116話 少女ユミル
前回のあらすじ
・光の精霊と遭遇
・恩田「おいて行かれたのだけど」
広場に放置された俺は、とりあえず人間の姿に戻る。一応、ここから屋敷まではそう遠くはないため、ジルディアスが俺を手元に呼ばない限り、強制的に戻されることはないだろう。とはいえ、はぐれたままだとマズい。
「うーん……どうするか。思い切って、距離離れて強制的にジルディアスの手元に移動するか?」
そんなことを考えていると、ふと、背後に人の気配を感じて、振り返る。この世界、アンデットとか普通にいるから、さほど怖いものはない。だとしても、本能的に怖いものは怖い。うるせえ、俺はビビりなんだよ!
小さく息を飲んで、あたりを見回す。
その時。
「すみません、こっちです」
「み゛っ!!」
馬鹿っぽい悲鳴を上げ、俺は左を向く。そこには、どこか見覚えのある金髪の女性が、立っていた。い、いつの間に?!
驚く俺に、彼女は首をかしげる。
「すみません、この近くに、ジルディアス様……銀髪で赤目の男性はいませんでしたか?」
「え、ジルディアス? あいつなら屋敷に向かったけど……」
絹糸のような、繊細な金の髪の毛。透き通るように真っ白な肌。そして、その瞳の基調は黒であるものの、時折金色の光が混ざっては揺れていた。幻想的な美しさを持つその女性は、俺の言葉を聞いて、表情をひきつらせた。
「どこの道を通って向かいましたか?! 早く、早く彼の元に行かないといけないのです!」
「み、道? いや、その、影の中に沈んでって、俺はそのまま置いて行かれたのだけれども」
そう答えた俺に、美しい女性は、絶望の表情を浮かべる。
そして、その次の瞬間、彼女のはるか後方で、すさまじい爆発音と夜闇を切り裂くような閃光があたりに煌めいた。女性は、小さく息を飲み、必死な表情で俺に言う。
「……本当に、ごめんなさい。巻き込まれる前に、逃げてください」
「いや、そんなわけにもいかねえだろ!」
必死な表情で言う女性に対し、俺はそう言って変形を行い剣を装備する。鞘までは用意する暇はなかったはずである。閃光は、すぐにこの広間を満たしたのだから。
金髪の女性を庇うように、光の奔流を背中で受け止める。
「あっつ、いっだ?!!」
光が、全身に突き刺さった。
高温の光は、容赦なく俺の背中を焼き尽くし、突き刺し、骨を溶かす。幸いにも、俺が庇ったことで光が直撃しなかったらしい女性は、小さく悲鳴を上げて、涙目で俺を見た。
「大丈夫かアンタ! 顔にやけどついてるぞ!!」
「それどころじゃないです!! 二秒でいいです、生き残ってください!!」
女性はそう叫ぶと、ぐっと手を組み、祈るように言葉を紡いだ。
『祈る。神よ、奇跡をここに』
「あ」
アホっぽい声が、俺の口から漏れる。二重に聞こえる声の輪唱。そして、次の瞬間、俺の全身が完全に復活した。
女性の口から詠唱されたのは、神語魔法だった。嘘だろ、神語魔法なんてエルフとかウィルドが使っているところは見たことあるけど、人間でも使えたのか?
