140話 魔王の御前
前回のあらすじ
・恩田たちが魔王の居城へ移動
・ロアとサクラがダンジョン【if】に挑む
俺とジルディアスは、割と余裕をもって魔王城にたどり着く。完全に治療の終わった今、ジルディアスが木っ端みじんの魔物ごときにやられるわけもなかったのだ。
魔王城のエントランスとでも言うべき場所で、ジルディアスはとりあえず指輪から武器を全て取り出し、現状の装備を把握する。
既に鞘なしの武器がエントランスのような場所にいくつもいくつも転がり、正直移動するのにも苦労するほどだ。しかして、まだ指輪から武器が尽きる気配がない。
「うわすっげ、なにこれ、めっちゃぐにゃぐにゃ」
「おそらくロッドの類だな。あの阿呆、ほぼ芸術品扱いだろうが金属でできているから適当に放り込んだな」
蛇と蛇が絡み合うような造形の金属製の杖を拾いながら、俺は思わず言う。
ジルディアスはオリジナルスキルの都合上、武器はバフのために破壊することもあるし、壊れやすくなる。だからこそ、ジルディアスの父アルバニアはかなりの数の武器をしまい込んだ指輪の倉庫を俺に渡したのだろう。今回の指輪の倉庫はそれなりに高級なものなのか、金属以外の素材も使われているものがいくつか紛れていた。
とはいえ、ほとんどは金属製のものであり、容量削減のために鞘やら武器を安全に運搬するための入れ物やらは全く入っていない。指輪に入れずそのまま運んだら一体いくつ荷馬車が必要になるのだろうか。
「鉄パイプあるじゃん。武器っていや武器だけどさ……」
「こっちは木製の杖か……これを使うと一発で折れてしまいそうだ」
「杖って敵を殴るためのものじゃなくない?」
明らかに間違った魔法の発動体の使い方をしようとしているジルディアスに、俺は思わず口を挟む。
そんなことをしているうちにどうやら武器の確認は終わったらしく、出した武器を適当に指輪に戻す。これだけ数が多いと、管理も大変そうだ。たっぷり時間をかけて武器を回収し、最後に俺を呼ぶ。
「おい」
「うん? ああ、そう言うこと?」
無言に近いジルディアスの呼びかけ。それでも、俺もある程度はくみ取れるようになっていた。悪戯っぽく笑顔を浮かべ、俺は肉体を光の粒子に変える。そして、剣の姿になった俺の柄を、ジルディアスはさっさと受け取り、歩き出す。
__決戦が、始まる。
勇者の資格は失われたジルディアスは、聖剣を魔王の城の床に突き立て、しばらく仮眠をして体調を万全にすると、眠気をMPポーションの酷い味で消し飛ばし、さっさとエントランスから続く道を歩く。
神代から残り続けたこの城は、荒廃が酷い。しかし、多少荒廃しているだけで建物自体は維持されているのは、ある種異常に見える。魔力の流れをなんとなく意識して視界を維持すると、建物の壁の中にまるで血管のように魔力の管が張り巡らされているのが分かった。脈動する様は生き物のようで、ジルディアスは思わず不機嫌そうに舌打ちをした。
『どうした?』
きょとんとした様子の聖剣に、ジルディアスは短く答える。
「怪物の体内に入ったようで不愉快だ」
『うーん、訳が分からない』
「まあ、気にすることはない。魔王を討伐したら、最悪この建物が崩れ落ちそうだということだけは覚えておけ」
『思ったよりも重大な話じゃねえか』
そんな話をしながら、やがてジルディアスと聖剣は、見上げるほど巨大な扉の前にたどり着く。おそらく、この先が闇妖精の謁見室だったのだろう。豪華絢爛な扉は、禍々しい魔力ではびこり、飾りのカラス石は埃一つかぶっていない。
呼吸もしにくいほどひどく穢れた空気を肺に収めながら、ジルディアスは両開きのその巨大な扉を蹴り開けた。
『行儀悪いぞ』
「こんな扉に触りたがる奇特な人間はお前以外いないだろうな」
『前言撤回、俺も触りたくない』
緊張感の欠片もないそんな話をしながら、二人は魔王の御前にたどり着く。
聖剣は、魔王を何らかの生物だと思っていた。しかし、それが誤解だったと魔王を前にして気が付く。
