130話 結実した悪意
前回のあらすじ
・ウィルが全てを思い出す
・バルトロメイが、現れた
突然俺たちの後ろに現れたのは、司教バルトロメイ。彼は、蛇のような無感情に獲物を睨むような視線をジルディアスに投げかけていた。それでいて、彼の口元は不敵な笑みが浮かべられている。
表情を凍り付かせているジルディアスに、男は優しい笑顔を浮かべる。そして、祈るように、つぶやくように言った。
「ようやくだ。ようやくこの時が来た。__神よ、今だけは感謝してやろう」
俺は、美しい笑顔と正反対なその言葉に、茫然とすることしかできなかった。
紫色の法衣をはためかせ、さぞ嬉しそうに両手を広げたバルトロメイはジルディアスに言葉をかける。
「おめでとう、我が憎き甥。君の勇者の権利の剥奪が決定したよ」
「は?!」
「……」
その言葉を聞いて、俺は思わず間の抜けた声を上げた。ジルディアスはただその赤色の瞳から感情を消し去り、口をぎゅっとつぐむ。
突然の司教の言葉に、周囲の兵士たちのどよめきの声が広がる。ついさっき、ようやくフロライトの脅威を打ち払ったばかりだった。にもかかわらず、救世主であるジルディアスが勇者の資格を剥奪されるというのだ。困惑しないほうが可笑しいだろう。
朝日というにはもう幾分時間のたち過ぎた今。笑えてしまうほど雲一つない空の下、おもむろに黒装束の男たちが現れる。火の下だと嫌にも目立つ誰もかれも似たり寄ったりな姿の彼らの胸元には、そろいの二重丸のエンブレム。神殿の暗部の人間たちだ。
俺たちが動揺している間に、暗部の人間たちは兵士たちを押しのけ、ジルディアスを包囲する。それに真っ先に抵抗したのは、茫然自失としているジルディアスではなく、勇者ウィルであった。
聖剣を抜いたウィルは、恐怖で動くことができないジルディアスの前に歩み出て、彼を庇うようにギッと黒装束の男たちを睨んだ。
「何の用ですか。ジルディアスさんは、勇者の権利を剥奪されるようなことはしていません。いくら司教様でも、失礼ではありませんか?」
強い口調ではっきりと言うウィル。そんな彼の姿に、俺はどこか首を傾げかけた。どうしてだろうか。そう多く彼と会ったことはないし、会話もしたことがないのだが、どこか彼らしくないというか、何というか……とにかく、どこか違和感を覚える。付き合っている時間が短すぎたため、この違和感の正体を言語化する方法が見つからなかった。
とにかく、らしくもなく堂々たる様子のウィルは、美しい笑みを口元にたたえるバルトロメイをまっすぐと見て言う。そんな彼に、流石の司教も何か言わねばならないと判断したのだろう。小さく肩をすくめ、司教は答える。
「そこの罪人には魔王討伐のための旅の最中、いくつか嫌疑がかけられていてね。決定的なものもある以上、誉ある勇者の権利は剥奪せざるを得ない。一つ一つ、教える必要はあるかね?」
悠々とした態度でそう言うバルトロメイに、ウィルは困惑したように眉を下げ、しかし、それでもはっきりと首を縦に振った。
ウィルは知っていた。今回はジルディアスが取り返しのつかなくなるような悪事を働いていないことを。聖剣のおかげで、彼が彼の『正義』を正しく貫いていることを。
だからこそ、バルトロメイのどこか自信ありげな態度が理解できなかった。
目で罪の読み上げを望むウィルに、バルトロメイはやや面倒くさそうに目を細め、それでも文句ひとつ口にすることなく黒服の人間に軽くジェスチャーで合図を送り、一枚の羊皮紙を受け取った。
そして、バルトロメイは淡々とその羊皮紙を読み上げた。
「勇者選定以後の罪状をここに読み上げる。__その一、罪人ジルディアスの勇者選定直後、複数名の神殿関係者のむごたらしい死体がフロライト領から発見された。複数の武器を扱い、高火力の魔法を使用するなどの特徴的な戦闘跡から、罪人ジルディアスが神殿関係者を襲撃し、殺害した可能性が高いと推定され、審議の結果、有罪判決が決定された」
バルトロメイが読み上げたのは、この魔王を倒すたびが始まった直後の罪。その言葉を聞いて、ウィルは目を丸くした。
それでも、俺は気が付けば口を開いていた。
「異議ありだ。当時ジルディアスは正体不明の黒づくめの集団に襲撃されていて、抵抗しなければ殺されていたかもしれない。あくまでも正当防衛の範疇だ」
