128話 怠惰の末路
前回のあらすじ
・サクラが魔王の呪いの解除方法を発見
サクラがアルバニアの魔王の呪いを解いた後。俺とジルディアスは全力でクーデター犯の排除に当たった。ウィルドはいつの間にかいなくなっていたらしく、屋敷ではぐれてからは行方知らずだとシスに教えてもらった。まあ、どうせウィルドは原初の聖剣だから、放っておいても怪我をすることなどはないだろう。問題は、誰かを負傷、もしくは殺傷してしまう可能性があるということだが……
とはいえ、最初期の、本当に【原初の聖剣】だったころに比べれば、ウィルドは大分丸くなってきている。神に対する冒とくやら世界に関わる大事件を起こすような馬鹿でも出てこない限り、酷いことが起こることはないだろう。
そんなことを考えながら、俺は馬鹿でかい剣を片手に侵略者たちを追い立てるジルディアスを全力で追いかけながら、負傷した兵士たちの治療にあたる。戦闘に関してはとうの昔にジルディアスから戦力外通告を出された。まあ、取り柄が死なないことだから仕方ないよね。人殺しとかあんまりしたくないし。
そんなことを考えていると、短い悲鳴とともに一人の兵士がインビジブルの攻撃をもろに受けて負傷する。俺は即座に刻印のある左手に魔力を回し、走りながら対応した。
「絶対動くなよ、そこの人!! 【ライトジャベリン】!」
俺はそう叫んで、腹を大きく負傷した兵士にとどめを刺そうと鋭い爪を振りかぶっていた人体模型……もとい、インビジブルの頭蓋めがけて光の槍をぶん投げる。やり投げなど転生前もしたことはなかったが、元々魔法であることも相まってあやまたずインビジブルの髪の毛一本ない頭蓋を撃ち抜いた。
痛みでうめき声を上げながらその場に倒れ込んだ兵士に回復魔法を投げ、経過を見る暇もなく全力でジルディアスを追いかける。ふざけたことに、生前よりも上等な肉体(というか聖剣だが)になった俺よりも、ジルディアスの方が身体能力が高い。多分、アイツなら一人で陸上競技のほぼすべての種目でオリンピック金メダルくらいとれるはずだ。
体力という概念がないはずでも、記憶につられて息切れをしながら、俺は既に10メートルは離れた位置を突っ走っているジルディアスの背中に怒鳴る。
「ちょっとは速度落してもらえるぅ?! 追いつけねえんだけど!!」
「やかましい、敵を逃したらどうする!!」
俺の弱音に叫び返すジルディアス。畜生、反論できねえよ!
荒く息を吐きながら、俺は全力で走り続ける。そこで、俺はあることを思い出す。
そういや、ウィルドは基本的に馬の脚で行動していたよな……あっちの方が動きやすいとかあるのか?
「よっしゃ、やるか!」
小さくそう呟いて、俺は変形スキルを行使する。靴が消え、足先は蹄に変わる。筋肉の質が変貌し、地を狩るために最適な馬の脚に変わる。力強い栗毛の馬の脚に変わった下半身を一瞥し、俺は全力で駆け出す。
そして、案の定顔面を強打する形ですっ転んだ。
そういや、翼生やしたときも同じことしていたな……
そんなことを考えていると、ジルディアスから距離をとりすぎたせいか、俺の肉体が金色の粒子に変わって強制的にジルディアスの元に転移させられる。最初からこうしとけばよかった。
戦士たちの怒号とそれに怖気出す反逆者たち。ジルディアスの参戦からすぐに、状況は好転し始めていた。
時は少し遡り、アルバニアの生死をめぐってジルディアスと恩田が戦闘していた頃。瀕死の光の妖精は、全力でフロライトから逃げ出そうとしていた。
ジルディアスに手酷く負傷させられた今、いち早く逃げ出す必要があった。妖精の花嫁であるユミルを連れ帰れないのは痛手ではあったが、そんなことにこだわったせいで死ぬ方がシャレにならない。
楽しいことは好きだが、そのせいで死ぬのは面白くもなんともない。だからこそ、光の妖精は自分から注意が逸らされた隙に逃げ出したのだ。こんな面白くないことになるのなら、最初からフロライトなど襲撃しなければよかった、と心の中で吐き捨てつつ、光の妖精はフロライトの城壁を超え、外へ出ようとする。
その時だった。
重々しい羽音が、妖精の後方から聞こえてくる。
