四十九話 カフェに寄ろう
「ひょーう、寒い! けどあったまる!」
「そうですね……」
サーノとニーバは、レッスンスタジオを逃げ出した後、学生経営のカフェへ立ち寄っていた。
サーノが「喉乾いた」と駄々をこねたからなのだが、ニーバも「もうどうにでもなれ」という気持ちになりつつあったので、異論は唱えなかった。
「姫さんなら『紅茶がなくってよ』って駄々こねるだろけど、傭兵なら安いコーヒーでも満足だぜ」
「あっ、こ、この度は出資者ご令嬢に、とんだご迷惑を……」
「あー、むしろ迷惑かけてるの姫さんのほうだし……ゴメンよ、アイドルなんぞにつき合わせちまって」
「な、なんぞって、とんでもないですよ。私、アイドルは一度やってみたくって……」
「へぇ、そりゃあよかった。押し弱そうだし、内心嫌がってやしないかと不安だったんだ」
「……」
(嫌では……あるのかな)
ニーバは自身の心中を見つめる。
唐突に、無理やり、壮大な責任を背負わされ、いきなり大きなステージに立たされる。
ニーバは今、凄まじいプレッシャーを感じていた。
もっと素敵なはじまりを期待していたのかもしれない。
「……私が勝ったら、アリコーはどうなっちゃうんでしょうか……あっ」
ニーバはそうこぼしてから、目の前に対決の相手がいたことを思い出した。
「あ、あの、か、勝てると思ってるわけではなくって……」
「どうにもならねーよ、安心して全力出せばいい」
「……それは、どういう意味で……?」
「姫さんは魔王軍に協力なんざしないよ」
「え、でもベルラさんとはそう約束を……」
「契約書もないし、反故にするんじゃね?」
「……」
「そもそも、汽車盗まれたり、死にかけたり、迷惑被りまくってるもん。ちょっと仕返ししたいくらいには嫌ってると思う」
「その場しのぎ……ってことですか」
「あ~……でも多分、アイドルしてもらいたがってるのは事実っぽいんだよな……」
「サーノさんに、ですか?」
「うん。困ったことに。これ幸いと便乗しやがった。姫さんのワガママに巻き込んで、ホントにゴメン」
「い、いえ……街ひとつや自身の家柄すら適当に扱ってしまうのは、ちょっとびっくりしちゃいましたけど……お金持ちの方の考えは凄いですね」
「姫さんは子供だから、自分が敵わないものがいるなんて知らないし、怖くないんだよ。危なっかしいぜ、まったく」
そう言い捨てたサーノの、困ったような微笑みが、ニーバには印象的だった。
手がかかるけど、元気いっぱいでいてくれて嬉しい、と言った表情。
「……サーノさんは、ご令嬢とはどういう関係なんですか?」
「姫さんは、とってもお偉いスティンバーグ社爵……昔の旅仲間の娘」
「社爵と旧知の仲だったんですか。サーノさん自身も、ひょっとして相当な地位の……」
「地位なんてないよ、戸籍税払ってないもん。苗字欲しいわけでもないし」
大陸を支配するこの国では、苗字を名乗る権利に税金がかけられている。
税金を払って戸籍を作り、同時に選挙権を得ることが条件だ。
サーノのような傭兵稼業は、家柄や選挙がさほど身の助けにならないため、苗字を持たないのは珍しくない。
「いつの間にか爵位なんぞ貰ってたクソジジイと、久々に会ったら、娘の育児にやたらと臆病でね。仕方なく構ってやってたら、懐かれちまった」
「育児に……?」
ニーバには、そこがちょっと結びつかなかった。
スティンバーグ社爵は、学術都市アリコーを造り上げた。子供を育てるのが嫌いというわけではないだろう。
なのに、我が子となると臆病?
