六十話 山を越えよう
マンモスは雪山を破壊して現れた。
当然、雪中亜人たちの住み家はもろとも粉々である。
「この野郎ーッ」
「なんてことするんじゃぁぁぁぁっ!」
雪男の雄叫び。
マンモスの臀部に、雪男たちが仲間を投げつけているらしい。
らしい、というのは、位置が遠過ぎて雪男たちを視認できないのだ。
マンモスがデカすぎる。頭から尻までを見ても、街ひとつがすっぽり胴の下に収まるだろう。
街をひとつ分隔てた距離なのに、頭部付近にいるサーノのもとにまで聞こえてくる雪男の声がデカイという話でもある。
「ごあああっ!」
「ぐわああ!」
続いて聞こえる悲鳴も相当デカい。
マンモスがほんのわずかに身じろぎしたので、しっぽで軽く薙ぎ払われたのだろう。
「ううおおおおお!!」
「弔い合戦じゃああ!!」
「元気なおっさんたちだぜ……」
なおも聞こえてくる威勢のいい雄叫びに、サーノは呆れて肩をすくめた。
サーノはいったんオリヴィアたちのところへ戻ってきた。
「でかい象がいた」
「サーノ、おふざけはおやめになってくださいまし」
「視力強化と透視の魔法をかけてやるよ」
「あらまあ、本当に象さんですわ。なんでこんなところに?」
状況を確認し、作戦会議に移る。
「逃げましょう!」
「ペペ、それはできませんわ」
「なんでですか!?」
「歩幅が違いますわ。逃げきれません」
「そうじゃねぇだろ。村や別荘を踏み潰されたら最悪じゃねーか」
「そうですね、そういう考えもありますわ」
まず逃走という選択肢は消えた。
「じゃ、じゃあどうするんですか!? 山と戦うようなものじゃあないですかぁ!」
「ペペ、姫さん。ふたりは多分、アタシのそばを離れないのが一番安全だと思う」
「そうですわね。わたくしたちは、象さんに何も抵抗できずにぺしゃんこにされてしまいますもの」
「まずは雪男たちと合流しよう。話はそれからだ」
「合流って、すごい遠いんですよね?」
「山越えしよう」
「やまご……え?」
「象の背中を走るんだ。足元より何倍も安全だぜ」
「お、落ちたらどうするんですか!?」
「落ちないように祈る!」
「うわあああん! 私、今日ここで死んじゃうんですね! 遺書書いてくるんでちょっと待っててください!」
「縁起でもねぇ。安心しろよ、アタシが護衛なんだからさ」
不安の声はあるが、行動の方向性は定まった。
「サーノ、背中を走るのはともかく。どうやって背中まで行くのですか?」
「鼻をよじ登る、というのはどうだ?」
「どうでもないですわ、無謀過ぎます。他の案は?」
「脚をよじ登る」
「魔法で何とかなりませんの?」
「ちょっと難しいかな。風圧が強過ぎる。アタシの魔法だと、ちょっと勝てない」
「ふむ。ところで、象さんがこちらを見ているのですが……」
オリヴィアの一言で、会議は中断した。
「……え、あ」
マンモスの視線が、三人を射抜いていた。
「……た、食べられる」
「お、落ち着けペペ。あの図体だ、アタシらは食いでがない。大丈夫大丈夫」
ぬぅっ、と。
鼻が持ち上がった。
大きく空気を吸うように、鼻の孔が広がっている。
「……なんだか、ヤバイ」
「?」
「浮かされますわ! 防壁! ペペ、手を握って!」
「お、おう!」
「はいっ!?」
サーノはオリヴィアとペペを抱き込み、全力で防壁を張った。
次の瞬間、防壁が軋むほどの風圧が発生した。
「ぐおおおお!?」
「サーノ!? これは……象さんが、わたくしたちを吸い上げていますの!?」
ほとんど竜巻である。
サーノ達の立っていた地面ごと、巻き上げられていた。
マンモスが、サーノ達を吸い込んでいるのだ。
桁外れの肺活量に対して、三人は抵抗の手段が一切ない。
「ひえええ!? か、壁が! 壁がミシミシ言ってますぅぅぅ!」
「ぐぬあああぁぁぁっ!! ぼ、防壁展開が追いつかねぇ! 潰れる!」
「サーノ、しっかり! ペペも落ち着いて! こ、これはちょっと、洒落になってないピンチなのでは? うーむ……」
オリヴィアはサーノの義手を操作し、ケーブルを一束掴んで引きずり出した。
「……かくなる上は、これしかありませんわね」
「オリヴィア様、何をする気ですか!?」
「人間にだって、わずかでも魔力はありますわ。わたくしの魔力を、サーノに与えます」
「どうやって!?」
「こうしますの」
