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133話 赤き竜は父子ともども旅立ち、

前回のあらすじ

・恩田裕次郎が、勇者になる

 聖剣を握った俺は、とにかく急いで旅の準備を整えた。

 とにかく荷物を減らすため、食糧はジルディアスの分だけ保存食を少しと、かなり多めの武器類、そして、旅には何かと入用な金銭を借用し、自分自身の装備は何一つ用意せず、ほぼ身ひとつで用意は完了した。


 フロライト公爵から貸してもらった魔道具の腕輪を身に着け、食糧の入ったリュックサックを背負い、城壁の上に立つ。城下の広い農場地帯が緩やかな地平線を描くはるか向こうで、かすかに戦の地響きが感じられた。真昼間であるにも関わらず、激しい閃光が見えている。おそらく、ウィルドが侵略者たちをおさえているのだろう。


 正直なところ、俺はこの期に及んで生物を殺傷するのにためらいがある。だからこそ、防衛戦には参加できない。ウィルドが何故フロライトを守る気になったのかわからないが、正直、魔王を倒すだけならウィルドがジルディアスを追いかけに言ったほうが何億倍も効率がいい。原初の聖剣の名の通り、ウィルドは神の背骨純正である。聖剣としての役割は間違いなく果たせるだろう。


 それでも、彼には彼の自由意思があり、そんな彼が『役割を果たした』と言っていたのだ。なら、魔王を倒すのは俺たち転移者かこの世界の住人たちということになる。……というか、ウィルドが俺たちにできると判断して、直接手を下すということをしなかったのだろう。


 荷物を抱えた俺は、やや傾き始めてきた太陽を背に、遥か北の地を見る。今は遠くの山に遮られて見えないが、この奥にヒルドラインが、山間のエルフの村が、サンフレイズ平原が、アーテリアが、そして、この大陸の最北地であるイリシュテアが存在する。


 移動にはとてつもない時間がかかる。それこそ、ジルディアスの足でも季節が二つ過ぎ去るくらいには。

 だがしかし、俺に残された時間はそう多くはない。イリシュテアにテレポーターで移動させられたジルディアスは、おそらく何の装備も持たされず、魔王の居城である北の大陸に追放されるはずだ。


 ……正直、アイツなら北の大陸でも生きていられると言えば生きていられる。それくらいの力量はある。それでも、魔王が倒せるかどうかと問われれば、おそらく彼では無理だ。

 その理由は簡単。聖剣を持っていないからだ。


 神が創り出した魔王を討伐するには、同じく神の一部である聖剣が無ければ、まず倒せない。この世界(プレシス)にこびりついたバグを消失させるためには、それ相応の権限がいるのだ。魔王を倒す権限を持つのは、神の一部分……吐息からできた精霊や、背骨からできた俺たち聖剣のような存在のみ、もしくは神そのものだけなのだ。


 そして、神はバグである魔王を面白がって放っておいた結果、自分自身では解消できないほどに魔王がこの世界(プレシス)に定着してしまった。だからこそ、自分自身の背骨を削ってでも魔王を倒す存在を……つまり、聖剣を生み出したのだ。

 要するに、魔王を討伐するには、勇者であること、そして、聖剣を持っていることが最低条件になる。


 その点、自身が聖剣かつ勇者であるウィルドは魔王を倒すのに大変都合がよいはずだったが……まあ、結果は、精神が未熟であったために神の命令が理解しきれず、世界の脅威を『神』だと判断し、反逆に至ったのだが。正直ウィルド間違って無くないか?


