145話 願いは砕けず、思いは消えず
前回のあらすじ
・勇者ウィル戦
・ロアが勇者ウィルのバフを消し、死亡。
・パラメータ:サクラが覚醒
再構築された聖剣は、彼の知る最も強い人間の姿に変形した。
……きっと恩田ならば『最も強い』と認められたことについて首をひねるだろう。それでも、第四の聖剣は確かに、彼の強さを認めていたのだ。聖剣としての本来の能力は、復活と変形のみ。今使用できる光魔法は、恩田が努力して強くなった証なのだ。
一対多数の状況を把握した聖剣は、左手に施された刻印に魔力を流し込み、短く詠唱する。
「______【__】」
詠唱と同時に黒曜石の地面に手をつき、身を焼き焦がす強烈な光の束で地面に刻印を施す。聖剣単体では使用不可能な、錬金術のスキルだ。穢れに満ちた床にエリアヒールの魔法を刻み込み、シスに化けた黒結晶の怪物から引きずり出した魔石を魔力として起動させる。そうすれば、聖剣が魔法を継続し続けなくとも、刻印さえ破壊されなければ、魔石さえ砕かれなければ、エリアヒールの呪文は持続するのだ。
己の肉体を蝕む浄化の光に、黒結晶の怪物たちも即座に地面に施された刻印を砕こうと各々その肉体を蠢かせる。しかして、黒色の光の跡に触れた瞬間、怪物たちは耳障りな絶叫を上げて崩れ落ちた。
それもそうだろう。聖剣はエリアヒールの魔法こそ持続してはいないが、【レイ】の魔法のみは継続していたのだから。魔法が象り続ける刻印は、癒しの魔法をあまりにも攻撃的に継続させる。そして、崩れ落ちていく結晶の怪物たちを横目に、聖剣はある人物の元へと歩み寄る。
そこに倒れていたのは、腹に黒の短剣を突き立てられたジルディアス。その体には既に原型をとどめていないユミルを模していた結晶の怪物が取り巻いており、脈動する黒の短剣は、ジルディアスの体を蝕んでいた。
魔王の呪いに侵されたジルディアスに回復魔法をかけようと手を伸ばしかけた聖剣だったが、あることに気が付き、その手を止めた。
__ジルディアスが、生きていないのだ。
へそよりも少し上に突き立てられた黒の短剣は、深く切り開かれて多量の血を流している。最後まで生きて足掻いていた彼も、酷く長い間続いていた拷問で失った血をとり戻しきれてはいなかったのだろう。……その血の量は、既に致死量に達していたのだ。
聖剣は、その目を見開き、思考が白むのを感じた。
こんなことをしている暇ではないと分かっていた。聖剣としての本能が、魔王の呪いに蝕まれたかの死体を滅ぼせと命令しているのを理解していた。エリアヒールを踏み越えて襲い来る結晶の怪物たちの存在もわかっていた。
それでも、ただ、存在しないはずのこころが、きしんで痛む。生まれて初めての感覚に、聖剣はただ困惑した。
死体から魔王の呪いを打ち払っても、残るのは死体だけだ。ジルディアスは生き返りはしない。その事実に、深く、心が傷つくのを感じていた。それが何故なのかを、聖剣は説明できない。恩田から譲渡された魂が軋む。今すぐに泣き崩れたい衝動に駆られる。
それでも、聖剣はぐっと奥歯を噛みしめた。
「__、_________。_____、」
紡がれる、聞こえぬ言葉。
聖剣としての役目を果たせと__魔王の呪いに侵されたジルディアスの死体を消し去れと叫ぶ本能をかなぐり捨て、第四の聖剣は、その右腕に剣を創り出す。
「__、__________!!」
そう叫んだ彼は、ジルディアスに向かって右手の聖剣を振り抜いた。
__銀の一閃は、ジルディアスを取り込むように巻き付いていた結晶の怪物を打ち砕く。砕け散った黒の結晶は、エリアヒールの光に溶かされ、灰になって散っていく。
脈動する黒の短剣はそのままに、ジルディアスはまるで眠ったかのような表情で赤色の水溜りの上に倒れた。ピクリとも動かない彼の体は、少しずつ、少しずつ、熱を失っている。
聖剣はただ、周囲を睨む。
世界樹のようにそびえる黒結晶。魔王の欠片はまだ、あたりに大量に転がっている。敵はまだいる。これ以上、彼の死体を弄ばせるわけにはいかない。
声にならぬ声を上げ、聖剣は、襲い来る怪物たちを打ち払う。
牙を立てようと大口を開けた獅子にも似た怪物の首を撥ね飛ばし、上空から大量の結晶を降り注がせようとしてきた鳥の様な怪物を光の槍で撃ち落とし、液状に崩れた怪物を踏みにじってひたすらに、ひたすらに、絶望を切り開く。その在り方を、聖剣はジルディアスたちの旅の過程で知った。
