129話 悪魔は嗤う
前回のあらすじ
・ウィルドが光の妖精を排除する。
フロライト邸に向かったサクラ、ロアたちとは反対に、ウィル、アリア、アルフレッドの3人は、自警団とともに侵略者たちを倒しながら、広場の方面へ路地裏を探索しながら向かっていた。テレポーターのある場所を探し、片っ端から破壊していくためだ。
この反乱に用いられたテレポーターはずいぶん高性能なものらしく、おおよそ拳一個分ほどの大きさの魔石に直接刻印が施されているようだった。魔法に詳しいエルフであるアリアは、路地裏に設置されていたテレポーターを拾い上げ、困ったように耳を下げた。
「こんな魔道具、初めて見る。っていうか、これ、どういう仕組みかな……? ロアなら知っているかもしれないけれども、私は何とも言えない」
魔石の内部や外部に複雑な文様を描く刻印に、アリアは盛んに首をかしげる。彼女はもともと魔道具をあまり使わない方だった。とはいえ、魔法の発達したエルフの村では地上の明かりや薪を使わない加熱機器などのためにも多くの魔道具が使われており、幾度となく魔道具に触れてきてはいる。
アルフレッドもアリアの横から魔石を覗き込んで、眉をしかめる。
「こんな緻密な、しかも、瞬間移動の魔道具なら、国ひとつで一個買えるか買えないかくらいの価値はあるぞ……少なくとも、イリシュテアの騎士団では見たこともないな」
不透明な程濃い色の魔石に、淡く輝く光の刻印。細やかな線と線の交差やコンパスを使ったのかと思えるほど精密な図形。こんな刻印を、光という材料不明のもので作成するなど、おおよそ神のなせる業としか思えなかった。
ウィルは少しだけその光の刻印を覗き込み、そして、小さく息を飲んだ。
「……??? ifの転移石の刻印じゃないかこれ???」
「何だ、勇者殿。これを知っているのか?」
「知っているっていうか……君も見たことがあるはずじゃないか? 階層ごとにこの刻印の魔石が置いてあって、最上階を目指したじゃないか。魔王の呪いに侵された君が出てきたのを覚えていないの?」
「……何の話だ?」
突然のウィルの言葉に、アルフレッドは首をかしげる。アリアもまた、困惑したように耳をピンとたて、どうすればいいかわからないように眉を下げていた。
その反応を見て、ウィルは目を丸くする。
「いや、ifだよ、ダンジョン【if】! フロライト地下水道の奥に入り口があった、あのダンジョンで__あれ、どういうことだ?」
言葉を紡ぎながら、途中でウィルは目を丸くして口をわななかせる。そして、突如襲い掛かって来た頭痛にこめかみのあたりをおさえて膝から地面に崩れ落ちた。
「魔王を倒して、それでも、みんな幸せにはならなくて……戦争が起きそうになって、悲しむ人が増えて……僕は……僕は……?」
目を丸く見開き、ウィルはつぶやく。知らない。魔王などまだ倒してはいない。魔王の居城にさえたどり着いてはいないのに!
