番外編 流しそうめん
身が引き締まる、寒い朝のこと。
オリヴィアの別荘の中庭にて、サーノは竹を割っていた。
斧を軽快に振り降ろして、割れ竹の山を築く。
「何故?」
朝の散歩のために外に出てきたオリヴィアが、その光景を見つけた。
「おはよう。姫さんも、朝の運動がてら、一本やってく?」
サーノは斧を差し出した。
「いえ、肉体労働は任せますわ。でも、何故竹を? 薪には向いてないでしょうに」
散乱した真っ二つの竹を、オリヴィアは首を傾げながら拾う。
サーノは切り株に斧を突き刺すと、首に巻いたタオルで額の汗を拭った。
「前からやってみたいことがあったんだ」
さわやかな笑顔である。運動後の心地よい疲労感に包まれていた。
「なんですの?」
「流しそうめん」
「なが、そめ……?」
オリヴィアは首を反対方向に傾げた。
「こっくりこっくりと首が動くね、メトロノームみたいだ」
「なんですの、そのナガソメ、というのは。ダークエルフの闇の儀式か何かですか?」
「んなわけねーだろ。クソジジイがさ、旅の途中で言ってたんだよ。火山で貴重な鉱石を探してるときだったかな」
「お父様が?」
「竹を繋げて、スパゲッティを流すんだと。無駄過ぎて貴族っぽくね?」
「サーノにとってのお金持ちの感覚がよくわかりませんわ」
「姫さんの妻になったんだしさ、ちょっとくらい貴族っぽく、流しそうめんしてみようと思って」
「そうですか。間違いなく貴族の証にはなりませんが、サーノが楽しいのなら正しいのでしょうね」
「準備できたら姫さんもペペも呼ぶからさ。楽しみにしてな」
「実行は決定事項のようなので、諦めて待ちわびますわ。ところで、この竹はどちらから?」
「通販。いいねぇ、通販も気兼ねなく使える財力! はじめて使ったが超便利、超贅沢。ペガサスも可愛いもんだ」
「……こづかい制を検討する必要がありそうですわね」
オリヴィアは手に取った竹をもとに戻すと、改めてサーノをまじまじと見つめた。
「なんだ? どした、姫さん」
「雪国で、朝からタンクトップで、健康的な玉の汗を弾く褐色のもち肌……煽情的ですね」
「とっとと散歩行ってこい」
ペペが別荘の廊下で花瓶を拭いていると、サーノがどたどたと大量の竹を抱えて通りがかった。
「おはようございます、サーノ様。その手のものは何ですか?」
「割った竹。ペペ、流しそうめんしようぜ」
「ナガッソーメ……? どこか遠い国の武術ですか?」
「違う違う。貴族のたしなみだよ」
「へー、そんなたしなみがあったんですね。勉強になります」
「この竹をな、二階の窓から繋げて、中庭まで滑り台を作るんだ」
「滑り台? こんなちっちゃなレールだと、かわいいハムちゃんくらいしか滑れませんよ」
「チッチッチ。流すのはスパゲッティさ」
「スパゲッティ? なんで? なんの意味があるんですか?」
「なんの意味があるんだろうなぁ。貴族様の考えることは難しいな」
「そうですねぇ。何か崇高な意味のある儀式なのかもしれませんね」
「と、いうわけでだペペ君。今から竹を繋げるぞ」
「私も手伝うんですか? 楽しそうなのでやります」
「よーし、とびきりクソ長い滑り台を作ってやろうぜ」
サーノとペペは、なんだかんだで仲良しなのである。
オリヴィアが朝の散歩から帰ってくると、二階の寝室から中庭まで螺旋を描く竹のスロープが完成していた。
「本気でやったのですね……」
「おかえり姫さん。さあ、今日の朝メシは流しそうめんだ!」
「オリヴィア様、スパゲッティどっさり茹でましたよ! とことん流しそうめんしましょう!」
「ええ、わかりました。わたくしの別荘に奇天烈なオブジェを設置したことは、この際見逃しましょう」
「それで、サーノ様。このスパゲッティを、滑り台で滑らせるんですよね?」
「そう聞いてる。そんで、流れてきたスパゲッティを取って、小鉢に入れたソースにつけて食べるらしい」
「流す意味はあるのでしょうか? わたくしには二度手間、三度手間に思えますが」
「クソジジイに今度、意味を聞いてみようか。とにかく一回、流してみるぜ」
サーノは皿に素のスパゲッティを盛り付けると、二階に上がっていった。
「ペペ、流しそうめんとは何なのでしょうか?」
「なんなんでしょうね」
「お父様の知識は、ときどき不可解というか、どこから得たのかわからないものが混じりますわ」
「おーい! 位置についたぞー!」
サーノが二階の窓から顔を出して、オリヴィア達に叫ぶ。