気が付けば、口にしていたのは殺人の肯定だった。今までの俺だったら、妥協くらいはしていたかもしれない。『仕方がなかった』と蓋をして、見なかったふりをしていたかもしれない。
それでも、俺は気が付けばジルディアスを庇う言葉を、今までの日本での倫理を捨てる言葉を、紡いでいた。
俺の言葉に、バルトロメイは少しだけ不愉快そうに口角を下げる。それでも、少し顎に手を当て、考えるようなそぶりをして、俺に言う。
「__ふむ、君は、神殿の判決に異議を唱えるのかね?」
虚勢もあった。周りを神殿の人間で固められ、性格はともかく実力だけは信頼できたジルディアスも、今はおそらく本来の実力の半分……いや、10分の1も出せはしないだろう。だからこそ、不安になっていたのかもしれない。
だがしかし、それ以上に、あまりに一方的な言葉に、俺は強い怒りを覚えていた。ジルディアスが何をした。あの野郎は確かに俺をさんざんへし折るし、口も悪い。それでも、彼が一度やると言ったことを曲げたことは、一度たりとも見たことがない。どれだけ傷つこうが、どれだけ血や泥をかぶろうが、ジルディアスは己の信じる正義を貫き通す。
それが、世間一般に悪の方へ振りきれば、おそらくジルディアスは他人から見れば『悪役』になるのだろう。
それでも、俺は、口約束ひとつの婚約者であるユミルを命がけで守護し続けるあのバカが、『悪』であるとは思っていない。だからこそ、あのバカを『悪』だと、悪いことをした『罪人』だと決めつけるバルトロメイが、神殿の連中が、気に食わなかった。
無理やり口元に笑みを浮かべ、俺はバルトメロイに言い返す。
「被疑者不在のまま一方的に決めつけられた判決なんざ意味がないだろう。判決だのどうのこうのいうなら、せめてちゃんと裁判してから言ってみろよ」
虚勢混じりの、精いっぱいの強がりの言葉。下位の人間が司教にかけるにはあまりに不敬なその言葉に、バルトロメイは不愉快そうに視線をこちらへ向けた。
それでも、周囲から……主にジルディアスの所属していた騎士団からのブーイングが酷く、バルトロメイは反論はせず、肩をすくめるにとどまった。
「二つ目の罪は、ヒルドライン街での騒乱だ。街中で武器を振り回し、あまつさえ竜二匹を街道に叩き落した。その結果家屋や路地に複数の損傷が確認されている」
「それについては金持ちのこいつが賠償を済ませた。っていうか、被害者であるアルガダ子爵に何も話を聞いていないのか?」
「街道が破壊されて困っているという市民からの訴えから判決を下したまでだ。神殿に非協力的なヒルドライン子爵はそう多くは語らなかったため、被害状況から罪人ジルディアスを有罪だと判断した」
淡々と言葉を紡ぐバルトロメイ。言っていることがめちゃくちゃだ。思わず呆れてしまった俺をよそに、司教は淡々と羊皮紙にかかれたジルディアスの罪状を読み上げていく。
エルフの村では神域を荒らした罪。サンフレイズ平原ではメルヒェインの酒場で腕相撲に使っていた酒樽を破壊した罪。アーテリアではアーティを救うための移動で他人の家の屋上にまで乗り上げたための不法侵入や器物破損。そして、イリシュテアでは現地の司祭であったミストレアスへの反抗や、祓魔師を扇動し離別を仕向けた罪。
明らかな言いがかりから、確かに罪とは言えるものの、賠償を済ませているものまで並べ連ねられ、俺はただ茫然とすることしかできない。隣でバルトロメイの言葉を聞いているウィルもまた、同様に理解しがたいという表情を浮かべ、立て並べられた罪状を聞いていた。
ミストレアスの偏見と陰謀論じみたイリシュテアでの罪状の読み上げが終わった直後、俺は思わずバルトロメイに向かって口をついていた。
「マジでそんな訴え信じてジルディアスのことを罪人って言ってんのか? アンタのところの神を信仰してるわけじゃないけど、マジで神殿大丈夫なのか?」
「……たとえ、君が第四の聖剣だったとしても、その教養のなさはいただけないな。となれば、確かに勇者選定以前の罪である『聖剣侮辱罪』は取り消さざるをえまい。神の背骨を継承する聖剣がこの言動では、いくら愚かな私の甥でも聖剣と魔剣を間違えても仕方ないだろう」
俺の言葉を鼻で笑い、バルトロメイは言う。畜生、この皮肉っぽい口調からジルディアスの血を感じる……さてはコイツ、本当にジルディアスの親戚だな?!