光の妖精は表情を引きつらせて後ろを見た。
痛めつけられたフロライトの街並み。輝く月の光も落ち着き、彼誰時の空の下。そこに、純白の翼と、馬のような力強い足を持ち、まるで節足動物のような複数の節のある腕を揺らした、美しき怪物がいた。
ひゅ、光の妖精の、息が詰まる。
美しい怪物……否、原初の聖剣は、短く息を吐くと、翼を大きく動かして、城壁の少し幅の広い見張り塔にその馬の足をつけた。かたん、と、硬質な蹄が城壁のレンガにふれ、音を立てる。夜明けの足音の聞こえる今、朝に消えて行こうとする月を背にした原初の聖剣は、神秘的という言葉がより一層当てはまる。
口は人間のもののままであるため、うっそりとした微笑みは、とろけたため息をついてしまいそうなほど美しい。それでも、彼の宇宙のような複雑な光を持つその瞳に込められた殺意が、光の妖精を射抜いて、逃げ出すことさえも考えられないほどに強い感情を与えていた。
『あ、あ……』
気が付けば、光の妖精の口から、声が漏れていた。
この感情は、この恐怖は、まるで、あの闇の精霊に愛された勇者に剣を突き付けられたときのような、死を目前にした絶望にも近い感情に他ならない。
それでも、あの時のように凶器を突き付けられているわけではない。原初の聖剣は、ただ光の妖精のいる城壁の通路よりも2メートルほど高い場所にある見張り塔の上にその羽根を休めているだけだ。しかして、この恐怖は、逃れることさえ許されないほどの恐怖は、絶対に虚偽などではない。
浮かぶはずもない冷や汗が、光の妖精の背を伝う。逃れられないがゆえに震える手足が、締まっていく喉が、目に集まる熱と水が、そして、本能が、ひたすらに叫んでいた。__アレには、勝てない、と。
呆けたように首を絞められた鶏のような悲鳴を上げることしかできない光の妖精に、原初の聖剣は口を開く。
『こんばんは、妖精くん。僕はウィルド。原初の聖剣としてこの世に生まれ落ちた者だよ』
紡がれたのは、人の言葉ではない。神代の言葉、神語である。神の息吹から生まれた妖精に対して、こっちの方が通じやすいだろうというウィルドの配慮だった。
しかし、そんな彼の配慮に気が付くよりも先に、光の妖精は恐怖から目に涙を浮かべてかろうじて声を吐き出す。
『ひぃっ、は、反逆者……!!』
『……反逆じゃないさ。僕は、神の命令に忠実だっただけだ。今なら命令の意味が分かったけれども、それでも僕はあの判断を後悔していない』
光の妖精の言葉に、『世界の脅威』を滅ぼすために生みの親である神に反旗を翻した原初の聖剣は少しだけ悲しそうな表情を浮かべ、そう答える。ジルディアスらと旅をしていく過程でほんの少しの成長を積んだ彼は、己の人格といえるものを育んでいた。
だからこそ、今の彼は、己の存在意義以上の怒りを、その心に宿していた。
『光の妖精。君は、神の眷属でありながら、魔王の繁殖の手助けをしたね。世界の脅威を滅ぼすために、君を排除する』
『__! どこにそんな証拠がある! ボクはただボクの花嫁を連れ帰ろうとしただけだ!!』
澄んだ声の紡ぐ宣告に、光の妖精は動揺を押し殺して怒鳴り返す。
しかし、そんな光の妖精に向かって、原初の聖剣は首を横に振った。
『君は55番目の勇者に魔王の破片を渡しただろう。普通の人間だと、そもそも魔王の破片に触れることさえできないはずだ。触った段階で呪いに感染してしまうからね。まあ、特性上勇者なら確かに、呪いにかからず魔王の破片を手に取れる可能性はゼロじゃない。それでも、採取は絶対にできないはずだ』
そんな原初の聖剣の言葉に、光の妖精は焦ったその表情を取り繕うこともできずに大声で喚き散らす。
『そこら辺にいる魔王の呪いの感染者から奪ってきたものかもしれないだろう?! 証拠なんてないじゃないか!!』
醜く喚く光の妖精に、原初の聖剣は深くため息をついて、その肉体をずるりと人間のような姿に変貌させる。ような、と形容詞を付けたのは、まだ足は馬の強靭な足のままであり、翼は依然生やしたままだったからである。
