四十八話 スタジオで基礎を学ぼう
アリコーの街中を、車が走る。
サーノは、サキュバス騒ぎのときを思い出して、今のオリヴィアの運転の違和感に気が付いた。
「……思ったより安全運転で安心した」
「ここは学生の街ですから。あんな緊急時のカッ飛ばし、毎回はやりませんことよ」
「へー、オリヴィア様運転お上手ですねぇ。私、はじめて車に乗りました」
「ペペの奴、記憶が飛んでやがるな……かわいそうに」
「さて、サーノ。今日から五日間、アイドルレッスン頑張りましょう」
「は? マジにやるの? 本気?」
「え? 昨日の交渉が真剣に見えませんでしたか?」
「どこを取っても、心から楽しそうにふざける姫さんしかいなかった。いやあの、街中を探知魔法で探すぐらいはできると思うんだけど……ああでも、ベルラには魔力に無敵の刀があったわ」
サーノは、もしかしたらベルラを見つけられない可能性も考えた。
しかし、探知魔法に工夫をすれば、孤鋼石の効果を回避するのも、逆に利用するのも容易い。
「うん、まあ一週間あればどうにかなるよ」
「ええ、きっと立派な新米アイドルになれますわ」
「そっちじゃねぇよ。……姫さん、ひょっとして向かっているのは」
「いかにも、レッスンスタジオです」
「帰る」
サーノは車を飛び出そうとしたが、ペペに腕を掴まれた。
「サーノ様、それは洒落になりません! 自殺行為です!」
「放せぇ! ちょっと体験するくらいなら新鮮だけど、みっちり練習してまで身も心もアイドルに染まりたくねーっ! 泥臭くて汗臭い傭兵稼業に支障が出るんだよーッ」
「アイドルだって泥と汗にまみれながら輝いているのです。根っこは一緒ですわ」
「一緒なもんか! こいつは契約にない仕事だ、やる義理はねぇ!」
「なら、ペペを代わりにステージに立たせますか?」
「うん、それがいいと思うな! むしろそっちのが良案だ」
「え、私がアイドルに……?」
ペペが期待のこもった瞳でオリヴィアをキラキラと見つめたが、
「アイドルやるなら、メイドは辞めねばなりませんわね。うちは副業禁止ですので」
「じゃあ辞退します。サーノ様、頑張って!」
「護衛とアイドルは兼業にならねーの!?」
「サーノ、ニーバさんの死に怯えたお顔、見ましたか? 助けたいとは思いませんか?」
「他でもない姫さんが一番、そんなこと考えてないよな。誰のせいで怯えてたと思ってんだ」
「ベルラさんですわ」
「わからないようなら言ってやるけど、姫さんにも責任の半分くらいはあるぞ」
「でも、オリヴィア様もよく支援なんて馬鹿げたこと言い出しましたね。これまで何度も、魔王軍にはひどい目に遭わされてるのに」
「……あっ、なるほど」
サーノは、オリヴィアの意図を全て理解した。
「サーノ様、どうしたんですか?」
「そういう魂胆か、この変態お嬢様め」
「以心伝心ですわね」
「けどさ、やりたくねーよォォォ普通に人質探してベルラボコろうぜ~姫さん~……そっちのがよっぽどスマートだろ?」
「着きましたわ」
車は練習スタジオに到着した。
ここ最近のブームでとても巨大に成長した元ダンス教室の建物には、「サーノVSニーバ! 限界ギリギリ決闘ライブ!!」という張り紙が大量にされていた。
「こんなに強気な外堀の埋め方ってある……?」
「サーノ様、泣きそうな顔してますね。そんなに嫌なんですか? 昨日はあんなに楽しそうにステージに立ってたのに」
「歌、知らないんだよ。昨日のヤツ以外」
「新しく覚えたらいいのでは?」
「覚えられる気がしない……愛だの恋だの好きよキスしてだの、そういうのを歌いながらケツ振るような、そんな拷問には耐えられない……」
「酷い偏見ですわね……でしたら、わたくしが作詞作曲いたしましょうか?」
「え、オリヴィア様、歌とか作れるんですか?」
「どうせ血生臭い歌詞を、雰囲気だけ甘いメロディでくるんだ悪趣味ソングだろ?」
「あの、これでもわたくし一応貴族令嬢ですので……ピアノくらいは嗜んでいますし、それなりに猫は被れてるのですが……」
ちょっぴり本気で傷ついた表情のオリヴィアであった。
「……あ、うん、そこまで言うなら……ごめん、お願いしていいかな」
「ええ、サーノがそうおっしゃるなら……まともな一曲を書き下ろしますわ」
「あっしまった、なんか歌う流れになっちまった!」
「サーノ様……」
ペペの哀れみの視線が辛かった。
「……頑張ってね」
一方のベルラは、最初から責任を放棄した。
「えええ……わ、私、どうすれば」
「アイドルやって、サーノ達の注意を引き付けるのよ。その間、私は援軍がスムーズに進軍できるよう、準備してくるから……」
