五十八話 生贄を取り返そう
オリヴィアが雪男に連れられて広い空間に出ると、一気に天井が高くなった。
そこかしこにテントが張ってある。中から雪女が数名、顔を出して、オリヴィアを怪訝そうに、あるいは嘆かわしそうに見てきた。
「お、オリヴィア様ぁぁ!! 助けてくださいぃぃぃ!!」
ペペは広間の中心で、簡素な木の十字架に張り付けられていた。
十字架は倒木を乱暴にくくったもののようで、断面が荒々しかった。
ペペの両手は横に目一杯に伸ばした状態で、手首が縄で押さえつけられている。
両足はピンと揃えて伸ばされ、足首の縛めは古着を束ねたものらしく、不格好な拘束だった。
ペペは泣きながら、オリヴィアに助けを求めてきた。
「こここ、この洞窟、冷たい! 寒い! 凍えますぅぅぅ!! 手首足首で血が止まってるぅぅぅ!! 死んじゃうよおおお!」
「あらあら、まあまあ。ペペったら、少しお行儀が悪いですわ。静かになさい」
「やだああ!! 助けて! 助けてえええ!!」
全身全霊で、なりふり構わず泣き叫ぶペペであった。
だが、オリヴィアは内心、ペペが恐怖する理由もわからなくはない。
「大きい目玉、ですものね……」
「大きいじゃろう?」
氷壁が崩れていた。
岩や土の壁が姿を見せているはずの面にあったのは、巨大なひとつの瞳。
見開かれ、広間全体を睨みつけるような、凄まじい存在感の目玉である。
「なんですか、あれは?」
「わからん……」
「わからんではないじゃろうが!!」
雪男の頭が思いっきり叩かれた。
「痛っ!? か、母さんや、乱暴は良くない」
「あんたが先に! このお嬢さん方に! 仕掛けたんじゃろうがっ!」
太っちょの雪女が、フライパンを手にして、カンカンに怒りながら立っていた。
容赦なくフライパンで殴打される雪男の頭。
「いた、痛い痛い! 母さん、頭がへこんでしまう! 痛っ。これ以上バカになったら、困るのは母さんじゃろう!?」
「威張るなっ!!」
横っ面をフルスイングでフライパン・ホームラン。
容赦ない一撃で、雪男はノックアウトされた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
「ま、マロロイネさんや……わしらも精一杯な、頑張ったんじゃよ」
「方向性がっ! 明後日じゃろうがっ!」
マロロイネと呼ばれた太い雪女は、ぴしゃりと反論を押さえつけた。
「かかあ天下……ふむ。少し憧れますわね」
オリヴィアはろくでもないことを考えていたが、緊急事態な気がしたのですぐに思考を切り替えた。
「こほん。それで、マロロイネ様。わたくしとペペは何故、ここに連れてこられたのでしょうか?」
「お嬢ちゃん、すまんね。怖い思いさせたろう。この馬鹿亭主とそのボンクラ呑み仲間はね、アンタらをそこの大目玉への生贄にしようとしてたのさ!」
「生贄ぇ!?」
少女の驚いた声が割って入ってきた。
オリヴィアなら聞き間違えようがない。
「サーノ! 来てくださいましたのね!」
「姫さん! 無事でよかった! ペペも無事だな!」
「無事じゃあないですぅぅぅ!!」
サーノと、サーノを案内してきたらしい着物姿の雪女が、オリヴィアに近寄る。
「よかった、手足はもげてない」
「サーノ、それはさすがのわたくしでも死ぬ怪我ですわ」
「ホントかなぁ」
「サーノ様ああああ!! 私も! 私も助けてぇぇぇぇ!!」
「あとでおやつ買ってやるから! 静かにしててくれ!」
「高くつきますからねぇぇぇぇ!?」
会話中もずっとBGMのように叫んでいたペペは、とりあえず雪男に降ろさせながらも後回しである。
「それで、勇ましい存在感の雪女母ちゃん」
「あたしゃマロロイネだよ」
「マロロイネ。アタシはだいたいの事情はフブユから聞いたぜ」
サーノは、倉庫からここまで案内してくれた着物の雪女・フブユを親指で示した。
「姫さんはどこまで聞いた?」
「さっき聞き始めたばかりですわ」
「まあ、さっき言った以上の事情はないんだけどね!」
マロロイネは胸を張った。
「男連中の暴走に巻き込んでしまったこと、謝罪します」
フブユは頭を下げる。
「で、つまりなんなんだ、あの目ん玉」
「正体はわかりません。ある日突然、この採掘場の壁が崩落して、その向こうから姿を見せた……としか」
「魔力がたっぷり詰まってんなぁ。近くで見ても?」
「あたしらが近づいてもなんともなかったけど、用心はしとくれよ」
「あいよ」
サーノは眼玉をしっかり観察するべく、近づいて行った。
「……フブユさん、でしたか」
オリヴィアは、薄く張り付いた微笑みをフブユに向けた。
「はい、フブユです」
「サーノとはどういった関係ですの?」
「泥棒の現行犯を、ここまで案内してきました」
「泥棒?」
「サーノさんは、私たち雪女用の、臨時の食料倉庫で、リンゴを拝借していました」
