渡る雷鳴。世界が崩壊するような空気の震えの中、一瞬だけ唖然としていたウィルもすぐに魔法を展開した。
「みんな、防御態勢をとってくれ! 【ファストバリア】!」
ウィルの言葉を聞いた勇者一行は、即座に行動を始めた。
黄金の盾に囲まれた状態でも、アルフレッドはすぐ近くにいたアリアを大剣の影に隠すようにして防御態勢をとり、シスはユミルを庇うように立ちながら、無詠唱でファストバリアを展開し、ユミルもまた、神語魔法でウィルとシスの防壁の魔法を強化する。
そして、まばゆい雷光が、魔王城の黒を、飲み込んだ。
すさまじい光に眩んだ目が、少しずつ慣れて戻ってくる。
アルフレッドの大剣の後ろで守られていたアリアは、目をこすりながら、顔を上げる。魔法で紡がれた黄金の盾は、既に砕け散って、役目を果たすことはもはやできないようだった。
最前線でアリアを庇っていたアルフレッドは、仁王立ちをした状態で意識を失っている。彼女は小さく悲鳴を上げて慌てて彼の脈を確認する。きちんと脈も息もあった。
安堵したアリアは、そこで初めて周囲の状況を見る。
そして、彼女は長い耳を驚きでピンと立てながら、息を飲んだ。
光を飲み込むほど暗かったタイルは、やさしい夜空の透明さを持ち、星屑の粒が柔く輝いている。壁も扉も夕暮れや朝焼けの空のように変わっており、今まで立っていた空間が夢か何かだったようにすら思えた。
攻撃の衝撃で砕けたステンドグラスはそんなタイルの上に散らばっている。粉砕されているものの、ガラス片は月光のような柔らかい光を持っており、どこか落ち着くような感覚すらある。
そして、次に彼女の目を奪ったのは、広いダンスフロアだったその部屋の天井を突き破らんばかりにそびえたっていた魔王……だったもの。
世界樹のように巨大で、強大で、それでも、悪意の塊だったその存在は、割れた窓の外から入ってくる光に照らされ、夜空のタイルの上に、透けた影を映し出す。
透明な影に従って視線を動かすと、それはあった。
例えるなら、曇り一つないダイアモンド。例えるなら、悠久の時をかけて凍り付いた空気の含まれていない純粋な氷。例えるなら、一流のガラス細工職人が一生をかけて作り上げたクリスタルガラス。
割れた窓から差し込む日差しが、白くそれを輝かせる。乱反射した光が夜空のタイルをランダムに、そして美しく彩る。
そびえる魔王は、あの光を奪いつくすような禍々しい黒色を失い、木の中腹に夜空の黒色の繭を残して、透明に枯死していた。
透明な魔王を置いて、アリアはすぐにパーティメンバーの確認を行う。ファストバリアを展開していたウィルとシスは、それぞれの発動体……聖剣と光魔法に特化した魔導銃を握ったまま意識を失っている。若干の魔力不足の症状はあるが、すぐに命にかかわりがあるわけではなさそうだ。
そして、魔力を強化する純白のドレスを身に纏ったユミルは、神語魔法を行使する時の、手を組んだままの状態で眠るように意識を失っていた。彼女に関しては、命にはかかわらないまでもそれなりに重度の魔力不足だ。
結界のすぐそばでアリアと皆を庇うように立ち、結果的にバリアで消しきれなかった衝撃の余波を喰らったアルフレッド以外は、全員が魔力不足の症状である。魔力不足は基本的に、MPを回復させるポーションを飲ませながら安静にする以外に対処方法がない。
そのため、アリアは比較的肉体的に重症なアルフレッドに回復魔法をかけてから、パーティメンバーを安静な体制にした。そして、みんなの側にMPポーションをいくつかおいてから、世界樹の弓を構え、警戒しながらも改めて魔王だった透明な結晶の方へと歩いていく。もしもまだ、魔王に力が残っているのだとしたら、アリア以外に皆を守れるものがいないのだ。
