137話 青の聖都市の悪意を超えて
前回のあらすじ
・アーテリアを通過
・ウィルたち勇者一行が出発
・サクラとロアは神の演算機を破壊しに行く
アーテリアの住人たちが用意してくれた魔道具を抱え、人型に戻った俺は穢れたイリシュテアの城門前を駆け抜ける。濃すぎる霧のせいで空を飛ぼうとすると方向感覚を失ってしまうためだ。
穢れた処刑場であるイリシュテア城門前は、異常な数のアンデットであふれかえっている。俺がそこまで深く知ることではないが、ミニングレスが復活したために今まで地中奥深く出眠っていたアンデットたちが目覚めてしまったらしい。神前裁判で離別を宣言したシスに続き、イリシュテア所属の祓魔師たちの多くが国を出て行ってしまったため、増加したアンデットに対し討伐が追い付いていないのだろう。
地獄じみた様相の処刑場をアレンが作った光魔法の付与された魔道具を使いながら走る。流石に下半身を馬にして高速移動、ということはできないものの、生前の体よりも融通が利くため、人類最速以下程度の速度を維持して走ることはできた。
転んだら間違いなく死ぬ。立ち止まればアンデットに殺される。時折こちらに向かって飛んでくる魔法攻撃にぶつかって木っ端みじんにされながらも、俺は全力で走り続けた。
立ち込めたきりでぬかるみ苔むした地面を蹴り、飛んできた石の弾丸をバリアで弾き、後ろから振り下ろされるアンデットの一撃から走って逃げる。
無罪で殺されたかもしれないアンデットたちに同情する気持ちはある。無念と怨念をこの世に残し、あの世へと旅立てないアンデットたちが哀れだと思う気持ちはある。それでも今はただ、彼等が障壁以外の何物でもなかった。
「邪魔、だ!!」
左腕の刻印に魔力を流し込み、ヒールの魔法を振りまく。回復魔法を攻撃のために使うというある種矛盾した行為を行いひたすらに道を突き進む。光の魔道具のおかげで肉体の損傷は復活スキルを使わずともだんだん回復していく。……まあ、即死したら復活スキルを使うしかないのだが。
アンデットたちの骨を打ち付ける音が、腐った肉が地面を引きずる音が、不死者たちの悲痛な叫び声が、響く。それでも、俺は足を止めずに走る。本当に申し訳ないが、今の俺に彼らを祓ってやれるだけの時間的余裕がない。
そう考え、全力でイリシュテアに向かう俺の前に、ふと、何か人工的な明かりが見えた。嘘だろ、巻き込んじまう……!
そう思った俺だが、次の瞬間、その考えが誤りだったと気が付いた。
「威力強化、複数詠唱、【エリアヒール】!」
重なった複数の声。そして、まばゆい光が、俺を、俺の近くの空間を、一気に黄金の輝きで染め上げる。あまりにも威力が強いが、おそらくこれはエリアヒールだ。
茫然とする俺の視界に、霧の向こうで動く影が見えた。その陰の首元には、銀色の二重丸。ずいぶん見覚えのあるそのエンブレムに、ゲッと声を上げそうになるも、次にかけられた声に俺は小さな安堵を覚えた。
「第四の聖剣の保護を! 祓魔師の誇りにかけて、勇者を守れ!」
「魔導銃部隊用意! 魔力が少ないやつはサブウェポン出しとけ!」
その腕に手かせのような入れ墨の掘られた、神服の人々。鍛え上げられた肉体に無駄な箇所はなく、さらされた腕にはいくつもの傷跡や爛れた跡などが残されている。それでも、魔導銃を携えた彼らのその瞳には確かな誇りと、そして、力強さがあった。
聖銀で作られた銃剣を持った一人の祓魔師は俺に駆け寄ると、顔を確認してからすぐに笑顔を浮かべて口を開いた。
「お久しぶりです、第四の聖剣様……えっと、ユージ様、でしたか?」
そう確認する使い込まれた銃剣を持つ祓魔師だが、俺は彼に見覚えがなかった。思わず首を傾げ、俺は問いかける。
「あ、えっと……初めまして、だよな?」
「あ、すみません! 私はシスの同僚でして、神前裁判の時にシスを救出するために闘技場にいまして。その時にお目にかかりました」