『……本当にさ、こんなくだらないことを同じ神を持つ代理管理人相手に言いたくないんだよ? 君が「やってない」って言わずに「証拠」を求めるのが良い証拠じゃないか。だってそうだよね。虚偽は僕らには通じないから』
『……っ!!』
小さく息を飲む光の妖精。原初の聖剣は畳みかけるように言葉を続ける。
『それよりも、勇者が回収できる可能性があるほど魔王の呪いを放置しているってどういうことだい? 魔王は確かに神が世界の脅威と認めた存在のはずだ。今まで滅ぼされていないのは、君たちの怠惰だろう?』
『お前も何もやっていなかっただろう?!』
『僕は祠に封印されていた。自由だったはずの君たちは、一体今まで何をやっていたの? まさか、何もやっていなかったの?』
一つの言葉を言い返せば、そっくりそのままだけでなく利子までつけて帰される言葉。そんな状況に、短絡的な快楽を好む光の妖精が耐えきれるはずもなかった。
『うるさい、うるさい、うるさい!! 反逆者がボクたち管理人に口出しするなよ!! 君には今、何の権限もないだろう?!』
光の妖精はそう怒鳴ると、あたりの光の精霊を呼び出した。何の意思もない光の精霊たちは、相手が誰かもわからないうちにキャラキャラと高らかな笑い声をあげ、原初の聖剣に向かって突進していく。
ウィルドはスッと目を細めると、精霊たちに短く命じた。
『精霊よ、直れ』
神語魔法による命令を受けた光の精霊たち。その瞬間、彼等の笑い声がぴたりと止まる。そして、きょとんとした様子であたりを見回し、すぐに金色の粒子に変わって消えていった。
配下が消失していったことに、光の妖精は目を見開いて驚く。
『どういうこと……?!』
『どういうこともなにも……僕は彼等を元の状態に戻しただけだ。神代でもよくつかわれた技術だろう? 何故君が知らないんだい?』
あきれたように肩をすくめる原初の聖剣。この技は魔力からできた精霊や妖精だからこそ通用するものであるため、人間として肉体を持つジルディアスや、聖剣としての肉体を持つ恩田には効果がない。
まっとうに管理人として職務をしていれば、世界の脅威を排除するために最低限使用する必要のあるその技。今まで妖精の国に引きこもって享楽的に過ごしてきた光の妖精は、その技を忘却してしまっていた。
光の妖精の腐りきった怠惰を理解したのだろう。原初の聖剣は深々とため息をつく。
『……こういった状態の仲裁の仕方は、神には教えてもらっていない。それでも、職務を全うせず、あまつさえ魔王の繁殖に加担した君を看過できない』
そう言って、原初の聖剣は高い見張り塔から飛び降り、光の妖精のいる城壁の通路に蹄をつける。カッカッと蹄がレンガをうつ高い音が響き、その音が一歩近づくたびに、光の妖精の顔色は悪化していく。
そして、その距離が三メートルほどにまで近づいたところで、光の妖精は命乞いするように叫び出した。
『ま、待ってくれ!! ボクは、魔力の循環は保ってきた! それは間違いない!! まったく仕事をしていないわけじゃないんだ!!』
『……そうなのかい?』
原初の聖剣は、光の妖精のその言葉をきいて、小さく首をかしげる。それを見た光の妖精は、嬉しそうに目を輝かせて、勢い良く首を縦に振った。
『そう、そうだよ! 花嫁たちを触媒にして、魔力を定期的に世界に補給していたんだ!』
『……嘘じゃなさそうだね』
必死に命乞いをする光の妖精、金色に光るその姿は、そろそろ迎えるであろう夜明けの薄明かりを前に、酷く目立っていた。
ウィルドは「うーん」と小さく唸って何かを考え込むように顎に手を当てて、首を傾げた。そんな彼の姿を見て、ようやく隙ができたと思ったのだろう。光の妖精は逃げ出すためにテレポートの術式を紡ぎ出す。
その瞬間だった。
『えっ……?』
光の妖精の口から、困惑の声が漏れる。
それもそうだろう。彼の心臓には、原初の聖剣の手が突き刺さっていたのだから。
音もなく妖精に肉薄したウィルドは、逃げようとした彼の心臓を容赦なく素手でつぶしたのだ。光の妖精は吐血しながらも恐怖で目を潤ませる。代理とはいえ、管理人の責務を担う彼は、心臓を破壊された程度では死ぬことなど到底できなかったのだ。
美しい笑顔を浮かべたウィルドは、痛みで絶叫する光の妖精を見下ろしながら、言葉を続ける。