 冬の冷たい風が、頬を撫でる。

 俺の味覚は、ついぞ戻ってはこなかった。それでも、なんとなく、俺の口の中にシスが作ってくれたパンシチューのあのぬくもりが思い出される。

 フロライトの城壁の上には、俺を見送るために集まった人々が己の仕事を片手にこちらを見ている。その中には、当然、勇者候補であったシスもいた。


 シスター服の上に防寒のため毛皮のコートを羽織ったシスに、俺はそっと歩み寄る。シスは手入れをしていた魔導銃をそっと置いて、俺の方を見た。そして、やさしく微笑んで俺に言う。


「どうしましたか、ユージさん」


 優しい木漏れ日の差し込む森のような緑の瞳が、俺に向けられる。その瞳に、俺は思わず息を飲む。彼女を前にすると、どうしても心臓がどきどきとうるさい。恥じらいと恐怖が喉を締め上げる。

 それでも、今言わなければ、死んでも後悔する。一度死んだ今、後悔するのは嫌だ。だからこそ、俺はぐっと手を握り締めて、シスに向き合う。


「シスさん。魔王を倒す前に、どうしても言っておきたいことがある」


 裏返りそうになる声を必死にこらえ、俺は言葉を紡ぐ。それでも、気が付けば言葉尻は震える。情けないと思ったが、死ぬ前にもしたことがないような緊張感に、ある意味仕方ないと納得もできた。

 俺の言葉に、シスさんからの返事はなかった。それでも、その優しい瞳が、俺の言葉のその先を聞きたいと、切に訴えている。情けない面にならないように強く、強く拳を握り締め、口を開く。


「俺は、シスさんのことが好きだ。祓魔師として真剣に職務と向き合うシスさんはすごくカッコいいし、まっすぐで誠実なところが好きだ」

「!」


 突然の告白に、シスは頬を赤く染めて目を見開く。

 そして、嬉しそうに微笑んで口を開こうとする。それでも、俺は言葉を続けた。


「だから、シスさんは俺のことを嫌いになってください」

「え?」


 緑色の目を真ん丸に見開き、シスは俺を見る。困惑と絶望の混ざったその短い声に、俺の心は軋むように痛んだ。だが、好きだからこそ、彼女の幸せを願うからこそ、こう言うしかない。


 沈もうとする太陽は西に、遥か東には月が登ろうとしている。この頑強な城壁からは、町が少しずつ明かりを取り戻していくさまが見えていた。

 シスの表情を見て、確かにこの恋に脈がありそうだったのが、本当に悔しい。シスさんが1ミリたりとも俺に好意を持っていなければ、こんな馬鹿みたいな告白も笑って聞き逃してもらえたのに。

 それでも、この感情は、口に出さなければどうしようもないほどに育ちすぎて、重くなりすぎていた。彼女の幸せを願うなら、発芽率のあったこの恋をこの手で葬り去るべきなのだから。


「何故ですか?」


 淡々と、俺に問いかけるシス。その問いに、俺はじくじくと痛む心を無視して、答える。


「俺は、文字通り人でなしだから。俺がシスさんを好きになれば、必ずあなたを不幸にしてしまう。好きだから、シスさんには幸せになってほしい。だから、俺のことを嫌いになってほしい」


 あまりにも身勝手な俺の本音。自分勝手にもほどがある告白に、シスは悲しそうに表情を歪める。そして、ぐっと整備していた魔導銃に手をかける。……えっ?


 次の瞬間、魔導銃に魔力が込められ、淡く発光する。

 そして、激高したシスが叫ぶ。


「ふざけないでください、ユージさん!!!」

「うおおおおおおお?!!!??」


 無詠唱でぶっ放された光の銃弾が、俺の右耳を持っていく。悪い予感がして全力で避けていなければ、頭蓋が持っていかれていたはずだ。

 突然の凶行に困惑する俺だったが、次の瞬間、城壁の上にいたアルバニアに怒鳴られた。


「お前、それでも男か?! 私が言うのもどうかとは思うが、それはないだろ!!」

「畜生、お前にだけは言われたくなかった!!」


 記憶を失っていたとはいえ、最愛の妻を冷遇した挙句死に至らしめたアルバニアに怒鳴られ、思わず俺は言い返す。その言葉にアルバニアは一瞬しょぼんとした表情を浮かべるも、城壁の人々は次々に俺に向かって罵声を浴びせる。


