五話 ゴブリンを退治しよう
「よし、あとは畑荒らしゴブリンの退治だけだな」
食料品を汽車に積み込み終えて、サーノはオリヴィアに確認した。
「ええ、ご、ゴブリンですか? わ、私またもうちょっと汽車にいますね……」
ペペは恐ろしい名前を聞いたようにびくっとすると、そう言い残して客車の扉をぴしゃりと閉めてしまった。
「……信頼ないねぇ……ちょっと傷つくぞ」
「まあまあ、サーノ。ペペにとってゴブリンというのは、絵本のなかでしか知らない生き物ですから」
貨車の扉の鍵を閉めつつ、オリヴィアが宥める。
「山ほどの巨体が奇声を上げて襲ってくるとでも思っているんですよ」
「妄想逞しいねぇ」
サーノは埃を落とすように手を叩いて払うと、腕を伸ばして準備運動をはじめる。
「けど、この村にもガードぐらいいるだろ? なんで通りすがりの旅行者に頼むんだ、こんな依頼」
「それがですね。ガードの方は、ゴブリン相手に怪我をされたそうで」
「ふーん。平和な田舎だし、身体なまってたのかね」
「どうでしょうか。火傷をされたそうで」
「火傷?」
サーノは準備運動を中断して、真面目な表情でオリヴィアを見上げる。
「ゴブリン相手に? 火薬でも使われたか?」
「ガードの方ご本人も、何が何やらわからない、とのことでした」
「わかんねぇなら、わかんねぇな……」
気にするだけ無駄とでも言いたげに、サーノは屈伸を再開した。
かがんだところをおもむろに、オリヴィアが頭を撫でてくる。
「わっ。何だよ、姫さん」
「手頃な高さに頭があったので、つい」
くしゃくしゃと髪をかき混ぜられて、サーノは口を尖らせた。
「子供扱いかよ。満足したら放せ」
「まあ、満足するまで撫でていてもよろしいんですの?」
「やっぱすぐやめろ。ゴブリンぶっ飛ばしてこないとだろが」
サーノは手を払うと、改札へ向かう。
「顔に傷をつけないでくださいねー」
にこにこと手を振るオリヴィアに、適当に返す言葉も思いつかなかったので、黙って改札を抜ける。
「まだ被害がほとんどないうちに、姫さんが通りかかったのは、運が良かったな」
「まったくです」
農家のおばさんが、踏み荒らされた畑の一角を見て頷いた。
ほとんど森すれすれの位置のそこだけが、根っこから野菜を引っこ抜かれた状態になっていた。
「あそこで一匹のゴブリンが野菜を持ち去ろうとしていたところを、主人とガードが止めようとしたんです」
「その場で食い荒らさないぶん、普通よりは賢い奴だな」
「そのうち突然、ガードの鎧の下の服が燃え上がって……」
「……やっぱわかんねぇな。いやわかるにはわかるんだが……こんな辺鄙な場所にいるかな」
「発火の原因に心当たりが?」
「あるっちゃある。が、自然発生はしないんだよなぁ……それに手口も雑。まあ会えばわかるか」
結局、ゴブリン本人を見つけるしかない。
そう結論付けたサーノは、おばさんに質問をした。
「そんで、ゴブリンは森の中に逃げたのか?」
「はい。仲間が助けに来て、みんな一目散に……」
「おっけー。じゃ、あとは何とかしとくよ」
サーノは森の中へ入っていく。
オリヴィアの地図が正しければ、周辺にゴブリンが隠れられる洞窟等はない。
「森エルフなら、妖精さんにお伺い立てて探せるんだろうけど……洞窟エルフは地味に探偵しかないな」
サーノは地面の折れた枝を拾って適当に振り回し、すぐ飽きて捨てた。
「……こっちに来るにつれて、葉っぱが滅茶苦茶落ちてるような……ああ、つまり当たりか」
木の幹に手を添えた。
少し集中すると、紫色の光が手のひらから木に伝っていく。
紫の魔力は、木々を伝わって、音波の反響のように放出されて、森の様子をサーノに伝えてくれる。サーノの感覚が森と一体化していく。
「トラップなーし。ビンゴ」
サーノが強く念じると、紫の光流が強まって、木から地面に濁流となって流れ始めた。
「見つけたぜ、手品師ゴブリン!」
サーノは舌なめずりをした。
次の瞬間、サーノの目の前一帯の地面が陥没した。
