五十二話 極悪令嬢より、ダークエルフへの感情
「サーノ」
がらんとして、静かになった巨大ステージ。
その中央にたたずむサーノの元へ、歩み寄る人影があった。
重く、そして優雅なドレスのシルエット。
「……姫さんか。やりたくないことは全力で拒否させてもらったぜ」
サーノは勝ち誇った顔で、オリヴィアを見返した。
「どうやら難を逃れたとお思いの様子ですが……こんなこともあろうかと、二の矢三の矢がありますのよ」
「まだ責め足りないってのか? 変態ここに極まれりだぜ……」
「本当は、衆目の前でやりたかったのですが……」
オリヴィアは少し顔を赤らめる。
「……う、うう、本番は緊張するものですわね……ええい、気合ですわ」
「……?」
サーノは怪訝な顔をした。
オリヴィアがいきなり、サーノの目前に片膝立ちに屈んできたからだ。
「……さ、サーノ。どうかこれを」
何やら意を決した様子のオリヴィアは、ひとつの箱をサーノに差し出した。
赤いベルベットの巻かれた、手のひらサイズの小箱。
「……なんだこれ。びっくり箱か? それとも人工ミミックでも開発した?」
「ああもう、こんなときに信用がない、自身の日頃の行いが恨めしいですわ! 細かい不安は気にせずともよいので、開けてくださいまし!」
「えー、怖いよ……姫さんが開けてくれ。あっまだ待て、五メートルは離れるから」
「そこまでですの!?」
「そこまでだよ! こないだメロンソーダと偽って青汁飲ませたこと、忘れてないよな!?」
「うっ」
「毎週、被害の思い出が更新されてるんだ……そういうわけで、そこで待っ」
「嫌です!!」
「のわぁぁああ!? お、おおお押し付けんな!!」
サーノは無理やり手のひらに握らされた小箱を、爆弾でも持たされたかのようにあたふたとお手玉する。
「家名と一週間の紅茶とペペの給料に誓いますわ、危険はありません!」
「信じていいのか微妙なラインのものばっかり賭けるんじゃねぇ! 逡巡が見えるわ!」
「紅茶が微妙ですって!?」
「むしろペペと家名のほうがどうでもいいって本気かよ!?」
「じゃ、じゃあひと月! ひと月断茶しますわ!」
「そこまでして開けてほしいのか……こりゃ只事じゃあねぇな……」
妙な気迫を感じ取ったのか、サーノは小箱のロックに指をかける。
「……」
「……さ、サーノ? 開けてくださいな」
「……開けたら、中に解雇通知とか入ってない?」
「入ってません!! むしろ今後一生の契約の……あっ」
しまった、と珍しく狼狽した表情のオリヴィア。
「え、あ、う、その、こっ、言葉のアヤですわ! いえアヤではありませんが、違くて」
「なんのこっちゃ……もういいよ、開ける開ける」
問答が面倒になったサーノは、小箱をパカリと開けた。
中身は指輪であった。
小さくとも上品に輝く薄桃の宝石がはめ込まれている。サーノの薬指にちょうどいい内径だ。
「……えっ」
「サーノ! どうか……どうかわたくしの! 妻になってください!!」
はしっ、とオリヴィアはサーノの両手を包み込むように握った。
令嬢にあるまじき、必死の形相である。
「……え? 何? 妻?」
「はい! 本当なら、衆人環視の前でアイドル電撃引退を演出して逃げられなくするつもりだったのですが! こうなったらわたくしの素の力でなんとかしなくてはならないので!」
「てめぇ何とんでもない作戦立ててやがったんだ!? いつから!?」
「アイドル流行ってるって駅員兼門番の方から聞いたとき、『あっここで勝負かけたら勝てるな』と、見切り発車気味に!」
「勝負!? 何と戦ってんの!?」
