五十四話 雪合戦をしよう
「へへっ、足跡一番乗り~!」
「ああっ、ずるいですサーノ様!」
駅のホームから飛び出したサーノが、積もった雪を踏みしめる。
彼女の首にはチェーンネックレスがかかっていた。細い鎖に、オリヴィアから渡された結婚指輪が通されたものだ。
染髪されていない白髪は、雪の中でも埋もれずに輝くような存在感を放っている。
「ひゃ~冷てェ!」
膝上まで雪に埋まったサーノは、そのままずんずんと雪をかきわけ歩き出した。
ペペも遅れて改札を抜けると、メイドのロングスカートをつまんで持ち上げ、積雪を堪能した。
「アリコーは除雪がそこそこされてて、こんな派手な積雪なかったからなぁ。うん、やっぱ北に来たらこれよこれ」
「うひゃあ、ブーツに雪が入りましたぁ! さ、寒い! 濡れる! 蒸れる!」
「ひっひっひ。ペペくぅん、こいつは魔法が使えるアタシらの特権なんだけどよ、体温調節の魔法がね」
「ええ、サーノ様私にも! 私にもその魔法お願いします!」
「雪合戦で勝ったらいいぜ」
「わかりました!」
ペペはノータイムで雪玉をサーノに投げつけた。
サーノの顔面にヒットした雪玉が弾ける。
「わぷっ!? ぺ、ペペお前ちょっとは考えるとかしねぇの!? メイドは戦わないって言ってたじゃん!」
「人間はいざとなったら、生きるために戦うんです!」
ペペは次から次へと雪玉を投げる。
「おわ、おわっ! コントロールいいな!?」
「近所で一番、雪合戦が強かったので!」
子供ふたりが雪遊びをはじめているとき、オリヴィアは駅の整備員と、ここまで乗ってきた汽車を見ていた。
駅に着くごとに洗われているとはいえ、長旅の影響で落ちなくなった汚れはいくつか残っていた。塗装も少し剥がれているところがある。
「新品同然に磨き上げてください。最低でも半年は滞在する予定ですので」
「わかりました。長居してしまっても、いつでも胸を張って帰れるくらいの出来にしておきますよ」
「よろしくお願いします」
オリヴィアは整備員に頭を下げた。
顔を上げると、その視線は汽車に向いていた。
「ふふ、ここまでスティンバーグ社爵令嬢の身をよくぞ守ってくださいましたわね。ありがとうございました。しばしの休暇を楽しんでくださいまし」
オリヴィアは、青い心臓を乗せた台車を押して、ホームを出た。
出た瞬間、その顔面に雪玉がヒットした。
「ぶっ!?」
「あっ、わ、悪い姫さん。コントロールミスった」
「ひ、ひいい! ごめんなさいごめんなさいオリヴィア様! わ、わざとではないんです!」
「……」
真っ白になったオリヴィアの顔は、不気味に笑っていた。
「ご、ごめん……なさい。姫さん、本当に狙ったわけで……は……」
オリヴィアはニコニコとほほ笑んだまま、枯れ木の枝を紐で縛り始めた。
「……?」
「な、何してんの、姫さん?」
すぐに、即席の投石器ならぬ「投雪器」が完成した。
「ファイア」
びゅん! と枝がしなって、大きな雪玉が飛んだ。
「がふっ」
ミサイルのように飛んだ雪玉は、ペペの腹部にクリーンヒットした。
「おえええ」
「あらやだ、思ったより強力ですわね」
「ぺ、ペペぇぇ!」
「お、お腹が冷える……風邪引きそうです~」
「よくもペペを! 仇は討つぜ!」
「ファイア」
「ぶべっ!?」
サーノの顔面に雪玉が直撃した。綺麗に百八十度縦回転したサーノは顔面から積雪に突っ込んだ。
「も……もが……」
「ふふふふ、やられたらやり返すのがスティンバーグ流ですわ。これに懲りたら……と、と、あ、あらら?」
オリヴィアは勝ち誇って、ふんぞり返りながら歩き出したが、積雪下の段差につまづいた。
「み、見えな……っ、きゃああ~!」
美しい大の字が、雪のキャンパスに描かれた。
オリヴィアは両手を広げた格好で雪に埋まってしまった。
「さ、寒い~……」
「もがが、もがっ」
泣きながらうずくまるペペ。頭を抜こうと四苦八苦するサーノ。
駅員ははしゃぐ少女たちを生暖かい目で見守っていた。
