99話 泥仕合
前回のあらすじ
・アルフレッド戦
汗と血のにじむ闘技場の中央。二人の男たちが、互いの意地と負けられない事情を抱えて殴り合っていた。
拳と拳がぶつかり合う。片方の拳は砕け、しかし即座に復活する。対して、拳を砕いたほうの拳は鎧が保護しているため、壊れることはない。
「畜生、痛え! 卑怯だぞこのバーカ!」
「死ぬような大怪我しても復活する君が言うかい?!」
俺のアホっぽい罵倒に、アルフレッドは言い返す。
俺だけ血みどろな殴り合いは、かれこれ20分は続いている。この時点で観客たちの賭けはほぼ全員があてを外し、もはや彼ら二人の戦いを見守ることしかできない。
観客席の端をちらりと見てみれば、ジルディアスが腹を抱えて笑いながらこちらを見ていた。普通に腹立つ。あと、ウィルドは手を振り返さなくていいからな。
生まれてこの方喧嘩など口でしかしたことがなかったが、ジルディアスとの特訓の結果、組合くらいならギリギリできるようになった。つっても、路地裏のごろつきと一時間殴り合えてギリギリこっちが負けるくらいの実力だ。
そんな実力じゃあ、まずこの男には勝てない。それでも、それでも! 俺は勝たないといけない。
アルフレッドが左手で大剣を操る。右肩からばっさり腕を切り落とされ、俺は痛みで脊髄が、脳が、焼け溶け落ちるような感覚を覚える。が、即座に左手で落下しかけた右腕をおさえ、無理やり肉体にくっつけてからヒールを唱える。そうでもしないと、右腕が光に変わって消滅してしまう。人じゃないのがバレたら、最悪強制的に試合を中止されかねない。
そんなわけには、行かない。
右腕を修復した直後、俺は捨て身の肉薄を行う。
わき腹あたりをゴリゴリと大剣の刃が抉る。それでもなお痛みをこらえ、吠え声を上げながら、俺はアルフレッドに強烈な頭突きをした。
「ぐっ……!」
「いってえ……!」
流石に白飛びしかける視界。同様かそれ以上のダメージを負ったアルフレッドは、初めてふらりと体勢を崩しかけ、小さくたたらを踏んだ。
アルフレッドの動きは、だんだん鈍くなってきている。やはり、圧倒的技量を持ち大会優勝常連であれども、アルフレッドは結局人間である。体力と言う概念のない俺と戦ったとき、俺が即負けさえしなければ、不利になってくるのは人間でしかない彼の方だった。
卑怯だと分かっていても、泥仕合をする。そうしなければ、俺に勝ち筋はない。
__人の形をとりながら、俺は、勝利のために俺自身がヒトであることを否定したのだ。
戦法に誇りはなく、ただ、勝利のために身を焦がしても切らしても砕かせてでも、その手を伸ばし続ける。その戦い方は、さながらアンデット。
ああそうさ。剣の身である俺は、一度死んで生き返った俺は、アンデットに違いない。それでも、俺は人になりたかった。……なりたかった、なぁ。
この身が砕けるたびに、骨が折れ肉がこぼれそうになるたびに、ヒトとして大切な何かが、擦り切れていくような感覚を覚える。皮肉なことに、人型になってから、俺はどんどん人ではなくなっていった。
アンデットの戦いでも、何十、何百と死に、それでもなお生き返って、戦い続けた。ヒトとして人の闇を知っているつもりで、正しく知れていなくて傷ついた。それでも、何度死のうが、何度傷つこうが、俺は折れることが許されなかった。折れはしなかった。