ベルラは疲れた顔で言い残すと、ニーバの自室から姿を消してしまった。
「……そ、そんなぁ」
ニーバは途方に暮れていた。
アイドルをやってみたかったのは確かだが、学術都市を危険に晒したかったわけではない。
「……で、でも、魔王軍に逆らうのも怖いし……」
ニーバは、体操着をカバンに詰めると、レッスンスタジオへ出かける。
憧れのアイドルの第一歩だというのに、その足取りは重かった。
「それではサーノさん、まずはダンスの基礎から」
「あいよ、基礎ね。基礎は大事」
やる気のないサーノはだらだらと答える。
服を着替えることもせず、いつものタンクトップ姿だ。
「ねえ、あの洞窟エルフ……」
「やる気あるのかしら……」
「着替えもせずに……」
サーノを遠巻きに見ているレッスン生が、ひそひそしていた。
「……やる気あるわけねーだろ……」
聞こえていたので、答えておいた。
「あ、あのね、サーノさん……」
「んー、やっぱさ、姫さんにはよろしく言っとくからさ、やったってことにしてくれない? 面倒くさいからさ」
「そういうわけにもいかないんですが……」
「ほら、あの洞窟エルフ……」
「自堕落なのね……」
「自信がないのかしら……」
「聞こえてるぞクソガキ三名! スタジオごと燃やしてやるか!?」
サーノの堪忍袋の緒は、耐久性に難ありだった。
「ひいい!」
「せ、先生助けて!」
「洞窟エルフがキレた!」
「キシャアア!! 怯えろ竦め、陰口三人組!!」
魔力衝撃波を放つサーノと、逃げ回る生徒達。
追いかけっこは十分ほど続いた。
「はあ……はあ……」
「なんて凶暴なエルフなの……」
「自制心がないのかしら……」
「へえ、意外と頑丈なスタジオじゃねーの。こいつは喧嘩しても具合がよさそうだ」
「よくありません!」
先生の叱責は悲鳴のようであった。
「き、基本のステップを、お願いします……」
「基本って言われてもねぇ。ちょいとやって見せてくれよ、陰口A」
「か、陰口A!?」
生徒のひとりは、サーノに指を差されて、渋々ステップを踏んで見せる。
「ワンツー、さんし……ワンツー、さんし。こんな感じ……」
「ほーぉ、軽快な脚運びだ! こなれてんねぇ。腕のスナップも愛らしい」
「え、えへへ……」
思わぬサーノの誉め言葉に、生徒は照れた。
「こいつはさぞ高名なアイドルだろうなぁ。どちらさんで?」
「え、ええっと、わたしたち三人で、『キューティフル・パフ』って言うんですけど……」
「トリオとは、ずいぶん仲のいいことだな。いよっ青春! 友情!」
「サーノさん、次はあなたの番ですよ」
「あ、やっぱ騙されてくれないのね……」
サーノは渋々立ち上がった。
「ステップ……右足を前?」
「はい、右足を前、です」
「ふんぬらばっ!」
サーノは思いっきり右足を床に振り降ろした。
ずしん、と。
レッスンスタジオ内が揺れた。
「す、ステップです! 震脚ではありません!!」
「これをあと何回?」
「もう結構です!!」
「あ、あのぅ……」
サーノのやる気が低空飛行しているところに、スタジオの扉を開けてニーバが現れた。
体操着姿で、申し込み用紙を手にしている。
「あ、新規入会ですか? 少々お待ちください、今対応を……」
「よっ、人質ちゃん。よく眠れたか?」
「あ……」
サーノは気さくに話しかけたが、ニーバは後退りした。
(ま、魔王軍なんだし、一応人質だし、あ、あんまり……お話とか、しないほうが……いいのかな)
「災難だよなァ。まっ、ああ見えて姫さんはやるときゃとことんやり過ぎる女だ。安心しな」
「あ、え、その……わ、私、保護……とか」
辛うじて、ニーバは疑問を口にした。
「保護? ああ、ベルラが近くにいないから、助けてくれってか?」
「あ、う、あ……は、はい」
「んー……そうだな。よっし、そうしよう」
今思いついた、とばかりにうなづくサーノに、ニーバは不安しか感じない。
「え……さ、さっきまでそうする気がなかったんですか?」
「一応、ベルラをとっ捕まえるのも策のうち……な、ハズだからな。こっちから見ても、あんたは手綱なんだ。勝手に助けて、悪人に逃げられるのはよろしくない」
「あ、なるほど……」
「そんでもって、アイドル辞めて普通の女の子になるわ、たった今から! めんどくせぇし腹減った!」
サーノはそう宣言すると、ニーバを米俵のように担ぎ上げた。
「え、えええっ!?」
「さいなら、アイドル諸君!」
「サーノさん!? ちょっと……」
窓をガラッと開けると、サーノは振り返ることなく、スタジオから飛び出してしまった。