「あー……なるほど」
さりげなく銃剣を振り抜いてスケルトンの首を撥ね飛ばしながら、その祓魔師は答える。それなら、俺は彼のことを知らないかもしれない。
そして、同時に疑問もわいてきた。
「あれ、皆さんは、イリシュテアに残っていたのですか?」
そんな俺の質問に、銃剣を持った祓魔師は苦笑いをして首を横に振る。
「いや。ああもはっきりと言われてしまいますと、私たちも何のためにイリシュテアを守っていたのかわからなくなってしまって。今の拠点はもっぱらアーテリアやその周辺の村です」
「じゃあ、何でここに……?」
俺の問いかけに、エリアヒールを維持していた何人かの祓魔師が不敵に笑って言う。
「__貴方はシスと私たちを救ってくれた恩人ですから。助けるのは当たり前じゃないですか」
「……!」
ライフル銃を握った一人の祓魔師が巨大な靄のようなアンデットに魔力で作り出された鉛玉を撃ちこむ。結界にも近しいエリアヒールの輝きと、息苦しいほど濃い霧を切り裂くような銃声。たった一人で数多のアンデットを屠って来た祓魔師たちの力量は、勇者一人守る程度、訳なかった。
胸元のエンブレムをぐっと握り締め、祓魔師は高らかに吠える。
「たとえ幾万の人間が我らを否定しようとも! たとえ神が我らを否定しようとも! 我々は祓魔師の誇りにかけて、貴殿の道を切り開こう!!」
かつてはただ神への信仰のみを糧として無意味に思考停止してイリシュテアの街を守り続けてきた祓魔師たち。そんな彼らが、信仰からではなく彼ら自身の誇りにかけて戦うことを選んだ。
彼らの瞳には、確かな決意の光と訣別の覚悟があった。そして、その口元は、不敵な笑みによって彩られている。
「早く行きたまえ、勇者殿!」
「こっちへ! 魔王の居城までそう距離はありません! 体力は温存しておいてください!」
勇敢で信心深い祓魔師たちはそう言って俺の背を押す。俺は、力強く頷き、穢れた門前の処刑場を走る。水上都市を守っていた彼等が道を作ってくれるなら、もう何を心配することもない。
魔王の居城まで、もうあと少し。
__どこか、夢を見ているような感覚だった。
ジルディアスは、息が苦しいほどに真っ白な霧の中、金属で作られた茨のようなロープで両手足を縛られ、まるで罪人のように船に乗せられていた。ちゃぷん、ちゃぷんと揺れる水の上、ひとりでに動くオールの魔道具は、無感情にかつて勇者だった彼を魔王の居城へと運ぶ。
大量の武器を押し込んだ指輪は奪われ、鋼のような肉体も連日の拷問で焼かれ抉られ切り裂かれ、この状態ではもはや魔王の居城にたどり着けるかさえも定かではなかった。
抉れた肉体は水魔法の回復では復活しない。切除され失ったいくつかの内臓も生存と戦闘に必要なものだけは土魔法で何とか再現しているが、壊死しかけた臓腑は治らない。己の腹にくすぶるような苦痛が、脳髄を麻痺させる。
脳裏によぎるのは、己の叔父であるバルトロメイの狂気と殺意に満ちた視線。わかっている、彼が己を憎む理由が十二分にあることを。
母であるエルティアの死の理由は、行方不明になった挙句記憶を失い外に家庭を持った父アルバニアと、光の妖精に反逆し妖精の花嫁を奪ったジルディアス、そして、フロライト領の守護のために逃げることさえ許されなかったという事実がある以上、フロライト家にある。その原因が不運から始まったことだったとしても、これは間違えようのないことだった。
地獄のような日常を過ごしても、虐待じみた教育を成されていても、ジルディアスは母エルティアを愛していた。母に逆らい己の正義を貫くため光の妖精に反逆したことは、間違ってはいないと確信している。それでも、母を失望させ死に追い込んだ事実に罪の意識を抱えていた。否、間違いなく、それがジルディアスの原罪であった。
