五十九話 穴に飛び込んで逃げよう
突然、地震が発生した。
「うわわっ!?」
サーノは転びかけ、慌てて踏ん張った。
ぐらぐらと、氷の洞窟が揺れる。
「な、なんだ。何が起きてる!?」
「ど、洞窟が崩れとるぞぉぉ!」
雪男のひとりが叫んだ。
天井の氷がパラパラと落ちてきていた。
「ああっ、まぶたが!」
誰が叫んだかはわからなかったが、その意味は誰もがわかった。
巨大な目玉のまぶたが閉じようとしていたのだ。
バリバリと氷壁が内側から破壊される。巨大なものの動く凄まじい風圧が洞窟を蹂躙する。
「ちぃっ! 姫さん、ペペ!」
「ひいい!」
「ペペ、今回は逃げたら寒さで死にますわよ!」
「はいい! ここが安全地帯ですよねわかってますうう!!」
「ガードする、じっとしてろ!」
サーノはオリヴィアとペペをかばって覆い被さり、防壁魔法を全力で発動した。
防壁に何度もガレキや氷塊が激突し、粉々になる。
周囲では雪男や雪女が逃げ惑っている。天変地異級の余波から生き残るのに必死で、サーノ達にかまう余裕はない。
サーノ達からも手出しできるような状態ではなかった。
「サーノ! 足場が!」
「地面がふたりで見えない! なんだ!?」
「ヒビが入ってますわ!」
「崩落するってのか!?」
「ひえええーっ!」
「もっと強くアタシに掴まれ!」
サーノはオリヴィアを右手で、ペペを左手で、脇に抱えた。
「うっわ姫さん、腰細いな! ちゃんと食ってるか!?」
「サーノがぽっちゃり娘好きとおっしゃるなら、いくらでも食べますわ!」
「そうかよ! ペペはもうちょいアタシにしがみつけ! 落ちるぜ!」
「ひい! は、放さないでくださいね!」
「安心してアタシのケツでも揉んでろ!」
「そんな趣味ありませんよーっ!」
「でぇぇぇーいっ!」
サーノは氷の床を踏み砕いた。
底が見えない、暗い穴がぽっかりと開く。
サーノ達は、果てしない奈落へ飛び込んだ。
落下中も、氷のガレキが降ってくる。
「防御防御防御ーっ!」
サーノは全神経を総動員し、的確に防壁を展開していった。
「ふむ。自由落下に慣れると、なかなか楽しいアトラクションではありませんか」
「アタシは死に物狂いなんだけどなぁ!」
「ペペをごらんなさい。言葉が出ないほどの感動のようですわ」
「気絶してるだけだよ!」
洞窟はかなり標高の高い位置にあったのだろう。サーノ達は延々と落ち続けている。
光の射さない奈落に、暗闇の向こうから、きしんだ爆発音が響いてくる。
「なんの音だ!?」
「鳴き声のようですわ」
「鳴き声!? 鳴き声に聞こえるってのか、あれが!? 爆発音だろ!?」
「ええ、間違いなく鳴き声ですわ。何故そう断言できるのか、自分でも理解できないのですが……」
オリヴィアの困惑した様子からは、嘘をついている様子はない。
「……不思議なことに、懐かしさを感じますわね」
「なんでだよ!?」
「うーん、まったく覚えがありませんわ。悲鳴というわけでもないですから、特別記憶に留める理由もない騒音なのですが……はて?」
「爆発でも悲鳴でもないならなんだよ、雄叫びか!?」
「……ああ、そうですわね、歓喜の雄叫び。それが一番近いかと思いますわ」
「姫さんじゃああるまいし、こんな地獄みてぇな極限状況で、誰が歓ぶんだ!」
「サーノ、防御!」
「は?」
「全力!」
「お、おう!」
オリヴィアが突然、鬼気迫る形相で防御を急かしてきたので、サーノはありったけの集中力で、球体状の防壁を張った。
次の瞬間、防壁が何か太いものでぶん殴られた。
真横から、振り回すように、何かが叩き付けられたのだ。
「なっ、あぐううっ!?」
「きゃああ!」
サーノ達を包む防壁は、雪山の地表を突き破って、外界へと飛び出した。
吹雪が激しい雪山の斜面を、そのまま防壁ボールは転がっていく。
雪玉と化してゴロゴロ転がり落ちていき、木に激突して止まった。
「ぶへっ! はあ、はあ……」
「くうう、な、なんでぅぼっぶ!?」
眼を回すサーノ達の頭上、木に積もった雪が落下してきた。
三人は落雪まみれになった。
