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122話 忌まわしき過去(2)

前回のあらすじ

・アルバニアの「逃げろ」という言葉に、ジルディアスがガチギレする

 光魔法の勉強会から逃げ出し、駆け込んだのは静かな森の中。

 その森の中で、ジルディアスは光の妖精から逃げたユミルと出会った。




 今までずっと別館の中で教育を受け続けてきたジルディアスは、初めて入った森の中でとにかく訳も分からず突っ走った。

 光魔法ができていないことは、自覚していたつもりだった。そして、努力すれば何とかなりと、死ぬ気で学べば何とかなると、きっとどうにかなると、思っていた。


 しかし、そんな現実はないのだと、あの勉強会ではっきりわかってしまった。

 勉強会に呼ばれたジルディアスと同年代の子供たち。彼等は見るからに魔力の量も制御も拙いというのに、あっさりとヒールを使って見せた。己のほとんどすべての魔力を使い、さらに精密な魔力制御を使ってようやく蝋燭の炎ひとつほどの光が灯せるだけだというのに。


 周りの子供たちのあまりにもお粗末な魔力の使い方を見て、初めて己が光魔法を使えないのだと理解した。同時に、母の失望するような表情を見て、耐え切れなくなってしまったのだ。


 後ろから聞こえてきていた大人たちの声も、数十分も走り続けていれば、だんだん聞こえなくなってきた。発動体にしていた銀の指輪は、魔法の使い過ぎで既にヒビが入ってしまっていた。


 現在同様、圧倒的な才能を持ち合わせていたジルディアスは、大人の兵士たちを振り切ることくらい訳なかった。魔力回復用のお菓子を持っていたのも良かったのだろう。疲れれば、魔力ポーションを飴にした菓子をかみ砕けば、続けて魔法を使い続けることができた。光魔法以外は使えるため、風魔法と闇魔法を組み合わせて隠れながら逃げてしまえば、もう、捕まえられる大人はいなかったのだ。


 慣れない山道の移動で、隠されていなかった足や顔が枝に引っかかれる。

 かすかな痛みで集中を乱し、風魔法の制御を誤る。突然の失速に反応がついて行かず、ジルディアスはすさまじい勢いで転倒した。


 膝を酷く擦りむき、背中を大木に叩きつけ、ジルディアスは小さくうめき声をあげてその場で倒れ込んだ。ゲホゲホと咳き込み、ジルディアスは思い出したように空を見上げた。


 木漏れ日の差し込む、森の中。広葉樹から捨てられた黄色がかった葉っぱがそこいらに落ちている。全身が軋むように痛い。それでも、起き上がる気にはならなかった。


「……母様、悲しんでいた……。」


 幼いジルディアスは、赤色の目からこぼれそうになる涙を必死にこする。どれだけ練習しても、光魔法だけがうまく扱えない。代わりに他の魔法を使って見せても、母は全く興味を持ってはくれなかった。

 必死に光魔法を練習して、練習して、練習して、ようやく光を灯せるようになったとき、初めて見せてくれた母の笑顔がジルディアスの脳裏によぎる。


「……母様がつらいのは、僕がまだ未熟者だから……だから、もっと、頑張らなきゃ」


 自分に言い聞かせるように、幼い少年は手をぎゅっと握る。全身は既にぼろぼろで、酷いどろ汚れやあちこちに葉っぱを引っかけてしまっていたりした。

 そんな時だった。


「だれか、いるの?」


 がさがさと草むらが揺れる。

 聞こえてきた女の子の声に、ジルディアスは慌てて泣いていたのを隠そうと声から背を向ける。


「見ないで! 男の子は泣いちゃいけないから!」

「……? 男の子は泣いちゃいけないの? 何で?」

「母様が言っていたから」


 銀髪の少年ははそう言って、服の裾でごしごしと目をこすり、無理やり涙をひっこめる。そして、いつもの表情を取り戻してから振り返った。

 そして、真っ赤な目を見開いた。


 そこにいたのは、金色の女の子だった。


 キラキラと輝く長い金色の髪の毛に、肌は白。服はワンピースとも言えないような白の布で、瞳は深く黒い金。ジルディアスが、妖精かと思ってしまうほどだった。


 地面に引きずるほど髪の毛に引っかかった草をそのままに、少女は草むらから出てくる。靴は履いておらず、はだしのままの足は土や泥で汚れてしまっていた。ジルディアスは慌てて自分の靴を脱ぐと、少女に渡す。


「怪我しちゃうよ。履いて」

「え、君の方が怪我してるよ?」

「僕は良いんだ。男の子だから。女の子には優しくしなくちゃ」

「……男の子でも、痛いものは痛いよ」


 少女はそう言って、ジルディアスの側に歩み寄ると、そっと傷口に手を添えて詠唱する。


祈る(プレイス)神よ(エシス)奇跡を(イルシリア)ここに(エルス)