「つ、吊り橋効果というか! なんかこう、大きなステージの熱気で浮かれて、ノリで受け入れてくれるかなって!」
「そんな軽いテンションで送るもんじゃあねーだろ!?」
「軽い気持ちではありませんわ!」
オリヴィアの握る力が強くなる。何かに怯えているのか、手が少し震えていた。
「わたくし、年齢一桁の頃から、サーノのことは性的に見てましたの!」
「それはさすがに盛り過ぎじゃね!?」
「あっ、違、えっと、今の取り消しで!!」
「もっと自分の口から出る言葉に責任持てよ!」
「お父様もお母様も腫れ物のようにわたくしを扱う中、親身に接してくださったのはサーノですわ!」
「さっきの性的発言聞いて、遊んでやったことをすんげー後悔してるよ!」
「それはごめんなさい! ところでサーノの手あったかいですわね!」
「今はそれ言うタイミングじゃねーよな、絶対!! 背筋が寒くなったわ!」
ぶんぶんと手を放そうとオリヴィアを振り回すサーノ。がっちり握りこんで逃がさないオリヴィア。
四苦八苦するふたりは、傍から見れば情熱的なダンスでも踊っているように見えただろう。
目撃者はいなかったが。
「この街でアイドル流行ってなかったらどうする気だったわけ!?」
「目的地に着いたらプロポーズするつもりでしたわ!! 正直、我慢の限界でした!」
「遠足に持ってくおやつ前日に食っちまった子供かよ!? そもそも、それが狙いで雇ったのか!?」
「はい!!!」
「言い切ったなァ最高の笑顔で!!」
「サーノ、返事を! 返事を聞かせてくださいまし!」
「クソジジイと家族になるのは嫌だ!」
「では家出しますわ!」
「母親が悲しむぞ!」
「そんなまともな説得、本当に効くと思ってますの!?」
「そういう悲しくなる威張り方すんじゃねぇよ!!」
「わたくしとサーノだけの家を建てましょう! これで解決ですわ!」
「妻なんてガラじゃあねェーッ!」
「では夫でも構いません!」
「子供できないぞ!」
「わたくしが子供持ったらどうなるか、想像つきませんの!?」
「間違いなく危険だって自覚あるのがタチ悪いよなぁ!?」
「サーノがどうしてもとおっしゃるなら……その……ちょっと生命の理を捻じ曲げるくらいは……」
「倫理観!!」
「うふふふふ……実家の何でも培養カプセルくんを持ち出さねばなりませんわね」
くねくねと悶えながら、恍惚に頬を染めるオリヴィアである。
「……やだよォ、政治とか偉い人のパーティとか、参加したくない……」
サーノはまだごねる。
「では、苗字も捨てましょう。ただのオリヴィアを娶ってくださいまし」
「そんな気軽に捨てたら、クソジジイがめちゃんこ怒ると思う。とばっちり受けたくない」
「……先ほどから、サーノは周囲の感情とか、そういう話ばかりですわ」
オリヴィアはむすっと頬を膨らませた。
「サーノ個人の、わたくしへの気持ちを聞かせてくださいまし」
「ええー……まだ傭兵やってたい」
「傭兵としてのサーノは関係ありませんわ」
「エルフと人間じゃあ寿命がなぁ」
「種族も関係ありません。その気になれば伸ばせます」
「えっ、伸ばせるの……?」
「サーノ」
オリヴィアは手を離すと、そのままサーノの頬を包むように掴んだ。
「わたくしは、サーノの言葉を聞きたいのです。サーノという、ひとりの女の言葉を」
「……孫みたいだと思ってたら性的に見られてた。この幼い身体を。全方面でめちゃくちゃショック」
「そっ、それは忘れてくださいまし!! お願いします!!」
「……あれ、じゃあひょっとして、ペペもえっちな目で見てる?」
「見てません!! わたくしの問いから逃げないでください!」
「ちっ」