酷く痛む頭が、酷く痛む心が、忘れていた記憶を、かつての記録を、呼び覚ます。
「そうだ、そうだ、僕は……」
細かく震える肉体を、拳を握り締めてこらえる。そして、聖剣を握り締めた。
その時だった。広場からすさまじい爆音が響き渡る。
細い路地から振り返れば、元々四番目の聖剣が安置されていたあの台座が見えていた。そして、台座の上に現れたソレに、アルフレッドとアリアは目を丸くした。
転移石から現れたのはまるで人間の死体を組み合わせて作ったような、おぞましいゴーレムだった。その大きさは優に二階建ての商店の屋根の上を超え、手を伸ばせば平均四階建てのフロライトの街のすべての家々をてっぺんから潰せてしまいそうなほどだった。
「なんだ、何だアレは……?!」
あまりに異形な見た目と、強烈な腐臭異臭に、アルフレッドは表情を引きつらせる。アリアもあまりにもおぞましいその見た目に完全に恐怖してしまったのか、耳をへたりこませて引きつるような悲鳴を上げていた。
いくつもの腕が折り重なってできたゴーレムの腕。いくつもの足を束ねて作られた異形の足。血さえも流れないほど真っ青で真っ白な死体をつなぎ合わせて作られたそのゴーレムは、いびつな動きをしながらフロライト邸の方へ向かう。
もはや、従者二人にはあのゴーレムを止めるという発想すらすることができず、ただ茫然とあのおぞましい異形の怪物を見つめることしかできない。
そんな彼らと対になるように、一人、動き出したものがいた。
それは、聖剣を握り締めたウィルであった。
「__デミ・ミニングレス・ゴーレムか。アンデットじみた見た目だけれども、実態は単に死体を使ったゴーレムだから、弱点属性は光と闇と風以外」
ウィルはそう呟きながら、ためらうことも怯えることもなく、聖剣の安置されていた広場に歩いていく。今まで共に旅をして来たアリアや、イリシュテアという人類最終防衛地点で騎士団長をしていたアルフレッドさえも知らない怪物の正体を看破したのだ。
「ウィル?!」
あまりにも無謀な行為に、アリアは目を丸くして慌ててウィルを止めようと手を伸ばそうとする。しかし、その手は恐怖に縮こまってしまい、彼を止めることはできなかった。
止めようとしたアリアとは反対に、アルフレッドはただ茫然とすることしかできなかった。あの怪物に……デミ・ミニングレス・ゴーレムを恐れたからではない。__ウィルの変貌を、理解しきることができなかったからだ。
「火魔法第二位【ファイアエンチャント】」
慣れた様子で紅蓮の炎を聖剣に宿すウィル。その動きに一切の無駄はなく、まるで何年間も戦い続けた熟練の戦士のようだった。……もともとはフロライトの自警団員だったとはいえ、誰もの幸せを願う少年だったウィルが、ためらいもなく殺意を抱くところを、アルフレッドは初めて見たのだ。
少年はずっと身に着けていた自警団のバンダナをそっと結びなおし、デミ・ミニングレス・ゴーレムとの間合いを一気に詰めた。
それを見て、アルフレッドは思わず声を上げかけた。ゴーレムというにはあまりに異形なそれと、彼の知るウィルの力量は、あまりにも隔絶していたはずだった。それほどまでに、デミ・ミニングレス・ゴーレムは脅威に見えていたのだ。
しかし、ゴーレムの足元まで一気に駆け寄ったウィルは、短く剣術を行使する。
「__剣術月影流奥義【黄泉送り】」
その詠唱の直後、ウィルの聖剣が上から下に振り抜かれる。
ただ、一振り。あまりにもまっすぐと、ほぼ垂直に振り抜かれた、一振りだった。
剣が振り抜かれ、ヒビの入ったレンガをエンチャントされた炎がなまめかしく照らす。そして、一拍遅れて、死体をつなぎ合わせて作られた異形のゴーレムは、二つに分かれて燃え上がる。
まるで花弁が飛び散るかのように吹き抜ける炎の破片。そして、死体はバラバラになって崩れ落ちる。
一撃で燃え上がる肉塊に帰したデミ・ミニングレス・ゴーレムは、悲鳴を上げることさえせず、断末魔を上げることさえなく、レンガの上に崩れ落ちる。それでも、無理やりつぎはぎにされたゴーレムの材料たちの表情は、どこか安堵したような、無情にもゴーレムを殺したウィルに感謝するような、穏やかなものだった。
ウィルは、悲しそうな表情を浮かべ、ぐっと拳を握り締める。そして、聖剣に宿った魔法の炎を振り払って消し、鞘へ納める。