母との約束を__【婚約者を大切にすること】、【誰を敵に回したとしても己の正義を貫くこと】、【困難や非難から逃げないこと】を、守り続けてきた。それが、ジルディアスにできる唯一の贖罪だったから。
だからこそ、彼は全ての物事から逃げなかった。
投げかけられた悪意ある言葉も、叔父からの憎しみの視線も、実父から存在を忘れ去られても、光の妖精の花嫁を略奪したことから宗教裁判にかけられ、穢れた怪物を前にしても。
__宗教裁判から逃げれば、バルトロメイはそれを口実にフロライト領を滅ぼそうとすることくらい、幼いジルディアスでもわかっていた。かといって、敗北しても大罪を犯した人間がいることを口実にフロライト領に何らかの制裁を加えようとすることは火を見るよりも明らかだった。
だからこそ、ジルディアスは必ず勝利しなければならなかった。フロライト領を守るという正義を成すために、己が大罪と判断されれば必ずや光の妖精の元へ返されてしまうユミルのために、逃げるという選択肢を捨てた。
水に囲まれ、逃げ場一つない闘技場のフロアで少年は一人、穢れを帯びた竜を精霊の愛し子の力をもってして、祓うことなくあの世への引導を渡す。あまりに多い観衆のさなか、その奇跡を否定することはバルトロメイさえもできはしなかった。
弱冠9歳にして神前裁判で無罪を勝ち取った彼は、その後も己の正義を貫くために、婚約者であるユミルを守るために、己の強さを求め続けた。
血反吐を吐くような鍛錬を積み、限界を超えた魔法の練習を行い、やがて王にさえもその力量を認められた彼は、王太子の近衛に抜擢された。
……ぎいぎいと、きしむような音を立てて魔道具のオールはひとりでに動く。
肉をえぐるように締め付ける茨の手枷には毒が含まれているらしく、大分意識がもうろうとしていた。
「……俺が過去を振り返るなど……くだらないことをした」
ジルディアスは、ひきつる喉を震わせて自嘲する。
目の前には既に、魔王の居城たる大陸、イシスが見えている。そこから少し進み、神殿の教えによると、荒れ果てた虚無の大陸であるイシスを北上した場所にある闇の妖精の城の中。そこに、この世界の災厄である魔王が存在するという。
満身創痍で余剰魔力さえ残されていない彼は、誰が考えたって魔王の居城である闇妖精の城にたどり着くより先に衰弱し死亡してしまうだろう。
__それでも、彼は、『諦める』という選択をすることは決してない。彼の意志だけは、折れも焦げも奪われもしてはいなかった。それは、闇の精霊の加護ゆえではない。ただひたすらに、彼の意志の強さ故だった。
婚約者であるユミルのため。故郷フロライトの存続のため。そして何よりも、己のプライドのために。__まだ、彼は折れる気はなかった。燃え尽きる気はなかった。
口元に不敵な笑みを浮かべ、ジルディアスは小舟の中で立ち上がる。
「__やれるだけやってやろうではないか」
そして、そう呟くと同時に、ジルディアスは己の両手足を戒めていた茨の手枷を、引きちぎった。
【ジルディアスが遊牧民を嫌う理由】
ジルディアスは基本的に排他的な性格ではあるが、自由を尊ぶクーランに嫌味を言い険悪な雰囲気になったこともあるように、サンフレイズ平原の遊牧民たちには特に嫌う気持ちを隠しもしない。
その理由として、略奪婚の風習がある。婚約者であるユミルを奪われる可能性があるのは、彼としても容認できない。
……そして、ジルディアス自身は公には認めてはいないものの、父アルバニアと継母であるティアのこともある種の原因ではある。アルバニアはエルフの村のあるあたりの崖から落ち、その川に流され、ティアの住まう村にたどり着いた。……あの川は、サンフレイズ平原の地下に向かって水が流れているのである。
つまり、継母であるティアはサンフレイズ平原の遊牧民の血を継いでいた。だからこそ、己の母の平穏を略奪した遊牧民たちを毛嫌いしていたのだ。……ジルディアス自身はかたくなに認めてはいないが。