「サーノ、あなたの言葉で答えてほしいのです。わたくしという女と、契りを交わせるとして、光栄かどうか」
「顔がいいとは思う」
「誰が、そう思うのですか?」
「誰、って……」
「サーノ」
オリヴィアの瞳は、サーノの心の奥まで覗いてくるかのように、深かった。
「あなたは、あなたをどう呼ぶのでしょうか」
「え、急に何?」
「あなたが、あなた自身をどう思っているのか。あなたにとってのサーノは、何ですか?」
「……答えなきゃダメ?」
「答えなかったら、明日からスティンバーグ社爵の全財産で世界征服をはじめます」
「人質のスケールが分不相応だなぁ」
「茶化さないでくださいまし」
「はい……」
サーノは、自分のことを考える。
「……え、えー、えぇっと……わ、わたしは……いや違うな、オレは……ううん、ボク……違う、ワシは……」
魔力中毒で、自分を見つめるのもしんどい。頭痛がする。
無数の、形を成さない狂気が、思考を乱す。サーノの個を揺るがす。
「サーノ」
オリヴィアが、じっと覗き込んでくる。
サーノが狂気に呑まれても、見逃しも見離しもしないだろう、夜道を照らす星のような金色の瞳。
「…………あ、た……」
狂気に流されるのは気楽だった。
何も考えなくていい、魔力の沼の底。
オリヴィアが、サーノの返答をじっと待っている。一息を奪い合う、生存競争の大地で。
気楽な沼底から、顔を出して、息を吸って。
主張を叫ばないと、きっと放してはくれない。
「……あ、アタシは……」
久々に、本当に久々に、サーノは自分の存在を認識した。
生まれたての赤ん坊のように、弱々しい第一声だったが。
久しぶりに、自分を呼んだ。
「アタシは……、アタシはさ、姫さん」
「はい」
急かさず、オリヴィアは聴くだけだ。
「アタシは、急に家族になろうって距離詰めるの、どうかと思う……」
「……」
ひゅう……と、ステージに木枯らしが吹いた気がした。
「こういうのって、じっくり時間かけてさ、お互いを分かり合ってから渡すもんじゃね?」
「せ、正論を……焦らしてから正論をぶつけるんですの!?」
「そもそも、攻め時を見誤ったな。焦っていいことなんてないんだぜ」
「そ、そんなぁ……」
オリヴィア史上もっとも情けない顔で、彼女はステージにへたり込んだ。
「ったく……せっかくの似合いなドレスが汚れちまうじゃねーか。立て立て」
手のかかる子供を立たせるように、苦笑しながらサーノは手を伸ばした。
そこで、気付いた。
「……ああ、けど、まあ……うん」
「……?」
「アタシも、なんていうか……意外としっくり来る気がしてきた」
「えっ」
「夫婦って感じではなくとも、一緒に生きていくのは愉快かもしれないな、って。立てる?」
「……あ、ああっ!」
オリヴィアは両眼にいっぱい涙を溜め、顔を喜びに染めた。
少女のような、純真な笑顔だった。
「まずはお試しで。しばらくよろしく、オリヴィア」
「はい! 一生かけて幸せにしますわ!!」
「……聞いときたいんだけども、姫さんの幸せの定義って?」
「苦痛と悲痛と成長痛、ですわ」
「ぜってー浸かりたくねぇ、そんな幸福。今日だけはアタシ流で行こうぜ」
「では、サーノの幸せの定義とは?」
「自由、個人主義、明日は明日の風が吹く!」
「無責任過ぎて反吐が出ますわね。ふふ、でも今日だけ、ですよ」
「よっしゃ、じゃあ行こうか!」
サーノはオリヴィアをお姫様抱っこした。
「厄介事も後始末も学生に任せて、駆け落ちしようぜ駆け落ち! 汽車で逃避行だ!」
「出発進行ですか?」
「出発進行ですわ」
いつの間にか汽車に乗っていたペペが、発車の準備を整えていた。
「ペペ、いつの間に戻っていたのですか?」