『正直言って、魔王の繁殖に加担した時点で、君には滅んでもらうつもりだったよ。でも、ごめんね。ちょっと意地悪しちゃった』
『何故……何でだ?! 君は、管理人なんだろう?! ボクらみたいな感情はないはず__』
『うん。無かった。けど、一緒に旅をして来た友達が、君に傷つけられたから、やり返したくなっちゃって』
ひきつった表情を浮かべて暴れる光の妖精。
それでも、無邪気に微笑んだウィルドは、暴れる光の妖精の首を空いた左手でつかむ。そして、宇宙のような複雑な光の入り組んだ瞳を妖精に向け、原初の聖剣は判決を下した。
『君への罰は、不足した分の魔力を君自身で補うことだよ。ただ消滅させるだけだと、損失分を埋め合わせできないからね』
『ひっ、い、嫌だ、嫌だ!!』
『いや、じゃないよ。君はさ、代理管理人としてやってはいけないことをやった。その分の罰は受けないとだよ』
涙をぽろぽろとこぼしながら、必死に暴れる光の妖精。その様はまるで子供が駄々をこねるようなあまりに情けないさまで、ウィルドはその口元から感情の色を消した。
そして、思い出したように口を開く。
『そう言えば、君は僕に権限はないって言っていたけれども、神から世界の脅威を滅するように命令されているから、少なくとも君を殺す権限はあるよ。__じゃあね、怠惰な妖精さん』
澄んだ声が紡ぐ言葉。
そして、次の瞬間、少しの風が吹き抜け、光の妖精の五体は引き裂かれた。
『あぐっ……』
痛みで、小さくうめく光の妖精。風に切り裂かれた両手足は光の粒子に……魔力に変わって空気に溶け込んでいく。そして、最後に、ウィルドは自身の左手に力を籠める。
首を絞められた光の妖精は、絶望の表情を浮かべ、何かを口にしようと唇をわななかせる。しかし、原初の聖剣は世界の脅威に慈悲を与えはしない。
ごきゅり、と、何かのへし折れる、鈍い音が響く。そして、妖精の首が、おかしな方向を向いて、その肉体が光の粒子に変わる。
溶け落ちた光の粒子が魔力に還元されていくのを見守りながら、原初の聖剣は小さく息をつく。
城壁からは、朝焼けの白い光が見えていた。
【管理人の権限】
___閲覧権限が足りません
__【原初の聖剣】ウィルドによって開示されました
管理人の主な仕事は、世界の運営である。世界が破壊されないよう、摂理の維持を行ったり、脅威となるものを排除することにある。この世界の場合、魔力の循環や前の管理人……神の作り出した脅威である魔王の排除などの業務を遂行する義務がある。そのほかにも、原初の聖剣のように個別に専門の職務を割り振られているものもいる。
妖精たちは、追放された神に変わり、代理として管理人の職務をする義務があった。そして、その特権として力を与えられた。
それにもかかわらず、妖精たちは精霊という妖精よりも下位の存在を造り、それらに職務を押し付けることで義務を放棄していたのだ。そして、義務放棄の過程に、妖精の花嫁という立場がある。
妖精の花嫁は基本的に世界との結びつきの強く、基礎魔力量が多いものになる資格があり、そんな資格を持っているものの中から妖精たちが気に入った存在を攫って花嫁、もしくは花婿にすることができる。そして、花嫁たちを妖精の園に幽閉することで、花嫁たちのいたはずの存在の穴を通して魔力を世界に送り込むことができるのだ。
この方法の利点は、攫った花嫁(もしくは花婿)が妖精の園で生存してさえいれば魔力を送り続けることができる点である。送り込める魔力量は花嫁(もしくは花婿)の魔力量に比例するため、できるだけ魔力の多い生物を攫ってきた方が効率がいい。
逆に、欠点は花嫁(もしくは花婿)が死亡すると当然魔力の供給が途切れることである。
一見良い方法に見えるのだが、そもそも、妖精たちが妖精の園に引きこもらず、定期的に世界の見回りでもしていれば、十分な量の魔力が供給されるはずなのだ。そして、当然花嫁たちに人権が認められるかどうかは妖精にもよる。
__余談ではあるが、精霊の愛し子が失踪しやすいのは、愛し子が花嫁(もしくは花婿)に選ばれる可能性が高いためである。