101話 満ちた悪意、崩れる正気
前回のあらすじ
・恩田「負けた?!」
・ジルディアス「いい賭けをさせてもらった」
・シスをきちんとした裁判にかけられるだけのイリシュテアの金貨を手に入れた
現金さえ手に入ってしまえば、闘技場にいる理由はない。
笑いが止まらないという表情のジルディアスは、随分機嫌のよさそうなウィルドを連れて観覧席を出ようと立ち上がる。俺は安堵のあまりまともに歩けそうもなかったため、金貨の入った袋をウィルドに預け、剣の姿に変化した。
『あー……何かもうさ、人型になって戦うと人間性そがれるから剣のままでいいかもしれない』
「……? 形がヒトの方が、人間に近くはないかい?」
『いや、戦ってるとき、若干聖剣に意識持ってかれそうになってさ。やっぱり戦いは二人に任せてのんべんだらりとしてる方がいいわ。無理無理』
「お前は……まあ、どうでもいいが」
大半の金貨を指輪の倉庫にしまったらしいジルディアスは、呆れたようにそう言った。悪かったな、別いいだろ、二人とも強いのだから。
ウィルドは気に入ったらしい焼き鳥……と言っても、肉は羊なのだが……を頬張りながら立ち上がる。肉が滴らないように気を付けながら、ウィルドは一口大の肉を二きれ一気に頬張る。美味そう。俺味分からないけど。
ジルディアスは深くフードを被り直し、客席の出口を目指す。
場内ではしばらくの間は俺を罵倒する観客たちの声が聞こえていたが、新しい試合が始まれば、そちらの方に注目し始める。大負けした連中は……まあ、ご愁傷様としか言いようがない。
そんなことを考えながら出口に向かっていると、ジルディアスがふと、足を止めた。
「どうしたの、ジル?」
「……」
ジルディアスの瞳から、もともと少なかったハイライトが消える。訳が分からなくて目の前を見たとき、俺は悲鳴を上げかけた。
一人の紫色の法衣の神官の隣。そこに、見覚えのある変態通り魔がいたのだ。
『ぎゃーっ!?』
「あっ」
間抜けな悲鳴を上げる俺と、少しだけ驚いたような表情をするウィルド。しかし、ジルディアスが見ていたのは、件の変態通り魔の方ではなかった。
「久しぶりだね、ジルディアス。……君は従者の一人もつけないものだと思っていたが」
紫色の法衣の神官は、にっこりと微笑みを浮かべてジルディアスに声をかける。美しい金の頭髪。口元に浮かべられた朗らかな笑みとは裏腹に、その真っ赤な瞳にはどす黒い感情が隠されていた。
えっ、誰? 何? ジルディアスの知り合い? てか、どっかで見たことがあるような気が……?
俺が困惑していると、ジルディアスは彼らしからぬ青ざめた表情を浮かべ、紫色の法衣の神官の前に膝をついてこうべを垂れた。……へ?
深々と騎士の礼をしたジルディアスは、細かく震える左手を握り締め口を開いた。
「……ええ、久しぶりです、バルトロメイ司教」
「何、そうかしこまらないでくれたまえ、ジルディアス」
「……んぁ?」
間の抜けた声を上げる通り魔。そして、通り魔は顎に手を当てて何かを考え、そして、思い出したのか手をポンと叩いた。
「ああ、お前らあの時の。腹刺しても死ななかったアイツは?」
「……」
「だんまりかよ」
通り魔の質問に答えないジルディアスに、通り魔は小さく舌打ちをする。いやいやいやいや、何でこいつがここにいる? ってか、アイツが指名しているの、多分俺? うわ、剣の姿でよかった……!
ウィルドはきょとんとした表情を浮かべて通り魔の顔を見ては首をかしげる。
「君、人間の法律ではだめなことをしている人じゃあないのかい?」
「誰だあんた。__なあ、司教。こいつの従者って一人じゃあないのか」
通り魔はそう言ってジルディアスを指さす。指さされたジルディアスはギリッと奥歯を噛みしめるが、それでも何も言わずに跪いたままだ。
「ふむ、報告だと一人だと聞いているが……どうなんだい、ジルディアス?」
ウィルドの質問を完全に無視し、ジルディアスに問いかけるバルトロメイ。ジルディアスはきゅっと口を引き締め、答えた。
「……彼は個人的な友人であり、従者は一人です」
「へえ! なあ、その従者の名前、教えてくれよ! やっぱり、名前呼びながらの方が、楽しいだろう?」
『うわぁぁぁああ、やべえ、鳥肌立った! キモイ!!』
何だアイツ?!
こそっとウィルドが「君今聖剣だから、鳥肌立たないよ」と言ってくれたが、今それどころじゃない。ごめんな。
ジルディアスは通り魔の質問を黙殺している。うん、頼む、こんなキモイ奴に俺の名前を教えないでくれ!