「あったけ~」
「極楽ですね~」
「生き返りますわ~」
オリヴィア一行は、別荘のリビングで暖炉の前に固まっていた。
三人とも、パチパチ爆ぜる炎に手をかざすばかりで、動く気配がない。
「……やっと着いたんだなぁ」
感慨深そうにサーノが呟いた。
「そうですわね。いろいろありましたわ」
「生きてるのが不思議な目にいっぱい遭いましたねー」
「ホントにな……いや待て。なんでただの旅行なのに、あんな何度も死にかけたんだ?」
「……そういえば、そうですわね……」
「何度も襲ってきた魔王軍って、別にサーノ様やオリヴィア様を恨んでたわけでもないんですよね?」
「最初はな。最後のほうはどうだか知らねぇけど……いやーマジで、なんであんな何度も出くわしたんだか」
「不思議な縁でしたわね。まあ終わりよければ、ですよ」
「そうだな!」
「そうですね!」
あまり深い反省会はしない三人組であった。
「ゆっくりと疲れを取りましょう。これからしばらく、ずっと」
「そっかぁ、帰宅は当分先かぁ」
「寝て起きてゴロゴロできますねぇ」
「ペペはメイドでしょう? この別荘の掃除、空いた時間にお願いします」
「けっこうお掃除されてるみたいですけどね。誰か管理してた人でもいるんですか?」
「ええ。汽車の専属整備員をはじめとして、スティンバーグ社爵の名を使って動いてくださる方々の、ちょっとした休憩所・簡易宿泊所として提供していましたので」
「え、じゃあいつぞや言ってた、秘蔵のワイン蔵は? 中身なくなってたりしないよな?」
「少しだけなら呑んでも構わないとは言いましたが、飲み干したら解雇とも言っておいたので、相当な事態はまずないかと」
「やったぜ、ナイスだ姫さん」
「今日はわたくしとペペが、貴族らしい豪華なディナーを作りますわ。サーノは遊んでいてください」
「ええっ、私そんな、専門のシェフみたいな料理できませんよ」
「そうかぁ? 汽車で出される飯は高級だったと思うけど」
「サーノ様は舌の許容範囲が広いので、あんまり参考になりません」
「ふふ、そこは手取り足取り、わたくしが教えますよ。そうですわ、この別荘にいる間、わたくしとペペで料理当番は変わりばんこにしましょう」
「アタシは? アタシは料理しなくていいの?」
「サーノは味付けが濃過ぎです。わたくしの繊細な舌が麻痺してしまいますわ」
「ふたり揃って、アタシを何だと思ってんだ」
「ガサツ」
「ずぼら」
「へたれ」
「テキトー」
「チンピラ」
「泣いていいか殴っていいか、どっちだ?」
「おっ、雪合戦の続きします? トランプで」
「もうカード勝負はいいよ、ペペに勝てねぇって、道中わからせられたし……」
「サーノは護衛ですもの。しっかり食べてもらって、いざというときに備えていただきたいのです」
「いざ、ってのは当分ナシがいいなぁ……」
「まずは今晩のお料理ですね! 張り切っていきましょう」
「おー、頑張ってくれ。アタシはこの村……街? とにかく周辺を散歩でもしてくるわ」
「ふふ、風邪をひかないでくださいね」
サーノはもこもこのコートで厚着をして、長靴を履き雪道を歩く。
オリヴィアの別荘は静かな村の外れにあり、三方を針葉樹林に囲まれている。
中庭は雪で埋まっていて特別な見どころはなかったので、敷地を出る。
正門と塀の前には、通れる程度に除雪された道があった。
「はーっ」
サーノは息を吐きながら歩いていた。
白いもやとして出てくる吐息を面白がる。
「へへっ。この白い息をしないと、雪国に来た感じがないね。うん、寒い」
サーノは上機嫌であった。
コートの中からネックレスを取り出し、指輪を眺める。
「……結婚、ねぇ。いまいち実感ねぇんだよなぁ。むしろどっちがキレて離婚するかのチキンレースが始まってんじゃあないかって気もする」
不穏なことを口に出してみる。
でも、指輪を見ていると、なんとなく幸せな気持ちになるのも確かだった。
「うーん。アタシ、ひょっとしてロリコンだったのかな」