「わっかんねぇよなー。他人には豪快に援助しといて、血を分けた娘にはよそよそしい。人間の感情はときどき複雑で、考え過ぎな気がするよ」
「……エルフの皆さんが、ちょっと大雑把過ぎるんだと思いますけど……」
「繊細な森の民なんだけどなぁ」
「繊細な人は、他人のお金でコーヒー飲まないと思います……」
「悪いね、姫さんにツケといて」
「そ、それはちょっと……怖いです……」
自分の命を、口先で軽々と弄んだオリヴィアを思い出すと、ニーバは恐ろしくなる。
夢に出そうだった。
「……ああ、怖がるよな、うん。屋根裏に爆弾なんてなかったぞ」
「えっ」
「そこから嘘だったっぽい」
「……ベルラさん、真っ先に降りました。だから私も本当なんだとばかり」
「ちょっとビビらせ過ぎたかな……今頃ベルラ、何してんだろ……ん、んん?」
サーノは何か引っかかるものを感じたようで、アゴに手を添えて考え事をはじめた。
「……サーノさん?」
「……そもそも、なんでベルラは屋根裏にいたんだ。姫さんがこの街にいるなんて、知ってたのか?」
「あ、それは……」
うっかり答えかけたニーバは、そこで少し考える。
(……い、言ってしまっていいのだろうか……ご令嬢暗殺なんて。サーノさん、怒るよね)
「それは、何だって? 人質にされてるときに何か聞かされた?」
サーノは聞き逃してくれなかった。
(う、うーん……身代金目的とか、誤魔化したほうがいいのかな……)
「……なるほど、ベルラめ。催眠魔法だな」
ニーバがどう答えるか悩んでいると、サーノは何かに納得してしまった。
「あんたは記憶になんらかの魔法をかけられたらしい、答えたくても答えられないんだろう?」
「え、あ、えっと……そ、そういう感じです」
「つまり直接聞いてもダメだ。どうやらお得意の手口みたいだし、切り口を変えよう」
サーノはコーヒーを飲み干すと、ニーバに冷徹な視線を向けた。
ニーバは知っている。
この視線の色は、命を「奪える場所」に立っている者の色。
ニーバは獲物だ。
「……」
ニーバは生唾を飲み込んだ。
答えを間違えたら、そこから何が崩壊するかわからない。
サーノの勘違いが暴走した結果で殺されては、たまらない……!
「街ひとつや自身の家柄すら……か。姫さんが担保に賭けたのは、姫さんの金と名誉だけだ。街自体の権利は何も賭けてはいない」
「……く、国にバレたら、学術都市は終わりです」
「そういう方向性の心配か。一理ある。けど、姫さんは責任者のひとりであって、アリコー自体の最高責任者は姫さんの父親だな。姫さんの独断だって、放逐しちまえばいい」
「そ、そういうものなんですね。今知りました」
「そういう勘違いもあるよな。今度からは間違えないよう、メモっといたほういい」
サーノから緊張感が消えた。
「わ、わかりました……」
ニーバは手のひらの冷や汗をスカートで拭いながら、心中でほっと一息ついた。
(た、助かった……のかな。サンタの血のおかげで、私の言動の細かい不審さには気づいてないみたい……)
おかげで、というより、この状況になった遠因でもあるのだが。
サンタの血筋は、幼少期の不用意な言動で正体がバレるのを防ぐため、違和感を薄くする魔法が常時展開されている。
結果、ニーバは少しの訓練だけで、魔王軍のスパイとして期待されるほどの能力を得てしまった。
(……私の両親は、今どこにいるのかな)
顔も覚えていない家族のことを考える。
サンタとニンジャの能力で、家族ですらお互いの顔を覚えていられないのだ。
「……アイドル、私にできるのかなぁ」
こんな体質で、果たして観客に注目してもらえるのだろうか?
ステージに立っても気づかれないのでは?