「ありえねーぞ、馬鹿野郎!!」

「ヘタレ!!」

「流石にさっきのは殺されても文句言えねえぞ!!」


 今まで共に戦ってきたはずの兵士たちから投げかけられる罵倒に、俺は思わず怒鳴り返した。


「だったらどうしろってんだ!! 俺は人間じゃねえんだぞ?! 寿命無いからシスさんの方が先に死んじまうし、住所ねえし、無職だし、地雷物件もいいところじゃねえか!!」


 俺がそう言い切った瞬間、シスさんの残像が見えた気がした。

 そして、いつの間にか間合いを詰めていたシスさんの拳が、俺の左こめかみを捉える。あまりの衝撃に、首が体からもげたかと思った。


 涙目になったシスさんは、まともに拳銃を握りこんだ拳でぶん殴られたため動くことすらできない俺に、涙声で言う。


「貴方が! それを! 言わないでください!! 何が人でなしですか!! 何が不幸にするですか!! 穢れ人と呼ばれて不幸になる結末しかなかった私を救ったのは、貴方でしょう?!」

「そうかもしれないけど、でも、俺とじゃシスさんが幸せになれないだろ?!」

「傲慢なことを言わないでください! 私の幸せは私が決めます!!」


 シスはそう言って、魔法の弾丸の込められた魔導銃を俺の眉間につきつける。やばい、シスさんがめちゃくちゃカッコいいけど普通に怖い。

 冷たい金属の銃口と、涙声で感情の滲み込んだシスの声。沈みゆく太陽を前に、彼女は奥歯を噛みしめて俺に言葉を紡ぐ。


「私の幸せは、貴方とともにあることです。第一、人間になる方法を探すのではなく、諦めるとは何事ですか!!」

「だ、だって、俺は聖剣だから……」

「そうだとしても、貴方は貴方でしょう!! 今聖剣だから何ですか!! この広い世界で、貴方が人間になれない理由がありますか?! ないでしょう?! 神の奇跡の一つや二つ望まなくてどうするのです!!」


 はっきり、きっぱりと喝を入れるシス。

 その言葉に、俺はただ視線をさ迷わせた。


 人になりたかった。それでも、俺は翡翠の祠で聖剣となることを選んだ。だから、人間にはなれないと思っていた。その選択に、後悔はあるが後悔はない。……矛盾しているが、それでも確かに後悔はなかった。間違いでもなかった。


 涙声のシスの頬を、ついに涙がつたう。それを見て、心臓が鎖で縛り上げられたかのような罪悪感を抱いた。泣いてほしくない。悲しんでほしくない。それでも、彼女にそうしたのは、俺のせいにに他ならない。


 思わず情けない面をした俺に、シスは言う。


「……テレポーターが修復され次第、私も魔王城に向かいます。私では、貴方について行けませんから。ユミルさんも行くと言っていました」

「い、いや、来なくていいよ!! 危ないだろ?!」

「その危険地帯に貴方は行くのでしょう? さっき言った通り、私の幸せは貴方とともにあることです。貴方が私を拒否するなら諦めましょう。ですが、私が貴方を嫌いになることなどありません! 貴方が私を嫌いにならないなら、戦場だろうと地獄だろうとついて行きます」


 そんなシスの言葉に、俺は慌てて言う。


「だめだ! シスさんは幸せになって……」


 その瞬間、眉間につきつけられた魔導銃がゴリッと押し当てられる。引き金に指をかけたまま、シスはその瞳に怒りの感情を滲ませて、言葉を紡いだ。


「何度も言わせないでください。私の幸せは私のものです。私の幸せが貴方の幸せにならないというなら、私を嫌いになってください」


 絵面的にも、実状も、これは脅迫に他ならない。

 そして、ここまで来て、俺はようやく気が付いた。


__シスさんは、俺に嫌われるためにわざわざ暴力的なことをしている。


 俺が一言「嫌いだ」と言えば、おそらく彼女は、俺のことを諦めてくれる。彼女自身の幸せを、きっと他に見つけてくれる。

 だからこそ、俺はその言葉を紡ぐために、口を開いた。押し付けだろうと何だろうと、彼女には幸せになってほしかったから。口を開けた俺を見て、次の言葉を察したらしい彼女は、そっと目をつむる。


