四十三話 裁縫をしよう
「ぐぬぬぬぬぬっ……いってぇえええっ!!」
髪色をモスグリーンに染めたサーノの指から、血が溢れた。
「あーあ、サーノ様ったら。そう力んじゃったらダメですよー」
ペペは呆れたように絆創膏を渡す。
「……悪ィ」
サーノは傷だらけ絆創膏まみれの手で、申し訳なさそうに受け取った。
「それにしても、急に裁縫がしたいだなんて。どうしちゃったんですか?」
サーノの目の前には、簡素な針仕事の道具が並んでいた。
糸や糸切り、針立てetc。
「なんか、女子力死んでる気がして……」
「はあ」
「姫さんもペペも、やたらと繕い物が上手なのに、その傭兵がラフで飾り気ないのはなんか……惨めな気分になるじゃん……」
「サーノ様も、そういうこと気にされるんですねぇ」
「意外とオシャレってのも楽しいよな。気づいたのは最近なんだけど」
「最近?」
「二百年から百年くらい前だったかなぁ」
「アバウトさの幅が桁違いですね……」
「南の街で、ドワーフのねーちゃんの露天商に顔を褒められたのが嬉しくてなー。それまで、どうせキレイなもん身に着けてもすぐ壊れるしと思ってたんだよ」
「戦場で身に着ける前提なんですね」
「そら見せびらかしたいじゃん。仕事以外のシーンで着飾る意味もわからなかった。傭兵だから、暴力さえあれば何とでもなるって思ってた」
サーノは嬉しそうに懐かしみながら、針に糸を通す。
「それで気が付いたら、ぼったくりアクセをごっそり買占めてたんだな」
「……」
「畜生、今思い返してもとんでもない詐欺師のドワーフだった。口車が凄まじかった。しかも返品しようと街中探したらとっくに旅立ってた」
「サーノ様……」
ペペはサーノを哀れんだ。
「ちきしょー。次会ったときは絶対殴痛ってえええ!?」
つい怒りで力んだ指に、針がまた刺さった。
「……回復魔法、使わないんですか?」
「失敗を戒めるためにもな! とにかく、裁縫は覚えて損しない! うっかり破れた服を姫さんに繕わせるのも怖いって海で学んだ! ここで習得する!」
「頑張ってくださいね」
『追撃なさい』
ベルラは耳を疑った。
手に持った水晶玉には、大きな羽根を生やした人間が写っている。
魔王軍の幹部のひとり、天使族のレベッカである。
グラマラスな肉体、身にまとった薄布、美しく流れる金の長髪。頭には細やかな彫刻がなされた緊箍児。
「……レベッカ様、その、先ほども申し上げましたが……」
ベルラは海岸に捨て置かれたサマーベッドに正座していた。
「サーノは魚人の住処を壊滅させました。私ではとても敵いません」
『心配はいりません。おそらくスティンバーグ社爵令嬢一行は、学術都市アリコーへ向かったのでしょう』
「アリコーの街……?」
『スティンバーグ社爵の建てた学校があるのです。最終的な目的地がどこであれ、ある程度息のかかった街で補給は行いたいでしょうから』
「な、なるほど……流石はレベッカ様」
『ちょうど、アリコーの街にはニーバが潜伏しています。彼女と合流なさい。追って近場の兵力も向かわせましょう』
「お、お待ちください。何故そこまでスティンバーグ社爵令嬢に固執するのですか? 既に我々が被った損害は大きく、手に負えない、見逃すべきと理解されているハズです」
『いずれ支配できるハズの大地に、御せない戦力が残っていては、魔王軍全体の士気に関わります。潰しておきなさい』
「……ご期待には全力でお応えしますが……無理なものは無理なので、そこそこで撤退させてもらいます……」
『ええ、貴女も貴重な戦力です。せめて一矢報いることができれば、それで結構。では』
水晶玉の中のレベッカが消え、ベルラの周囲は潮騒だけが残った。
「……ニーバって、あの『凍てる影』のニーバ……? 果たして戦力になるのかしら……」
ベルラは絶望した表情で、天を仰いだ。
「ペペ、サーノの様子は?」
オリヴィアは紅茶のカップを戻しながら、傍らのメイドに訊ねた。
