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六十二話 月光で呑もう

 深夜。

 雪山の残骸は、たき火の明かりで赤々と照らされていた。


「乾杯じゃあああ!!」


 謎の巨大マンモスとの激闘は勝利に終わった。

 頑丈過ぎる雪男たちは、怪我で立ち上がれないものもいたが、致命傷を負ったものはいなかったようだ。

 生き残れたことを祝う雪男たちは、浴びるように酒を飲み続ける。

 明日からは新しい住み家を探さなければならないので、そのぶんのやけ酒でもあるのだろう。


「元気でけっこうだぜ。しんみりされてもたまんねぇしな」


 サーノは常時テンションの高い雪男たちに呆れながら、つまみの干し肉をかじる。


「もっしゃもっしゃもっしゃ……」


「サーノったら、お行儀の悪い」


 サーノに膝枕をしていたオリヴィアが、たしなめるように干し肉を取り上げた。


「あっ、肉……」


「いけませんわ。起き上がれるようになってからにしなくては、喉に詰まりますわよ」


「仕方ないだろ。急性の魔力中毒なんだから」


 サーノは多数の雪男と魔力のラインを繋いだことで、一瞬ですさまじい量の魔力に浸された。

 戦闘が終わってしばらくした今でも、倦怠感でまともに身体が動かなくなっていた。

 辛うじて、電動に切り替えた義手がゆっくりと動かせる程度だ。


「わたくしの人肉で我慢なさいな」


「もっと柔らかい言い方があるよな」


「夫の人肌の温もりでしてよ。寝心地はどうですか?」


「山がデカくて重くて額が疲れる。顔も見えねぇし」


「せ、セクハラですわ。訴えますわよ」


「姫さんが勝手に膝枕はじめたんじゃん……」


 今、オリヴィアはどんな顔をしているのだろうか。

 からかって楽しんでいるのか、本気でこのままでいたいのか。

 サーノからは、オリヴィアの双子山に遮られてわからない。


「……そういえば、姫さん……」


「はい」


 オリヴィアの声音は穏やかだ。

 サーノの頬を、繊細な指がふわりと撫でる。


「く、くすぐってぇ」


「ふふ。感じ屋さんですのね」


「傭兵だぞ。敏感なんだよ、気配とか探るために」


「戦闘者にしては、少し肌にうるおいがあり過ぎませんか? ぷにぷにですわ。うふふふ」


「押すな押すな。姫さんが旅行中、ずっと肌メンテナンスするからじゃねーか」


「こんな健康的で蠱惑的なお肌、しっかり磨き上げないなんて嘘でしょう」


「おかげ様で、しばらくは同業者に舐められそうだよ」


「あらやだ、汚らしい」


「比喩だよ」


「まあわたくしは本当に舐めますけれども」


「やめろ、マジでやめろ」


 残念ながら、今のサーノはわずかに身じろぎするくらいの抵抗しかできない。


「それに、これからはわたくしだけのサーノですわ。お金を稼がずともよいでしょう」


「姫さんの財力に一度でも頼ったら、一生何もしなくなりそうで怖い」


「サーノのそういう気高いところ、大好きですよ」


「隠さなくなったなぁ。てか、ようはアレだろ。アタシが歯ぎしりしながら姫さんの札束を無視する、そういう悔し顔を見たいんだよな?」


「素晴らしい推理力ですわ。やはりわたくしの妻にふさわしい」


「嬉しくない……姫さんの考え方を理解できても喜ばしくない……」


「わたくしはサーノと理解しあえて、とても嬉しいですわ。もっと夫婦になりましょう」


「夫婦ねぇ。なあ姫さん、アタシは本気で、貴族様の流儀に染まる気はないからな。自由に気楽に根無し草人生だぞ。覚悟してるか?」


「正直迷っていますわ。サーノをわたくしのルールに従わせるのは、とても楽しそうなのですが」


「他人の主義主張をお遊戯感覚で歪めようとすんな」


「でも、この幸せを手放したくもない、と言いますか……わたくしらしくありませんわね」


「おやおや、思わぬところで姫さんを真人間に更生するチャンスが巡ってきたぜ」


「もっとも、いざとなればお手軽洗脳くん十五号を実家から取り寄せればよいだけのことです。楽しく気楽にやりましょう」


「よくもそんな極悪な脅しをできるよな、息を吸うように」


「サーノに褒められましたわ。うふふ」


 オリヴィアがもじもじと身悶えするのを、サーノは額の山脈で感じた。

 顔を赤らめ、手を頬に当てているのだろう。


「……まあ、アタシも、姫さんが家庭に入って丸くなるとはこれっぽっちも思っちゃあいないし。突拍子もないことして楽しませてくれよ」


