四話 田舎を歩こう
赤い汽車が、煙を吐いて駅に停車した。
「それではペペ、留守を頼みます」
「は、はやく帰ってきてくださいね」
オリヴィアはペペに手を振って、スカートの裾をつまんで汽車を降りる。
小さく壁のない駅に人影はまばらだが、誰もが輝く美しさを振りまくオリヴィアに視線を向けていた。
男も女も羨望の眼差し一本だ。美しさに対するか、金持ちに対するかはそれぞれだったが。
「……姫さん、あのメイドちゃんはいつもどこに隠れてるんだ?」
こちらも珍しいものを見る目を一身に集めているサーノが、疑問を口にする。
「オークのときも、トカゲのときも、なんかヤバイ雰囲気になったらすぐ姿見えなくなるよな」
「いいではありませんか。ペペはただの女の子なんですから」
「責めてるわけじゃあなくてよ。キレイに気配を消すもんだから、感心して」
汽車に数十人の清掃人が張り付き、車体の汚れを拭きはじめた。全員が赤地に金の刺繍が施された上等な作業着を着ている。
「……え、これひょっとして、全員姫さんの?」
「はい。わたくしの個人汽車の清掃・点検を行うために、この駅で日々備えています」
「ひょえー」
改札を抜けて、村に出る。
田舎、といった言葉をそのまま形にしたような景色だ。畑と小さな家が点々とある。
「もしかして、この先の駅でも毎回、あの赤服集団がスタンバってるわけじゃあないよな」
「ご安心ください。線路が続く限りどこまでも、わたくしの汽車を美しく保つための作業員がいますわ」
「富豪は違うねぇ……」
サーノは呆れて肩をすくめた。
「それで? 見た通り、ドレスショップなんて望むべくもないド田舎だけど、何買うんだ?」
「豚肉はあまり美味しくなかったですから、土地由来の美味しい野菜を買い込みましょう」
「そりゃいい。が、行きずりの姫さんに恵むほど豊かかね……」
ふたりは改めて村を見渡した。
極端にやせ細ったような人はいないが、小ぎれいにしているような人もいない。
裕福とは言えないが、逼迫した貧しさもない、ごく普通の田舎だ。
「そもそも、なんでこんな森の真ん中に駅が通ってるんだ?」
「もともとは給水・給炭のための簡単な停留所だったんです。それが発展したと、お父様はおっしゃってました」
ふたりは並んで歩く。
「おねーさんこんちわー!」
擦り切れたオーバーオールの男の子たちが、すれ違い様に笑いながら挨拶していった。
オリヴィアは元気に走り回る少年たちに柔和にほほ笑みながら、手をゆるゆる振って見せた。
「ひょーっ」
「今おれに笑ったよな!?」
「きれーなおねーさんだな!」
ハイテンションに喜びながら、少年たちは道の角を曲がって家の影に消えていく。
サーノはにやにやしながらオリヴィアを肘で小突いた。
「大人気だねぇ姫さん。ひとりくらい持ってってもいいんじゃね?」
「あらあら、わたくし人さらいではありませんわ」
かがんでサーノの長い耳に囁く。
「それに、人間というだけでは価値なんてありませんよ」
「は?」
サーノは聞き間違えたかと思って聞き返したが、オリヴィアは既に数歩先を歩いていた。
クワを振るう男ににこにこと会釈をしながら、優雅にゆったりと。
「……こないだ『悲鳴が大好き』とか言ってたよな。矛盾してね? めんどくせぇ姫さんだぜ……」
サーノは無表情で追いながら、鮮烈な桃色の髪をぐしゃりと掻きむしった。
空がすっかり暗くなってからオリヴィアがたどり着いたのは、村の外れにひっそりと佇む一軒家だった。
屋根は赤く、金の風見鶏が静かにたたずんでいる。
「なるほど、そういうパターンか」
「はい、わたくしの別荘です」
サーノは購入した食料を積んだ台車を軒先に置いた。
「思ったよりたくさん買えたなぁ」
「ふふ、村長様と交渉しましたから」
「待て、オリヴィア。お前がそういう含んだ感じに笑ったとき、大抵ろくな話にならない」
「まあまあ、サーノ。ひとまず今日は休みましょう」
「今日は? まるで明日忙しいみたいだな?」
「ふふふ」
オリヴィアは何も答えないまま、台車から数個の野菜を抜き取ると、家に入っていった。
「ことによっては追加料金だかんな!」
サーノも慌てて中に入る。
家の中では、仄かな灯かりが、天井の丸い物体から降り注いでいた。