かちん、と、鞘と柄が合わさる音が響く。その直後、ウィルはまだ燃えている死体の山へ歩み寄る。つぎはぎにされた複数の死体の折り重なる炎に歩み寄り、ウィルは奥歯を噛みしめた。
「……ダメだ、僕はまた、救えなかった」
一太刀でデミ・ミニングレス・ゴーレムを断ち切ったウィルを見て、アリアは茫然と目を丸くする。
圧倒的に格上に見えた怪物が、一撃で倒されたのだ。アリアの知っているウィルの力量では、そんなこと不可能だと思っていた。いや、実際、レベルの差的に不可能だった。
だがしかし、ウィルは実際にあの怪物を倒した。その事実に、アリアはひきつった声で、彼に問いかけた。
「……ウィル、だよ、ね?」
彼が彼であるかを確認するかのような、アリアの質問。そう問いかける彼女の瞳には確かに若干の恐怖が混ざっていた。それほどまでに、彼は豹変していたのだ。
アリアの問いかけに、ウィルは聖剣の柄に手をかけたまま、儚く微笑む。
「……うん。僕は、間違いなく僕だよ。ただ、全部、思い出してしまったんだ」
そう言って、ウィルは何かを思い出したかのようにふらりと、アリアの方へ近づく。
その行動に、アリアは小さく悲鳴を上げて耳をピンとたてる。アルフレッドもまた、警戒したかのように巨大な両手剣の柄に手を伸ばす。
しかし、ウィルはそんな二人の間をすり抜けるように歩いていく。
茫然とするアリアとアルフレッド。彼等は一瞬互いに目を合わせると、目を白黒とさせた。
どう対応すればいいか、まったくもって分からなかった。第一、彼は『すべて思い出した』と言っていたが、一体何のことなのかもわからない。一番最初の従者であるサクラは今おらず、まとめ役のようなことをしてくれていたロアも、この場にはいない。
だからこそ、二人が、いや、二人で、結論を出す必要があった。
どこかへ向かって走り出したウィルの背中を見て、二人は小さく息を飲む。エンドはまだ不幸に落ちるか幸福に包まれるか、その岐路にたどり着いたのだ。
途中で自警団と合流した俺たちは、安定した調子で戦闘を続け、ウィルたちが今回の襲撃の親玉らしき人物を聖剣で仕留めたところを見たときには、もうすでに空には青空が広がっていた。
返り血のべったりとついたジルディアスは、眠たそうに大あくびをしながら、剣についた血油をふるって落とす。後半は血で滑って切断などできたものではなかったため、魔法か突きでインビジブルを仕留めまくっていた。
「あー……ゆっくり風呂浸かってから広い布団で寝たい」
「……まあおおむね同意だ。とはいえ、こんな様でユミルの前には行くわけにはいかないが」
ジルディアスはそう言ってある程度汚れを振るい落とした剣を乾いた布でぬぐう。さんざん武器を使い捨てにする割に、彼は武器の手入れをしっかりするところがある。使うなら使うで俺も多少は丁重に扱ってもらいたいところだ。
そんなことを考えていると、今回の大手柄のウィルが歓声を上げる兵士や自警団の人々の間をかき分けて、ジルディアスの方へとやって来た。
「うん? どうしたんだ?」
思わずアホっぽい声を上げる俺。しかし、そんな俺でも、次の循環には異変に気が付いた。
切羽詰まった表情のウィルは、息を切らしながら人垣をわけてジルディアスの前へ現れる。突然の来訪者に、ジルディアスは機嫌悪そうに眉を顰めつつ、とてつもなく焦った様子のウィルに声をかけた。
「どうした。何の用だ、勇者」
明らかにご機嫌斜めな様子のジルディアス、そんな彼に、ウィルは顔を上げ、息を整える間もなく必死な形相で伝える。
「__早く、早くフロライトの外へ逃げてください!」
その言葉に、俺とジルディアスが目を合わせて首をかしげる。
だがしかし、もうすでに、遅かったらしい。
「ふむ、こんなところにいたのか」
低い、聞き覚えのある声が、俺たちの背後から投げかけられる。
その声に、ジルディアスの表情が凍り付いた。
__俺は、ジルディアスが声を聞いただけでこんな表情になる人物を、一人しか知らない。
気が付けば、息を飲んでいた。そして、ゆっくりと、俺たちは後ろを振り向いた。
そこには、テレポーターを左手に持った、神父が一人。__蛇のような赤色の瞳を持つ男、バルトロメイが、その口元に残虐な笑みを称え、立っていた。