透き通った色の無い魔王の周辺には、ダイアモンドの塊のようなものが転がっている。おそらく、これは散々勇者たち一行を苦しめてきた魔王の破片だったものだろう。
黒の色がなくなった魔王の破片は、禍々しさもまた消えていた。あれだけの脅威が、ただのモノのなってしまったのだ。
あまりの変貌に、彼女は少しの恐怖にも近い感情を抱き、耳を横たえる。それでも、己が仲間のために、彼女は勇気と好奇心を持って透明な大樹に向かって歩を進めた。
透明度の高い樹木の一番大きな枝は、ジルディアスの一撃に耐え切れなかったのか、タイルの上で透明な状態なまま砕けて転がっている。一枚一枚が体の大きさ程あるのではないかと疑いたくなるほど大きな魔王の葉をそっと触ると、かなり脆かったのか、簡単に砕けて灰に変わってしまった。
そんなにも簡単に砕ける透明な結晶の枝の側。比喩するなら、砕けたガラスの棺に納められた死体のような状態で、ジルディアスが倒れていた。
「?!」
アリアは驚きで目を丸くしながらも、彼に駆け寄る。
ジルディアスの不遜ともいえるような輝きを常に持っていた赤色の瞳は、長いまつげの彩る瞼の下に隠されている。全身は赤色の液体で濡れている。どうやら、あたりに広がる結晶で皮膚を切ってしまっているらしい。
彼女は慌てながらも、どこか冷静だったらしい。ジルディアスの呼吸を確認する。……呼吸がない。額に汗を浮かべながらも、彼女はジルディアスの脈をはかる。……脈もない。
「し、死んでる……」
「当たり前だろうが。俺はアンデットだぞ」
「うぎゃぁぁぁぁぁああ?!」
突然聞こえた返事に、突然動いたジルディアスの口に、アリアは心臓がひっくり返ったかと思うほどに驚く。けたたましい彼女の悲鳴に、ジルディアスは目をつむったまま額に青筋を浮かべる。
彼は頭をガシガシとかきながら、ズタボロになった体を起こす。アンデットである彼は、出血多量で死ぬことはない。高高度から落下しても、肉体が完全にバラバラにならなければ死なないのだ。現に、割れた頭蓋も魔力によって修復されて行っており、複雑骨折していた肋骨も背骨も、今は既に治りきっている。
起き上がったジルディアスは、あたりを見回してから一言。
「ユミルは無事か?」
「え、あ、特に怪我とかは無くて、でも、死んじゃうって程じゃないけど、ちょっと重度目の魔力不足……」
「わかった。死にたくなければ今すぐMPポーションをよこせ。拒否するなら殺してでも強奪する」
「何でいきなり脅迫するの?! もうみんなのところにポーションは置いてあるよ?!」
シンプルに怯えた様子のアリア。そんな彼女の様子を一目も見ず、ユミルたちの横たえられた場所を見たジルディアスは、彼女の頭の側に新品のMPポーションの瓶が置かれていることを確認する。
それを見て、ジルディアスはすぐに右手に生成しようとしていた黒結晶の剣を空気に溶かして消す。
傍若無人なジルディアスにおびえながらも、アリアはふと、透明な魔王の大樹を見上げる。あまりにも太いその幹の中ほど。そこには、夜空を紡ぎ糸にしたような美しい眉のような長細い球体が閉じ込められている。魔王に色があった時には、その黒に隠されて見えなくなっていたのだろう。
その繭が、とくり、とくり、と、脈拍する。
アリアの恐怖の混ざった呼吸を感じ取ったジルディアスもまた、彼女の視線に導かれるようにしてその繭に目を向ける。そして、それを見た瞬間に、彼はつぶやいていた。
「……闇の妖精?」
彼がそう呟いた瞬間、魔王の大樹にぴしりとひびが入り、木の中の繭は羽化した。
【色無き魔王】
__こうして、神代から世界にはびこっていたバグは、その機能を簒奪された。