「ぶっ、ぺっぺっぺ……ち、ちくしょう、何だったんださっきの横殴りの……なにものか!」
「……サーノ、鼻頭に雪が乗ってますわ。ふふふ、可愛らしい」
「言ってる場合か!?」
「ぷはっ! こ、ここはどこ? 私はメイド?」
ペペが目を覚まし、落雪から顔だけ出した。
「開口一番がそれなら、身体は大丈夫そうだな! ワインは?」
「オリヴィア様もサーノ様も、私よりワインが大事なんですか!?」
「世界よりワインが大事に決まってんだろ!?」
「子供にはわからないのですよ、ペペ」
「ふんだ! どうせ私はぴーぴーやかましい子供メイドですよ!」
ペペは拗ねた。
「あっ、えっと、ほら、無論人命第一だぜ」
「そうですわ。ペペが無事だから安心して聞けるのですよ」
「心にもないフォローは結構です!」
「ペペ、ここでメイドにワガママを言われると困ります」
「そうですか、じゃあ我慢します。ってなるわけないですよ! 何度も繰り返されたら私だっていい加減わかります! 誤魔化されてるって!!」
「ぺ、ペペが本気で怒ってますわ。サーノ、どうしましょう」
「あー……ごめんよペペ。極限状況で冗談言えちゃうようなアタシや姫さんが無神経だった」
「私、一般人のメイドなんですからね! ワイルドなイチャコラには付き合えません、覚えておいてください!」
「はい……」
「オリヴィア様も! 反省してるなら、おやつ代増やしてください!」
「どさくさに紛れて賃上げ交渉ですか。ペペもやり手ですわね」
「えへへー」
「意外と平常心じゃねぇか! 今こんなコントやってる場合じゃあねぇんだよ、脅威の正体がわからないの! マジで激ヤバなの! わかる!?」
「最初にほんのジョークのつもりで冗談言い出したのはサーノでは?」
「そうだな! ごめんなさい! 反省しますんで、今は荒事の専門家の指示に従ってはいただけませんか!!」
「最初からそのつもりでしてよ」
「それで、サーノ様。どういう状況なんですか?」
「かくかくしかじか……ってほど、何も説明できることないんだよなぁ」
サーノの状況説明に、ペペは首を傾げた。
「オリヴィア様のその懐かしさってヤツ、敵対してる貴族様のお屋敷を爆破解体したときの音に似てるだけじゃあないですか?」
「んなことしてたのかよ」
「こんな派手な音はしませんでしたわ」
「感覚がマヒしてるよな。十分ド派手でヤバイ行動だと思う」
『ボオオオオオオオ!!』
形容しがたい轟音。
暴風と吹き付ける吹雪がより強まり、視界が奪われる。
「ッ……、ち、近くなってる! 無駄話してたからか!?」
「み、耳が! キーンとします! サーノ様、どうなってるんですか!?」
「ええい!」
サーノは適当に治療と防音と暖房の魔法を、ペペとオリヴィアへ投げつけた。
「あ、ありがとうございます」
「耳塞いどけよ、アタシはこの音の正体を確認してくる!」
「サーノ、どうかご無事で」
サーノは無言でサムズアップを返し、走り出した。
強烈な吹雪の中を、身体強化によるゴリ押しで突破しようと試みる。
「くうっ、風操作も氷雪魔法も、この強烈な吹雪には効かない! 誰かか操ってるんだ、アタシよりえげつない魔力量で! んな真似ができる亜人にも魔物にも心当たりがないぞ……!?」
エルフ系亜人は、魔法の扱いに関して、全人類の中でもトップクラスの実力である。
様々な魔法の使用方法に広く適応できるからこそ、見た目が華奢でも強いのだ。
そんなダークエルフのサーノが、手も足も出ないほどの強引な魔力。
「……な、なんだ。山……? いや、違う!」
サーノの目の前に、影が現れた。
吹雪の向こうに、黒々とした巨大な影がいた。
影から、また爆音が響く。
「ぐっ、こ、ここまで近いと、さすがにうるせぇ!」
防音魔法に加え、透視の魔法を使う。
山のように大きい影の正体が、はっきりと見えた。
「……なんだ、これ?」
長い鼻。
巨大な牙。
四本の野太い脚。
毛深く巨大な胴体には、古びた鎧のような鉄塊が巻き付いていた。
「鎧を着た……象?」
象にしては、耳は小さい。
雄叫びを上げる、山のごとき生き物を形容する言葉は、きっとマンモスのほうが近かった。