「オークが出てきたので、びっくりしてここに隠れてました」
「へへ、アタシのパフォーマンス、痺れたろ?」
サーノがニカッと笑うと、ペペは不思議そうに目をぱちくりさせた。
「……? どったよ、ペペ君」
「いえ、サーノ様ってもっと、俺様とか名乗るイメージがあって。思ったより女の子ですね」
「はっ倒すぞ」
アリコーの街を背に、汽車が加速する。
学生たちの魔王軍撃退現場は、街を挟んで反対側なので、線路まで戦場が広がることはないだろう。
『お待ちなさい!』
しかし、戦場が追いつくまでに逃げ切れるとしても、個人的な殺意を抱いた相手は別の話になる。
線路上に、巨大な十字架が降ってきた。
巨大というのはまさに文字通りで、その全高は三百メートルであった。
「うおお!? でっけぇ!」
「進路が塞がれましたわ。サーノ、ぶっ壊しておやりなさい」
「合点承知の助!」
サーノは汽車の屋根に上がる。
『若い命を張らせ、自分たちは逃げるなど、あまりに卑劣! 魔王軍幹部、天使族のレベッカが成敗し、我らの正義を』
「魔法ビーム!」
サーノの義手に青い心臓の触手が刺さり、人差し指から極太のビームが放たれた。
十字架の根本が一部抉れ、自重で折れかけて傾いた。
『不意打ち!? は、恥を知りなさい! この天罰要塞アーマギッドに傷をつけるなど許』
「魔法ビームビームビーム!!」
義手の人差し指から、汽車より太いレーザーが何本も放たれた。
さすがに二度目は警戒されていたようで、十字架の黄色い魔法バリアが起動し、サーノのビームをギリギリで防いだ。
「参ったなぁ姫さん、退いてくれねーよ」
『さ、サーノ! 亜人としての誇りはないのですか!? ここまで堕落していたとは……!』
十字架の横棒部分に、大量のハッチが開いていく。
『今ここで天に召すのが、せめてもの慈悲でしょう! 言語道断砲、斉射!』
十字架から無数のミサイルが発射された。
「今、わたくしたちは幸せの絶頂ですわ。死がふたりを分かつなど、お呼びではありませんのよ!」
対抗するように、汽車の屋根に大量の機関砲がせり出た。
機関砲は一斉に火を噴き、ミサイルがどんどん撃ち落される。
爆風の中を、全速力で汽車が突っ走る。
「ひゅーっ、こいつぁまるでパレードだぜ!」
「ええ、わたくし達にはお似合いのバージンロードですわ」
屋根上のサーノと、運転室のオリヴィアは、楽しげに笑いあった。
『お、おのれ、サーノ! おのれスティンバーグ社爵令嬢!』
「姫さんはオリヴィアって言うんだよ、名前くらい覚えてきやがれ!」
サーノの義手が巨大化した。
青い心臓とサーノの魔力が一気に注がれ、限界まで詰め込まれる。
サーノが左脇を叩くと同時に、義手に推進魔法を注ぎ込む。
「サーノパンチを喰らえーっ!」
ロケットのように、巨大な義手が撃ち出された。
ミサイルの爆発でも全く速度を落とさず、一直線に十字架に向かって義手が飛ぶ。
十字架と激突する寸前で、義手の手のひらが開いた。
「地平線旅行へ、ご招待だぜーッ!!」
『お、おのれぇえぇええええぇぇぇ!!』
義手が十字架の根本を握り締めた。
加速のままに根本から引きちぎられた十字架は、義手と共に遥か遠くまで飛んでいくことになった。
『こ、この怒り、いつの日か必ずぅぅぅぅ……』
レベッカの声もいつしか聞こえなくなる。
汽車は再び、静かな旅行を再開した。
「よし、あとは目的地まで一直線だな!」
「ええ、挙式もそこで盛大に行いましょう」
「せっかちな姫さんだ」
「えっ、挙式? なんの話ですか?」
スティンバーグ社爵令嬢一行の旅も、いよいよ目的地である。