 言わなければ。言わないといけない。人でなしなのだから、彼女の幸せを願わないといけない。これ以上不幸な目には合わせてはいけない。


 そう思って、必死に言葉を紡ごうと、喉に力を籠める。

 __それでも、言葉は、出なかった。


 酸欠の金魚みたいに何度も口をパクパクと動かして、喉に力を込めても、脳がどれだけ冷静になっていても、紡ぐべき「きらい」の三文字が、吐き出せない。

 数分間、必死に彼女に伝える義務のある言葉を言おうとして、どうしても言えずにいると、ついに俺の旅立ちを見送ろうとしていたアルバニアが、口を開いた。


「いい加減、諦めたらどうだね、勇者殿。君は嘘だとしても『嫌い』だと言えないほど、彼女のことが好きなのだろう?」

「!!」


 アルバニアのその言葉に、俺は動揺して目を丸くする。

 フロライト公爵は沈みゆく太陽を見ながら、言葉を続けた。


「私は、愛する妻エルティアのことも、息子のジルディアスのことも、ひどく後悔している。許されざる罪を犯した。だからこそ、君には間違った判断をしてほしくない。……もっと己の感情に正しくありなさい」


 酷く後悔のにじむアルバニアの言葉。事故が元だったとはいえ、バルトロメイという怨嗟の怪物を生み出したのは、彼に他ならない。愛情故に多くの人間を不幸にした彼の言葉に、俺は下唇をかみしめた。 


 言わなければならない。俺が『聖剣であること』を選んだんだ。聖剣(おれ)ではシスを幸せにはできない。それでも、ようやっと口から出てきたのは、あまりにも情けない言葉だった。


「嫌いだなんて、言えねえよ……」


 あまりにヘタレなその言葉に、城壁の人々は全力でブーイングを上げる。アルバニアは頭を抱えており、シスもまた、呆れたように俺のことを見ていた。畜生、我ながら女々しすぎて何も言えない。


 それでも、口に出したら、俺の心は決まっていた。

 魔導銃を俺の眉間に突き付けたシスさんに、俺は顔を上げて言う。


「その、見てわかる通り、とんでもなくヘタレな俺だけれども、本当にいいのか?」

「……たとえあなた自身でも、私の好きな人を乏しめないでください」


 語尾の震えたシスの声。その言葉を聞いて、俺はただ、自分のためだけに、己自身が後悔をしないためだけに、彼女に言葉を伝える。


「……魔王を倒したら、人間に戻る方法を探したい。それに、ついてきてもらえませんか?」

「もちろんです。……絶対に助けに行きます。ジルディアスさんと一緒に、生きていてください」


 まっすぐと紡がれた、シスの言葉。それを聞いて、俺は不格好に笑った。もっと上等なプロポーズの言葉が言えたなら良かったのに。それでも、これでもう後悔はない。


「ゆっくりでいいよ。ジルディアスは俺が助ける。シスさんが来る前に、魔王をぶっ殺してくるから」


 そう言って、俺はその肉体を変貌させる。

 今ならできる。世界(プレシス)のためではない。友人(ジルディアス)のためでもない。ただ、俺のために。俺が後悔しないために。できることをしたいのだ。


 腕が翼に変わり、体表には羽毛が現れる。無限の可能性を持ち合わせた己の肉体は、俺の限界を打ち砕き、その先を描き出す。

 ゆっくりと銃口を下げたシスは、金の光とともに変貌した俺を見て、そっと慈しみに満ちた笑みを浮かべる。


 口は嘴に、足は鋭い鉤爪に、羽毛は白く色が抜け、翼には筋肉が生み出され、尾羽は鋭く、固く、しなやかに伸びる。


『シス。行ってくる。』


 くちばしからは、人間ならざる声が紡がれる。きっと、この言葉は、シスには通じてはいない。それでも、彼女は確かに言った。


「__行ってらっしゃい、ユージさん。すぐに、追いつきますから」


 そして、腕輪を嵌めた白いカラスは、フロライトの城壁から飛び立った。

 赤竜は命を救われ、アルガダ子爵は永年の怒りから解き放たれた。

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