番外編 鍋
オリヴィア一行はその日、夕食の時間に別荘の食卓にて鍋を囲んでいた。
「よろしいですか、サーノ、ペペ」
ハチマキを絞めたオリヴィアが、食卓の周囲をうろうろ歩き回りながら力説する。
「鍋とはチームプレーです。誰もが誰かの食を奪わず、しかし己の欲望を隠すこともしない……薄氷の上で肩を組みコサックダンスをするが如く、ギリギリの満足を追求し続ける、過酷な食事スタイルなのです。全てを終えたとき、参加者は皆笑顔かつ満腹でなければいけません。繰り返します、鍋とは団体競技なのです。聞いていますか、ペペ!」
「聞いてません! お腹空きました!!」
「いけませんわ、ペペ! 飢えた獣になってしまっては、鍋はただの狩場となります。鍋は皆の共有財産であり、乱獲はご法度ですわ。サーノも理解していますか!?」
「悪ィ、全部聞き流してた! いいからさっさと席につけよ姫さん!!」
「ぐ、ぐぬぬぬ……! 下々の者がここまで食に貪欲とは思いませんでしたわ。気高さを忘れてしまったのでしょうか」
「忘れた!!」
「最初から知りません!!」
「ああ、嘆かわしい……」
オリヴィアは額を抑えてふらふらと着席した。
赤い鍋掴みを着用する。
「……ですが、わたくしは寛大なスティンバーグ社爵令嬢。卑しい民には身に余る馳走をふるまうとしましょう」
「いただきますしていい!?」
「ふたりとも、フタを開けたら団体戦です。決してブザマな食卓にはしないように! よろしいですね!?」
「はーい!!!!」
「わかりました!!!!」
極めて力強くうなづいたサーノとペペの瞳は「はやく食わせろ」としか言ってない。
「……。はぁ~……どうぞ、召しあがってくださいまし」
オリヴィアは諦めて、鍋のフタを取った。
湯気が立ち上り、具材がぐつぐつと煮える音が鮮明になった。
「ひょぉ~! まず肉もらい!」
「お豆腐、お豆腐! あと白菜!」
サーノとペペは、自らの小鉢に次々と具材を取り分けていく。
その手さばきは神速であった。
「むぐ、はぐはぐっ、もっもっもっ……」
「サーノったら、頬をそんなに膨らませて……ハムスターみたいですわね。ふふ」
「あひゅ、あっふい! 熱いなぁ、こういうときは生卵をくぐらせるんだ! まぐまぐ、うん美味い!!」
「美味しく食べてもらえて、牛さんも本望でしょうね」
サーノの食べっぷりを、オリヴィアは生暖かい瞳で見守る。
「むしゃむしゃ、ごくん。そう言えば、サーノ様ってばエルフのくせに、お肉普通に食べますよね」
こんにゃくをよく噛んで飲み込んだペペは、旅をしてきた中での疑問を口にした。
「エルフのくせにってなんだよ、くせに、って」
「旅行はじめて最初は、エルフの方のために菜食メニューを考えなきゃいけないかなぁ、なんて考えてたんですけど」
「え? なんだその偏見」
「それに、エルフって金属アレルギーなんですよね? サーノ様は義手とか平気なんですか? 魔法で抑えてるとか?」
「……あー。そいつは迷信だよ」
サーノは、指輪のネックレスを弄りながら答えた。
「住んでる森の中に鉱脈がないし、森の中で鍛冶は火事の原因になるし、輸入しようにも森の真ん中だから販路が難しいし、とにかく金属を扱う技術がないんだな」
「へぇ、そういうものなんですねぇ」
「肉もそう。草食のエルフだって、もちろんいる。でもそういう連中って、だいたい食わず嫌いというか、調理の仕方が下手くそ極まりないだけなんだよな。当然の結果として、そりゃあもう劇的にメシがクソほどマズイ」
「すごく忌々しそうに言い切りましたね……」
「だってよ、血抜きは生き物への冒涜だとか、火を使うのは森への反逆だとか、んなことばっか言ってる奴らと一緒にいても美味い肉を食えるわけないだろ……ああ、ほんと辛かった。ふざッけんじゃねえよあの脳ミソハーブなパツキン長耳野郎共」