 サーノは、干し肉をひとつ義手で掴むと、自身の口に運んだ。


「……ああ、いやちょっと待て。まだ会話を締められない」


「どうしましたか?」


「忘れてた。姫さん、あの象は結局何だったんだろう?」


「さあ……死体も消えてしまいましたし、調査も無理でしょうね」


 マンモスは、頭を失った直後、地響きを立てて地面に倒れたのだが。

 その後、サーノ達が勝利の余韻に浸っている間に、いつの間にか真っ黒な霧になって霧消していたのだ。

 吹雪も、マンモスが消えてすぐに晴れた。

 謎のマンモスの正体は、誰にもわからないまま、一連の騒動は終わった。


「わたくしの感じた不思議な印象の正体も、わからずじまいです。けれど、世の中にわたくし達には不思議で不可解なことが、いくつか残っていてもよいとは思いませんか?」


「そうは言ってもなぁ。魔王軍相手よりよっぽどヤバイ相手だったぞ? 気になるじゃん」


「わたくし達にまだ命がある以上、大した相手ではなかったのです。わたくしのサーノの敵ではなかったという事実以外、残らなかったのですから」


「姫さんのそのポジティブシンキング、才能だよ」


「オリヴィア様! サーノ様!」


 ペペの声がした。

 サーノからはメイドの姿は見えないが、けっこうテンションが高そうな声だった。


「……さては酔っぱらってんな、ペペ?」


「なんですか、ペペ。わたくしは今サーノとお話をしているのです」


「今雪男さんとメイドについて語っていたんですが」


「メイドに理解がある雪男なんていたのか……」


「いい加減、ワイン持ってると肩が凝るので。オリヴィア様、これ持っててください」


「……ああ、これはこれは。うふふふ、ありがとうございます」


 オリヴィアが何かをペペから受け取った。


「ワイン? 今回の騒動に巻き込まれた発端の、アレ?」


「ええ、そうです。『真祖サファク真紅リトエリ』です」


「それじゃあ、私はこれで。帰るとき呼んでくださいねー」


「ええ、今日はお疲れ様でした」


 オリヴィアが手を振る気配と、ペペが遠ざかる足音。


「やっと飲めるんだな。結局メシは冷めたろうが、そっちは明日の朝でも食おうぜ」


「ええ、そうですわね。それに、いいことも思いつきましたわ」


「いいこと?」


「ねえサーノ」


「なんだい姫さん」


「わたくしに身体強化の魔法をかけてくださいまし」


「なんだなんだ、今度は何をやらかすつもりだ?」


「うふふ、とってもいやらしくて素敵なことを」


「アタシはもう疲れたし、寝てたいんだけどなぁ」


「大丈夫です。ほんのちょっぴり、月を見に行きましょう」


「月?」


 サーノは空を見ようとしたが、視界はオリヴィアの胸部で埋まっていた。


「黒いもやになった象さんが天に昇って、雲のほんの一部分に穴を開けたのです。じきに塞がるでしょう」


「じゃあこの胸を退けてくれよ。そうしたらすぐにでも見れる」


「ふ、ふたりだけで見たいのです。察してくださらないのですね」


 ちょっとだけオリヴィアの声が震えた。


「……え、ああいや、ちょい待ち姫さん。多分その感情はアレだ、危険な状況から解放されたことによる気の迷いと言うか、吊り橋効果と言ってな」


「フブユさん?」


「なんでしょうか」


 たき火でりんごを焼いていたフブユが、オリヴィアの呼びかけでとことこ歩いてきた。


「わたくしに身体強化をお願いできます?」


「ああ、ごゆっくり」


「フブユてめぇ! 物分かりがはやいな!」


 サーノは焦って抗議したが、オリヴィアとフブユには無視された。


「向こうの山の残骸が、月光が落ちてきて明るいですよ」


「まあ、絶好のパワースポットですわ。ありがとうございます」


「村で私たちが馴染めるよう、取り計らってくださいね」


「ふふ、お安い御用ですわ」


「アタシを雪中亜人の今後のために犠牲にする気か!?」


「いいじゃあないですか。おふたりはお似合いだと思いますよ」


「フブユさん、あなたは素敵な人ですね。よい夜を」


「はい。よい夜を」


「くそ野郎が! 寝違えろ!」


 サーノの罵詈雑言は聞き流された。

 オリヴィアは軽々とサーノをお姫様抱っこすると、雪男たちの大騒ぎの現場を離れた。







 雪山の残骸。

 大岩の上に、サーノとオリヴィアは並んで腰かけていた。