 神語魔法で紡がれた願いの言葉は、深く擦りむいたジルディアスの膝に癒しを与え、奇跡は柔い光とともに消えた。目を丸くして驚くジルディアスに、少女はいたずらっぽく笑って言う。


「癒しのお祈り、得意なの。君は、戦いのお祈りの方が得意なの?」

「……祈り? 魔法は光魔法以外なら大体使えるけれども……」

「……まほう?」


 ジルディアスの言葉に、少女は首をかしげる。何を言っているのか、分からないと言った様子だった。しかし、たった一つ、幼いジルディアスにもわかったことがある。彼女には、才能がある、ということだ。


 光魔法に絶望的なまでに才能のないジルディアスは、彼女が眩しく見えた。同時に、己が確実に手に入れることのできない高みを目の前にして、『欲しい』という欲を覚えた。盲目的に母の愛を求めていたのとはまた違う欲望に、ジルディアスは困惑した。

 困惑して、困惑して、気が付くと、ジルディアスは少女の手を握ってフロライト邸の別館に帰ってきていた。靴は、少女が右足、ジルディアスが左足の靴をそれぞれ片方ずつ履いていた。



 そこから数日、少女……ユミルとジルディアスは母のいない別館で幸せな日々を送った。

 森の中で行方不明になったと思われていたジルディアスは、まだ捜索が行われていて、母エルティアも教師たちも捜索活動をしていたのだ。父アルバニアの冷遇のせいで別館には極端に使用人が少なく、闇魔法の使い手のジルディアスと光魔法……もとい、神語魔法を操れるユミル二人は隠れて暮らすことが容易にできてしまったのだ。


 食糧庫からこっそりその日の食事を盗み、書斎に忍び込んで一緒に本を読み、母エルティアがティアのためにつくった庭を駆け回り、使用人たちの部屋の隅で手をつないで眠る。

 そんな生活を繰り返して七日。ついに、その幸せな日々の終末を迎えた。


 フロライト邸の別館に来てから七日目の日。ユミルは、朝から何かにおびえていた。食糧庫から盗んできたパンを食べるときも、庭に出るときも、何かを恐れるかのように彼女の手は震えていた。

 いつもとは違う彼女の様子に、ジルディアスは心配になってたずねる。


「どうしたの? 何か、怖いことでもあった?」

「……もう、連れ戻されちゃう」

「連れ戻される?」


 ユミルの左手を握る右の手が、ガクンと下に下がる。気が付けば、ユミルは庭の柔らかい芝生の上に膝をついていた。恐怖のあまり、彼女の目からは涙が伝う。

 そして、ユミルはぽつりぽつりと、事情を話し始めた。


 かつて村で家族と一緒に暮らしていたら、突然さらわれて花嫁にされたこと。光の妖精は遊びと称して花嫁や花婿たちを光魔法でいたぶり、弄んでいたこと。そして、光の妖精とかわした約束のこと。


「私は、お父さんとお母さんのところに、帰りたかったの。だから、七日間一緒に遊んだら、二人のところに帰してって、約束したの」

「! じゃあ、急いでユミルのお父さんとお母さんのところに行こうよ! 今からでも、魔法を使って頑張れば__」


 そう言いかけたジルディアス。その右手には、別館に戻ってきてからはほとんどずっと使っていたため、もう壊れかけてしまった指輪の発動体があった。しかし、そんなジルディアスの提案に、彼女は悲しそうに首を横に振った。


「無理なの、ジル。妖精の国は、時の流れを妖精が決められるの。……だから、お父さんとお母さんは、ずっと昔に、死んじゃった」


 ユミルはそう言って、ぽろぽろと涙をこぼす。エルティアの書斎で、彼女は見つけてしまったのだ。かつてユミルが生きていた時代を【神代】と呼び、遥かかこのことであると記した歴史書を。そして、地図を見て理解したのだ。かつてユミルが暮らしていた村が完全に森になってしまうほど、遥か未来に来てしまったのだと。


 彼女の祈りでも、未来から過去へは移動できない。だから、せめて、妖精の国でいたぶられる日々に戻るまでは、同い年の少年、ジルディアスとともに楽しもうと思っていた。あまりにも儚く、未来のない現実逃避をしていたのだ。


 その現実逃避も、もう今日でおしまい。夢の中で、光の妖精に今日が終わりの日だと、言われてしまったのだ。妖精の国に帰る日だと、言われてしまったのだ。

 「帰りたくない、おうちに帰りたい」とわんわん泣くユミルに、まだ8歳の少年でしかないジルディアスは、ただ何をすることもできず、彼女の手を握り締めて一緒に芝生の上に座り込むことしかできない。そして、そんな風に庭にいたために、二人はあっけなく庭を巡回する兵士に見つかってしまった。