オリヴィアは、ケーブルの束を自身の右手首に突き刺した。
「ううっ、くうう!」
「お、オリヴィア様!? そんなことしても、焼け石に水じゃあないんですか!?」
「どうせサーノが根を上げればもろとも死ぬ身です……ぐうぅ、っふ、悪あがきに糸目はつけませんことよ!」
ケーブルの中を、魔力が流れる。
オリヴィアの魔力が、サーノの体内へ。
「う、おおお!?」
サーノの身体が、ビグンッ! と大きく震えた。
「なんだなんだなんだ、こ、これは……魔力が! ぐわあああ!?」
「サーノ!? どうしました!?」
「魔力が! 濃い! 多い! し、沈むーっ! あああーっ!?」
サーノの眼玉が、真っ赤に充血し、ぐるぐるとせわしなく動く。
酸素を求めて舌がまろび出る。小さな指が喉をかきむしる。
苦し気なサーノの様子とは逆に、魔力の防壁はどんどん濃く、分厚くなっていった。
「な、なんですの……?」
「お、オリヴィア様、今度は何をしたんですか……?」
「何って、何もしていませんわ! サーノ、気をしっかり!」
「オリヴィア様、とにかくそのケーブル抜きましょう! オリヴィア様の魔力が邪悪過ぎて、サーノ様が耐えられないんじゃあないですか!?」
「そんな、魔力が邪悪って、そんなことありえますの!?」
「オリヴィア様は自分の身体から出たもので清廉潔白なものが一滴でもあるとお思いですか!?」
「思えませんわね! 確かに! ごめんなさいサーノ、今楽にしてさしあげますわ」
オリヴィアが自身の手首からケーブルを引っこ抜いた。
同時に防壁は霧のように消えた。
「あ、マズイですわね」
「ひい」
サーノは白目を剥いていた。
いつの間にかマンモスの吸引は収まっており、三人は慣性の法則に従って放物線を描いた。
オリヴィアたちは、ドサドサと、マンモスの後頭部へ、激突するような形で着地する。
「痛いっ」
「あうっ」
「ぐえっ!?」
絡み合って尻もちをついた格好である。衝撃でサーノは目を覚ました。
「……こ、ここどこ?」
吹雪で遠くは見えないが、視界の届く範囲内は、ふさふさの毛の原っぱだった。
「三途の川、渡っちゃった……?」
「サーノ、気を確かに。生きていますわ」
「姫さん。なんだろう、アタシさっきまですっごく怖い夢見てた気がするんだよ」
「どんな夢ですの?」
「王都に毒ガス持ち込んだ犯罪者の耳を、姫さんが……、うう、思い出しただけで吐き気がしてきた。麺棒にあんな使い方があったなんて、知りたくなかったぜ」
「……そ、そうですか」
「本当に、なんだったんだ、さっきの特濃の狂気は……。全身の血液が焼けた砂に入れ替わったみたいだった」
「どういうことですか、それ」
「わからん……何もわからん……。ああ、今はそれどころじゃあねぇな」
サーノは頭をゆるゆると振り、立ち上がった。
しかし、貧血患者のようにふらふらとしてしまい、転びかける。
「っとと……」
「サーノ、しっかり」
「ど、どうしたんですか!?」
慌てたオリヴィアとペペに、両脇を抱え上げられるサーノ。
「……同時に立ち上がるな、お前ら身長差あるだろ!? 逆に苦しい体勢なんだけど! い、いででで、どっちかにしてくれ!」
「ではわたくしがしゃがみましょう」
「そしたら歩けねぇだろ」
「じゃあ私、手を放します」
「よい心がけですわ、ペペ。サーノの身体はわたくしのものです」
「語弊」
オリヴィアはサーノをおんぶした。
「んしょ……軽いですわね」
「お、降ろせ。降ろしてくれ。これ結構恥ずかしいんだけど」
「確かに、背後にいる私からはサーノ様のお尻がくっきりと丸見えです」
「見せもんじゃねーぞコラ」
「サーノ、わたくしに身体能力強化の魔法を。雪男の方々の元へ、わたくしが走りますわ」
「んな手間な真似……」
「サーノが本調子ではないから、言っているのですわ。サーノの夫ですのよ、わたくし。支えさせてくださいまし」
「……そういや、なんで姫さんが夫なの? アタシのが夫ってイメージじゃね?」
「わたくしのほうがお金持ちですもの」
「よくわかんねぇ理屈……ああ、でもちょっと疲れてるのは事実だわ。いいか、落ちそうになったらアタシの手の甲をつねるんだ。少し休む……」
「ええ、ほんの少しの休憩を。おやすみなさいサーノ」
サーノはオリヴィアとペペの身体を強化すると、気絶するように眠りに落ちた。