五十話 ニーバの歌を聞こう
アイドル勝負当日、ニーバの部屋。
「レベッカ様、しばし暇をいただきたいのですが」
地べたに置かれた水晶玉に向かって、ベルラは正座をしていた。
水晶玉に映っているのは、天使族の魔王軍幹部、レベッカ。
『魔王軍が攻め入る隙は作れたのでしょう? それなら、お役目はひとまず終わりですね。今までの貢献を鑑みれば、問題はないでしょう』
レベッカは、豊満な肉体を強調する腕組みで、難しい顔をした。
『ですが、理由は聞いておきましょう』
「ええと、『凍てる影』ニーバと令嬢の護衛サーノが、アイドル対決をすることになりまして」
『なんて?』
レベッカは一瞬呆けて、素で聞き返してきた。
「スティンバーグ社爵令嬢の策略です」
『……………………油断ならないということは覚えておきます』
納得も理解もしていない、思いっきり疑問符の残った声音だった。
『それで、その対決と、あなたの休暇、どのような関係が?』
「こんなふざけた戦闘、持ち込まれた時点で私の力不足です。全部ぶっ壊せるパワーを身につけます」
『力の問題でしょうか……?』
「転移魔法のための『空撃ち』は済んでいます。今日は街中に人影はありません。容易く潜入し、潜伏も占拠も自在でしょう。ご武運を」
『ええ、任せてください。そちらも、その……自分探し? みたいなものですか? 頑張ってくださいね』
レベッカの哀れむような視線から逃げるように、通信を切った。
「……。入学申請って、どうやるのかしら」
静かな部屋で、ベルラは途方に暮れるばかりであった。
今、街中は誰もいない。外からは何の音も聞こえない。
社爵令嬢主催の一大ステージに、街中の学生が見物に行ったのだ。
「ニーバ、なんでアイドルなんてやりたいのかしら……祭り上げられたいの?」
ニーバの部屋中に貼られたアイドルポスターを眺めても、ベルラにはまったく理解できなかった。
『レディース・エーンド・ジェントルメーン』
街一番の巨大ステージ。
オリヴィアが、重たいドレス姿で中央に立っていた。手にはマイク。
気品ある振る舞いにお茶目な物言いで、観客の視線を独り占めである。
人前に立つべくして立てる、力ある煌びやかさ。今、彼女が歌い出せば、それでこのステージは彼女の支配下になるであろう。
『本日はお日柄もよく、なんて長いお話は今日はなしで。さっそく参りましょう! ニーバさん、入ってくださいな』
だが今日の彼女は司会だった。
挨拶もそこそこに、オリヴィアは下手へはけていった。
舞台の主役にふさわしい名女優が消え、たっぷり三十秒。
観客がざわつきはじめた頃、ようやくニーバが姿を現した。
『……よ、よよよよよ、よろしきっ、しく、よろしくおねぎゃ……ねがいしますっ……』
挙動不審なくらいにもじもじと、ステージの中央へ出てきたニーバ。
本人の希望で、活動的でキュートなミニスカへそ出しスタイルのアイドル衣装である。大きなリボンが、背中に羽根のように広がっていた。
『……え、ええと、その……』
しかし、ニーバが現れても会場のざわめきは収まらない。
ニーバの血筋による、存在感の薄さが、ステージ中央にいて魔力光掲示板にも大写しにされてる彼女を、観客に認識させない。
「……う、うう、やっぱり無理だよね……」
ニーバは心が折れそうだった。
やっと注目してもらえると思っていたのに、現実はこうだ。
両親の遺伝が、先祖代々の能力が、全部ダメにする。
華やかな衣装に嘲笑されているような心地だった。
(……花火だ、花火上げろ!)
うつむいたニーバの脳内に、サーノの声が響く。
念話だ。
(えっ、サーノさん……なんですか、花火……?)
(ピクニックのとき打ち上げたようなヤツ! やれるか?)