「月だなぁ」


「そうですね。月ですわ」


 闇夜の曇天の一部に、辛うじて月が見える穴が開いていた。


「……思ったより、味がぼやっとしてんなぁ」


 期待外れだったワインを義手でちびちび飲みながら、サーノは愚痴る。


「よく考えると、吸血鬼の主食って血液だったわ。このワインも多分、鉄臭さとかと合わせると美味くなるんだろう」


「血を舐める趣味は、わたくし達にはありませんもの。このワインの真の味は永遠にわからないのでしょうね」


「そういうのがあってもいいんだろ?」


「ふふ。そうですね、それでいいのです。わたくしは、手の届く範囲だけ住み易く整えば満足ですわ。世界に謎が残っていようと、それを解決するのは他の誰かで構わない」


「アタシもだよ、奇遇だね姫さん。できることをできるだけ、そんで手に負えなけりゃあ逃げればいい。命が最優先、そういうので満足だ」


「気が合いますわね」


「どうだかな」


 オリヴィアがくすくすと笑う。


「なんだよ」


「サーノ。キスしましょう」


「は? やだ」


「言うと思いましたわ」


 オリヴィアは落胆してため息をついた。

 サーノは頭上にいっぱいのハテナを浮かべている。


「いやいやいや、今そういう流れじゃなくない? なんで姫さんはさ、いつもいつも誘惑がぶつ切りなんだ?」


「慣れてないので……」


「無理やりすればいいじゃん」


「してほしいのですか?」


「してほしくはないけど」


「では、無理になんてできません。わたくしはサーノをわたくし好みに変えるのも、サーノの好みを知って対応を変えるのも、どちらも楽しいのです」


「人生楽しそうで何より」


「サーノは、どうですか? わたくしに変えられるのは……」


 サーノを覗き込んできたオリヴィアの瞳が、潤んでいた。

 しっかりと見返して、サーノは思う。


「……どうだろうな」


 少なくとも、今はこの視線が、自分の存在を認めてくれるのだろう。


「けど、狙われてるのは安心できるね」


「なんですの、それ。緊張していたいんです?」


「そういうわけでもないんだけど……んー。でも、姫さんの駆け引きが下手くそなのは、そのままでいてくれよ」


「もうっ、ひどいことを言いますのね」


「マウント取れるからな。オトナのマネできるのって、気持ちいいもんだぜ」


 サーノは少し、いたずら心が芽生えた。

 義手をゆっくり動かすと、オリヴィアの手を取る。

 感覚がシャットアウトされた義手越しでも、オリヴィアがぴくんと震えたのがわかった。


「ひゃっ? あ、さ、サーノ。あの」


「キスだろ? してやるよ。今はここに」


 サーノは、オリヴィアの手の甲に、静かに唇を落とした。


「ん、なめらかな肌してんね。絹のようとでも言おうか……あれ?」


 サーノの目の前で、オリヴィアの手が、みるみる真っ赤になった。


「ふ、ふしゅ~……」


「……あのなぁ。照れて結局手の甲が限界って、最初に言い出した姫さんがこれかよ?」


「わ、わ、わ、悪いんですの!?」


 オリヴィアは顔を茹でダコのように真っ赤にしていた。

 サーノは優しく微笑むと、オリヴィアの肩に頭を預ける。


「……サーノ?」


「姫さんはどうにも、恥じらいを感じるとこがズレてる気がするんだよなぁ」


「これ以上バカにするなら、怒りますわよ」


「貶してなんかいないさ。かわいいもんだぜ」


「か、か、かわいっ!?」


「じきに慣れるって。そのうち、誘惑でも何でもできるようになるよ。姫さんは若いし、強いから」


「……な、何が言いたいんですの?」


「ほら、姫さんも。アタシに寄っかかれ」


「え、ええ。こうですか?」


 オリヴィアもサーノに体重を預ける。

 こてんと、オリヴィアの頬がサーノの頭に降ってきた。


「アタシは、これで十分だ」


「……。ふふ、ふふふ。高いだけで不味いワインに、聞こえてくる雪男の喧噪、ヘタレなわたくし。これでサーノは満足なのですか?」


「ああ。姫さんが見てくれてる限り、アタシは大満足」


「貧乏性ですこと」


「そんなことあるもんか」


 サーノは疲労による眠気に負け、目を閉じて続けた。


「過ぎた贅沢だぜ」


 月光が降り注ぐわずかな時間、ふたりのシルエットは重なり続けた。

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