この身に溶け込む、神の背骨が、それを許しはしなかった。
__なあウィルド、お前が見た人の醜さって、こんな感じだったのかな……?
観衆からの罵倒が、心の傷をえぐる。ちくちくと痛み、こころがすさんでいく。
神の追放されたこの世界で、プレシスを守るために人を絶滅させようとしたウィルド。きっとヒトが混じった俺よりも、本当に醜い場面を見て、彼はその決定を遂行しようとしたのだろう。
拳に、力がこもる。
アルフレッドが俺の足を狙って振り抜いた大剣の横なぎを、俺は気が付けば受け止めていた。騎士団長の目が驚きに見開かれる。
……気が付いていた。俺がひとでなくなっていくたびに、動きが良くなっていくことを。
己が聖剣であることを自覚するたびに、俺の体は人のそれから離れていく。いや、外見はまるで変わらない。中身が、変異していくのだ。まず、不要な臓器が消えた。次に、関節と筋肉が変位し、だんだんと痛覚が鈍くなっていく。構築する魔法も、最適解に近しいものが勝手に生み出されていく。
ただ、でも、俺は、勝たないといけないから。
訳が分からなくなってくる思考のまま、沸騰するような感情を胸に押しとどめ、俺はなおも拳を構えた。
アルフレッドは不敵に笑みながらも、心のどこかで恐れにも近い不安を抱えていた。その恐れの正体は当然、対する祓魔師の、そこの見えない魔力量である。
20分。そう、20分間、殴り合いを続けている。もちろん、アルフレッドもダメージを何度か受けているが、それの倍どころでない。四肢欠損に近い負傷も、複雑骨折も、筋肉の断裂も、全てを回復魔法で修復し、時折光の槍を交えて攻撃も行っている。祓魔師は、魔法を使っていない瞬間がないほどに、連続して光魔法を行使し続けているのだ。
そう、この戦いは、アルフレッドの体力が尽きるのが先か、祓魔師の魔力が尽きるのが先か、という、とてつもない泥仕合となっていたのだ。
魔王から人類を守るイリシュテア騎士団の誇りとして、アルフレッドはこの大会で負けるわけにはいかなかった。そう、この大会はアルフレッドの強さを……イリシュテア騎士団の力を誇示するための見世物でもあるのだ。
アルフレッドは、従者としての適性はある。が、それに対して、勇者としての適性は皆無であった。聖剣に、選ばれなかったのだ。
……誇り高きイリシュテア騎士団の父を持ち、間近で魔王の脅威を見ていたからこそ、アルフレッドは高潔な騎士になることを選んだ。そうなりたいと願って実際に、その夢を叶えて見せた。
かつては勇者を目指し、血のにじむような鍛錬をし続けた彼の実力は、人類でも指折りのものとなっている。そんな彼でも、勇者適性が無いという事実で挫折を知り、それでも腐ることなく、人類のために、世界のために、魔王を倒すことを夢見て、鍛錬を欠かすことはなかった。
だからこそ、彼は目の前の名前も知らぬ祓魔師に、どうしても負けるわけにはいかなかった。己の敗北は、イリシュテア騎士団の権威の失墜につながるのだ。
己の誇りのために、叶えた夢のために、アルフレッドはどうしても負けたくはなかったのだ。
大剣と骨がぶつかり合う。
普通なら痛みで気絶するが、ショック死してしまいかねない大怪我を負いながらも、そんな怪我を治し、戦い続ける祓魔師。その瞳にただならぬ決意と、そして、執着のようなものを感じ取った。
だからこそ、アルフレッドは、息を荒らげながらも祓魔師に問いかけた。
「君は! どうして! そこまで勝ちたいと思う?! そんなになってまで、戦い続ける?!」
「……は?」
その問いかけに、祓魔師の瞳に動揺が滲む。
何故だ? 確かに、彼には決意があったはずだった。なのに、何故、そんなにも動揺する?
__何でだ、何で、俺は戦おうとした?
溶けそうな脳みそを必死に動かし、祓魔師はひたすら思考する。その動揺を、聖騎士は見逃しはしなかった。
「ごふっ」
吐血する祓魔師。そう、彼に腹には、大剣が突き刺さっていた。大剣は、背骨を優に貫通する。確実に、仕留めるような一撃だった。
そこまでされて、ようやく、祓魔師は、いや、俺は、思い出した。
「お、れは、……な、ひとの、ために……」
「……何だい?」
聞き取れなかったらしいアルフレッドが、聞き返す。
その質問に、俺はようやく、普通の笑顔が浮かべられた。悪役のような、笑いたくなくても笑わなくてはいけない、と言う笑顔ではない。己の意志で、自然と浮かべられる、普通の笑い顔だ。
「俺は、好きな人のために、戦ってんだ」
「……へ?」
「好きな人に、一目惚れした女の子に、お金貢ぎてーの。その子、裁判費用必要でさ。俺もその子も金がねーから、ジルディアスに頭下げて、戦い方教えてもらったんだ」
気が付いたら、口から言葉がこぼれていた。ああ、そうだ。何で忘れていたんだ。俺は、シスに一目ぼれしたんだ。
好きな子のために、金稼ごうとしたんだ。だから、戦ってんだ。
馬鹿みたいだ。何で忘れていたのだろう。
その面は、くだらないにやけ顔は、ただただ人間のそれに違いなくて。この感情は、俺の感情は、聖剣じゃない。人なのだ。人間なのだ。
だから、剝離する。出て行けよ、聖剣。俺は、人間だ……!