そもそも、魔王とは『生物を生きたままアンデットにする』という呪いを媒介するバグなのだ。その呪いに侵されたものは、周囲に無制限にその呪いを広め、人間家畜微生物問わず生きたままその魂を死に絶えさせる。その結果、北の大陸イシスは死の大地と化した。
アンデットとしてもこの世に留まるだけの強烈な意思のない、いわば出来損ないの呪いによってつくられたアンデットは、意味もなくただ呪いを媒介する素体として世界を徘徊するしかないのだ。
そんなおぞましい呪いの本体が、たかが生物の様な素体に収まるのだろうか? __そんなわけがない。
かつて闇妖精の城だったその場所の謁見室。見事なデザインのステンドグラスが天井から地面へ差し込む。死に絶えた大地にも平等に降り注ぐ日光は古ぼけたステンドグラスを通り抜けて変色し、黒曜石のタイルの敷き詰められた広い広いフロアに幻想的な模様を描く。生命体のないその広大な空間は、日差しを壁に遮られていることもあり、嫌に寒々しい。
ジルディアスと聖剣は、その大きな体育館を二つか三つくっつけたような寒々しく広大なフロアの奥、劇場のように一段上がったその場所を自然と見上げていた。
本来なら王座のある主賓席。そこに、世界樹の様に大きな黒結晶があった。禍々しいその黒結晶はあまりの邪悪さ故にその感情が反転し、もはや神々しさすら感じられる。
つややかな黒結晶はどす黒い血管のようなものが張り巡らされ、地面から吸い上げた何らかのエネルギーを喰らい消化し脈打っている。聖剣はなんとなく、あの存在のエネルギーとなっているのは、『この世界』の命そのものだと、直感していた。
滅びを与えるその怪物は、生命体ではない。勇者たちの前に立ちそびえる無機物の黒水晶こそ、この世界を喰らいつくす脅威たる魔王なのだ。
黒水晶の魔王を前に、ジルディアスは小さく息を飲む。
この水晶の大きさはかつてエルフの村の世界樹の湖に沈められていたあの水晶の比にならない。そびえたつ黒水晶の大木は、世界の命を糧に増殖する害悪そのもの。アレを砕き消滅させない限り、脅威はやがてフロライトに訪れることは間違いない。__そして、脅威が訪れるときはあまりにも近いことも、理解せざるを得なかった。
吐き気を催すような恐怖が聖剣の全身を襲う。転生前に言われていた『魂を崩壊させかねない存在』は、目の前の黒水晶だと、嫌でも思い知らされた。
命無き魔王は、侵入者である勇者たちを知覚し、やがてその脈拍をうごめかせる。ゆっくり、ゆっくりと蠢く脈拍に、流石のジルディアスもすぐには反応できなかった。
魔王は脈打つ水晶の体の一部__玉座の上に転がっていたほんの小さな破片を溶かし、その姿を変える。おぞましい変貌は、すぐに終了した。
水晶が変形したのは、この居城の道中にも表れた、どす黒い怪物。水晶でできた鹿の様なその怪物は、ガツンガツンとその蹄を黒曜石のタイルに打ち付け、やがて、その瞼を開ける。
血のように赤い真っ赤な瞳を煌めかせた水晶鹿は、すさまじい速度でジルディアスの方へ突っ込んでいく。殺意を持って突き進む鹿を見て、ジルディアスは小さく舌打ちをして聖剣を構える。
おぞましい水晶鹿は、ガラスを砕いたような嫌な鳴き声を上げ、長く雄々しい角を振り回す。そんな鹿をよそに、聖剣は即座にジルディアスに対して強化魔法をかける。
『【バイタリティ】、【インテリジェンス】!』
「まずは小手調べだ__死ね」
強化魔法を受けたジルディアスは、そのまま聖剣を横なぎに振り、鹿の首をその剣でとらえる。滑らかに弧を描いた聖剣は、容赦もなくその穢れた水晶鹿の首を刎ね飛ばした。
首を刎ねられたその水晶鹿は、短く鳴き声を上げ、地面に崩れ落ちて砕け散る。穢れを浄化されたためか、鹿の肉体を作っていた黒水晶の色は透明になって粉々に砕けていた。
砕けた水晶を踏みにじり、ジルディアスは一歩、魔王の方へ歩を進める。
すると、魔王は侵入者であるジルディアスを敵と認めたのだろう。あたりに転がった水晶を歪ませ、溶かし、蠢かせ、水晶の怪物を生み出していく。
ほぼ無尽蔵と言えるような、あふれ出る怪物たち。本来なら絶望的な光景であるにも関わらず、不敵な笑みを浮かべてジルディアスは言う。
