六十一話 象をぶちのめそう
「いってぇっ!?」
サーノは手の甲の痛みで目を覚ました。
「サーノ、象さんのお尻に到着しましたわ」
「本気でつねったな!?」
「ふふ、サーノの痛みの声音は極上ですもの」
「降ろせ!」
サーノは飛び降りるように、オリヴィアの背中を離れた。
「どれくらい時間かかった?」
「三十分もかかっとらんのぉ」
「のわっ!?」
サーノはオリヴィアの前方から聞こえた野太い声にびっくりして飛び上がった。
ひとりの雪男が、ペペとオリヴィアをおぶさって佇んでいた。
「サーノ、彼は途中でわたくし達を見つけて、運んできてくださったのです」
「な、なんだ、雪男のおっさんか。そいつはサンキュー」
「フブユが見つけてくれたおかげじゃよ」
「フブユが? なんで、どうやって?」
サーノを仮の倉庫で見つけた着物雪女の名前が出てきて、サーノは首を傾げた。
「ふっふっふ。雪女の生命探知は恐ろしかろう?」
「……こ、この魔力含みの吹雪の中で、アタシたちを見つけたって? とんでもないな」
雪女は吹雪の中で遭難した我が子を探すこともある。探索魔法の範囲と精度は、普通の天候だと無意味なくらいに広く精密で、強力なのだ。
「マロロイネさんや、他の雪女さんたちも散らばって探査したんじゃがな。一番に見つけたのはフブユじゃて」
「そっか、あとで礼を言っとこう」
「礼ついでに、この象をどうにかしたいんじゃ」
「そいつはアタシから言い出そうとしてた。協力してくれるか?」
「わしらの住む山が木っ端微塵じゃ。一発入れんことには気が収まらんわい」
「よーし、それじゃあ雪中亜人総出でこいつを叩き潰そうぜ」
サーノと雪男は固い握手を交わした。
一方ペペは、雪男の背中を降りたオリヴィアの様子に首を傾げていた。
「……どうしたんですか、オリヴィア様? 象さんの毛を引っ張ったりして」
「懐かしい手触りだなぁ、と感じまして。ううむ、やはりわたくしはこの象さんを知っている……?」
「生物兵器、こっそり作ったりしてませんか?」
「雪山に捨てた覚えはありませんわ」
「作ったんですね」
「この子がわたくしの作品ではないというのは、断言できます。大き過ぎますもの」
「捨ててから育ったんじゃあないですか?」
「ですがペペ、鎧のような鉄の塊を見ましたか? 何もせずに自然任せで身にまとえる代物ではありません。何者かの加工の手が入った鉄塊です」
「誰か、少なくとも象さんに鎧を着せた人がいて、それが自分ではないから知らない、と?」
「この象さん、ずいぶんコンセプトがはっきりした兵器ですわ。『移動する王国』を目指していたとでも言いましょうか……鎧らしき鉄塊に、いくつか住居の跡がありました。大砲が取り付けてあった痕跡も……。風化する程度には年月を重ねていました」
「……それで、なんで懐かしいんですか?」
「そこなんです。身に覚えが全くなくて……」
「別荘に帰るまでに思い出してくださいね。なんとなくですけど、うやむやにすると超めんどいことになる気がします」
「ええ、努力してみましょう」
「姫さん、ペペ! 作戦決まった、降りるぜ!」
サーノの声に急かされ、オリヴィアたちは、ひとまずマンモスの正体は後回しにすることにした。
マンモスは移動を開始した。
サーノ達一行が背中から降りてからしばらくして、周囲を探るように見回してから、歩き始める。
一歩が、既に壊滅的な破壊力を伴っている。
足跡が深く沈み、五十mはある窪みとなった。
地響きも並ではない。
「むうう!」
「なんのォ!」
雪男たちは鍛えられた体幹で揺れを耐えた。
しかし、耐えるということは踏ん張ることになる。
マンモスのしっぽが、ムチのようにしなって、雪男たちを薙ぎ払った。
「どわああ!」
「ぬああああ!?」
地面が深く抉れるほどの破壊力。風圧だけで木々が根こそぎ吹っ飛んだ。
雪男ほどの頑丈さがなければ、薙ぎ払いだけで上半身が血煙となってしまうだろう。
「……な、なんじゃ。象がこっちを見とるぞ」
マンモスは、誰かを探すように振り返った。
地獄の底から破滅がやってくるような、不吉な前触れを思わせる鳴き声を上げている。
まるで猫が主人を探すような身振りである。
サイズ差でもたらされる被害さえなければ、微笑ましくもあっただろう。
「だが好都合だぜ、何も知らん横っ面を張り飛ばすのは一瞬だからな!」
サーノはオリヴィアと手を繋いで、象の目の前に堂々と立ち塞がる。
「……で、なんで姫さんがいるわけ?」
「ケーキ入刀、まだしてないな、と思いまして」
「何もかも優先順位が滅茶苦茶だな!?」