聖剣はわかっていた。ここまで穢れてしまったジルディアスの死体に光魔法を使ってしまえば、その瞬間彼の死体は燃えて灰になってしまうと。アンデットになりかけている彼の体には、もうすでに光魔法は癒しの光ではなく、穢れを祓う強烈な閃光に他ならない。
だからこそ、彼の死体を守る聖剣は、不用意に光魔法を行使することができなかった。
聖剣の本能はそんなことをお構いなしに魔王を滅ぼせと訴える。それでも、第四の聖剣はその本能を棄却した。魂がそのあまりにも合理的な判断を嫌ったのだ。__どれだけ非効率でも、この感情だけは曲げたくなかった。
幾度となく砕けても、幾度となく破壊されても、その体は致死には至らない。勇者を守りたいという願いは折れはしない。
そんな聖剣の叫びを、ある種の祈りの声を、彼は、聞いていた。
ひとりでに閉まっていた、魔王の間に続く扉が、開かれる。
背後から、太陽の光が、差し込む。
「ごめん、遅くなった!」
若い声が、響く。
赤色のバンダナをしっかりと結び、輝く白銀の聖剣を握った彼が。
「あ、あれが魔王……?! どうやって倒せばいいの?!」
困惑する女性の声が、響く。
世界樹の若枝の弓を持った、エルフの彼女が。
「精一杯戦うほかないだろうな。__心配するな、負ける気はさらさらない!」
迫力ある騎士の声が、響く。
聖銀でできた甲冑に身を包み、両手剣を握った彼が。
「お待たせしました、ユージさん!」
堂々とした女性の声が、響く。
片腕を晒したシスター服を身に纏った、魔導銃を携えた祓魔師の彼女が。
「大丈夫です。私だって戦えます……!」
不安の混ざるたおやかな少女の声が、響く。
純白のドレスを身に纏った、光魔法使いの彼女が。
たどり着いた5人の男女は、それぞれの武器を構えてそびえたつ魔王を睨む。
ウィルたちが、魔王の居城にたどり着いたのだ。
聖剣は、ぐっと眉根を寄せる。そして、何も言わずにぐっと魔王を指さした。その動作に、ウィルは少しだけ首をかしげる。
その瞬間、聖剣が行動をもってして意図を伝えた。
「______【_______】!」
穢れた空気を焼き焦がすような、強烈な光魔法があたりにちりばめられる。ただし、正確無比な魔力制御によって、彼の背後__つまり、ジルディアスの遺体の転がる場所__には光の一筋も被弾することはなかった。
強烈な光魔法は、魔王の結晶からあふれ出てきていた怪物の多くを屠り、まっすぐな道を創り出す。
そんな第四の聖剣の行動に、ようやくウィルは意図を察する。
「彼が道を作ってくれてる間に、魔王本体を叩こう!」
若く高らかな勇者の宣告。その言葉に、4人の従者たちは大きく頷くと、一気に駆け出した。
勇者の死体を守りたい聖剣は数だけは多い結晶の魔物の排除を。
__魔王の滅びる時は、近い。
深い深い水の底に、沈んでいくような感覚が彼を襲う。
不思議と、体に痛みはなかった。ただ、己の輪郭が溶け落ちていくような、何もかもが消えて行くような、ひたすら真っ白な何もない空間に墜ちていくような、そんな心地を覚えた。
消えて行く己の輪郭。手もなく、足もなく、何なら頭がある気もしない。思考を維持しようにも、何故物事を考えるのかわからなくなっていく。天井も壁も床もないただただ『白い空間』に漂白されていく。
このままこの摂理に流されて、無に帰していくのだろうということは理解していた。それでも、恐怖はなかった。だって、それが当たり前なのだから。
死した魂は朽ちて溶けて漂白されて、また輪に戻る。それだけだ。
それだけだった、はずだった。
ふかく、ふかく、沈み込む意識に、とおいとおい水面から、声が聞こえてくる。
『僕は、君を、守るために戦うんだ!!』
聞いたことがないはずなのに、ずっと寄り添ってきてくれていたような気がする。そんな声が、聞こえてきた。
__そのとき、彼の脳裏に……頭などないはずなのに、確かによぎった。
愛おしい婚約者の顔が。
愛おしい同僚たちの姿が。
愛おしい故郷の人々の顔が。
__愛おしい、日常の姿が。
それを思い出した瞬間、彼は__否、ジルディアスは腹の底から叫んだ。
まだ、死ぬわけにはいかない、と。
まだ、消えるわけにはいかない、と。
溶け落ちていく輪郭が、戻っていく。酷い穢れが己を取り巻いていくのを理解した。
このまま消えれば、多分きっと、普通に死ねるのだろう。
それでも、彼はその死を否定した。だからこそ、魂が歪んでいく。いびつに歪んだ魂は、穢れを帯びる。だからどうした。それでも構わない。まだ死ぬわけにはいかないのだから!
輪廻に逆らい、摂理に逆らい、ジルディアスはひたすら水面を目指す。
そして、死者は蘇る。__魔王として。