そう思った俺だったが、黙ってこうべを垂れ続けるジルディアスに、バルトロメイがにこりと微笑んで、質問する。
「ジルディアス。従者の名前を答えなさい」
「……。」
ジルディアスは口を開きかけ、そして閉じる。
そんな勇者に、バルトロメイは心底不思議そうに首をかしげる。そして、言った。
「どうしたんだい? 聞こえなかったのかね?」
「……いえ」
「なら、答えたまえ。__従者の名前は?」
「……」
問い続けるバルトロメイ。対し、ジルディアスはひたすら拳を握り、細かな体の震えを噛み殺すことしかできなかった。
何でだ……? こんなジルディアスを、俺は知らない。
今の彼は、いつものような慢心に近いまでの自信あふれる姿ではない。
今の彼は、いつものような不遜なほどの自信を持つ姿ではない。
今の彼は、なにか、恐怖にも近いものを、感じていた。
『ジルディアス……?』
「どうした、ジルディアス。答えたまえ」
冷静で、やさしい声で、まるで威圧も怒りも感じさせず、質問するバルトロメイ。ジルディアスは、小さく息を飲んで、俺の鞘にそっと手を伸ばす。そして、しばらくためらった後、答えた。
「……オンダ ユウジロウです」
「オン……何だって?」
「……」
たった一度答えたあと、ジルディアスは口をつぐんだ。
そんな彼に俺は少なからず驚いたし、同時に恐怖を覚えた。何だ、この司教。ジルディアスにここまでの思いをさせられるのは、普通に考えて一般人ではありえない。ただの上司だとしてもありえない。
よほど強い人間なのかとも思ったが、聖剣の本能がそれを否定する。力量なら、圧倒的にジルディアスの方が上だ。
何が、彼をそこまで恐怖に貶めるのか。何が、彼の自由さを奪うまでに委縮させているのか。まったく、想像できない。
もう一度名前を言おうとしないジルディアスに、隣の通り魔がバルトロメイに言う。
「オンダ ユージローだってよ。多分名前的に月の国の人間じゃねえかな? 連中と似たような感じの聞き取りにくさだった」
「ああ、なるほどね……彼らは愚かにも神殿とは関わりたがらないからな。名前が印象に残りにくいのだ」
バルトロメイはそう言って小さく肩をすくめる。そして、優雅に微笑んでジルディアスに言った。
「なるほど。それなら君にお似合いの従者じゃないか。よかったね、神を拒絶した愚かな民族とだったら、哀れにも神に許されなかった子と一緒に居ても違和感がない。いい従者を見つけたね、ジルディアス」
「……。」
冷笑とともに投げかけられた、その言葉。ジルディアスの指が、俺の鞘に触れる。彼は、ただただ黙してその言葉を耐え抜いていた。
多分、バルトロメイの言葉を聞く限り、月の国ってところの人たちが『神を拒絶した愚かな民族』ってことだと思う。なら、ジルディアスは『哀れにも神に許されなかった子』……なのか?
俺は何を言うべきかわからず、とにかくジルディアスに言った。
『そ、その、ジルディアス?』
「……。」
しかし、返答はない。
ジルディアスはただただ黙ってバルトロメイに頭を下げ、膝を地面につけるばかりだ。
それに対し、通り魔の男はずいぶん楽しそうに鼻歌まで歌っている。
「へえ、月の国の人間って確か、魔物と混じってる奴が多いんだろ? だから死ななかったのか? にしても、ユージロー、ユージローねェ。何の魔物が祖先にいるのかわかったら、そいつを目の前で殺してやるのも面白いかなァ?」
随分物騒なことを言う通り魔。犯罪宣言をしているにもかかわらず、バルトロメイはただただ薄く笑みを浮かべたまま、注意する様子はない。
この地獄のような状況を止めたのは、しびれを切らしたらしいウィルドだった。
「ねえ、どいてほしいのだけど。僕とジルは用事がある。君たちがずっとそこにいたら、通れない」
ふくれっ面のウィルドが、バルトロメイらに言う。
確かに、バルトロメイらが立っているのは、観客席の出入り口。彼等がどかなければ、通れない。そりゃそうだ。でも、言うタイミングと人が悪い。
バルトロメイは一瞬、ほんの一瞬だけ赤い瞳に不機嫌の色をにじませた直後、先ほどと同じように薄い笑みを浮かべて言う。
「……ふむ、君の名前は?」
「ウィルド」
「原初の聖剣と同じとは、ずいぶん不遜な名前だね」
「……? 人に名前を聞いたら、自分の名前を名乗るのがルールじゃないの? ジルにそう教えてもらったけど」
ニコニコと気味の悪い笑顔を浮かべるバルトロメイに、ウィルドはきょとんとした表情で言う。その言葉を聞いて、バルトロメイは少しだけやりずらそうに微笑んだ口角を震わせながら、答える。
「私はバルトロメイ=ローゼだ」
__STOで明かされているジルディアスのフルネームは、「ジルディアス=R=フロライト」。
そして、俺が知っているジルディアスのフルネームは、『ジルディアス=ローゼ=フロライト』。
俺は、小さく息を飲む。確か、ジルディアスの父親の名前って、『アルバニア=フロライト』だったよな……?
まるで蛇のような赤く冷たいバルトロメイの瞳。
うつむいたジルディアスの赤色の瞳には、ただただ薄暗い感情だけが、溶け込んでいた。