「凄まじい私怨……」
「その点、ぺぺの料理は美味い。妥協と追究のバランスが完璧だ」
「えへへ、ありがとうございます」
「もっとも、今世界で一番アツイのはこの鍋だぜ。姫さんがいつも食ってるような超々高級品を惜しげもなくブチ込んだ、家が建つほどの鍋!」
「それには同意します。オリヴィア様に着いてきてよかったぁ」
「実質、家の煮込みだな!」
「それは言い過ぎな気がします」
「アタシからすると、ペペも意外と好き嫌いしないもんだよな。このくらいの年頃の人間は、ピーマン与えると面白いくらい泣くんだけど」
「好きですよピーマン。お野菜はみんな大好きです。ていうか、今までそんな理由で私にピーマンくれてたんですか? オリヴィア様と気が合いますね」
「その罵倒は、アタシのエルフ生の中で三番目に心に刺さった……もう面白半分にそういうことしないって誓うよ……」
「さっきから聞いてると、家煮だのわたくしと同類は嫌だの……」
オリヴィアは小鉢を持つ手をわなわなと震わせた。
「この鍋パーティーの主催者はどちら様でしたか?」
「姫さんッス! ウッス! マジサンキューッス!」
「サーノ、あなたちょっと権力に対して脆弱過ぎではありませんの……?」
「もともと反抗期の短い女の子だったもんでね」
鍋が空になった。
「好き嫌いと言えば」
爪楊枝で歯を弄りながら、サーノは言う。
「姫さんは何か好き嫌い、ある? あっ、食べ物の話だぜ」
「幼少から、何でも食べるよう躾けられましたわ。基本的に何でも食べます」
「へぇ、健康的だね。だからそんなでっかく育ったのか」
「どこ見て言ってらっしゃるんですの?」
「嘘ですよ、サーノ様。オリヴィア様好き嫌いめっちゃあります」
「あっ、こらペペ。なんてことを言い出すのかしら」
「ほぉ、そいつは初耳だな。旅の最中には、何でも美味そうに食ってたような気がするけど」
「それは私が、オリヴィア様の嫌いなものは出さないようにしてたからです」
「過保護か」
「それで、具体的にはお魚が好きです」
「魚? なんで?」
「生前の姿を留めていますもの。捌いて骨だけにする悦びがありますわ。それに、『魔王の血』の最中は魚が魔力を吸うので、魔力抜きに手間がかかります。生魚は特に高級品、料理人の腕の魅せどころですわ」
「あ、そう……味の話じゃあないのね……」
「逆に柑橘類はダメなんですよね。風邪引いたオリヴィア様のお見舞いしたとき、丁寧に柑橘類だけ避けて食べてました」
「うっ、そ、そんな昔のこと覚えていたのですか?」
「なかなか衝撃的でしたからね。ニコニコ笑顔でみかんを無視するオリヴィア様の、微妙に笑いきれてない表情」
「へー、そりゃあまたまた。ずいぶん変なもん嫌いなんだな」
「柑橘類というよりは、すっぱいものがあまり好きではありませんの。口の中が絞られる感覚が嫌で嫌でたまらなくって」
「想像以上に変な理由だった」
「中でも、お父様の家庭料理に頻繁に付いてくる、赤くて丸い……あのアレが特に苦手ですわ」
「赤いもの……?」
「なんです、赤くてすっぱいものって?」
「よく朝食に出てくる……アレですわ。種が入ってる……」
「……? 食ったことないかもしれない。朝食によく出るような、赤くて酸っぱくて丸い……? ペペ、何のことだかわかるか?」
「いえ、知らないです。貴族様の家庭料理でしょうか?」
「そういえば、わたくしも名前を聞いたことはありませんでしたわ……お父様はよく、炊いたお米と一緒に食べていました」
「……あ、トマト? もしかしてトマトか?」
「トマトではありませんわ。ミニトマトでもなく……サーノはトマトをお米で食べるのですか?」
「ケチャップライス的なノリで……けど違うのか。じゃあなんだ……?」
三人は考え込んだが、その場の誰も「赤くてすっぱいもの」の名前を知らなかったのだった。