「ケーキでも入刀でもありませんが、わたくしの地位にふさわしいスケールの共同作業です。サーノひとりにはやらせませんわ」
「いや、共同って。二人がかりでやる必要ないんだけど……」
「本音を言うと、サーノの手を極力握らせたくないのです」
「……え、嫉妬? 独占欲?」
「ええ。わたくしにも一緒にやらせてくださいな、対等でいさせてくださいまし」
「うわあ、最悪のタイミングでワガママ言いやがった。姫さんのおかげで作戦がかなり難しくなったぜ」
「本望でしょう? わたくしのような子供の気ままに付き合うのは」
「違いねぇや。仰せの通りに、オリヴィア。アタシのゴリ押し、ご覧あれ」
オリヴィアがサーノに身長を合わせてしゃがんだ。
サーノとオリヴィアが、手を上に掲げる。
マンモスは不思議そうに、ふたりを見下ろしていた。
「……抵抗がないのが不気味ですわ」
「でも迷惑だ、寝ててもらおう」
「ええ」
ふたりの手の上に、雪男が着地した。
「ほい、とぉ!」
「重い! いきなり乗るんじゃねぇよモフモフ!」
サーノが重量を分散して地面に逃がす魔法を使っていたため、オリヴィア共々脱臼はしなかった。
「悪いのォ!」
「悪いよな、ホントに!」
「言い訳はせんぞ、そっちの作戦じゃからな!」
「口答えの前に身を守れ、モフモフ!」
「二番槍じゃぁい!」
続けて、別の雪男がさらに上に乗ってきた。
『接地魔法!』
ふたりの雪男が、声をそろえる。
雪男たちの手がガッチリと握り合わされ、魔法で接着された。これで簡単には剥がれない。
ようやく不審に感じたのか、マンモスが鼻を叩き付けてきた。
「どわぁ!?」
しかし、振り降ろされた鼻は、サーノ達の遥か右五十メートル以上の地点を打ちのめしただけだった。
確かに地響きと風圧はサーノ達を揺らしたが、直撃ではない。
「……いざとなればやるなぁ、雪女たちも」
雪女は雪男と比べると力に劣るが、野生動物を狩ることだってある。
彼女たちは幻覚を用いて、動物を罠にハメるのだ。
雪女たちは真っ向勝負は苦手なものの、サポートとしては素晴らしい魔法適正を持っていた。
今、マンモスは幻覚を見せられ、サーノ達の位置を誤認させられている。
「目玉の真ん前に幻覚魔法とはね。ようは単なる映像の遠隔再生なんだがな」
「作戦は着実に進んでいます。このチャンスは逃せませんわね。雪男さん、どんどん乗ってきてくださいまし」
「ほい来た!」
「やるぞぉ!」
雪男たちが、どんどんサーノとオリヴィアの手の上に積み上がっていく。
言うなれば、雪男タワーである。
「こんなもんだろ。第二段階だ!」
サーノとオリヴィアは、雪男タワーを振り降ろした。
マンモスとは逆の方向に。
「気づかれたな」
マンモスが、サーノ達を見下ろしていた。
視線に殺意がこもっている。
「姫さん、謝るなら今のうちだぜ」
「何を? 象さんごときに、わたくしが謝ることなどありませんわね」
「ごもっとも。雪男諸兄、どうだ!?」
「ばっちりじゃい!」
雪男の直方体が、雪男タワーの先端にくっついていた。
「雪男ハンマー、完成だ!」
原理はサキュバスの陣形魔法に近い。
大量の雪男の魔力的・筋力的な破壊力を、サーノの魔法で束ねて叩き込む。
「サーノ!」
「わしらのことはいい!」
「思いっきりやれぇ!」
「……姫さん、もっと強く、手ぇ握ってくれよ」
「はい? なんです、甘えたくなりましたの?」
「そんなとこ。尋常じゃない魔力を一気に使うから、気を失いかねない」
「大丈夫ですわ。絶対、一生手放しません」
「重いねぇ」
雪男ハンマーが、持ち上がる。
天高く、マンモスより高く。
マンモスが突撃してきた。細くて脆そうな雪男の塔を、象牙で突き刺そうとしているのかもしれない。
地響きが止まない。
「今だ……!」
サーノはオリヴィアの手を強く握り締めた。
オリヴィアの体内を駆け巡ったサーノの魔力が、手のひらを通してサーノに帰ってくる。
何倍にも膨れ上がって。
(……な、なんだこりゃ。オリヴィア、どこにこんな量の魔力を)
ダークエルフでも、あっさり飲まれかねないような魔力量。
サーノはオリヴィアの謎の魔力について考えかけたが、
(い、今はそれどころじゃあねぇな! アタシら二人分の魔力よ、雪男のタワーを、走れ!)
サーノとオリヴィアと雪男の大群が、魔力の流れで一本の「棒」になる。
「どおりゃあああああ!!」
雪男の肉の槌が振り降ろされた。
突撃してきたマンモスの眉間に、吸い込まれるように。
マンモスの首から先が、抉れた。
まるでなんの抵抗もないように、マンモスの姿が幻影でもあるかのように、雪男ハンマーはマンモスの頭部を削りながら地面に落ちた。