「……花火……爆破魔法?」
ニンジャの血筋なら、高いレベルの爆破魔法が可能だ。
「そっか、爆炎で登場を盛り上げる……。爆発音で、私に視線も向く。血統だって使いようだ」
ニーバは覚悟を決めると、両手を組み、人差し指を立てた。
「……火遁」
サンタは氷雪魔法も得意としている。
爆破魔法と組み合わせると、どうなるか。
「いつになったらニーバって子は出て……、うっ寒いっ!?」
「わあ、綺麗! 雪の結晶?」
会場を、冷たい爆風が吹き荒れた。
ライトで照らされた雪飛沫が、幻想的な世界観に観客を引き込む。
ギャラリーは不思議なことに、身体を濡らすことはなかった。
『皆さん、はじめまして! に、ニーバです! よろしくお願いします!』
やっと名乗れた。
不意打ちのようにステージに上がった(ように見える)ニーバに、会場の興味は釘づけだ。
『えっと、一生懸命、歌います。よ、よろしくお願いします……その、えっと』
当のニーバは、スタートダッシュの勇気も切れて、言葉ははやくも尻すぼみになりつつあった。
だが、もはや引き返すことはできない。
やけくそのように、ニーバは叫んだ。
『……う、歌います!! 「恋帯責任」!!』
それは、静かなイントロの一曲だった。
初恋に戸惑いながら、言い訳混じりにぎこちないアタックを繰り返す、うぶな少女の心中を綴った歌詞。
テンションをひたすら天井知らずに上げていくような、前のめりのアイドルソングに慣れた学生たちには、新鮮に感じられる曲調だった。
ライトもギラギラとしたものではなく、穏やかな色味。世界の中心で恋をする少女を、応戦するように、祝福するように回る。
『~♪』
やがて、歌詞の少女は、意中の相手へ、ストレートな感情をぶつけ、そこでニーバの歌唱は終わる。
後奏の余韻の中、観客たちの心中には、その後の少女の青春が十人十色の模様で描かれるのだ。
ステージの床がスライドするように落ちていき、ニーバの姿が見えなくなる。
後奏がフェードアウトし、完全に無音になったところで、会場は総立ちとなった。
万雷の拍手である。
「ふ、ふええ……よかったですね、ニーバさん!」
「ふ、ふええ……緊張しました、ペペさん!」
床下で抱き合うニーバとペペ。
「本当に仲良しだなぁ」
サーノは暖かい目で、ふたりが喜びを分かつ様を眺めていた。
「えへへ。サーノ様も褒めてあげてください!」
「おう。楽しかったか?」
「はい! キラキラしてて、熱くて、みんなとの一体感がすごくて!」
「おー、そりゃあよかった。いい思い出だな」
「はい。でも思い出には、したくないです。サーノさんに勝って、これからもアイドルとして、こうやってステージに立ちたい」
「そりゃあ結構。じゃ、これからも青春頑張れよ」
「はい。サーノさんの全力、期待しています」
「え?」
「え?」
サーノのきょとんとした顔に、ニーバは笑顔のまま一瞬固まった。
「……え、あ、全力出すまでもないってことでしょうか……」
「え、ーっと……、勝負なんてしてたっけ」
「えっ。……しょ、勝敗なんてわかりきってると?」
「まあ、そりゃあそっちの……ニーバだっけ、ニーバの勝ちだろ?」
「……まさか、にっ、逃げるんですか? 放棄するんですか!?」
「うーん、そうなるのかな……ステージには立つけどさ」
「そんな! 正々堂々とアイドル対決しましょうよ!」
「えー、やだよ。傭兵であってアイドルじゃねーし」
「えええ!?」
「さ、サーノ様、歌わないんですか!?」
ペペも驚愕して問い詰めた。
「歌ったら歌ったでまた文句言うじゃん……姫さんの歌は、やっぱりメルヘンチックでグロテスクだったしよォ」
「オリヴィア様……猫被れてないじゃあないですか……」
「あ、アイドルですよ!? すごい楽しくて、あんなに輝いてて……」
「まあ、楽しかったとは思うけど……一回こっきりだから楽しいもんだってある。個人的にはだけど、二度目はそんなに浮かれないなぁ……」
「そ……」
サーノは面倒そうに、マイクを受け取っている。
ニーバには、サーノの言葉が理解できなかった。
「……わ、私が見たステージは、笑顔で溢れてて」
「そりゃあ良かった。プロの妙技だな」
「観客の皆さんも楽しそうで」
「そういう商売だしな」
「歌って、踊って、それで光り輝けて」
「スポットライトの加減が上手だったんだな」
「サーノさん! 一度だけでいいんです、本気で歌ってください! そうすれば、きっとわかります!」
「宗教の勧誘かよ……ていうか、歌う暇なんてないぞ」
「どういうことなんですか!?」
「魔王軍が攻めてくるもん」
「えっ」
一瞬、ニーバは自分の正体がバレたのかと焦った。
「魔王軍が!? 大変です大変です、サーノ様! 今すぐ注意喚起を……」
「それもそうだな」
ペペの慌てぶりを後目に、サーノはステージへ向かう。
「じゃ、そういうわけで。ニーバ、今後もファイト! 新曲楽しみにしてるからな!」