紡がれた祈りの通り、痛みひとつない己の体。俺は、慌てて女性の火傷をヒールで治してから、礼を言う。
「悪い、助かった!」
その次の瞬間だった。
『__助かった、だと? ボクの妻に近づいた男を、生かしておくとでも思ったのか?』
俺が短く礼を言った瞬間、かぶせるようにして、まるで子供のような声が響く。……そう、子供の、ような。
声が低いわけではない。甘やかな子供のような、高い声である。それでも、その迫力は、子供が発せられるそれでは、無かった。
俺は、表情を引きつらせながら、後ろを振り返る。そして、その瞬間、目の奥が蒸発したのを理解した。
視界が消失する前に見えたのは、激しい閃光。爆ぜる光の球。たなびく光で織られた布に、ちりばめられたダイヤモンドのような結晶体。そこにいたのは、光でできた15歳前後の見た目の、少年であった。
なるほど、あれが妖精か。ヒールで目を直しながら、俺は理解する。
少年という実体を持った、光の結晶。いつぞやジルディアスが妖精に触れるわけがないと言った理由が、よくわかった。あれはそう、光そのものなのだ。触れば間違いなく手は解けて消失することだろう。視界に入れただけでこれなのだ。触れるわけがない。
俺は表情を引きつらせながら、目の前の妖精に言う。
「アンタ、その光減らせよ。アンタの妻とやらが火傷しちまってるだろうが! あと、シンプルに痛いんだよ!」
『は? 何で妖精のボクが人間ごときに気を遣わなきゃいけないんだよ』
光の妖精は不機嫌そうにそう言うと、さらにその光を強める。
光は強烈過ぎれば身を焼き焦がすことを十分に理解した。目をつむっているのに明るく、焦げて破れた血管からあふれた血はあっという間に沸騰する。とんでもない痛みに、俺は呻き声を上げる。
だが、そんなとき、後ろにいる女性の悲鳴を聞いて、俺はハッとして変形を行った。
思い出せ。俺は聖剣だ。呼吸はいらないし、血液もいらない。目だってなくてもいい。人間性をこそぎ落とせ。
意識すれば、痛みは減っていく。感覚は研ぎ澄まされ、余分な臓器が最適化されていく。吐き気を催すほどの人間性の崩壊を脳のどこかで受け止めれば、俺の身体は聖剣であることを思い出す。
『変形』
短く発声し、盾に変えた肉体で通路を塞ぎ、強烈な光を物理的に塞ぐ。そして、後ろを振り向いて、俺は奥歯を噛みしめた。
女性の様子は大分酷い。両手で顔と腹を守ったのか、赤く焼けただれた両腕。服は何とか残っていたが、皮膚を覆うものがなかった箇所は酷いやけどを負っていた。
盾にした肉が焦げ溶けるのを感じながらも、俺は単純化された人形のような身体で女性に手を伸ばす。そして、呪文を詠唱した。
『ヒール』
発声は、多分できたと思う。口は肉体に存在していないけれども。
かなりひどい状態ではあったが、光魔法はきちんと効果を発揮した。女性は涙目で体を震えさせて、短い呼吸を繰り返していた。よし、とりあえず生きてるなら、それでいい。
盾を維持したまま、俺はさらにその肉体を変形させる。いや、肉体というのは正確ではないだろう。結局のところ、俺の体は鋼と背骨で出来ているのだから。
初めて原初の聖剣と出会ったときのことを思い出す。神との戦いのために最適化された肉体は、ヒトの形をしていなかった。効率と効果だけを考え、異形ながらも神々しい機能美を持ち合わせる、あの姿を。
声にならない声が、口から漏れる。削げ落ちていく人間性が悲鳴を上げる。だから聖剣になるのは嫌なんだ!
狂気に陥りそうなのをつなぎ止め、ヒトを保つ。それでいながら、姿は人から外れていく。
人であることを削り落とし、ひたすらに空を飛ぶのに適した姿かたちになれば、やがて、その肉体は全長5メートルを超す大型で異形のカラスに変わっていた。
目の前の女性はポカンと俺のことをみる。まあそりゃ人間だと思っていた奴がこんな風になったら、びっくりするよな。
くちばしのままではまともに会話ができないため、外装はそのままに舌と声帯を内部につくる。そして、彼女に言った。
「分が悪い。逃げるぞ!!」
俺は女性にそう叫んで、意識を研ぎ澄ませる。今まではヒトのままを維持しようとしていたがために、空を飛ぶことはできなかった。だがしかし、なんとなく直感していた。__今なら、飛べると。
翼を広げ、鳥の足を延ばして彼女を包み込むようにつかむ。鋭い爪が付いたままだと傷つけてしまうと判断し、即座に指先から爪を剥ぎ取る。
女性は茫然としていたが、それでも、すぐに俺の足をつかむ。それを確認してから、俺は全力で翼を動かした。
『逃げる? ボクは光だ。無理に決まっているだろう。__死ね!』
子供の声が響き、肉体から切り離した壁が完全に溶解する。そして、光の槍が俺に向けられる。おいおい、マジで彼女のこと何も考えてねえな、アイツ!!