ボゴォ! という轟音。紫色の土煙が、あたり一面を包む。
「……火傷ってのはつまり、火の魔法だ」
すり鉢状に抉れた地面に飛び降りながら、サーノは中心へ歩みを進める。
「魔法を扱えるゴブリンってのはそう珍しくない。何せ亜人だからな。人間なんかよりもずっと、魔力への依存が強い。けど、逃げるどさくさの中、しっかり目標を定めて燃え上がらせる、なんてのはかなりの判断力が要る。判断力には知恵が要る」
陥没した地面の中心部には、十匹程度のゴブリンが倒れていた。
皆ぴくぴくと震えるばかりで、自由な方向に折れ曲がっている手足を案じる様子もない。
周囲には野生動物の肉と思しき串焼きや、いびつな形の武器が、粉々になって散らばっていた。
「だから、うっかり畑に出没するなんてのは妙な話だと思ったんだが……またこれかよ。好きだよなぁお前ら……」
火の消えた薪に覆いかぶさる形で破けた、青地に赤い剣の旗を、つまらなそうに蹴り飛ばす。
「で? 言うこと聞かない部下の不始末で作戦潰されたご感想は如何ですかね、魔王軍御一行様」
「殺ス!」
金属が軋むような声。
突然、サーノは仰向けにひっくり返って、地面に叩きつけられた。
「ぐえっ!?」
視界の端で、自身の左腕が地面に貼り付けられているのが見えた。
霜柱で包まれていて、痺れるような冷たさがある。
「火じゃなくて、温度操作!?」
「死ネ、だーくえるふ!」
真っ赤な空に、灰色の身体が飛び上がる。
手には杖──
(零距離で凍らす気か!? いや燃やす気か!?)
落下してくるゴブリンに、どう対処するか。
「──すまん姫さんッ!」
サーノは左脇を強く叩くと、右に転がった。
一拍遅れて、ゴブリンが杖を地面に突き刺す。
「──ナンダト!?」
その顔は驚愕の色を隠せていない。
「……切り札ってのは、後出しジャンケンなんだよ」
膝立ちに姿勢を起こしたサーノの、左肩から先が、丸ごと無くなっていた。
断面からは、断線したケーブルが垂れていて、赤黒い液体を滴らせている。
「コ、小娘ェッ!」
「バイバイ、小鬼めら」
サーノはウィンクをしてみせた。
同時に、氷に包まれていた左腕──これも肩の断面からケーブルが散らばっている──が、カッと強い光を帯びる。
目が潰れるくらいに眩しくなった直後、左腕が爆発した。
「ギャアアァァァッ!!」
ゴブリンの悲鳴は爆発音に負けないくらいうるさかった。
「ブ、豚トとかげト狼ッ! 貴様ラガ遅イカラッ! グワアァァアアア!!」
火達磨になって地面を転がるゴブリンの魔法使い。
その頭を踏み受けて地面にキスをさせながら、サーノは呆れた顔をしていた。
「呪詛を吐く前に鎮火しろよ温度使い。最も、目標を認識する判断力が脆けりゃ、こんなもんさな」
サーノの靴裏から紫色の光が、ゴブリンの全身に広がっていく。
徐々にゴブリンは動きを緩慢にしていき、やがてぐったりと動かなくなった。
「やれるのは重力だけじゃないぜ。催眠も効くだろ?」
ゴブリンから足を放すと、元左腕が散らばった金属片を爪先で蹴り上げて、鼻先でキャッチした。
「てめーの心臓はきっとオリヴィアが欲しがる。寝てな」
「何も謝る必要はありませんわ、サーノ。あなたが無事でよかった」
右腕一本で、ずるずると生け捕りのゴブリン達をロープで引っ張ってきたサーノに、オリヴィアは先んじて労いの言葉を与えた。
「そりゃあ、そっちが謝ることのが多いからな。また妙な機能つけた義手の実験台にするんだろ」
「あらあら、戦争で失った左腕がまた蘇るんですのよ? そう嫌そうになさらずとも」
「こっちは金さえあれば再生治療ができるし、特別急ぎじゃねぇんだけど」
ゴブリンを適当に貨車に投げ入れると、サーノはふらふらと客車に乗り込んだ。
「眠い、だるい、疲れた。寝る。出発したら起こせ」
言い残すと、ぴしゃりと扉を閉めた。
残されたオリヴィアは、
「ええ、おやすみなさいサーノ。またこき使って差し上げますわ」
柔らかいほほ笑みとは不釣り合いな言葉を残した。