「__とっとと殺しつくす。これならまだ原初の聖剣の方が強い」
『確かに。割と拍子抜けだな。数だけ多いし、手分けするか?』
「そうするか。魔法の発動体なら貴様よりも普通に杖を使ったほうが効率がいい」
『……それはそれでなんか悔しいな』
そんな話をしながら、ジルディアスは聖剣を適当に放り投げる。
空中に投げられた聖剣は、人間の体に変貌し、何とか刻印の施された左手を地面につき、不器用な着地を成功させる。そして、ほぼ同時に右手を変貌させて聖剣を握った。
「ザコ狩りからだろうし、長丁場になりそうだ」
「効率よく行こうぜ。ってわけで、とりあえず場を整えるところからだな。【エリアヒール】!」
恩田とジルディアスを囲むように半径10メートルの円形に、癒しの奇跡が訪れる。もう少し大きくするか迷ったが、まずはあの結晶の怪物たちを砕き魔王の守りを手薄にするところから始めなければならない。故に、双方の戦闘スタイルの邪魔にならない程度の大きさにとどめたのだ。
「ああそうだ、駄剣」
思い出したように紡がれる言葉。その声に思わず振り返った恩田は、次の瞬間、右手に握っていた聖剣が粉砕されたことに気が付く。
聖剣までが本体というよりも、聖剣さえも肉体の一部である恩田は、砕けて柄だけになった聖剣を見て涙目で怒鳴る。
「おまっ、こう言うのは声かけてからやれよ! 何かめっちゃ全身痛いんだけど?!」
「ほう、それも一応体の延長なのか……神経は通ってなさそうな無機物にしか見えんが」
「仕組みは知らねえよ。つーか俺も持ってる剣砕けたら痛えの知らなかったし」
そんなくだらないやり取りをしながらも、恩田の聖剣を……もしくは聖剣の恩田を砕いたジルディアスは、己のステータスが上昇しているのを自覚した。いくら道中での治療で回復したとはいえ、物理的に筋肉や内臓をそぎ落とされてしまえば、肉体の質は落ちる。今の彼は、最盛期というにはやや劣っていた。……それでも、その力量は優に目の前の怪物たちを上回る。
指輪から適当に一本の剣を取り出し、握り砕く。そして、砕けて柄だけになった剣を捨て、次に取り出したのは、敵をまとめて始末できる戦斧。無機物限定の装備しかしまい込めなかったかつての指輪の倉庫とは違い、今回の倉庫は有機物もしまい込むことができる。だからこそ、ジルディアスが手に取った戦斧のグリップ部分は美しく繊細な飾り糸に彩られ、磨き上げられた琥珀のビーズが柄を飾り、魔法金属でできた斧の刃は天井付近から降り注ぐステンドグラスの光を受けて虹色に輝き、とても見事な戦斧であった。
「ふむ……こういった飾りはそう好かないが、魔力の通りがいい……魔法の発動体も兼ねているな」
「へえ、いいなソレ。カッコいい」
身の丈ほどある大きな戦斧を軽く振り回し、ジルディアスは楽しそうに鼻歌を歌う。これから始まるのは、戦闘というわけではない。一方的な蹂躙に過ぎないのだから!
癒しの奇跡の下りた半径10メートルを恐れる穢れた結晶の獣。そんな怪物たちを前に、先に動き出したのは、果たして恩田かジルディアスか。少なくとも、どちらも合図することなく、自然と動き出す。
「光魔法第5位【ライトジャベリン】!」
「威力増強、闇魔法第5位【ダークジャベリン】、【グラビティ】!」
短い詠唱文句とともに、砕けた聖剣を光に帰し、代わりに光の槍を握り特攻する恩田。
戦斧を構え無数の闇の槍を展開し、このフロア全体に移動速度を低下するデバフをかけ地面をけるジルディアス。
そんな二人に、無謀にも水晶でできたライオンの様な怪物が二匹突っ込んでくる。……結果など、言う必要があるだろうか?
先に一匹のライオンの首に刃を突き立てたのは、ジルディアスだった。戦斧は丸太のように太い水晶のライオンの首をたやすくへし切り、その黒い水晶の色をかき消す。
ついで恩田が光の槍で大きく開かれたライオンの口を突き、内から喉をえぐり貫通させる。それでもまだ苦しそうにうごめく水晶の獣に対し、ついでと言わんばかりに握り締めた左拳を振り下ろし、完全に黒水晶のライオンを砕いた。
__魔王を前に、勇者と悪役の戦いの火蓋は、切って落とされた。