『グルァァァァアア!!』
俺は全力で咆哮し、翼を動かす。そして、文字通り光速の光の槍を無理やり回避した。
光の妖精の舌打ちの声が聞こえる。おそらく追いかけてきていることくらいは余裕で想像できるため、俺は全力で館へ向かった。
影を伝い、館にたどり着いたジルディアス。
そして、彼は館にユミルがいないことを直感した。
「……」
無言で奥歯を噛みしめる。そして、次の瞬間、間の抜けた悲鳴が外から聞こえてきた。
『うっぎゃぁぁぁぁぁぁあああ!! しぬぅぅぅぅぅぅぅうう!!』
馬鹿馬鹿しいタイプの悲鳴。この声には聞き覚えがあった、というよりも、ここまで間の抜けた悲鳴を上げられる人間を、ジルディアスはたった一人しか知らなかった。
しかし、それ以上に驚きが勝ったのは、強烈な光の魔力の気配が屋敷に向かってきていることだ。
ジルディアスは盛大に舌打ちをすると、即座に屋敷の外に出る。
そして、ジルディアスは自分の想定よりもはるかに意味不明なことが起きていることを把握した。
月明かり輝く夜空。そこにまるで流星のような光の筋がいくつもよぎり、空飛ぶ黒の怪鳥を射落とさんとする。そして、その怪鳥の足には、金髪の娘。
「こんの……ドたわけが!!」
ジルディアスはそう叫ぶと、指輪から杖を引きずり出し、怒鳴るように詠唱した。
「風魔法第2位【ホバリング】 __とっとと降りてこい、駄剣!!」
『悪い、マジで助かる!!』
怪鳥……もとい、第四の聖剣は、鳴き声にも似た声でそう言うと、遠慮なく地面に降り立つ。……鳥にしては不格好にも、顔面から地面に落っこちてきたのだが。
巻き上がる風のクッションに受け止められた聖剣は、金髪の女性をおろし、そして、巨大なカラスの姿で地面に転がった。滅茶苦茶に翼を動かしたせいで、羽根はひしゃげ、黒色の羽根が抜け落ちるたびに金の光が零れ落ちる。
全身が軋むように痛むのか、もはや言語になっていない唸り声が響く。
『守る、背骨痛え、逃げる、皮膚熱い』
足に捕まって移動させていた金髪の彼女を守るため、光よけにされていた尾羽は最早赤熱している。全身は相当ボロボロで、背中には光の槍が複数本突き刺さっている。
それを見たジルディアスは、盛大に舌打ちをすると、地面でのたうち回る怪鳥に歩み寄り、怒鳴る。
「やかましい!!」
『理不尽!!』
容赦のかけらもない蹴りが怪鳥の首を捉え、そして、脛骨をねじ折る。その瞬間、変形の効果がとけ、怪鳥は折れた聖剣の姿を取り戻した。
『めちゃくちゃ痛かったんだけど?!』
「くだらないことを言っている暇か!」
怒鳴るジルディアスの視界の先には、真夜中であるにもかかわらず真昼のように明るい夜空。あの穢れ一つない光に、見覚えがあった。
「光の妖精か……! 俺との契約を忘れたか!!」
『忘れた? 違うね、思い出したのさ!! 禁術を使うだなんて、あんなの不当契約だ、許してやるもんか!!』
夜空を真昼のように照らす光の妖精。その姿を一瞥したジルディアスは、地面に転がった聖剣を拾い上げ、小さくつぶやく。
「今度こそ、約束を果たす」
その言葉に、金髪の美女がかすかに目を見開いた。
【妖精】
神の吐息から生まれた、属性魔力の結晶。基本的に神以外の全生物を下に見ている。
時折退屈しのぎのために人間などの生物を花嫁とすることがある。が、妖精と生物は時の流れが違い、さらには妖精の常識は人間の生態にはまるで合わないため、花嫁や花婿に選ばれてしまった人間は長生きできない。
精霊の愛し子はその点、あくまでも精霊側が人間に合わせてくれるため、あまりそう言うことはない。
また、妖精も神が作った生物であるため、一応プレシスに果たすべき役割があるが……はたしていないからこそ、まだこの世界に魔王が残っているのだろう。