「クソジジイ曰く、早い者勝ちなんだとさ! でも万が一取り損ねても、下に置いた水桶がスパゲッティ受け止めてくれるから安心しな!」
「食べ物は粗末にならないのですね。考えられた構成ですわ」
「これ勝負なんですね。オリヴィア様、私は負けませんよ! 朝ごはんはもらいます!」
「うふふ、望むところですわ」
「では、はっけよーい!」
サーノがスパゲッティの皿を滑り台に乗せた。
「のこった!」
サーノが皿から手を放した。
スパゲッティが盛られた皿は、竹のレールの上をするする滑っていく。
「不思議な動きですわ」
「魔法でちょっと、姿勢安定をな」
「なるほど、普通にやったら普通に落ちますもんね!」
「魔法をこんな無駄な使い方するんだから、やっぱ貴族の贅沢だよなぁ」
ゆるゆるとレールを流れ落ちるスパゲッティの皿。
オリヴィアの父親がこの光景を見たら、「回転寿司と半端に混ざってる……」と頭を抱えて嘆いただろう。
「さあ、姫さんとペペ、どっちが先に食えるか!?」
「むっ、なるほど。流しそうめんのこと、わかりかけてきました」
ペペは真剣な目で、自信満々にうなづいた。
「これは、常日頃からいつ没落しても平常心でいられるよう備える、貴族の心のトレーニングなんです」
「そうなのですか。わたくしははじめて体験するのですが」
「滑り台を落ちるスパゲッティが、家柄です。これを貪欲に奪い取り貪ることで、闘争心を忘れないようにする……ある日突然、朝食の席が崩壊するかもしれない。その恐怖に耐性をつける鍛練なんですよ。多分」
「朝食の秩序なら、現在進行形で崩壊していますけどね。寒い中でスパゲッティを死に物狂いで確保するなんて、人生はじめての出来事ですわ」
そうこう言い合っているうちに、スパゲッティの皿がオリヴィア達の前まで流れてきた。
「お先にどうぞ、ペペ」
「いいんですか? やったぁ、お腹ペコペコだったんです」
ペペは喜んでスパゲッティの皿を持ち上げた。
保温魔法を使ったのか、それほど冷めていない。
野外に持ち出してきた室内用テーブルに皿を置くと、ペペも腰掛けて手を合わせた。
「いただきまーす」
フォークでスパゲッティを巻き取り、小皿のケチャップに浸す。
「……ちょっと漬け過ぎた気がします」
真っ赤なケチャップがねっとり絡んだスパゲッティを見て、ペペは後悔していた。
「もっとさらさらのソースにしたほうがよかったですね。次回に活かさないと」
「もう二回目をやるおつもりなのですね……」
オリヴィアもスパゲッティの皿を取ると、テーブルに置いてペペの向かいに座った。
「ま、いいや。ぱくっ」
「お味はいかがですの?」
「もっきゅもっきゅ……んむ、ごくん」
「ペペはちゃんと口の中のものを飲み込んでから喋れる良い子ですね」
「美味しいスパゲッティです!」
「それは何よりですわ。ではわたくしもいただきます」
オリヴィアはとりあえず、カルボナーラのソースに漬けてみた。
「……そもそも、麺に絡めるのが目的なのだから、ソースの粘性が高いのは当然だと思いますの」
ペペの失敗を活かすオリヴィアは、フォークで巻く量を抑えてみた。
小さく口を開け、スパゲッティを口に入れる。
「ん、美味しいですわ。ペペは料理上手ですね」
「えへへー。じゃんじゃん食べちゃってくださいね」
「おー、食いはじめてら」
サーノがスパゲッティの皿を手にして、外に出てきた。
受け取る相手がいなくなり、流すこともできなくなったためだ。
「アタシも食うか。朝から竹割って腹ペコだぜ」
「美味しいですよ!」
「いただきます」
サーノはケチャップソースを自分の皿のスパゲッティにぶっかけた。
「あー、ズルです! 不正です!」
「わざわざ漬けるのタルいっしょ」
「それが流しそうめんですよ!」
「それもそうだな。まあかけちゃったし今回はいいや」
「何故ふたりとも、そんなに次をする気満々なのですか?」
オリヴィアは首を傾げた。
手間の割りに、別にスパゲッティが美味しくなったわけではない。
むしろオリヴィアには、食で遊ぶ不作法な行いだと感じられた。
「え、だってそりゃあ、せっかく作った竹の滑り台がもったいないじゃんか」
「あれでは窓が閉められませんし、ご近所でウワサされてしまいますわ。撤去してくださいまし」
「ちぇ、残念だな。でも一理ある。酒蔵にしまっていい?」
「邪魔にならないよう、奥の方にお願いします」
「りょーかい。もぐもぐもぐ……」
寒空の下で、スパゲッティを食べる三人。
オリヴィア一行の別荘到着から、一ヶ月目の朝の出来事である。