 母エルティアは、一週間もいなくなっていたジルディアスが見つかったという話を聞き、心底安堵した。そして、同時に、ジルディアスが妖精の花嫁を保護し、共に行動をしていたから見つからなかったという話を聞き、驚きを隠せなかった。


 神殿の教えでは、妖精は神の吐息でできた尊い存在である。そして、神隠れた今、世界(プレシス)の均衡を保ち、神託を与える存在だという。

 だからこそ、そんな妖精の花嫁を保護したという己の息子に、多大なる誇りとともに不安を覚えたのだ。なぜ、どうして、楽園にいるはずの花嫁が、この世界(プレシス)にいて、己の息子に出会ったのか、と。


 しかし、エルティアはその疑問を息子やユミル本人に聞くことはできなかった。ユミルが妖精の国に帰るのならば、その用意は神殿が行わなくてはいけないからだった。


 フロライト邸の別館の一室。窓の外からは月明かりが差し込んできており、太陽はしばらく前に山の向こうへと帰ってしまっていた。

 息子の手を握り、ぽろぽろと泣き続けるユミル(妖精の花嫁)に、神殿が大慌てで用意した小さな小さな花嫁用の服を着つける。息子は、ただ無表情に、彼女の手を握っているだけだった。


 そんなジルディアスに、エルティアは、ついに言う。


「ジルディアス、妖精の花嫁様から手を放しなさい。彼女は、精霊様のものなのよ」

「……」


 しかし、ジルディアスはユミルから手を放さない。母は苛立ったように再度ジルディアスに言った。


「手を放しなさい。七日間も遊んだのなら、気は済んだでしょう? 光魔法のお勉強をしましょうね」


 説得の言葉のようで、説得ではない。言葉は、衣装室の柔らかな赤色のじゅうたんに沈み込んで、すぐに消えた。あくまでも、母は決定事項を話しているだけだ。だからこそ、ジルディアスは、うつむいたまま、無表情のまま、口を開く。


「……母様」

「手を放しなさい。言い訳は聞きたくありません」

「母様。ユミルは、妖精の国に帰りたくないと言っていました」

「言い訳は聞きたくないと言いました」


 冷たい目で、ユミルの左手を握るジルディアスを見下す母。狂気じみた母の瞳に、ジルディアスは心がズキズキと痛むのを感じながら、言葉を続ける。


「帰りたくないって、もういたいのは嫌だって、ユミルは言っていたんだ! 僕は、ユミルを悲しませたくない!」

「いい加減にしなさい、ジルディアス! どうしてあなたはちゃんとした公爵に相応しい人間になれないの?!」

「嫌だって、言っていたんだ! 怖いって、泣いていたんだ! か弱いご婦人は助けるべきだって、母様も言っていたじゃないか!」


 生まれて初めて、ジルディアスは母に言い返した。母に嫌われるのが嫌で、ずっと、ずっと、喧嘩などできなかった。母に好かれたくて、ずっと、ずっと、いい子でいた。

 気が付けば、ユミルの左手を握る右手は、細かく震えていた。母に逆らったことなど、無かったから。少年は、自分が考えるよりもはるかに恐ろしいことをしてしまったと、その時に気が付いた。


 時計の針が、かちり、と音を立てて、動く。


 次の瞬間、母はヒステリックな金切り声を上げて、ジルディアスの頬をはたいた。

 ぴしゃりと痛む、頬。同時に、すさまじい勢いで殴られたせいで、小さな体のジルディアスは、柔らかい絨毯の上に引き倒され、ユミルの左手を放してしまった。


「それとこれは話が別よ! いい加減にしなさい、貴方は次期公爵なのよ?! こんなくだらないことで不祥事を起こさないで!」


 怒鳴る母の声が、怒る母の赤の瞳が、響くユミルのすすり泣く声が、脳裏に響く。窓の外から差し込む月光が、母の赤色の瞳を薄青く照らす。母は、完璧な人だと思っていた。母の言うことを聞いていれば、いつか母は己を愛してくれると妄信していた。

 だが、少年(ジルディアス)は、ここでようやく気が付いてしまった。


 月光の混ざりこんだ母の赤い瞳。狂気に満ち溢れた赤色(ローゼ)の瞳は、ジルディアスのことなど、見ていないことに。


 少年の手が離れた瞬間、ユミルは泣いているまま大人たちによって神殿に引っ張られていく。少しの間ユミルはジルディアスから離れたくなくて暴れていたが、ジルディアスの母が金切り声を上げて再度少年の頬を殴ったところを見て、抵抗するのをやめた。

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