思わずチベスナ顔をした俺をよそに、ウィルはぐっと眉を顰め聖剣の柄を握り締めて口を開く。
「全て冤罪、もしくは勇者の権利剥奪にはつながらない罪ばかりです」
「控えたまえ、第100の勇者。さて、次の罪状を読み上げよう。ついさっき……というにはやや異なるが、この罪が勇者に選定された以後、最大の罪だ。罪状は国家反逆罪。__フロライト市民を扇動し、王家の意向に逆らった罪だ」
「……はい?」
きょとんとした表情を浮かべるウィル。俺も訳が分からず、アホっぽい声を上げていた。
バルトロメイの表情はいたって真剣である。確か、旅に出る直前くらいにジルディアスは王太子以外の王家をかなり下に見ているふしがあった。というか、王太子に忠誠を誓っているだとかなんだとか言っていた記憶はある。それでも、そんなことを彼がしているわけがない。というか、する時間もなかったはずだ。
事実さえもない国家反逆罪の言葉に、俺は震える声でバルトロメイに問いかけた。
「どういうことだ……?」
「ふむ、分からないのか? 君たちが今さっきまで戦っていた相手が、誰だか知らないとでも? あれは、神殿兵たちだ。乱心した王に変わり、代理でセントラルを管理するヴィウヴィス司教からフロライト領が納めるべき税を納めていないという報告があった。さらにはアベル王太子を人質にとる始末。いくら勇者であれども、そんな蛮行は看過できない。するわけにはいかない」
「いや、説明になってねえだろ。フロライトはクーデターに巻き込まれたんだぞ?!」
「それは君の視点から見た話だろう。私たちから見れば、君たちは……というよりも、フロライト領は、神殿と国に反抗した。そして、周囲もそのように見ている」
バルトロメイはそう言って凶悪な笑みを浮かべる。そして、喉奥からクツクツと笑い声をあげる。
「ああ、ジルディアス。君が勇者になってくれて、本当に都合がよかったよ。これで、合法的に、フロライト領を地図から抹消できる!! どれだけ待ち望んだことか!!」
そう言って腹を抱えて笑うバルトロメイは、おおよそ正気には見えなかった。
眩しい朝の太陽の下、異様な空気があたりに漂う。混乱した騎士団たちと自警団たちは、何が起きているかもわからず、次第に統率が取れなくなっていく。
自分の故郷を守るために戦っていた行為が、反逆罪だと宣告されたのだ。理解することができなかった。理解したくもなかった。
赤色の瞳に怒りを滲ませ、バルトロメイはジルディアスに怒鳴る。
「なあ、黙っていないで何か言ったらどうだ、姉殺し……いや、母殺しの薄汚れた忌み子が!」
「……。」
怒鳴られたジルディアスは、ただ目を伏せてうつむくことしかできない。そんな彼を見て、だんだんと、俺の腹の中に何か、消化しきれない感情がたまっていくのを感じた。
俺は茫然と立ち尽くすジルディアスの肩をつかみ、無理やり顔を上げる。
陽の光にさらされたジルディアスの瞳は、いつもの過信にも近い自信あふれるものではない。まるで迷子の子供のような、情けない面だった。
「クソ勇者。何で反論しないんだ。何で、何も言い返さないんだ! 言えよ、おかしいだろこんな判決! 手前がみとめねえって言えば、何とでもなるだろう?!」
「…………。」