「なんだありゃ? 光ってるけど、魔力を感じない」
「電灯が珍しいのですか?」
「でんと?」
不思議に思いつつ、サーノはリビングに入る。
「家の裏手に、発電機があります。お父様の発明ですのよ」
「はつでんき、ってなんだよ」
「電気を産む機械です。サーノ、そこでくつろいでいてください。今夕食を作りますわ」
説明もそこそこに、オリヴィアはピンクのエプロンを手早く巻いて台所に立っていた。
「ふーん。後で見に行こ」
「ただの機械ですわよ?」
「にしても、久々にまともなメシが食えるんだな。何作るんだ?」
「豆と野菜を適当に煮込みます」
とんとんと包丁がまな板を叩く音が聞こえる。オリヴィアが野菜を切っているのだろう。
サーノは大人しく、大人用の椅子によじ登って座った。
「なんだよ。貴族の手料理が食えると思ったのに、庶民的だな。肉焼け肉」
「あらあら、わたくしお金持ちですのよ? 香辛料があります。それを振りかけて食べますわ」
確かに、卓上には三つスパイスのガラス小瓶が並んでいた。
「でも全ては使わないでくださいね」
「ケチくせぇな金持ち」
「サーノが料理を台無しにするからですよ」
オリヴィアのため息を聞きながら、小瓶を指先で弄ぶサーノ。
コト、コトと、木のテーブルがガラスで叩かれる音。
サーノはテーブルに寝そべって、退屈な子供のように手遊びに集中する。
「せっかく作っても、サーノがめちゃめちゃな食べ方をするなら、作り甲斐がありません」
頬をテーブルでふにっと潰しながら、サーノが台所に目を向ける。
オリヴィアは、相変わらず動きやすさという概念を鼻で笑うような、濃厚なドレス姿だ。暗い台所には浮いて見える。
しかし、少女のようなリボン結びのピンクエプロンが、ドレスに包まれた女の生々しい瑞々しさを晒しているようだった。
足首まで隠すドレスが重たく包んだ尻。リズミカルに揺れている。
「はーい、お母さんの言う通りにしまーす」
なんとなく、サーノはそうからかってみた。
「おかっ……ん゛っ」
オリヴィアはむせている。
「おか、お母さんって。わたくしまだ二十二歳ですわ。サーノにとってみれば、わたくしこそ子供ではなくて?」
「えー、姫さんみたいな娘産まれたら怖いよ」
包丁の音の感覚が乱れている。オリヴィアの心の何かに、発言のどこかが引っかかったようだ。
台所は薄暗いが、ダークエルフのサーノには、オリヴィアの小さな耳が少し赤らんでいるのが見える。
「……何照れてんだ、姫さん?」
「てっ、照れてませんっ」
即答だった。切羽詰まった声。
「じゃあ怒った? 怖いとか言われて」
「……そこでなんで怒ってるって解釈になるんですの?」
今度はクールダウンした、がっかりしたような声音。
オリヴィアは切った野菜をどさどさと鍋に流し込むと、浄水を注いでフタをした。
そのままエプロンで手を拭いてこちらに来るオリヴィアに、サーノは台所を指さす。
「……? 火をつけろよ。生野菜食わす気か?」
「IHって言って、これもお父様の発明ですわ。電気で温めるんです」
「へー。クソジジイのイカレた発明品さまさまだな」
オリヴィアは椅子を引くと、テーブルに頬杖をついて、にこにことサーノの顔を見つめた。
「……なんだ、姫さん。顔になんかついてるか?」
サーノは不気味に感じて、顔を起こし、テーブルに顎を乗せる。
「いえ、改めて眺めていますと、サーノの顔だちは本当に美しいですわね」
「姫さんに褒められてもな。はく製にでもしようってのか? としか思えねぇぞ」
「じゃあ誰に褒められたいんですの?」
「傭兵の顔が良くても、いまいち使い道がないからなぁ……そこ褒められても困る」
「なら、傭兵ではない、ただのサーノのかんばせを褒めますわ」
「……なおのこと、使い道なくね?」
褒められたのはわかるが、サーノには今一つピンと来ない褒め方だった。
「使い道ならありますわよ。今、わたくしに眺められなさいな。給料上げますから」
「そこまでするかぁ? 鍋焦すなよ?」
サーノはどうにもむず痒い気分だったが、お金をもらえるなら、と我慢して、テーブルの木目とにらめっこしていることにした。
オリヴィアはいつまでも、うっとりと顔を見ている。