「なるほど。それなら、あなたは悪い虫ではないようです」
「え、どういう……?」
「命拾いしましたわね」
「はぁ」
「あとで謝罪代わりにお金は払いますわ、口止め料込の十倍払いで」
「それは、どうも」
「オリヴィア様ぁぁぁ~」
ペペがよろよろとオリヴィアに抱き着いた。
やっと安心できたのか、深く息を吸う。
「ふぅ~ゥゥゥゥ……オリヴィア様だぁ。怖かったよぉぉぉ」
「ペペ、メイド言葉が剥がれてますわ」
「あっ。ごめんなさい」
ペペは恥ずかしそうに顔を紅潮させながら、オリヴィアから離れた。
「ほんと、今回はダメかと思いました。まさか供物にされちゃうなんて」
「すまんのォ、怖がらせてしまって。眼玉様に何を捧げたらいいのか、わからなくてのォ」
「目玉は、何か悪さをしてきましたの?」
「いんや、じぃっと見てくるくらいじゃな」
「あと、そうじゃのぉ……ちょっと吹雪が強まったりしたかな」
「ふむ。まあ、見られてるって落ち着かないですものね。でも、何故ペペを?」
「わしらなりにな、何を捧げられたら嬉しいか考えたんじゃ」
「おなごが一番じゃよ、やっぱり」
「だからって他人様を巻き込むんじゃあないがっ!」
マロロイネのフライパンが唸った。
「あだっ」
「いぎっ。じゃ、じゃがのうマロロイネさんや。身内を捧げても、この通り何もかわらんかったじゃろう」
「そうじゃそうじゃ。わしらの大切な身内というのにのぅ」
「た、大切って……まあ、うむ、あたしらもなんもできやしなかったしねぇ……」
マロロイネはフライパンを収めた。
「……あの、つまり、わたくし達の身の安全とか、気にしていらっしゃらなかったんですか?」
「まあ……不幸な巡りあわせと思ってもらうほかないか、と」
「あんたらの脳みその血の巡りが不幸じゃっ!」
「いでっ。わ、悪かった悪かった。巻き込んですまなかった」
雪男は、群れのためにある程度は犠牲を覚悟し、冷徹に実行できる種族である。
温和で気さくな態度をしていても、次の瞬間には同じ表情のまま外敵を殴り殺せるし、無情に生贄も捧げられるのだ。
その方向性がトンチキに暴走することが、そこそこの頻度であるだけで。
「こうして連れてきても、何も変化はなさそうじゃな。あとはわしらでなんとかするから」
「と、いうのが真相です。本当にごめんなさい」
フブユがまとめるように頭を下げた。
「うーん。あっ、そういえばペペ。ワインはどうなりました?」
「ちゃんと持ってますよ」
ペペは服の中からごそごそとワインボトルを取り出した。
「どこにしまってましたの……?」
「乙女の秘密です」
「そうですか。えっと、ワインが無事なら、誘拐の件はわたくしはどうでもいいですわ。許すとは言いませんが、二度と繰り返さないでいただければ」
「寛大な人柄でよかった。ありがとうございます」
「ペペはどうです?」
「私は許しませんよ! すっごく怖かったんですから!」
「すまんすまん、美しいメイドさんだったから、ついな」
「オリヴィア様、この人たち悪い人じゃあないですね。絶世の美少女メイドですって。許してあげなくもないです」
「ペペがそれでよいのでしたら……」
オリヴィアはほんのちょっぴりの哀れみを込めて、ペペに微笑んだ。
「さて、サーノはどうでしょうか」
「フブユー! この目玉、まばたきとかしないのー!?」
サーノは眼玉の前から叫んだ。
サーノが近づいたことで、目玉の規格外なサイズが改めて浮き彫りとなった。
眼玉と比較したサーノは、蚊のような大きさである。
オリヴィアたちは遠近感がおかしくなったように感じた。
「ないですねー! ずっと見開きっぱなし!」
距離が遠いので、自然と叫びあって会話することになる。
「マジかよ! 乾いたりしねぇのー!?」
「知らないですよ! そんなことー!」
「そりゃそうだな!」
サーノは改めて目玉を見てから、
「……? ……」
大目玉の目線を追って振り返った。
オリヴィアと、目と目が合う。
「……姫さーん! なんかこいつ、姫さん見てるけどー!」
「え、そうですかー!?」
「なんかやらかした覚え、あるー!? 山の土地をー、無理やりなんかに使ったとかさー!」
「わかりませんわ! 仮に何かしたとして、山如きのために何を覚えておく必要がありますのー!?」
「お前、開拓事業とか絶対すんなよー! 無用なトラブルが絶えないぜー間違いなく!」
「……ふむ。でも、身に覚えがないのは事実ですわ……」
オリヴィアは首を傾げながら、大きな目玉と視線を交わした。
「オリヴィア様、今気づいたんですけど」
「あら、なんですの? ペペ」
「まつ毛長いですね、あの目玉。つららかと思ってたんですが、よく見たらまつ毛ですよね」
目玉の直上の天井からは、数本の細いものが垂れていた。
それは微かに震える、細い毛のようであった。