俺が何と言おうとも、彼はただ無言のうちに、俺と視線を合わせることもなく目を逸らした。わからなかった。何故彼が、叔父だというこの男の言いなりになり続けるのか。
そんな様子のジルディアスに、バルトロメイはゆっくりと歩み寄る。そして、俺を押しのけてただ茫然としているジルディアスの耳元に、こう吹き込んだ。
「__私は優しいからね。君が魔王を殺しに行っている間に、妖精の花嫁であるユミル様は、ちゃんと責任もって光の妖精殿にお返ししてあげよう」
「__!!!」
その言葉を聞いて、ジルディアスは初めて、その瞳に焦りと怒りを混ぜ込んだ。そして、バルトロメイの襟首を締め上げるようにつかむ。
「貴様……!」
血反吐を吐くような声色で、低く唸るジルディアス。彼の蛮行に、周囲の黒服の男たちはいっせいに武器を構える。しかし、バルトロメイはそれを左手を軽く振って制止する。
「そうしたくないのなら、おとなしく単身で魔王を討伐しに行きたまえ。優しい優しい叔父である私が、わざわざ君のために光の妖精から賜った転移石を使ってここまで来てあげたのだ」
その言葉を聞いて、ウィルは歯ぎしりをする。俺が知る由もなかったが、破壊して周っていたあの転移石は、光の妖精が用意した代物だったのだ。つまり、このクーデターは全て、バルトロメイが仕組んだものだったのだ。
ジルディアスは、ただただ、拳を握り締める。バルトロメイの服を握る力が強まり、司教は不愉快そうにジルディアスの手をつかんだ。人のものとは思えないほど冷たく冷え切ったバルトロメイに手首をつかまれ、ジルディアスはハッとしたように彼の襟首から手を放した。
そして、金属がこすれ合うような酷い歯ぎしりの音を響かせ、彼はバルトロメイに問いかける。
「……もしも。もしも、俺が聖剣なしで、魔王を殺せば、それまでの間に、フロライトが崩壊していなければ、もう二度と手を出しには来ないか?」
「ああ、ぜひそうしてみたまえ。うまく出来たら、フロライト領にかかった嫌疑は免罪してあげるよ」
バルトロメイはそう言って薄笑いを浮かべる。
その直後、ジルディアスが、動いたように見えた。それでも、戦いに不慣れな俺は、その素早い動きに目が追い付くことはなく、気が付けば、視界がレンガに叩きつけられた。
ウィルの声と、黒服たちの殺到する怒声。
身じろぎひとつせず、ジルディアスはただ、されるがままに拘束を受け入れた。フロライト領を守るために、今は己が犠牲になるのが一番だと、理解していたのだ。そして己が犠牲になったところで、それが延命にしかならないことも、彼は理解していた。
首と胴体だった光の粒子が、消えていく。薄れゆく意識の中、剣に戻っていく俺を見て少しだけ後悔したような表情のジルディアスが、やけにさみしそうに見えて、かける言葉を探していたことだけは、何故か記憶に残っていた。
____そして、気が付くと、俺は石の台座に突き刺さっていた。
【勇者の権利の剥奪】
重罪を侵した勇者に適応される、宗教的にもかなり厳しい厳罰。勇者としての権利をすべて剥奪され、それでも義務である『魔王討伐』の任務だけは残る。定住は許されず、職業に就くことも許されず、それでも勇者の証拠である聖剣の所持は許されず、ある意味、『勇者の死』ともいえる刑罰である。