力が抜けていく。けれども、俺は俺の意志で、腕に、足に、体に、力を入れた。震える腕で、大剣を、大剣を持つ、アルフレッドの右手をつかむ。そして、笑った。普通に、ただたた、普通に笑った。
「そうだ。そうだよ。俺は、シスのことが、好きなんだ。だから、勝ちたいんだ」
「……そんな、くだらない目的で……?」
「失礼な奴だな。俺にとっちゃ一大事だぜ? 初恋相手が無罪で死刑は嫌に決まってんだろ。てめえに価値を決められたくはないな。__あと悪いな、お前の負け確だ」
「は?」
困惑するアルフレッド。だがしかし、これで俺の勝ちは確定している。
握り締めたアルフレッドの右手。俺は、笑って詠唱した。
「範囲拡大__光魔法最終位【パーフェクション】」
「……えっ?」
間の抜けた、アルフレッドの声がやけに耳につく。同時に、会場がざわざわとさざめきだす。
そう、俺は、闘技場のこの会場にいる人すべてに向けて、回復魔法を使ったのだ。先日の戦いで腕を失った戦士の腕が、元に戻る。病で片目を失った娼婦の目が戻る。事故で指を失った鍛冶師の指が、戻る。
己を罵倒した人間にも、蔑んだ人間にも、平等に、均等に、癒しの奇跡が降り注ぐ。
アルフレッドは訳が分からず、俺に向かって問い詰める。
「どういうつもりだ?! 君は、自分のMPを無為に減らして何の意味がある?!」
「うーん、そうだな、死ぬほど卑怯なことしてるけど、聞く気ある?」
「いいから答えろよ! 何のつもりだ?!」
そうだな、今の俺は、精神は人間で、体は聖剣だ。だからこそ、できる芸当だろう。
「あのさ、俺、実は、他人のMPを奪って自分で使うことができるんだよね、触れてる対象からMPパクれるんだけど」
「……?!」
そこまで聞いて、ようやくアルフレッドは気が付く。そう、これで、立場が逆転したのだ。この泥試合は、アルフレッドの体力が尽きるのが先か、祓魔師の魔力が尽きるのが先か、という、物ではない。
そう、この戦いは、アルフレッドの魔力が尽きるのが先か、祓魔師の気力が尽きるのが先か、という、超一方的な我慢大会になったのだ。
うん、正直に言おう。これが、ジルディアスたちと最初に考えていた作戦だ。魔力を削りきれば、必然的に体の動きは鈍くなる。そうすれば、クソ雑魚な俺でも大会優勝常連者にも勝てる。一発負けさえしなければ、つまり、負けさえしなければ、勝てるのだ。
「はっはっはっはー、ぶっちゃけ今死ぬほどクソいてえ! でも金欲しいから負けるわけにはいかねえんだわ!! ほら、【パーフェクション】!」
「ちょ、ちょ、ちょっとまって、君ぃ?!」
勝手に自分のMPを使われ、アルフレッドの声が裏返る。ヤバい、今俺、めっちゃくちゃ卑怯だ。
肉体の接触が原因だと気が付いたアルフレッドは、必死に俺を振りほどこうとするが、残念ながら、俺とお前は大剣によって深く繋ぎこまれている。大剣の柄ごとアルフレッドの手を握りこんでいる今、残念ながらそう簡単に俺を振りほどくことはできない。
「くっ……僕が、こんなところで、負けるわけには……!」
「いやいや、おにーさん、ここで負けていけよ。ついでに会場のミンナを癒していこうぜ? ほら【パーフェクション】」
「くそ、君、ホント良い性格してるね?!」
「褒めんなよ、照れるじゃねえか」
「褒めてないからね?!」
大爆笑する俺と、無慈悲にも魔力を消耗させられていくアルフレッド。
戦いの決着は、5分後についた。
魔力不足で完全に動けなくなったアルフレッドが、リングに膝をつける。そして、俺は、アルフレッドの大剣を腹から引き抜き、ヒールの魔法で完治させる。
茫然とする観客たちを一瞥し、俺は拳を掲げた。
「俺の勝ちだな」
小さな勝鬨は、誰にも気にされることはなく、次の瞬間降り注いだ罵倒と絶叫、ブーイングの群れによってかき消された。でも、今気分いいからどーでもいいな!