そんな不安が、ずっとある。
「歌って踊ればいいだけだろ? そんなできるできないを考えるような、難しい話かね」
「う、歌とかダンス以外にも、いっぱい気にすることありますよ」
「なわけねーだろ。傭兵やってて、殺しができるかできないかとか、他にもいろいろできないと、だなんて気にしてるヤツいないぞ」
「え、えええ……傭兵とアイドルは違いますよ」
「姫さんは一緒だって言ってた」
「そんな無茶苦茶な」
「滅茶苦茶はほんのちょっとの辛抱だ、慣れてくれ。大丈夫、長居しないさ」
「……サーノさんは、ハチャメチャなご令嬢と一緒にいて、その……イライラしたりしないんですか?」
「するね。すごく腹立つことばっかだ」
「するんですね……」
「あんな極悪人、誰でも腹立つに決まってんだろ」
まんざらでもないように言い切って、サーノは椅子から飛び降りた。
そのまま、カフェの隣に設置されている街の地図看板の前に歩く。
「ふーん、図書館ばっかり」
「学術都市ですからね」
勘定を終えたニーバも、サーノの隣で地図を見上げる。
「外は広い野原なんだな」
「暖かい季節には、ピクニックに行ったりする生徒もいますよ」
「へー。じゃあ行くか」
「あ、はい。どちらへ?」
「ピクニック」
「え?」
真夜中。満天の星空である。
ベルラは、アリコーの街の外、遠くまで続く雪原にて、魔法の空撃ちをしていた。
体育座りで、尻が湿るのも気にせずに。
「草の成長を……促進。斬撃魔法で刈る。腐敗魔法、時間加速魔法、また生育魔法……」
雪原の一角に、雪が退かされて雑草が見える場所があった。除雪にも魔法を使った。
草を刈っては育て、刈っては育て。
賽の河原のような地味で謎の作業ではあるが、魔王軍の援軍を呼び込むには大事な作業だ。
「……はぁ~」
ベルラは憂鬱であった。
「魔法の修行も中途半端に、里を逃げ出してきて……魔王軍のアイドル扱いされて……その末が、こうやって草刈り……」
ベルラは、心から魔王軍の理念に賛同していた。命だって賭けられる。
事実、何度も死地を切り抜けてきた。
「でもスパイなんだから、まず死地が死地になる前に手を打つべきなのよね……」
もっと貢献したいと引き際を見誤り続け、なんだかんだ戦闘になる。
するとなんだかんだで切り抜けてしまい、なんだかんだで魔王軍内での人気は高まる。
なんだかんだで、ベルラはいい気になり、もっと尽くそうと考える。
尽くせば尽くすほど、魔王軍はベルラを求め、ベルラは魔王軍のもたらす世界を求める。
「それはそれでいいんだけど……でも、あの極悪令嬢……」
ベルラは、今まで人間を軽く見ていた。
敵として警戒はしていても、魔王軍の「正しい世界」を見ればすぐ理解してくれる、と。
そこに、名誉も仲間も人命もすべて雑に扱うオリヴィアの登場である。
「わからない……なんなのよ、あの女……全然理解できないわ……」
ベルラはすっかりビビっていた。
口先でなんでも翻弄できて、実行するだけの権力もある敵に。
命よりもっと重い、実力の尊厳への危機を感じていた。
「……死ぬのは怖くない……でも、あの女は命をおもちゃにできる気がする……絶対に敵わず、弄ばれる……」
「ご名答」
「きゃああああ!?」
ベルラは盛大に叫んで飛び上がった。
何故かサーノがすぐ後ろにいた。
「さ、さささささサーノ!? なんでここに!?」
「ピクニック」
「この寒い中!? この深夜に!?」
「ご、ごめんなさい……」
サーノの後ろには、バスケットを手に持ったニーバがいた。
申し訳なさそうに頭を下げてきた。
「急に、外の空気が吸いたいって……」
「やっぱりな、広いし障害物もないし、ここだと思ったぜ。今度はどんなお仲間を呼ぶつもりだ?」
サーノは不敵に笑う。
「……すべてお見通し、か。サーノ、さすがと言ったところね」
「あっさり認めるのな」
「格が違うって、もう理解できちゃったわ。私が一生懸命に組み立てたものは、あなたや令嬢みたいな天才には稚拙に映るんでしょうね」
「長生きなだけで、天才じゃあないって。姫さんは知らんけど」
「本当に強い人は、たいていそう言うのよ」
ベルラはため息をついた。
「……修行しようかしら」
「修行って、なんの? アイドル?」
「魔法よ。こまごまとした策は、理不尽な実力でぶった切られるって身に染みたもの。抵抗できる力が欲しいわ」
「おうおう、それがいい。魔法の勉強はいつ再開してもいいんだ」
「あら、見逃してくれるの?」
「ペペが逃げなかったんだから、殺る気なんてなかったんだろ?」
「……どういうことよ? 殺る気はあった、でも令嬢に吹き飛ばされたわ」
「なんならこのまま、学術都市に入学しちまえ」
「……ほんっと、あなたたちは、タイミングのいい場所で私たちを邪魔してくれるわよね」
「え、えっと……」
話についていけていないニーバは、バスケットを持ったままおろおろしていた。
「広いし、どうせだ。一発デカイ魔法を見せてやるぜ。ちまちま草刈り眺めるのもイラつくし」
「え、いきなりなんですか……?」
「いいの? そんなことして……」
「アイドルの喧嘩の売り方がわかんねぇから、とりあえずこういう挑発の仕方で行こうと思う。宣戦布告」
サーノがパチン、と指を鳴らす。
その夜、学術都市の外壁の向こうで、巨大な魔法花火がいくつも打ち上がった。
そして、一週間はあっという間に過ぎる。