汽車に揺られながらの読書が、オリヴィアは好きらしかった。
今も、ペペには読めないような難しいタイトルの本から目を離さない。
「意地でも魔法は使いたくないみたいで、まだまだ悪戦苦闘してますね」
「ふふ、サーノらしいですわ」
「それにしても、サーノ様って左利きなんですね」
「んー。サーノくらい長生きしてると、利き手の区別も曖昧になるんじゃあないでしょうか?」
「そういうものなんですか?」
「案外、生身の右腕だとうっかり魔法使ってしまいそうだから……なんて理由かも知れません」
「どっちなんですか……。オリヴィア様はいっつもそう。適当なことを二転三転、言いますよね」
「ふふふ、ペペはいつでもわたくしを信じてくださるもの」
「やっぱりおもちゃにしてるんですね……」
「あら、ご不満かしら?」
「そりゃ不満ですよ。でも、オリヴィア様の言葉は適当ですけど、確証がないことは言いません。いろいろな可能性を考えてるから適当に聞こえるんだって、私にはわかります」
「あ、あらら……それは、あらあら」
まっすぐな信頼の言葉が返ってきて、オリヴィアは若干たじろいでいるようだった。
耳がちょっと赤くなっている。
「私はサーノ様と違って、オリヴィア様とキツイ冗談を言い合ったりはできませんから、オリヴィア様にとってはつまらない人間かもしれませんけど……」
「け、けど、なんでしょうか?」
「私はオリヴィア様のこと、つまみ食いとか、イラっとしてわざと焦がしたお茶菓子とか見逃してくださるので、そこそこ好きです」
「ちょっと」
「あと食料品の補充のとき、こっそり私のおやつ買い足しても見ないフリしてくれますし」
「待ってくださいまし。それは今の今まで気が付きませんでしたわ」
「ちょっと子供っぽいけどオトナな対応のできる私と、奔放でロマンチストで嗜虐趣味なオリヴィア様。メイドと主人としては、けっこういい組み合わせなんじゃあないでしょうか?」
「ペペ、今までそんな風にわたくしのこと思ってましたの……?」
「ほっとけないオリヴィア様を陰から支えるメイド! かっこいいですよね! なので今後もお供しますよ! 海底で死にかけた文句は言っておかないといけませんから、ここで吐かせてもらいました!」
「は、はあ、そうですか……ごめんなさい、でいいのかしら……?」
唐突な宣言に、オリヴィアは納得いかない様子で、首を傾げていた。
「あ、話変わるんですけど」
「突然の告白から、ここまで自由な話題転換あり得まして?」
「次の街って、確かオリヴィア様にとって庭みたいな場所でしたよね。お召し物はどうされます?」
「ドレスに着替えるのも今さらですし、普段と同じでよいでしょう」
サーノのどぎまぎした姿を見て以来、オリヴィアは好んでフレンチスリーブの衣服を身に着けていた。
ここ最近、重いドレスに袖を通したことはほとんどない。
「びっくりされません? オリヴィア様のお知り合いとか、いらっしゃるんでしょう? アリコーに」
「構いませんわ。軽薄と言われたなら、時代の変化だと納得させます」
「さすがはオリヴィア様、わがままに一本筋通ってますね」
「ああ、でも上着は持っていきましょう」
「上着? 寒い場所なんですか?」
「寒いなんてものじゃあありませんわ」
くすりと、オリヴィアは微笑む。
「アリコーは年中、雪が積もっているんですのよ」
「思い出した。ベルラだ。間違いない」
サーノはやっと、海底で出会った声の主の名前を思い出した。
「んー、生きてたのか……どうやってだろうなぁ。あの街の……誰だっけ、偉いヤツ……報告しといたほういいかなぁ」
今度はフィラヒルデの名前を思い出そうとしながら、また針を滑らせた。
「痛い!! つぅー……」
絆創膏を巻きながら、サーノは目の前の不格好な雑巾を眺めた。
雑巾というよりは、「襲い掛かる寸前のアメーバ」とでも言うべき、立体的な芸術品だった。
「……まあ、カドが多いほうが汚れも取れるしな」
サーノはポジティブな女である。